ブルーダークの少年の記憶2
2005年4月21日 エッセイある授業中、教室の戸が開いてODが顔をのぞかせた。そして、その授業の教師と何か一言二言話すと、教師は僕に廊下に出るように言った。ODが僕を廊下に呼び出したのだ。「なんかやらかしたのかよォ?」と周りの連中がはやしたてた。そう思っても無理はない。あのODがわざわざ教室に来るくらいだ。僕はやっちまったかと思った。あのバカげた僕の作文、それをODが手に持っていたからだ。選考係のODが読んでその内容にきっとブチキレたのか、まさか怒鳴られやしないだろうかと。もういいよボツなんだろ、怒るなよ、はぁ…。
しかし事実は違っていた。廊下に出た僕にODがただ一言「よく出来てる」…あれ?これは、ほめて…くれてんのかな?一瞬わかんなかった。「ココ直して、このまま清書しろ」とだけ言ってODは去ってしまった。「はぁ…」これは…?作文コンクールにいよいよ応募者がいなくて企画倒れになるのを恐れた?中学校の時、僕のラジカル文章を、書き直しを認めなかったために教師が都合よく書き変えたことがあった、あの時みたいに、ボツに出来ないならどうせ書き直させるんだろ。それにしては…。ODに手渡された僕の作文用紙にはたった一行だけの赤線が入っていた。
僕は放課後、ODがいる体育教官室に出向いた。どうしても気になってた。ODが僕の文章をどんな思いで読んだのか。体育教官室…ここで幾人が幾度、殴られたり怒鳴られたりしたのかなぁとか思いながら、戸を開けた。ODがいた。「おう、作文よかったぞ。高校生でここまで考えてる奴なかなかいないよ」…え?「とても立派な考えだ」…あれ?「でも、社会を否定しちゃダメだ。人間は結局どうしたって社会で生きてるんだから…赤線はそういう意味だ、そこを直してくれ」「はあ…」ODは僕の文章をほめてくれていた。表情一つ変えずに、太い声で。「こんなこと考えてる奴が、この学校にいるとはな…今になって気付いたのが、残念だ…」 理解し合うということに対してか、残された時間の短さにか、どうにしろ僕はこいつを悔やませるほどの文章を書いたのだろうか。ODが言った。「がんばれよ」何を?このクズな僕がこれから一体何をがんばってゆく?そん時はわかんなかったけど、きっとODは僕を激励してくれてたのだ。僕の生き方を、認めてくれたような気がして、僕が完全に閉ざしていたもの…社会、或いは彼が教師であるということ、初めてこの僕も認めたのかもしれなかった。もっと早く、互いを理解し合えばよかったのかも。人を信じない僕が、人を信じれなかったことに後悔するのはこの後1回や2回じゃないけど、教師に対してはこれが初めてだったように思う。すぐ人を切り捨ててしまう僕の悪癖は、このとき少しだけ揺らいだ。最後にODが「ありがとう」と言った。僕はなんかわからんけど、うれしかった。やっぱり言葉って大事だったのだ。ちっぽけな、2度と来ないほんとちっぽけな放課後の時間。 その後僕は「ずぶねリズム」にて、ODの進路指導部が発行する『進路ニュース』を批判してしまったことに少し罪悪感が残った。
青い青い少年の頃の記憶を思い返しながら、来月には僕は教育実習生として母校に凱旋する。 教育効果とは長い長い試みである。終わりはない試みである。しかし、思い出だけは残るのだ。傷と同時に、それを癒すのも、未来につなげるのも、出来合いのものではなく、心から心に刻まれた何かなのだとも思う。
しかし事実は違っていた。廊下に出た僕にODがただ一言「よく出来てる」…あれ?これは、ほめて…くれてんのかな?一瞬わかんなかった。「ココ直して、このまま清書しろ」とだけ言ってODは去ってしまった。「はぁ…」これは…?作文コンクールにいよいよ応募者がいなくて企画倒れになるのを恐れた?中学校の時、僕のラジカル文章を、書き直しを認めなかったために教師が都合よく書き変えたことがあった、あの時みたいに、ボツに出来ないならどうせ書き直させるんだろ。それにしては…。ODに手渡された僕の作文用紙にはたった一行だけの赤線が入っていた。
僕は放課後、ODがいる体育教官室に出向いた。どうしても気になってた。ODが僕の文章をどんな思いで読んだのか。体育教官室…ここで幾人が幾度、殴られたり怒鳴られたりしたのかなぁとか思いながら、戸を開けた。ODがいた。「おう、作文よかったぞ。高校生でここまで考えてる奴なかなかいないよ」…え?「とても立派な考えだ」…あれ?「でも、社会を否定しちゃダメだ。人間は結局どうしたって社会で生きてるんだから…赤線はそういう意味だ、そこを直してくれ」「はあ…」ODは僕の文章をほめてくれていた。表情一つ変えずに、太い声で。「こんなこと考えてる奴が、この学校にいるとはな…今になって気付いたのが、残念だ…」 理解し合うということに対してか、残された時間の短さにか、どうにしろ僕はこいつを悔やませるほどの文章を書いたのだろうか。ODが言った。「がんばれよ」何を?このクズな僕がこれから一体何をがんばってゆく?そん時はわかんなかったけど、きっとODは僕を激励してくれてたのだ。僕の生き方を、認めてくれたような気がして、僕が完全に閉ざしていたもの…社会、或いは彼が教師であるということ、初めてこの僕も認めたのかもしれなかった。もっと早く、互いを理解し合えばよかったのかも。人を信じない僕が、人を信じれなかったことに後悔するのはこの後1回や2回じゃないけど、教師に対してはこれが初めてだったように思う。すぐ人を切り捨ててしまう僕の悪癖は、このとき少しだけ揺らいだ。最後にODが「ありがとう」と言った。僕はなんかわからんけど、うれしかった。やっぱり言葉って大事だったのだ。ちっぽけな、2度と来ないほんとちっぽけな放課後の時間。 その後僕は「ずぶねリズム」にて、ODの進路指導部が発行する『進路ニュース』を批判してしまったことに少し罪悪感が残った。
青い青い少年の頃の記憶を思い返しながら、来月には僕は教育実習生として母校に凱旋する。 教育効果とは長い長い試みである。終わりはない試みである。しかし、思い出だけは残るのだ。傷と同時に、それを癒すのも、未来につなげるのも、出来合いのものではなく、心から心に刻まれた何かなのだとも思う。
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