takebono靖国レポート−前編−
2005年10月20日 戯言戯言諸々その他小泉首相がまたまた靖国神社を参拝しました。参拝形式にはだいぶ妥協が見られたそうだけど、案の定送られてきたTRのメルマガはそこに触れておらず、フェアじゃないなと思った。そういうところが嫌なんだ僕は。まあしかし靖国参拝、またしても一騒動になるのでしょう。
僕はもう半年以上も前に、かねてより見学したかった靖国神社に行ってきて、そのときの感想をレポート化したのだけど、結局どこに提出するわけでもなかったので、そのままにしておいたんだけど、今度発表する機会に恵まれそうで、いやその機会も流れそうだけども、どうせ修正されそうなので勿体ないので適当に端折ってここに残しておこうと思います。
それで、なんか「靖国問題」ってのは、耳にしたことはよくよくあるのだけれど、どうもよくわかんなくて、実際に見学できて(解説ガイドの人付きで)とってもよかった。A級戦犯がNGだとか、参拝形式がどうとか、僕は「問題」の意味がずっとわからずにここまできて、なによりも、自分との接点がわからず、自分の立場もわからず、ぶっちゃけ「靖国」の何がどうだっつうの?思想の衝突だべ?行く前はそんなこと思ってたけど、実際の現地見学ってのは少しはリアルを感じるもので、まあまあ興味深かった。
歪んだ予備知識を含みつつ、九段下・大鳥居の前に僕は立ちました。「靖国で会おう」だなんて誓い合って死んでいった日本兵たちの、その魂は無事ここに辿り着けたのだろうか。戦時中の精神基盤だった国家神道の、メッカとも言うべき靖国神社。杖をついたおじいさんがよたよたと僕の傍を歩いていきました。彼も戦争経験者だろうか。 「靖国」ってやつが僕にとってなんなのかを、少しでも感じれたらなって思いながら、僕はでっけえ〜大鳥居をくぐったのでした。
興味深かったのは、いったんコンクリで埋めたレリーフを再び剥がしてあったとこ。勇敢な皇軍の活躍を描いたレリーフが貼り付けられてる石碑モニュメント。戦後にコンクリで埋められたけどまた剥がされたんだって。どうしてもあの戦争を肯定したいらしい右派のあがきと攻防がみられるわ。コンクリで埋め立てなんて生ぬるいことしてっからさ。戦後すぐ破壊しとけば面倒がなくてよかったのにとか思った。どうせ破壊にも躊躇ったんだろう。不完全決着がこんなめんどくせえ後腐れを残したのか。
歩いて進む。靖国神社は広い。
〔つづく〕
僕はもう半年以上も前に、かねてより見学したかった靖国神社に行ってきて、そのときの感想をレポート化したのだけど、結局どこに提出するわけでもなかったので、そのままにしておいたんだけど、今度発表する機会に恵まれそうで、いやその機会も流れそうだけども、どうせ修正されそうなので勿体ないので適当に端折ってここに残しておこうと思います。
それで、なんか「靖国問題」ってのは、耳にしたことはよくよくあるのだけれど、どうもよくわかんなくて、実際に見学できて(解説ガイドの人付きで)とってもよかった。A級戦犯がNGだとか、参拝形式がどうとか、僕は「問題」の意味がずっとわからずにここまできて、なによりも、自分との接点がわからず、自分の立場もわからず、ぶっちゃけ「靖国」の何がどうだっつうの?思想の衝突だべ?行く前はそんなこと思ってたけど、実際の現地見学ってのは少しはリアルを感じるもので、まあまあ興味深かった。
歪んだ予備知識を含みつつ、九段下・大鳥居の前に僕は立ちました。「靖国で会おう」だなんて誓い合って死んでいった日本兵たちの、その魂は無事ここに辿り着けたのだろうか。戦時中の精神基盤だった国家神道の、メッカとも言うべき靖国神社。杖をついたおじいさんがよたよたと僕の傍を歩いていきました。彼も戦争経験者だろうか。 「靖国」ってやつが僕にとってなんなのかを、少しでも感じれたらなって思いながら、僕はでっけえ〜大鳥居をくぐったのでした。
興味深かったのは、いったんコンクリで埋めたレリーフを再び剥がしてあったとこ。勇敢な皇軍の活躍を描いたレリーフが貼り付けられてる石碑モニュメント。戦後にコンクリで埋められたけどまた剥がされたんだって。どうしてもあの戦争を肯定したいらしい右派のあがきと攻防がみられるわ。コンクリで埋め立てなんて生ぬるいことしてっからさ。戦後すぐ破壊しとけば面倒がなくてよかったのにとか思った。どうせ破壊にも躊躇ったんだろう。不完全決着がこんなめんどくせえ後腐れを残したのか。
歩いて進む。靖国神社は広い。
〔つづく〕
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