神宮球場国士舘戦

2005年4月16日
今日はNちゃんの母校(高校)の野球の試合を一緒に観にいった。神宮球場の脇にある神宮第二球場はなかなかこれもまたこじんまりとした情緒がある。試合は初回から荒れ、珍プレーもあり、逆転しかし逆転され、結局4発ものホームラン攻勢をくらったNちゃんの母校は14−7で乱打戦の末に準々決勝で敗れ去った。Nちゃんは先発投手と球審の批判をその後ずっとしていた。しかしふんぞり返って飲んだり食ったりお喋りしたり、ときに沸いたり、好プレーに拍手し、失策に苦笑いし、なかなかハイキング気分で良い。Nちゃんとは高校野球をよく誘われて観戦しにいくけど、そのたびになんかほのぼのまったりできる。よく言われるけど、野球の「間」、日本人に合ってるっつうの、正しいように思う。野球って、こうやって楽しむのが一番僕はすきだな。
その後Nちゃんの母校(大学)で、学食食べて色々話したりしてまったりした。うちの大学のメニューより豊富、で2〜3割は安い。そしてそんなにきれいじゃないけど結構広い。うちの大学は見てくればかり気にして機能性に優れてない。ある意味学食といえないように思う。
その後、講義にもぐってみた。「発達〜」とかいう講義で、教職の授業だったようだ。超つまんなかったからすぐ教室を出た。
Nちゃんとも色々話した。色々悩んでたみたいだけど、僕とは意識の差がありすぎて、あまり受け止めてやれなかったように思う。こういうのって仕方ない。わかりあえたふりはしたくないから。友達とは、エゴでなく故にどうしようもない他人だってこと。「救う」なんて心への冒涜だ。決定的に触れることは初めから出来ないのだ。手を伸ばすことが、救いになると信じて、僕は手を伸ばすしかないんだと思う。こういうもどかしさもあるんだな。でも、いい。ゆっくりゆっくりでいい。見守ってやること、側にいること、こんな僕が偉そうなこと言えないけど、共に友に在ることだと思う。僕が狂いそうだった頃、いつだってそういうものに救われた。誰にだって、息をする場所がある。僕はその微かな吐息を聞く者でありたい。僕は、ちっぽけでいい。ちっぽけな希望になれたらいい。そんなことを思っちった。若いな。しかし今はそれでいい。

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