ノベルを述べる5 人間失格の賛歌
2005年2月19日 読書こないだ読んだ太宰治の『人間失格』は面白かった。太宰はほんと死ぬことばっか考えてたんだね。ストーリーは、太宰自身を主人公に見立てたノンフィクションといえる。普通にこの世を生きている人間たちを眼差しながら、どうしても普通に生きれない自分を、自己疎外と嫌悪と刹那的な衝動と、それでも葛藤が続く心模様を通じて、すごくすごく魅せられた。どんどん酷い展開になってゆくというよりは、どんどん「人間として」墜ちてゆく。でもそれは子供の頃からずーっと辿ってきた運命的な道でもあって、避けることは出来たかもしれないけど、避ける努力がそもそも出来やしないものだった。生まれてくる時代と場所を間違えたのか、そもそも生まれるべきではなかったのか、人間というものの何たるかを、人間失格というものをみせつけてくれます。太宰はこの作品を書き終えた後、遂に念願の自殺を成し遂げることができたんだって。なんか、でも、その死を祝福したいと思った。あの世界に太宰が生きてたって仕方ねえんじゃねえかと、人間失格ってそういうことやろ。太宰が死を選べて、僕は嬉しかった。太宰が幼きときから隠し続けてきた自分の正体を、書き残して、やっと安らかに成就したのだと思いたい。
「それが、自分だ。世間が許すも、許さぬもない。葬るも、葬らぬもない。自分は犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ」
「幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この2人の間に入って、今に2人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、一度だけ、生涯に一度だけでいい、祈る」
「世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋(オーシャン)は世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当たっての必要に応じて、いくぶん図々しく振る舞う事を覚えて来たのです」
はあ、今の僕かもしれんなあ。 そして太宰は逝ってしまう。生まれる時代が違っていたなら、それが今だったなら、なんて思っても、やはりでも太宰は逝くんじゃないだろうかとも思う。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、いっさいは過ぎていきます」
「それが、自分だ。世間が許すも、許さぬもない。葬るも、葬らぬもない。自分は犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ」
「幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この2人の間に入って、今に2人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、一度だけ、生涯に一度だけでいい、祈る」
「世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋(オーシャン)は世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当たっての必要に応じて、いくぶん図々しく振る舞う事を覚えて来たのです」
はあ、今の僕かもしれんなあ。 そして太宰は逝ってしまう。生まれる時代が違っていたなら、それが今だったなら、なんて思っても、やはりでも太宰は逝くんじゃないだろうかとも思う。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、いっさいは過ぎていきます」
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