takebonoマンガ夜話7
2005年3月28日最近全巻を読み終えたのが、福本伸行の麻雀漫画『天』。裏雀プロ達の東西決戦は死闘の末に東日本が制し、それから早9年が経過したある日、凡庸にそれぞれを生きていた歴戦の勇士達のもとにあの天才・赤木しげるの逝去の報が届く!赤木が死んだ!?葬儀に参列した天とひろゆきたちの前に、死んだはずの赤木が姿を現す。「今日は俺の葬式なんだ」赤木の脳はアルツハイマーに侵されていた。その日は、赤木が赤木として在るために、赤木自ら命を絶つことを決めた日であった。かつて赤木と共に戦い、又は赤木に敗れていった者達全てが集合し、いまその全員が赤木の自殺を思いとどまらせるために、赤木との最後の会談に臨もうとする。赤木が死ぬ!?僕の心もまた混乱していた。あの天才・鬼神・雀聖の赤木が…アカギが死ぬ!?赤木は自らが赤木であるために、朽ちる前に死ぬという。しかしそれが赤木の「生」の証なのだ。赤木は生き死にすらからも自由であろうとし、全てから無頼であろうとする。こいつこそがアンチェインなんだ。
金光が、銀次が、思い思いの方法で赤木を説得するが、赤木の死への思いは揺らがない。「掛け値なし…俺はこのまま死にたいのだ…死ぬときは…心から死ぬっ…」「砂や石や水…通常俺たちが生命など無いと思っているものも、永遠といっていい、長い時間のサイクルの中で、変化し続けていて、それはイコール、俺たちの計りを超えた…生命なんじゃないか…と…。死ぬことは…その生命に戻ることだ…」 宿命のライバルだった怪物・曽我もまた赤木との最後のギャンブル勝負に敗れ、赤木の死を認める。「死ねっ赤木…消えろっ…高見のままっ…」「いらないっていう決断があってもいい…どこどこまでも生きなくたっていい…その幻想がどれほど人を苦しめてきたことか…出来ることなら人は自由に生き…自由に死んでいきたい…赤木はただそれをやろうとしてるだけなんや…わしらは…死んでいいんや…恥じることはないっ…死のう…時満ちたなら…」
僕の気持ちを代弁したように、天が叫ぶ。「俺が死にきれない…俺の悔いになる…赤木しげるを独りぼっちで死なせたとあっちゃ…俺が耐えられない…俺だっ…!俺が死なせたくねえんだっ…!俺っ…!俺っ…!俺のために…生きてくれって言ってるんだっ…!赤木さんっ…!」赤木がゆっくり振り向く。この1ページ沈黙のシーンが、赤木の全てを物語るかのように、僕には思えた。「ありがとうよ天…最期に…温かい言葉だった…救われたよ…家族はいずとも、俺には…友はいたのだ…じゃあな…」「無念じゃねえのかよっ…!赤木っ…!」「…フフ…、ああ…無念だ…しかし…無念であることがそのまま…生の証だっ…思うようにいかねえことばかりじゃねえか…生きるってことは…不本意の連続…時には全く理不尽な酷い仕打ちだってある…、けどよ…たぶんそれでいいんだな…無念が願いを光らせる…嫌いじゃなかった…何か願いを持つこと…そして同時に…今ある現実と合意すること…、不本意と仲良くすること…、そんな生き方が…好きだった…たぶん…愛していた…無念を…」「俺はもう俺自身ですらなくていいんだ…離れる…俺は俺から…風っ…放たれろっ…飛散しろっ…赤木しげる…」
赤木は逝った。全ての人の心に残り香を置いたまま。赤木は僕の中で今も笑っている。
