早朝に起きて国技館の横審の稽古総見を観に行こうと思ってたのに、昨日の深酒がたたって二日酔いで起きれなかった。あああマジ残念。あとでニュースで聞いたけど、早朝7時開場だっつうのに9000人程来たらしい。観にくるのマニアだけかと思ってたのに、相撲ファンは老人が多いから朝は強いのかな。無料ってのが一番大きいのだとも思う。相撲ファンはいつもTVでしか観れないのに悔しがっているんだ。 昼起きてまた寝てまだ酒が残ってるっぽくて、天気よかったから自転車でうろつこうかと思ったら、自転車を駅の自転車置き場に置き忘れていたことに気づいてウンザリして駅まで歩いて取りにいった。そういえば昨日は自転車置き場閉まっちゃってたから歩いて帰ったのだ。よく帰れたもんだ。いつもの地元の感覚で飲んでたらあぶない。外で飲むときは気をつけなきゃ。 Oが花見で泥酔して救急車で運ばれたと聞き、無茶しやがってバカが、なんて思ってたけど、人事じゃないや。最近オールもしなくなったし、次の日に響くのが嫌だし、ある意味年をくって懸命になった。理性あるクズになったのか。いずれにせよまだ若いし、しかし若すぎない。良き時代なのだと思う。
「テロリズム・エコノミー」を考えながら思った。しかし、恐怖とはなんだろうなあ。生きるってことは、やはり動機付けなのだ。どの感情というか衝動というか情動を、生きるモチベーションにする或いはされるのかだ。快楽か。欲望ってのは不思議なもんだ。再生産される。朝起きたらまた欲しくなるように体が出来てる。そのくせ、段階がレベルアップされる。つまり欲望ってのは増殖しやがるんだ。だからこそ人間は進歩もするししてきたのだろうけど。 アイデンティティーか。基本欲望だけじゃ埋まらないもの。自分の存在を規定するもの。自己の基盤を奪われた人間がいかに弱いものかは歴史が示すとおりだ。 目標とか夢とか壁とかも、障害物のくせして生きる動機付けだ。
結局、完全なんかなくて、泣いたり笑ったり怒ったり恐怖したりするから、人間は人間なんだ。やはり無念を愛することなのだ。
「ドラゴンヘッド」であったように、恐怖すら、生きる意味なのだ。恐怖感情を失った人間はもう人間ではないんだ。だから経済活動は充分に成り立つのではないのかな。テロや戦争が景気を冷え込ませるとかいうけれど、僕は今や平和の方が景気を冷え込ませるほどの成熟経済だと思う。恐怖以上に、経済活動に動機付けのある情動はないだろうと思うけどな。
人間である以上は、社会や経済からは逃れられないだろうな。あの欲望と恐怖が織り成す悪魔のサイクルとは、上手に付き合ってゆくしかないのだ。地球が壊れる前に。戦争が起こる前に。平和のうちに生をまっとうするために、か。わかってて愚かになれるのも人間なんだな。バカじゃない人間なんて、人間じゃないのかもしれないな。
それでも僕は脱線事故の被害者の方々、遺族の方々の悲しみに、涙を流さずにいられない。一人一人にとって、かけがえのないものが奪われちまったことに。僕なんて、僕がすきな人やすばらしいと思ってる人が死んでしまったら、立ち直れないかもしれない。それほどに拠って生きてるんだ。僕なんか、僕だけじゃ生きられず、かろうじて生かされてるんじゃねえかって思う。人間的で、反近代経済社会的な、クズだな。それでも生きるということが、素晴らしくて仕方がない。 みなさんせめて安らかに。

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