磐越西線始発5時57分で会津若松に向かう。東北の始発は案外遅い。夜明け。残雪。無人の駅のローカル線。この独り旅っぽい情緒がたまらない。眠気の中、ホッカイロを握りしめる。ゆっくりと電車は進み出した。
会津若松駅到着。駅から飯盛山まで歩く。戊辰戦争のときの、あの少年兵部隊・白虎隊が自害して果てた地だ。山頂から会津市内を見渡せた。素晴らしい景色だった。 しかしよくもまあ世界の何一つも知らないままに死ねたもんだ。武士道でしょうかそれも。白虎隊でただ一人生き残った飯沼貞吉という人はその後明治政府の役人になって老人まで生きたんだって。どんな思いで生きたのかはわからないけど、生き方なんてわからないもんだよな。なにも少年時代に武士道で死ぬこたあないよなあ。太宰を見ろ太宰を。ダメ人間になるまで自殺しなかったぞあいつは。
その後、また電車に乗り喜多方へ。目的はもちろん喜多方ラーメン。雑誌に載ってた一番美味そうな店へ。すげえ美味かった。
会津若松に戻ってからバスで芦の牧温泉に向かう。山奥の秘湯・芦の牧温泉は静かな温泉街だった。ホテルの大浴場でも良かったけど、せっかくだから旅人っぽく、お土産センターの裏側にくっついてる小さい温泉に入った。旅人の湯っぽくてよかった。露天風呂はぬるかった。たっぷり堪能して出ようとすると…アレ?ロッカー開かない…。鍵が古かったらしく、荷物を入れたロッカーの鍵が回らないのだ。人の気配無い旅人の湯で独りぼっち、全裸でパニック!どうする?「鍵開かないんスけど〜」とかって、外出てお土産センターまで行くか?大声で叫ぶか?おいおい。グイグイ鍵を手で押していると…もぎ取れた。ひでえな。とにかくロッカーは開いたけど、器物破損かなこれは?別に焦ることなく、温泉の裏手にあったゲームコーナーで電気ドロして携帯充電した。パンフで紹介されていたお土産屋の半分近くは店を閉めていて、温泉街は結構さびれていた。神社に行ったり、足湯に浸かったりした。
会津若松までバスで戻り、再び郡山に戻った。再びステーションホテルに宿を取り、駅前をうろついてると、白人と日本人(日系かな?片言だった)の男2人に呼び止められた。「アナタ神信ジマスカ」キリスト教会の奴らだ。僕の大学はミッション系なので僕も少しはキリスト教に関わっていたので、話に付き合ってあげた。プロテスタントでは、同じキリスト教でも様々な聖書解釈の違いから様々な立場・派閥のような、団体の乱立があると聞く。その中でも彼らは結構ラジカルな聖書原理主義者のようだった。「末日聖徒イエスキリスト教会」だって。彼ら曰く最後の預言者イエスの後に、本当に最後の預言者ジョセフスミスとかいいうのがいるんだって。とにかく絶対正しいそうです。聖書と同等の価値があるとか彼らが言う「モルモン書」(ハードカバーだぜ、高そ〜)をなんと貰ってしまった。それ読んで目覚めたら一緒に布教しましょう、連絡してください、だって。いや〜AかOに土産話ついでにプレゼントしよう。笑い転げてくれるぞ。 そもそも絶対正しい、って宗教ならではだけど、他の宗教と共生できるかどうかという点にこそその質がかかってくると僕は思っている。例えば何かと悪名高いイスラム教だって、その根っこはユダヤ教だ。キリスト教とは兄弟のようなもんだ。ユダヤ教の中でイエスを認めているのがキリスト教であり、マホメットを認めているのがイスラム教であるとも言えるだろう。宗教紛争は宗教の問題じゃないんだと思う。政治対立が全て。宗教は政治対立を悪化させるものか、カモフラージュするものでしかないんではないか。本当はパレスチナ問題だって、双方わかりあえるはずだよ。宗教の違いは殺し合う理由にはならないはずなのにな。 たった一つの暴力はその後の無限の暴力に正当性を与えてしまう。それが終わり無き暴力の連鎖だ。簡単に壊しては建て替えるビル。使い捨てられる商品、トレンド。リストラクチャーと開発。創造的破壊と呼ばれる市場原理を追求する大国には、癒えるのに何十年もかかる傷跡など信じられないのだろう。一度壊してしまったら幾ら金かけても治しようがないものだってこの世にはあるんだぜ経済大国よ。よくも簡単に破壊できちゃうもんだ。市場経済を信じているのだね。それもまた、宗教だろ。
そんなことを考えながらビール飲んでグッスリ寝ました。明日は仙台だ。

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