「希望の消失は、全ての人々を一様に見舞うわけではない。中にはもちろん将来に希望をもって生活できる人もいる。それは、生まれつき高い能力や資質をもっていて、経済構造変換後のニューエコノミーの中で、より大きな成功を得られそうな人々である。その一方で、平凡な能力とさしたる資産を持たない多くの人々は、自己責任という名の下の自由競争を強いられ、その結果、いまと同様の生活を維持するのも不安な状況におかれることになるだろう。つまりここに、経済格差よりも深刻な、希望の格差が生じるのだ」(「希望格差社会」p20)

まず企業社会が変化し、雇用体系が変化する。国際競争の熾烈化も後を押すニューエコノミーにおいては、安定成長が約束されてる企業など僅かなのだから、ほとんどの企業は生き残り競争に晒されることになる。結果、オールドエコノミーを支えてきた「終身雇用」等の日本型雇用慣行は当然のように崩壊する、といわれている。
かつては企業が人間を一から教育した。住居も与えてくれた。そして年功序列賃金体系も含め、何もかもは「末永く」安定成長を共に果たしてゆこうとする「家族」のような、〔会社−人間〕の一心同体主義であった。企業忠誠もそこに生まれた。「頑張りさえすれば幸せになれる」「努力は報われる」といった努力主義や平等感もそこで生まれた。会社のためそして自分の将来のために、ただ人々は働き続けたのだ。企業は会社に人々を縛り付けようとした。そしてまた人々も会社に縛られることを良しとした時代だったのだ。
だが、高度成長が終わりニューエコノミーが台頭すると、今や企業は激烈な競争の中で一からの教育などする余裕など無く「即戦力」を求めるようになった。住居の世話などしない。社宅や寮なんかガンガン消えてってる。企業福利の時代は終わったのだ。リストラの横行。年功賃金制は徐々に廃され、能力賃金制が台頭してくるという。企業の中核を担う人材は、当然ニューエコノミーにおける「新・消費体系」において、激烈な競争の中で他企業を出し抜き、金を生むにあたり最高の「ニーズ」を効率よく供給できるかにかかっているいわば会社の「〈商品〉創造部門」…「頭脳」である。そしてそれ以外の人間、才能も特別な技術もないいわばほとんど大半の「手足」普通労働者たちは、ただいつでも取り替えのきく単純労働に従事し使い回されることになる。情報化が進めば中間管理職なんてのも消えてくともいわれる。「中抜き」ってやつ。出世するポジション自体が消えてくサヨナラ。そして、パソコンスキルや資格くらいないと「手足」普通労働者の中でも格差が生じてくるともいわれてる。
つまるとこ一昔前の「サラリーマンライフ」なんてのは良かれ悪かれもう幻想になってゆくんでないかってこと。平凡な安定ってやつは、年々掴むことが困難になってゆくってこと。これからは「倒産」「リストラ」「再就職」の時代。
不安定雇用社会は多くの人に嫌がられるのかもしれないけど、これからの時代の不安定就業ライフスタイルはもう政府や経団連の予定調和の内なのだからどうしようもない。皮肉なことに、発展を遂げた経済下だからこそ、国の方向性は不安定雇用構造になっていってる。一方で、例えば「フリーター」の不安定性を問題に取り上げたり、そこから派生する少子化や年金問題なんか聞くと、どうしろっつうの?って思う。フリーター研究にも色々あって、「夢追い型」「モラトリアム型」など、豊かさが生み出した新しいライフスタイルなり若者の就業・職業観、なんていう一面は確かにあるのだけど、「やむを得ない型」というのもやはり多く、要するに正社員採用が少ないから仕方なくフリーターしてたり、正社員になれるまで腰掛けフリーターをしてる人たちってのが実際多かったりするのだ(歪んだ希望社会のせいでもあるが)。だからいくら問題視したって、それはニュー・エコノミーのせいなわけで、政府も経団連もそんなこと予定調和だって理解して動いてるわけだから、だから「フリーター」ってのは一体何が問題で誰のせいで誰がどう解決する意義があるのか、僕には未だわかんないままなのだ。不安定雇用社会がどんどんやってくる中で、社会の色々な面が不安定になってゆくのは当然のことで、それを(一部の連中は)散々批判し否定し「誰か」の責任にするくせに、やっぱりそれは必要悪でもあるらしくて、「生きる力」「転職の時代」だなんて騒がれて推進されてたりする。なんなの?どうしろっつうの?
例えば、不可避な不安定構造の中であっても安心して暮らせる多様な福祉システムだとか、企業利益や生産消費中心じゃないライフスタイルの推進だとか、そういった、人々に優しい政策って必要だし可能だと思うんだけど。でもいつも掛け声だけで終わったりする。よくわからないけど、勝ち組を優遇し負け組を淘汰しなければ本当に国際競争とやらに勝っていけないのだろうか。そのへんの理屈がイマイチ僕にはちっともわからないんだ。

とにかくも、才能や技術を必要としなくても安定していたかつての雇用社会はもう戻ってこない。誰も悪くないけどそうなってゆく。構造だから。景気が回復してもそれは同じ。だから不況の時にこそ思考すること。不況期ってのは、そういう進歩的なインターバルや、これまでの経済を反省するという意義にもあたるっていわれてるし。 「景気回復」っていう言葉に甘い夢を抱いてる庶民たちは、いわゆる「雇用無き景気回復」に愕然とするのかも。
takebonoはそんな絶望社会でも「希望」を探し続けています。そう、本当の「希望」をね。
〈つづく…〉

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