2005年に「自由」であること
2005年2月1日ゼミ論レポート、11500字突破。構成も決まった。あとは書けるだけ書いて編集することにしよう。 明日、試験最後の1つ。勉強もしなけりゃなんねえし、参るぜ。
パターナリズムという考え方がある。「権利」意識っつうのは結局それを使いこなせる「強い」人間にとって必要なものにすぎなくて、「自由」とか「権利」とか平等に与えたとしても、「弱い」人間はそれを使いこなせない。むしろ、「自由」を自殺や犯罪に使ってしまうかもしれない。一時の苦しみに耐えられずにそうなってしまうかもしれない。もしかして未来は輝かしいものかもしれないのに、だ。「死なせて!あたしの勝手でしょ!」という人がいたら、「自由」「自己責任」を重視するなら、死なせてやるべきだろう。本人の「権利」を尊重するわけだ。でも、その人の苦しみが一時のもので未来は輝かしいと思うのなら、「権利」を取り上げてでも強制的に自殺を止めるべきである。「弱い」個人を拾い上げるために管理をする。 ともすれば一方は無責任な新自由主義というものになるし、一方は管理主義になる。難しい。でも、支配・管理をされなければ生きてはいけない個人もいるということも事実だ。左翼に言えば怒るのかな。
イラクにアメリカ式「自由」は根付くだろうか。秩序でもあったフセイン独裁支配をぶっ壊しちゃって、この先何年内戦は続くだろう。シーアイラク、スンニイラク、クルドイラクに分裂独立するまでかな。
いろんな所で起きている「保守回帰」「宗教回帰」にも思う。「自由」って何ですか? 人間が生きる本能と欲望のはざまで「自由」って揺れ動いてる代物なんではないだろうか。
パターナリズムという考え方がある。「権利」意識っつうのは結局それを使いこなせる「強い」人間にとって必要なものにすぎなくて、「自由」とか「権利」とか平等に与えたとしても、「弱い」人間はそれを使いこなせない。むしろ、「自由」を自殺や犯罪に使ってしまうかもしれない。一時の苦しみに耐えられずにそうなってしまうかもしれない。もしかして未来は輝かしいものかもしれないのに、だ。「死なせて!あたしの勝手でしょ!」という人がいたら、「自由」「自己責任」を重視するなら、死なせてやるべきだろう。本人の「権利」を尊重するわけだ。でも、その人の苦しみが一時のもので未来は輝かしいと思うのなら、「権利」を取り上げてでも強制的に自殺を止めるべきである。「弱い」個人を拾い上げるために管理をする。 ともすれば一方は無責任な新自由主義というものになるし、一方は管理主義になる。難しい。でも、支配・管理をされなければ生きてはいけない個人もいるということも事実だ。左翼に言えば怒るのかな。
イラクにアメリカ式「自由」は根付くだろうか。秩序でもあったフセイン独裁支配をぶっ壊しちゃって、この先何年内戦は続くだろう。シーアイラク、スンニイラク、クルドイラクに分裂独立するまでかな。
いろんな所で起きている「保守回帰」「宗教回帰」にも思う。「自由」って何ですか? 人間が生きる本能と欲望のはざまで「自由」って揺れ動いてる代物なんではないだろうか。
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