「Z」

2005年9月30日
来月劇場公開の映画を観に行くつもりは全く無いのだけど、「機動戦士Zガンダム」の全作品50話を昨日で全て観終わってしまった。長かったな。「Zガンダム」は、前作「機動戦士ガンダム」の〈一年戦争〉から7年後という設定で、時間の経過はもちろん、宇宙世界のパワーバランス、モビルスーツの進化、そして戦場における人間模様も、前作から歴史的なものを経て更に複雑極まっているシリーズだ。 長かった戦争が終結に向かい、物語もエンディングへ向かう中で、これまで重要な役どころを背負ってきた素敵な登場人物たちが次々と命を落としてゆく。その悲劇の連続に僕は見入ってしまった。あの人も、ああこの人も死んじゃうのかあ。これが「Z」か…、と僕は思った。 誰もが戦争に酔ったり、自己を見失いその行方を模索したりする中で、主人公カミーユはその運命のようなものに抗おうとする。だけど戦場は最後まで彼の思いを裏切り続ける。人間も、ニュータイプも、何故傷つけあわなければならないのか。この戦争にも大儀なんて何も無かった。結局どっちが正しいのか最後までわかんなかった。それでも殺し合うことしかできないモビルースーツと兵士たち。戦場に生まれる人間ドラマ。多くの人々の意思を背負い死闘に勝利し続けるZガンダムとカミーユもまた、戦争の中で成長し、自己を模索してゆくしかなかった。戦争という時代の潮流が、悲劇を撒き散らしながら人々を巻き込んでゆく。その中で、必死に生命を輝かしてゆく人々の姿は前作同様に感動を生んだ。 カミーユとシロッコの最終決戦は特に悲しかった。「Z」が悲劇の物語と呼ばれる所以が集約されてた。溜め息が出たよ。なんてラストだよこれは。

しかしジェリドが付き合う女をカミーユがどんどん殺してくのは何故だ?つうかあの2人は何回戦場で相見えてるんだ?Jリーグでいえば、右サイドの加地と左サイドのサントスくらいのマッチアップ。ライラ、マウアー、死んでほしくなかった。ジェリドも何回も男泣きして、でもその度に悲しみを憎しみとして戦場とカミーユにぶつけるしかないなんて悲しすぎる。その結果カミーユ最愛のフォウもジェリドの憎しみの前に死んでったり。終わらない憎しみの連鎖。悲しすぎ。 ティターンズを裏切るエマ。エウーゴを裏切るレコア。それぞれの正義がぶつかるこの戦争はホント悲しい。だけど僕は、力によって正しさを証明するティターンズやバスクはやはり間違ってるんじゃねえかと思った。シロッコも。ヤザンに至ってはただの戦争狂だし。でもそんな狂った男どもに惹かれて味方を裏切るレコアさんも、どうかしてると思った。納得いかないけど、レコアさん自身が言うように女という生き物はそういうものなのか。カミーユも、幼馴染みのファがいるってのに、フォウに惹かれたり、エマやレコアに憧れたり。まあ男ってそんなもんかな。 敵対や確執、憎しみや恋愛模様も含め数多くの人間ドラマが繰り広げられたけど、ほとんどが悲劇で終わった感じ。 家族や愛する人を奪われた戦争を呪い憎みながらも、戦争という憎しみの連鎖から逃れられないカミーユ。彼の戦争は一体何なのだろうか。エウーゴもティターンズも、双方が「平和のために」戦争してるのなら、ガンダムは何のためにあるのか。人類にとってのニュータイプとは何なのだろうか。色々考えちまった。

「これは戦争だぞ!カミーユ!」「だけど、僕は人間です!」「戦いの中で人を救う方法もあるはずだ!」「あるわけ…ないだろっ!」

ニュータイプが、宇宙開拓や戦争が生んだ変種だとしても、平和のために活かすことができたらいいのにな。そんなニュータイプに僕もなりたいな。ニュータイプでソウルフルな、ゴミに。
時の涙も見飽きたよ。しかしやっぱりシャア・アズナブルはかっこよかったな。

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