takebonoマンガ夜話9
2005年4月30日死と生、世界の終わり、崩壊、そして恐怖とは何なのかという重きテーマに基づいた衝撃作品。少年世紀末ストーリー『ドラゴンヘッド』。 修学旅行中に新幹線のトンネル事故に巻き込まれた青木テルは、同級生で唯一生き残った瀬戸アコ・高橋ノブオと共に、埋まったトンネルからの脱出計画を試みる。しかし、恐怖との共生を求め闇に飲み込まれてゆくノブオ。そして遂にトンネルを脱出したテルとアコが目にしたのは、壊滅した日本国の姿だった。原因不明のままに滅びゆく世界で、生き残った人間たちが右往左往する。ある者は希望に、ある者は絶望に、それぞれの命を揺れ動かせてゆく。「恐怖」とは何なのか。「テロリズム・エコノミー」を書くにあたり、僕は再びこの漫画を読み返した。人間の持つ恐怖とは、生命そのものではないかと僕は思う。発展により恐怖を克服し続けてきた人類、しかし恐怖無くしてはまた生きられないのも人間。恐怖を乗り越えるという動機付けは、生きる意味は、生き延びたことにこそ基づくのだと。恐怖という存在は、人間の生命を物語っているのではないかとも思う。
最終巻。アコを追い、壊滅した東京に再び帰ってきたテルに、仁村は銃を突きつける。「結局、東京にゃ人間も文明も残ってなかったんだよッ!何もかもが終わっちまってたんだッ!…全て他人事だった、何が起きようと…俺は最初からこの世の中なんぞには何の期待も持っちゃいねえッ…だからこの世界がどうなろうと失望することもねえ…俺が怖いのは自分が死んじまうことだけさ、世界がブッ壊れようが知ったことじゃねえ…だからこそ…俺はいつでも一歩引いてこの世の崩壊を見ていられたぜ…よく読んでたSF怪奇小説でも読んでる感覚でよ…だが…俺の考えた以上に、いつしかこの世界は俺の予想を遥かに超えた…歪んで狂った形へと変貌していった…俺はその歪みに囚われも逆らいもせず傍観して生きてきた…それがどうだ?いつの間にか俺自身もこの歪みの中にとりこまれちまってるッ!傍観者としての立ち位置も崩れて不安定な状態になっちまったッ…!…だが、思ったんだよ…その女と行動してた時だけは、歪んでるのはこの世界のほうで、自分はあれでも割とまともに動いてたんじゃないか…ッてな!」
アコを奪おうとする仁村に、テルは口を開く。「死なんてものを何も意識しないでいられた世界はとても素晴らしい世の中だったさッ…だけど…こんな世の中に変わってしまって、やっとのことでここまで帰ってきて…いろんな目に遭って…!…そうさ、もちろん死なんて意識しないで生きられる世界の方が、幸せで素晴らしい世界なんだッ!でも僕は…何かをおろそかにしてた気がするんだ…“死に対して鈍感”ってことは“生に対して鈍感”ってことだッ…そうなんだッ!生きるのに意味なんてそんなものいらないんだッ…ただ…意志があるだけだッ…!…生きる意志だ!それを忘れて生きてられるのは幸せだけど…、バカなんだ確かに、気付かなくていい問題を無理やり掘り起こして苦しんでいるのかも…生きてる意味なんて…何で僕はここにいるのかなんて…そんなこと考えるのは…でも…でもその答えのほんの一部でも見つけることができれば…命をかけて生き延びてきた価値があるんだって、今思えるんだ…」
「心の闇」というやつが、しかし誰の中にもあって、立ち向かうのか、飲み込まれるのか、でも、恐怖するということが、人間が生きているということでもあるのだと思う。恐怖無き生は、それは輝く生命で在れるのか。ハッキリ言える。恐怖することこそ、生命である。心の闇こそが、人間の証である。「テロリズム・エコノミー」ではそういう所も描きたい。
最終巻。アコを追い、壊滅した東京に再び帰ってきたテルに、仁村は銃を突きつける。「結局、東京にゃ人間も文明も残ってなかったんだよッ!何もかもが終わっちまってたんだッ!…全て他人事だった、何が起きようと…俺は最初からこの世の中なんぞには何の期待も持っちゃいねえッ…だからこの世界がどうなろうと失望することもねえ…俺が怖いのは自分が死んじまうことだけさ、世界がブッ壊れようが知ったことじゃねえ…だからこそ…俺はいつでも一歩引いてこの世の崩壊を見ていられたぜ…よく読んでたSF怪奇小説でも読んでる感覚でよ…だが…俺の考えた以上に、いつしかこの世界は俺の予想を遥かに超えた…歪んで狂った形へと変貌していった…俺はその歪みに囚われも逆らいもせず傍観して生きてきた…それがどうだ?いつの間にか俺自身もこの歪みの中にとりこまれちまってるッ!傍観者としての立ち位置も崩れて不安定な状態になっちまったッ…!…だが、思ったんだよ…その女と行動してた時だけは、歪んでるのはこの世界のほうで、自分はあれでも割とまともに動いてたんじゃないか…ッてな!」
アコを奪おうとする仁村に、テルは口を開く。「死なんてものを何も意識しないでいられた世界はとても素晴らしい世の中だったさッ…だけど…こんな世の中に変わってしまって、やっとのことでここまで帰ってきて…いろんな目に遭って…!…そうさ、もちろん死なんて意識しないで生きられる世界の方が、幸せで素晴らしい世界なんだッ!でも僕は…何かをおろそかにしてた気がするんだ…“死に対して鈍感”ってことは“生に対して鈍感”ってことだッ…そうなんだッ!生きるのに意味なんてそんなものいらないんだッ…ただ…意志があるだけだッ…!…生きる意志だ!それを忘れて生きてられるのは幸せだけど…、バカなんだ確かに、気付かなくていい問題を無理やり掘り起こして苦しんでいるのかも…生きてる意味なんて…何で僕はここにいるのかなんて…そんなこと考えるのは…でも…でもその答えのほんの一部でも見つけることができれば…命をかけて生き延びてきた価値があるんだって、今思えるんだ…」
「心の闇」というやつが、しかし誰の中にもあって、立ち向かうのか、飲み込まれるのか、でも、恐怖するということが、人間が生きているということでもあるのだと思う。恐怖無き生は、それは輝く生命で在れるのか。ハッキリ言える。恐怖することこそ、生命である。心の闇こそが、人間の証である。「テロリズム・エコノミー」ではそういう所も描きたい。
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