クズたちの時代

2005年4月19日
朝にNちゃんがメールしてきて、午前中キャッチボールした。彼は87%くらいニートなのかなあ。平日の昼間だってのに、僕が「チーム・くず」でなければ、こんなことに付き合う奴いないだろうなあ。 それからR−SOMAの区公認団体登録の更新に行った。書類一式をまた提出しなければならないらしく、明日また行かなければならない。すごい面倒。自分がやんなくてもいいことだけど、誰かがやれば誰かが助かるわけで、そんなことにも悩むことも馬鹿馬鹿しく、「フリーライダー」をぶっ壊したくて、僕がやってしまってる。愚かだな。「ありがとう」なんて言われるのも気持ち悪く、でも人の役に立ってる喜びも無いわけじゃない。つくづく救えぬクズか。

夕方から学校で教育実習の講演会があった。講師の人がすごい面白くて、とてもよかった。教育というもの、教師というものの、在り方。それこそを、またしても考えさせられた。 その後、懇談会とかで、先生方の酒の席に参加させてもらった。話を聞いてるととても興味深かった。でもついていけなかった。たぶん、乖離がある。「学生」と認識されるほど、勉強を積んじゃいない。僕が社会学部だからって、社会学の何を知っているというのか。なんつうか、前提が乖離してんのに、接点が見えないのに、何の意見も言えやしない。何よりも、こんなクズの僕が、こんな場所で「学生」かたっていいのかなあと思う。批判される価値も無いのではないか、と。 ああいう学閥ファミリーみたいのほんと嫌いだし、あの雰囲気、笑顔も嫌だ。極めて不本意に「いい子」演じるしか出来ない僕自身がホントにむかつく。学生に失望している先生方の前で、学生のパワーを見せつけてやりたいと思う反面で、無力な自分。それを見てやはり失望する先生方。どうしようもない時間の進み方に、やりきれなさが残った。 Hが僕のことを「丸くなった」と言った。Eつんと「我々も年ですなあ」と笑い合った。なんなんだろうなあ、ありふれて生きちゃってるのかなあ。でも、届かないからこそ眩しく掛け替えがなく思えるものだってある。「学生」として、レベルアップし、思想レベルを鍛え、世のノウハウを学び、社会にコミットメントしてゆくことは、本当に大切だしそうすべきだしそう在りたい。でもでも、例えば今朝のNちゃんや、昨日のTKや、R−SOMAや、「チーム・くず」なんかは、今の僕が今の僕故にコミットメント出来る世界であるし、何か自分を形成してるものでもある。何か僕が大切にしてたものが離れていってしまうようで、進歩したくないとまで思ってしまう。甘いのだろうけど。時代が変われば嫌でも離れてゆくのだし、時の流れに逆らっているのだろうけど。結局、「底辺」が抜けられないのかな。やっぱり、クズどもを守るために強くなりたかったりする。救えねえクズどもを活かすために、もっと優しい人間になりたかったりする。 僕は、クズでいい。クズのままに、強く、優しくなりたい。そう思った。

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