アメリカがいま尊厳死問題で揺れる中で、僕は一人の天才の自殺を説得するというストーリーで3巻分、そのままそれを最終回にまでもっていったこの漫画に感動していた。『あしたのジョー』で力石の死が惜しまれ葬儀が実際に行われたというが、この赤木の死も、僕の中ではそれほどまでに強烈なものだった。人は生まれながらにしていつか死ぬことが決まっている。僕は、死ぬときに何を思うのかな。それでも、不本意と仲良くし、無念を愛することが、生を輝かせるものであることは、僕の信条でもある。これほどの美学を伴った尊厳死に、僕は打ち震えた。ブッシュの支持基盤はキリスト教右派だから、尊厳死反対発言なのだろうな、とか思ったけど、でもそんなことはもうどうでもよく思えた。 赤木よ、安らかに眠れ。
金光が、銀次が、思い思いの方法で赤木を説得するが、赤木の死への思いは揺らがない。「掛け値なし…俺はこのまま死にたいのだ…死ぬときは…心から死ぬっ…」「砂や石や水…通常俺たちが生命など無いと思っているものも、永遠といっていい、長い時間のサイクルの中で、変化し続けていて、それはイコール、俺たちの計りを超えた…生命なんじゃないか…と…。死ぬことは…その生命に戻ることだ…」 宿命のライバルだった怪物・曽我もまた赤木との最後のギャンブル勝負に敗れ、赤木の死を認める。「死ねっ赤木…消えろっ…高見のままっ…」「いらないっていう決断があってもいい…どこどこまでも生きなくたっていい…その幻想がどれほど人を苦しめてきたことか…出来ることなら人は自由に生き…自由に死んでいきたい…赤木はただそれをやろうとしてるだけなんや…わしらは…死んでいいんや…恥じることはないっ…死のう…時満ちたなら…」
僕の気持ちを代弁したように、天が叫ぶ。「俺が死にきれない…俺の悔いになる…赤木しげるを独りぼっちで死なせたとあっちゃ…俺が耐えられない…俺だっ…!俺が死なせたくねえんだっ…!俺っ…!俺っ…!俺のために…生きてくれって言ってるんだっ…!赤木さんっ…!」赤木がゆっくり振り向く。この1ページ沈黙のシーンが、赤木の全てを物語るかのように、僕には思えた。「ありがとうよ天…最期に…温かい言葉だった…救われたよ…家族はいずとも、俺には…友はいたのだ…じゃあな…」「無念じゃねえのかよっ…!赤木っ…!」「…フフ…、ああ…無念だ…しかし…無念であることがそのまま…生の証だっ…思うようにいかねえことばかりじゃねえか…生きるってことは…不本意の連続…時には全く理不尽な酷い仕打ちだってある…、けどよ…たぶんそれでいいんだな…無念が願いを光らせる…嫌いじゃなかった…何か願いを持つこと…そして同時に…今ある現実と合意すること…、不本意と仲良くすること…、そんな生き方が…好きだった…たぶん…愛していた…無念を…」「俺はもう俺自身ですらなくていいんだ…離れる…俺は俺から…風っ…放たれろっ…飛散しろっ…赤木しげる…」
赤木は逝った。全ての人の心に残り香を置いたまま。赤木は僕の中で今も笑っている。
アメリカがいま尊厳死問題で揺れる中で、僕は一人の天才の自殺を説得するというストーリーで3巻分、そのままそれを最終回にまでもっていったこの漫画に感動していた。『あしたのジョー』で力石の死が惜しまれ葬儀が実際に行われたというが、この赤木の死も、僕の中ではそれほどまでに強烈なものだった。人は生まれながらにしていつか死ぬことが決まっている。僕は、死ぬときに何を思うのかな。それでも、不本意と仲良くし、無念を愛することが、生を輝かせるものであることは、僕の信条でもある。これほどの美学を伴った尊厳死に、僕は打ち震えた。ブッシュの支持基盤はキリスト教右派だから、尊厳死反対発言なのだろうな、とか思ったけど、でもそんなことはもうどうでもよく思えた。 赤木よ、安らかに眠れ。
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