for 〈9・11〉
2005年9月11日朝っぱらから投票しにいってきました。結構人いた。投票率は上がりそうだなー。
午後はAとHTとDさんと一緒に、上野の東京芸大の学祭に行ってきました。「little birds‐イラク 戦火の家族たち‐」ってドキュメンタリー映画の上映会があってそれを観に。
−この映画は、2003年のイラク戦争下におけるイラク国内を映したノンナレーションのドキュメンタリー映画。内容はなんとも強烈すぎた。普段はヒューマンドラマなんかを観ても感動すら覚えない僕が、震えた。自然に目に涙が浮かんだ。イラクが、かわいそすぎる。アメリカの空爆で子どもを亡くしたお父さんが小さな遺体の前で泣き叫ぶ。「神様っ!神様ーっ!」「愛する子…」 空爆で腕と足を吹っ飛ばされた男性が病院のベッドで痛みにのたうちながら叫ぶ。「これのどこが「解放」だ!アメリカは何しにきやがった!俺が何をしたっていうんだ!」 結局、バクダット陥落っても、ミサイルの光が乱れ飛ぶ映像しか僕らはTVで観てない。その裏には、こんなふうに何千人もの民間人が傷つき、死んでってるリアルがある。罪のない子どもやお年寄りも。こんなこと許されんのかって、理性ある人なら誰でも思う程凄まじい映像の数々に、そして、日本のTVで僕らが観てる映像なんかホント現実の内のごく一部なんだなってことに、僕はショックを受けて、震えがとまらなかった。TVメディアは「戦場」は伝えても、「戦争」は伝えないといわれる。その意味がやっとわかってきた。この映画を九州の高校か中学かなんかで上映しようとしたら、校長会の圧力でストップがかかったんだって。自衛隊がイラク派遣してるからという理由で。バカな、って思った。現実なのに、その現実が知らされることに圧力がかかるなんて。今現在、民主主義がもっとも潰されてる場の一つが教育現場なのだと改めて思った。これは反戦映画か?反米映画か?反体制的なのか?観終わった後の僕は全然そう思わなかった。この映画は「戦争を知る」ためのものだった。TVが流さない別角度の「現実」を。何百個も存在する「真実」を。それらに近づくための映画だったと思う。「見る」ことや「知る」ことに圧力がかかったってこと。恐ろしいし、悲しいことだなって思う。
フセイン独裁からの解放?やめてくれそんな詭弁は。一体どんだけの民間人が死んだと思ってんだ。悲しみと憎しみと絶望が、どんだけ生まれちゃったんだろ。もう取り返しなんかつかないのさ。 イラクの人々が自主的にやってるように見せかけて、アメリカの戦車でフセイン像が引き倒される例のシーンもバッチリ映ってた。占領風景もバッチリ映ってた。検問所を通るたびに米軍のボディチェックを受けなければならないイラクの人々の目は、悲しみと怒りに満ちていた。 廃墟と化したバクダット市内を、米軍戦車が地響きを立てて進んでゆく。 「人殺し!何人子どもを殺したんだ!」と戦車上の米兵に詰め寄る女性。 「(フセイン独裁を終わらせてくれて)ありがとう。感謝してるよ。…でももう帰ってくれ。お願いだ…」と弱弱しく米兵に語りかける老人。 「日本は良い国だった。イラクとはいい関係を築いていたのに…なのになぜ日本はブッシュとつるんだりしてるんだ?」と真剣な顔で問う青年。 どの人々の顔にも、まざまざと見せ付けられた「戦争」。それこそに僕は衝撃を覚えた。
