卒論

2005年4月14日
まだまだキャンパスに人が多くて嫌になる。どんどん減ってほしい。今日は食堂で読書しながら卒論計画を練った。やっぱり「教師」を取り上げようかと思う。こんだけ、鬱屈した社会の弊害、その責任を教育に押しつけられ、支離滅裂な教育言説が飛び交って、「あーすればいい、こーすればいい」のように無責任でいい加減に、公教育が槍玉にあげられてるのを見ていて、問題はカリキュラムや意識改革や政策の徹底とかじゃないだろうと思う。教育予算を増やして、絶対的な教育現場の余力をキープすることだと思う。全ての教育問題において、なにか真っ正面からの議論が出来ていない気がするのはこのせいだ。教師の力を最大限に引き出す環境作り論議を抜きにして、教育は語れないだろうと思うからだ。「ゆとり」がどうとか、生徒対応がどうだったとか、以前に、充分に力を発揮できる環境に現場はあるのかどうかだ。教師の多忙化は常態化しているというが、それが教育効果にどれほどの影響を与えているのか、このテーマでちゃんとした議論を僕はあまり聞いたことがない。故にまずはこれでいこうと思う。公教育の命題も意義も、結構ここから導き出されるのではないか。突破口にもなりそうだ。

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