ゼミ論レポート、9000字突破。いよいよ先が見えてきた。構想もまとまってきた。悔やまれるのはもっと本読む時間がほしかったこと。テストとかかぶってたからしょうがねっか。

「個人化」が進んでいるという。これはなるほどと思った。今や階級・階層は見えにくくなっているし(実際に経済格差はあるのだが)、1億層中流社会だし。地域は解体してるし。ジェンダーフリーなんて今や死語だし。冷戦終わってイデオロギーもわかんなくなってるし。企業福利なんてばかばかしいくらいに流動化する雇用情勢。 今まであったあらゆる「しがらみ」が取っ払われていってる。これは「解放」なのか。それとも「依る辺無き世界」の到来なのか。「個人化」は加速する。個人は個人とコラボする。団結しなくても、自分一人「勝ち逃げ」すればよくなった。個人による消費、個人による信仰…バモイドオキ神。 まあ、啓蒙主義と社会的使命に支えられた学校もまた、馬鹿馬鹿しい場所になった。そんなんより狂った消費世界の方がよっぽど刺激あるものだから、子どもは皆個人としてそっちにゆく。学校は学歴サービス機関か、惰性で行く場所になった。しかしなんて不毛なんだろ。少年少女の現在はなんて勿体ないのだろう。希望はまだ学校をコミュニティとして評価して来ていてくれてる子どもだが。 あと、「個人化」で消えゆく「しがらみ」の中で、最後に残ったのが「家族」という共同体だ。きっとこれも崩壊してゆくんだろうな。 それにしても、リスクをかけて夢を追える時代だと思う。アイデンティティはもはや与えられるものではなく獲得するものになった。その空虚に恐怖するときは、恋人でも親友でもいたほうがいい。個人間のつながりは、本物を生む可能性は高い。勇気にもなる。希望にも。だから僕はコミュニティーをつくり続けるのだ。 「個人化」を前向きなものにするためにも、学校はフレキシブルで人間的な場所でなければなんねえな。消費世界よりももっとおもしれえ「知の味」を、単なる球蹴りにあんな白熱するサッカーのような、あのシンプルでダイナミックなクリエイティブなサッカーのように、アイデンティティを試行錯誤できるような、そんな学校教育ってできないだろうか?

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