3人の幼い子どもを爆撃で失った父親サクバンさんが凄まじい顔をして言った。「何のための戦争だ!」戦争を生き延びた娘のハディールちゃんは、米軍の殺傷兵器クラスター爆弾によって右目を失った。ハディールちゃんの通学カバンの脇に置かれたカラシニコフの小銃をとってサクバンは言う。「米軍がここにきたらこれで撃ち殺してやる!」 フセインが捕まって「これでテロも止むのでは」なんていわれたけど、ありえねえなって思った。誰もフセインのためになんか銃を持とうとしてないんだもん。結局そういうことなんだろ?多くの人は、ビンラディンのためになんか銃を持ってるわけじゃないんだ。 米軍の戦車を睨みつけながらサクバンはぽつりと言う。「ちくしょう、またきやがった…」 そして「なんて恐ろしい世の中になったんだろう…」と嘆く。 銃を持つ自分自身に矛盾する彼の発言に、僕は「戦争」を見た気がした。爆撃で何もかも奪われ、しかしフセイン独裁政権は倒れ「解放」は訪れた。米軍を憎みながらも、隠し持つ小銃を使うことなく、戦車をただ睨みつけるしかできない彼の目は、とても悲しかった。それでも残された家族とこのイラクで彼は生きていかなければならない。戦争を経ても、人は生きていかなければならないのだ。数日後、反米デモに参加する彼の姿があった。 イラクの人々が「解放」を喜んでいるわけではない。だけど、フセイン政権の崩壊を嘆いているわけでもない。米軍を憎んでるけどでも全員がテロを起こそうとしてるわけでもない。何が正しいのかなんてそこには見えなかった。ただ戦争の傷跡だけが僕には見えたのです。
僕はかつてイラク戦争反対のデモ行進に参加したことがある。だけどそれも「戦争」を知った上のものではなかったように思う。純粋に他者の痛みを知ろうとするということとは、全く違うものだった。今回、それを思い知って、そして尚、takebonoはピースウオーカーであろうと思った。
今日、メディアが嘘をついてるわけではない。ただ、メディアは「真実」の一部分しか放映しないということ。残りの「真実」を、僕らは見なきゃいけない。僕らの中でも、もちろんイラクでも、まだ「戦争」は終わっていないってことを。あの画面の中やニュース記事だけが「戦争」ではないということを。
いつか、イラクに行ってみたい。いつか平和になったら、あの地を歩いてみたい。 あの〈9・11〉から4年。世界は尚不安定だけど、そう願わずにはいられない。テロも戦争も、この世からなくしていきたいな。
午後はAとHTとDさんと一緒に、上野の東京芸大の学祭に行ってきました。「little birds‐イラク 戦火の家族たち‐」ってドキュメンタリー映画の上映会があってそれを観に。
−この映画は、2003年のイラク戦争下におけるイラク国内を映したノンナレーションのドキュメンタリー映画。内容はなんとも強烈すぎた。普段はヒューマンドラマなんかを観ても感動すら覚えない僕が、震えた。自然に目に涙が浮かんだ。イラクが、かわいそすぎる。アメリカの空爆で子どもを亡くしたお父さんが小さな遺体の前で泣き叫ぶ。「神様っ!神様ーっ!」「愛する子…」 空爆で腕と足を吹っ飛ばされた男性が病院のベッドで痛みにのたうちながら叫ぶ。「これのどこが「解放」だ!アメリカは何しにきやがった!俺が何をしたっていうんだ!」 結局、バクダット陥落っても、ミサイルの光が乱れ飛ぶ映像しか僕らはTVで観てない。その裏には、こんなふうに何千人もの民間人が傷つき、死んでってるリアルがある。罪のない子どもやお年寄りも。こんなこと許されんのかって、理性ある人なら誰でも思う程凄まじい映像の数々に、そして、日本のTVで僕らが観てる映像なんかホント現実の内のごく一部なんだなってことに、僕はショックを受けて、震えがとまらなかった。TVメディアは「戦場」は伝えても、「戦争」は伝えないといわれる。その意味がやっとわかってきた。この映画を九州の高校か中学かなんかで上映しようとしたら、校長会の圧力でストップがかかったんだって。自衛隊がイラク派遣してるからという理由で。バカな、って思った。現実なのに、その現実が知らされることに圧力がかかるなんて。今現在、民主主義がもっとも潰されてる場の一つが教育現場なのだと改めて思った。これは反戦映画か?反米映画か?反体制的なのか?観終わった後の僕は全然そう思わなかった。この映画は「戦争を知る」ためのものだった。TVが流さない別角度の「現実」を。何百個も存在する「真実」を。それらに近づくための映画だったと思う。「見る」ことや「知る」ことに圧力がかかったってこと。恐ろしいし、悲しいことだなって思う。
