朝の始発、姉が起こしてくれて福島駅まで車で送ってくれた。感謝。奥羽本線で米沢、山形と通過し「山寺」駅到着。雪に埋もれた立石寺、頂上を目指す。しかしもはやアイスバーン。何度滑ったか分からない。「痛ッてェー」と何度呟いたかわからないほど転倒した。「岩にしみい」ったのは何の音だっけ?芭蕉のように夏に来てればよかったのだろうけど。もはや山頂への道のりは苦行だ。階段が雪氷の坂になっちまってる所もあった。半分くらい雪氷に埋まった手すりに掴まりながら、中腰になってよじ登る。山寺の山頂の階段からはロープが垂れており、掴み掴み登った。頂上は絶景だった。山に雪。迷いなんか吹っ飛んでしまうくらい、広大な景色は優雅で荘厳だった。だけど膝や腰は痛かった。
仙山線で再び仙台へ。もう昼時だったので、一番老舗だという店で牛タン焼きと麦めしを食べた。むちゃくちゃ美味かった。 仙台の街を練り歩いたりして、お土産を買いあさって、郡山経由で帰路についた。
いろいろ考えたりして、やっぱ旅は楽しかった。独りになれる時間がすごくすき。いろんなものから離れられる時間は、とてもたくさんのものを僕に教えてくれる。いつもそうだけど、帰路につくときに希望が生まれてる。明日からどうにかこうにかまた試行錯誤する日々が続くのだろうけど、とりあえず生きてゆこうとする、なんというか、気負いが。
或いは「すべきこと」の無い中で、しるべを設定するという不安定で虚無にも関わらず、恍惚とするスリル、渇望、鼓動という生きている証。 「朝起きて行くべき所と時間が決定している」という、退屈だが安定感、安心感を内包する日常。創造か既存か。僕の独り旅は前者であり、人生もまた今のところそっちがいいように思う。やっぱり、心臓ってのは、脈打たないと、生命を稼働させないのだと思う。普通にトクトクと脈打てば自分は「生きてる」とわかる。息をしてることがわかる。でもドッキンドッキンバクバク心臓が鳴ると自分は「活きてる」と思う。死んでないことが、わかるのだ。心が地についているような、生きている心地がするのです。
「人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの」(by佐々木功)
東北、楽しかった。やっとみちのく独り旅も終わって、僕は明日から人生の旅に帰還する。

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