ブルーダークの少年の記憶
2005年4月20日 エッセイ先日実習校を訪問したとき、帰り際に階段のとこで体育のOD先生と擦れ違った。職員室には、僕が学校通ってた当時の先生方はもうほとんど残っていなかったけど、こいつはまだ残っていたんだ。「おう、教育実習か、頑張れよッ」とドスの利いた声でいい加減な態度ながら激励してくれた。「ありがとございまッす」僕は4年前を思い出していた。
体育のODといえば、笑顔を見たことがなく、ヤクザみたいな口調の教師で、無茶に筋トレをさせる奴で、連帯責任がすきで、ゴリラと吸血鬼を合わせたような顔で、僕はすげえすげえ嫌いだった。体育の授業でバドミントンのとき、僕らがせっかく張ったネットに、「なんだこりゃあ!」とかってラケットを叩きつけてネットが外れて「やり直ーし!」とか叫んで、マジにこいつ殺してやろかと思ったくらいだ。バカやったやつをたまに殴ったりして、完全な体育会系かと思いきや、説教をするときには意外と論理的だったりして、単なる体育バカではなく、頭のいい大学を出てるらしいと後で聞いてなるほどと思ったりした。 そんな醜悪なODの体育授業で、僕は卓球やテニスを嗜んだ。3年間で、あの最悪なODがたった一度だけほめてくれたときがあった。テニスでダブルスやってて(僕はテニスがすきだった)、相手の深いストロークを後衛の僕がバックハンドでうまくリターンしたときだ。ODが叫んだ「おーっし!うまい!」そんで授業の終わりに「テクニシャンだ」と言ってくれた。それだけ。でもなんかうれしかった。教師に否定されることはあっても、ほめられたことなんかクズな僕にはこれまでに一度もなかったから、たぶん初めてほめてくれたのが皮肉なことにこのODだったのだ。
月日は流れ、3年の終わり頃、校内作文コンクールってのがあった。こんな底辺校では、応募する奴なんか一人もいないだろうに、図書券が賞品だったので僕は書いた。テーマは指定されてたと思ったけど、僕はそんなもの度外視して、つらつらと普段思ってることだけを書き連ねた。要するに、自分が社会においてクズであること。だけどこの社会が脳死であること。故にクズの自分こそが脳死社会を否定すること。自分のような、排除されるしかない運命にあるクズたちを結集して、いつかそれを何らかの力に変えたいということ。これまでの義務教育課程でずっと教師に否定され続けてきた僕の言説。今回も排除されるのだろうけど、このコンクールは応募数がそもそも絶対的に少ないのだから、簡単には排除できないのではないか。そんな間隙をついた一撃、とか愚かにも最初はそんなこと思っていたのだが、なんとその作文コンクールの選考委員は、進路指導主任でもあったあのODだったのだ…。 〔つづく〕
体育のODといえば、笑顔を見たことがなく、ヤクザみたいな口調の教師で、無茶に筋トレをさせる奴で、連帯責任がすきで、ゴリラと吸血鬼を合わせたような顔で、僕はすげえすげえ嫌いだった。体育の授業でバドミントンのとき、僕らがせっかく張ったネットに、「なんだこりゃあ!」とかってラケットを叩きつけてネットが外れて「やり直ーし!」とか叫んで、マジにこいつ殺してやろかと思ったくらいだ。バカやったやつをたまに殴ったりして、完全な体育会系かと思いきや、説教をするときには意外と論理的だったりして、単なる体育バカではなく、頭のいい大学を出てるらしいと後で聞いてなるほどと思ったりした。 そんな醜悪なODの体育授業で、僕は卓球やテニスを嗜んだ。3年間で、あの最悪なODがたった一度だけほめてくれたときがあった。テニスでダブルスやってて(僕はテニスがすきだった)、相手の深いストロークを後衛の僕がバックハンドでうまくリターンしたときだ。ODが叫んだ「おーっし!うまい!」そんで授業の終わりに「テクニシャンだ」と言ってくれた。それだけ。でもなんかうれしかった。教師に否定されることはあっても、ほめられたことなんかクズな僕にはこれまでに一度もなかったから、たぶん初めてほめてくれたのが皮肉なことにこのODだったのだ。
月日は流れ、3年の終わり頃、校内作文コンクールってのがあった。こんな底辺校では、応募する奴なんか一人もいないだろうに、図書券が賞品だったので僕は書いた。テーマは指定されてたと思ったけど、僕はそんなもの度外視して、つらつらと普段思ってることだけを書き連ねた。要するに、自分が社会においてクズであること。だけどこの社会が脳死であること。故にクズの自分こそが脳死社会を否定すること。自分のような、排除されるしかない運命にあるクズたちを結集して、いつかそれを何らかの力に変えたいということ。これまでの義務教育課程でずっと教師に否定され続けてきた僕の言説。今回も排除されるのだろうけど、このコンクールは応募数がそもそも絶対的に少ないのだから、簡単には排除できないのではないか。そんな間隙をついた一撃、とか愚かにも最初はそんなこと思っていたのだが、なんとその作文コンクールの選考委員は、進路指導主任でもあったあのODだったのだ…。 〔つづく〕
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