フセイン独裁からの解放?やめてくれそんな詭弁は。一体どんだけの民間人が死んだと思ってんだ。悲しみと憎しみと絶望が、どんだけ生まれちゃったんだろ。もう取り返しなんかつかないのさ。 イラクの人々が自主的にやってるように見せかけて、アメリカの戦車でフセイン像が引き倒される例のシーンもバッチリ映ってた。占領風景もバッチリ映ってた。検問所を通るたびに米軍のボディチェックを受けなければならないイラクの人々の目は、悲しみと怒りに満ちていた。 廃墟と化したバクダット市内を、米軍戦車が地響きを立てて進んでゆく。 「人殺し!何人子どもを殺したんだ!」と戦車上の米兵に詰め寄る女性。 「(フセイン独裁を終わらせてくれて)ありがとう。感謝してるよ。…でももう帰ってくれ。お願いだ…」と弱弱しく米兵に語りかける老人。 「日本は良い国だった。イラクとはいい関係を築いていたのに…なのになぜ日本はブッシュとつるんだりしてるんだ?」と真剣な顔で問う青年。 どの人々の顔にも、まざまざと見せ付けられた「戦争」。それこそに僕は衝撃を覚えた。
3人の幼い子どもを爆撃で失った父親サクバンさんが凄まじい顔をして言った。「何のための戦争だ!」戦争を生き延びた娘のハディールちゃんは、米軍の殺傷兵器クラスター爆弾によって右目を失った。ハディールちゃんの通学カバンの脇に置かれたカラシニコフの小銃をとってサクバンは言う。「米軍がここにきたらこれで撃ち殺してやる!」 フセインが捕まって「これでテロも止むのでは」なんていわれたけど、ありえねえなって思った。誰もフセインのためになんか銃を持とうとしてないんだもん。結局そういうことなんだろ?多くの人は、ビンラディンのためになんか銃を持ってるわけじゃないんだ。 米軍の戦車を睨みつけながらサクバンはぽつりと言う。「ちくしょう、またきやがった…」 そして「なんて恐ろしい世の中になったんだろう…」と嘆く。 銃を持つ自分自身に矛盾する彼の発言に、僕は「戦争」を見た気がした。爆撃で何もかも奪われ、しかしフセイン独裁政権は倒れ「解放」は訪れた。米軍を憎みながらも、隠し持つ小銃を使うことなく、戦車をただ睨みつけるしかできない彼の目は、とても悲しかった。それでも残された家族とこのイラクで彼は生きていかなければならない。戦争を経ても、人は生きていかなければならないのだ。数日後、反米デモに参加する彼の姿があった。 イラクの人々が「解放」を喜んでいるわけではない。だけど、フセイン政権の崩壊を嘆いているわけでもない。米軍を憎んでるけどでも全員がテロを起こそうとしてるわけでもない。何が正しいのかなんてそこには見えなかった。ただ戦争の傷跡だけが僕には見えたのです。
僕はかつてイラク戦争反対のデモ行進に参加したことがある。だけどそれも「戦争」を知った上のものではなかったように思う。純粋に他者の痛みを知ろうとするということとは、全く違うものだった。今回、それを思い知って、そして尚、takebonoはピースウオーカーであろうと思った。
今日、メディアが嘘をついてるわけではない。ただ、メディアは「真実」の一部分しか放映しないということ。残りの「真実」を、僕らは見なきゃいけない。僕らの中でも、もちろんイラクでも、まだ「戦争」は終わっていないってことを。あの画面の中やニュース記事だけが「戦争」ではないということを。
いつか、イラクに行ってみたい。いつか平和になったら、あの地を歩いてみたい。 あの〈9・11〉から4年。世界は尚不安定だけど、そう願わずにはいられない。テロも戦争も、この世からなくしていきたいな。
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