フラッシュバック
2005年10月24日今日は教職ゼミのアンケート調査で横浜キャンパスへ。ほんと面倒だったけどせっかくだからがんばった。出来損ないのアンケートで何が証明されるのか。無駄な時間を費やしたことと、無力さだろうな。そんなことはグループのメンバーにはもちろん伝えず、黙って協力する。自分が押さえるところは押さえているからな。しかし結局僕にばかり負担がきやがる。
戸塚校舎は懐かしかった。僕は大学1、2年をここで過ごしたのだ。何もかも懐かしかった。西口でラーメンを食ってから戸塚を後にし、白金キャンパスで授業受けてきた。もう二度とこないのかもしれないなんて思うとまた感慨深かった。
今日アンケートをとらせてもらったO先生の一般教養の授業は、受講者が250人くらいいる講義で、大学1年のとき僕が初めてマイクで発言したのはこの授業だった。O先生に聞いてみたら、憶えているよと言った。僕もまだ全然憶えてる。あのときは300人入れる教室で、僕はマイクを渡されて必死こいて語ったのだった。死にかけているような僕を、活かしてくれるような生かしてくれるような、そんなソウルに出会うために僕は大学に来た。その最初のチャンスだったんだ。何を語ったかは忘れたけど、300人の前で僕は僕のことを語った記憶がある。あの頃は盲目的に出会いを信じようとしていた。そうでなければ大学に来た意味など無かったからだ。僕は僕が震えたり心底笑ったり喜べたり、そんなtakebono的なハイを、共有できたり尊敬できるようなイカれたソウルメートを探し続けていたんだ。300人の前でtakebonoを語ることができれば、それは少しだけ叶う可能性に触れることができるのではないだろうかと。浅はかにも思っていたんだそんなことを。 そして後日、たった一人THだけが僕に話しかけてきてくれたのさ。あのときのことまだ憶えてる。すっげえ嬉しかったっけ。僕は誰にも見られることなく拳を握りしめていたね。オッシッッてね。 既に予感してた。何かこじ開けたんじゃないかって。今まで僕が出会うことのできる奴らなんてろくでもない奴らばかりだった。それは僕自身がろくでもなかったからでもあったのだと気づいたときには既に遅かった。僕は悔やんだよ。だから、大学でもし震える連中に出会えれば、僕はそいつらを今度こそ活かして、僕をも生かしてもらいたかったんだ。バカだった。あまりにも。
その後、こじ開けたものを突破口に、AやBちゃんやHに会うことができたんだわ僕は。S氏にも。「たら」「れば」ほど無意味なものはないけど、あの授業は分岐点だった。O先生の授業スタイルは3年半前と変わっていなかった。
今日は古い記憶が次々と甦った。大学以前の記憶があまり残っていないのは、年月もあるけども、やはり当時が薄かったのだろう。浅くて薄く半透明で普遍的な狂気のような10代は、僕の中でもう記憶すら無くなりかけてる。やっぱり生きてていまが一番楽しい。こんな僕に舞い降りた最後の奇跡だと思う。
戸塚校舎は懐かしかった。僕は大学1、2年をここで過ごしたのだ。何もかも懐かしかった。西口でラーメンを食ってから戸塚を後にし、白金キャンパスで授業受けてきた。もう二度とこないのかもしれないなんて思うとまた感慨深かった。
今日アンケートをとらせてもらったO先生の一般教養の授業は、受講者が250人くらいいる講義で、大学1年のとき僕が初めてマイクで発言したのはこの授業だった。O先生に聞いてみたら、憶えているよと言った。僕もまだ全然憶えてる。あのときは300人入れる教室で、僕はマイクを渡されて必死こいて語ったのだった。死にかけているような僕を、活かしてくれるような生かしてくれるような、そんなソウルに出会うために僕は大学に来た。その最初のチャンスだったんだ。何を語ったかは忘れたけど、300人の前で僕は僕のことを語った記憶がある。あの頃は盲目的に出会いを信じようとしていた。そうでなければ大学に来た意味など無かったからだ。僕は僕が震えたり心底笑ったり喜べたり、そんなtakebono的なハイを、共有できたり尊敬できるようなイカれたソウルメートを探し続けていたんだ。300人の前でtakebonoを語ることができれば、それは少しだけ叶う可能性に触れることができるのではないだろうかと。浅はかにも思っていたんだそんなことを。 そして後日、たった一人THだけが僕に話しかけてきてくれたのさ。あのときのことまだ憶えてる。すっげえ嬉しかったっけ。僕は誰にも見られることなく拳を握りしめていたね。オッシッッてね。 既に予感してた。何かこじ開けたんじゃないかって。今まで僕が出会うことのできる奴らなんてろくでもない奴らばかりだった。それは僕自身がろくでもなかったからでもあったのだと気づいたときには既に遅かった。僕は悔やんだよ。だから、大学でもし震える連中に出会えれば、僕はそいつらを今度こそ活かして、僕をも生かしてもらいたかったんだ。バカだった。あまりにも。
その後、こじ開けたものを突破口に、AやBちゃんやHに会うことができたんだわ僕は。S氏にも。「たら」「れば」ほど無意味なものはないけど、あの授業は分岐点だった。O先生の授業スタイルは3年半前と変わっていなかった。
今日は古い記憶が次々と甦った。大学以前の記憶があまり残っていないのは、年月もあるけども、やはり当時が薄かったのだろう。浅くて薄く半透明で普遍的な狂気のような10代は、僕の中でもう記憶すら無くなりかけてる。やっぱり生きてていまが一番楽しい。こんな僕に舞い降りた最後の奇跡だと思う。
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