唐突だけどうちの母の話。うちの母上は、何か一つの事象を説明するとき、軽い身振り手振りではすまなくて、それが演技というか形態模写のようなものにまで発展し、ときに皆の笑いを誘う傾向がある。若い頃は本気で劇団員になろうとしたらしいうちの母。その演技力というか形態模写は、達者の一言に尽きる。母が説明しようとする事象よりも、僕はそっちの方に感心したり爆笑したりするもんだから、いつも僕が話の腰を折ってしまったりする。 母のレパートリーは色々ある。「犬」、「猫」、「機械」、「自然」etc…。そして動物を心から愛するうちの母の動物レパートリーのうちで?1はやはり「鳥」。特に「烏骨鶏」は大爆笑ネタの一つ。ヒッチコックの傑作映画「鳥」からも影響を受けたという、母の演ずる完成度の高い「鳥」はかなり最高なのです。 そしてレパートリーの中でも特に巧いのが「子ども」と「老人」。この2つはもはや神がかり的な愉快。「子ども」はやはり職業上、10歳以下くらいの子ども演技が実に素晴らしく、「老人」はとりわけかなりの高齢者か身体不自由を演ずるのが非常に素晴らしい。その他には「せむし男」と「武田信玄」が伝説のレパートリーとなっております。 なんつうか相当愉快ですうちの母。こないだ「芸人になりなさい」と言ってあげた。
話はだいぶそれたけど、母の演ずるレパートリーで決定的に酷いものがあって、それが「若者」。どうも見ていると70年代くらいの「若者」に見えるし、アメリカのヒッピーみたいに見える。母の時代の「若者」像はこんなんだったんだなあって思う。僕が違和感を感じた分だけ、現代の「若者」は母の頃と違うのだろうと思った。

そんなことを思って、若者論といえばミーハーですが、某新聞のサンデー版に載っていたやはり知名度のある香山リカの本を読みました。そしてどうも僕はしっくりこなかった。よくある「若者」分析論などは、ある程度そうかなァとはいつも思うのだけれど、僕には当てはまってないような気が強くしたからだ。僕は「若者」?なのか?共感ではなく、明確な訣別という意味で、僕は「若者」を捉えてしまっているようだ。無理解ではないレベルで、でも尊重しようと思ってたりはするけど、自分以外の「若者」達の精神文化なんて、触れることに興味はあっても、せいぜいそこまでなんだ。くだらないのは、それでもあーだこーだ、「若者」ってしょっちゅう槍玉にあげられること。

僕が軽蔑していたのは「大人」の経済社会だった。僕が排されてきたのは、既に根拠の薄れた規範社会だった。そして実際に吐き気を感じ続けたのは、こいつら「若者」の文化社会だった。だけど今はそんなことももうどうでもいいんだもんよ。

「ランチメイト症候群」「メール論」「ともだち論」「悩み論」「若者の感情・泣くこと笑うこと悲しみと癒し」etc…。香山リカはポップだな。浅く広くそこそこ興味深い「若者」論をまとめようかとも思ったけど、やめることにした。その動機付けも自分ですぐにわかった。イラついたからだ。
ってことで、〈1〉で終わり。

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