食糧自給率を超えて穀物を生産できるのは何もアメリカだけじゃない。EUもそうだ。だけどそのEUも、肉の山と数百万トンの農産物を定期的に焼却処分しているという驚く現実がある。は?なんで?なんでその食糧を「飢え」に回さないで燃やしちゃったりすんの?バカじゃねえの?いや、EUはバカじゃない。アメリカのような異常なウルトラ生産力に対して、EU農業は農産物の価格破壊を防ごうとしている。「最低価格を保障する」ために、生産を抑制する政策をとっているのだ。農家に対して制約を課したり補助金を出したりしてね。だから、余った農産物は市場に流す前に火葬の山となる。「飢え」の国に届くことはないのだ。EU自体は「飢え」に対して少しずつ取り組んでるが、慢性構造的な問題部分には踏み込めないという現実がある。
そうなのだ。世界の食糧の公平な分配とは、ただ単純に余ってるから回せるねなんて話じゃなかった。食料の価格決定も、生産量の決定も、全てに権力を握っているのは世界市場なのだ。ジグレールお父さんは静かに言う。「飢えた人々を生かすも殺すも市場の気分しだいなんだよ」と。
「飢え」の正体。それは僕らには手の届きようもない世界構造の中にある。僕らが給食を残さずたいらげても、たいらげなくても、「飢え」はなくなりはしない。例えば社会の時間とかに、「飢え」の写真とか見ても、「かわいそぉ」で終わる。そんな状況を例え嘆いても批判しても、やはり何も変わらない。僕らは無力だけを知ってしまうだけだ。学校は世界の構造を何も教えない。僕らは大量生産消費と飽食の中で大人になってゆくのだ。
「飢え」の正体。それは自然災害。それは政治腐敗。それは市場価格操作。そして、もうどうしようもなく人間の愚かさを証明するものが極めつけの原因としてある。そうだ。「戦争」だ。人が人を殺し、希望さえ存在しない。戦争こそ悲劇なのだ。僕は戦争の愚かさをまたも思い知ることになった。

「飢え」を見ること。そんなこと考えなくてもいいのかもしれない。鎌倉幕府とか2次方程式とかの方が大事なのかもしれない。教育論で争ってもどうしようもない。だけどさ、同じ人間なんだぞ。人間が人間のことを考えるのは人間らしくないかい?思いやりがどうとか、問題解決学習がどうとか、心の教育がどうとかよ。バカみたいだな。現実のグロい部分から目をそらして「命の大切さ」も無いだろ。教育ってホント欺瞞に充ちたものなのだ。もはや責められもしない。結局何もかもの人間の弱さを、人間自身が顧みることなんだろが。一週間後に迫った教採試験に向けて、勉強する日々だけど、「教育」なんてヘドが出るね。
−つづく−

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