「ZZ」
2006年3月4日「ガンダムZZ」全部観終わった。最初はダラダラの展開だったけど、ラストへ向けては結構盛り上がりを見せた感じ。アムロもシャアも登場しませんが、きっちりストーリーは時系列的に進んでた。これで3作全部観たことになるわ。
「正気かっ!?」
「正気で戦争ができるかあっ!!」
地球の汚染と人口増加により、人が宇宙に飛び立ち開始された宇宙開拓時代。宇宙空間の人工居住区「コロニー」。ある時そのコロニーの一つが独立独裁国家「ジオン皇国」を名乗り地球に宣戦布告する所から始まる「ガンダム」。地球連邦VSジオン皇国の戦争はある意味独立戦争といえますが、ジオン皇国の壊滅により終結。 数年後、宇宙移民側の独立運動組織「エウーゴ」と地球連邦側の運動鎮圧組織「ティターンズ」が激突するのが「Zガンダム」。地球連邦・「ティターンズ」VS「エウーゴ」の戦争は、ジオン復活の影も見せつつ「ティターンズ」の壊滅で終結。 そして今回の「ZZ」では、遂にジオン皇国の残党が「ネオジオン」を名乗り、地球連邦と「エウーゴ」を巻き込む乱戦に発展。「ネオジオン」の中でも、完全な復古主義のグレミーと、新しき独裁主義の野望に走るハマーンとの対立軸で激突。腑抜けになった地球連邦を半ば脱退した「エウーゴ」も参戦する三つ巴戦。結構複雑な対立関係の中で、「大人が起こした戦争」に巻き込まれてゆく主人公はジャンク屋の少年ジュドー・アーシタ。
「ガンダム」ではアムロVSシャア。「Z」ではカミーユVSシロッコ。そして「ZZ」ではジュドーVSハマーン。どの作品もラストの最終決戦はなかなか震えるものがある。
「どうして…どうしてみんなで生きていけないんだぁーっ!!」
作品を通してキーワードとなるのが「ニュータイプ」。最初僕は「ニュータイプ」とは戦争が生み出した変種かと思っていた。だけど、「ニュータイプ」は元々人間の中に存在していた「人間の可能性」だったらしい。「地球の重力」がそれを呼び覚まさなかったのだと。スペースノイドは地球人のことを「地球の重力に魂を奪われた者たち」と批判し、ニュータイプに目覚めた者も含め、腐敗した地球を自分らの手に取り返そうとする。地球側からすればそんなものはテロリストというわけだ。一方で、地球は全ての人類の母なのだと主張し平和を願う人々もいる。
3作全ての主人公たちが少年であり、戦争を否定していたのはそういうことだったのだと思う。戦争など起こさず「わかり合う」ための、「人間の可能性」であったはずのニュータイプが、皮肉なことに戦争によって成長を遂げる。人類自体が前進するためには仕方のない戦争なのか。そしてそれにも懐疑を向け、しかし戦争は大切な人たちを奪い続けていったりして。
前作同様たくさん人は死んだけど、まあ爽やかなラストでしたよ。
誰に正義があるのか。わかりはしないけど、意志を背負う者同士が決着をつけられたのならよかったじゃないか。ラストは、「正義」の理由に挙げられ続けた「大儀」や「イデオロギー」をも振り切り、「大人が起こした戦争」に振り回され続けたジュドーが、自分の手で「正義」という曖昧な感情とそれが巻き起こした戦争に決着をつけようとするのが素敵だった。
そしてモビルスーツはやっぱりかっこよかったね。
「正気かっ!?」
「正気で戦争ができるかあっ!!」
地球の汚染と人口増加により、人が宇宙に飛び立ち開始された宇宙開拓時代。宇宙空間の人工居住区「コロニー」。ある時そのコロニーの一つが独立独裁国家「ジオン皇国」を名乗り地球に宣戦布告する所から始まる「ガンダム」。地球連邦VSジオン皇国の戦争はある意味独立戦争といえますが、ジオン皇国の壊滅により終結。 数年後、宇宙移民側の独立運動組織「エウーゴ」と地球連邦側の運動鎮圧組織「ティターンズ」が激突するのが「Zガンダム」。地球連邦・「ティターンズ」VS「エウーゴ」の戦争は、ジオン復活の影も見せつつ「ティターンズ」の壊滅で終結。 そして今回の「ZZ」では、遂にジオン皇国の残党が「ネオジオン」を名乗り、地球連邦と「エウーゴ」を巻き込む乱戦に発展。「ネオジオン」の中でも、完全な復古主義のグレミーと、新しき独裁主義の野望に走るハマーンとの対立軸で激突。腑抜けになった地球連邦を半ば脱退した「エウーゴ」も参戦する三つ巴戦。結構複雑な対立関係の中で、「大人が起こした戦争」に巻き込まれてゆく主人公はジャンク屋の少年ジュドー・アーシタ。
「ガンダム」ではアムロVSシャア。「Z」ではカミーユVSシロッコ。そして「ZZ」ではジュドーVSハマーン。どの作品もラストの最終決戦はなかなか震えるものがある。
「どうして…どうしてみんなで生きていけないんだぁーっ!!」
作品を通してキーワードとなるのが「ニュータイプ」。最初僕は「ニュータイプ」とは戦争が生み出した変種かと思っていた。だけど、「ニュータイプ」は元々人間の中に存在していた「人間の可能性」だったらしい。「地球の重力」がそれを呼び覚まさなかったのだと。スペースノイドは地球人のことを「地球の重力に魂を奪われた者たち」と批判し、ニュータイプに目覚めた者も含め、腐敗した地球を自分らの手に取り返そうとする。地球側からすればそんなものはテロリストというわけだ。一方で、地球は全ての人類の母なのだと主張し平和を願う人々もいる。
3作全ての主人公たちが少年であり、戦争を否定していたのはそういうことだったのだと思う。戦争など起こさず「わかり合う」ための、「人間の可能性」であったはずのニュータイプが、皮肉なことに戦争によって成長を遂げる。人類自体が前進するためには仕方のない戦争なのか。そしてそれにも懐疑を向け、しかし戦争は大切な人たちを奪い続けていったりして。
前作同様たくさん人は死んだけど、まあ爽やかなラストでしたよ。
誰に正義があるのか。わかりはしないけど、意志を背負う者同士が決着をつけられたのならよかったじゃないか。ラストは、「正義」の理由に挙げられ続けた「大儀」や「イデオロギー」をも振り切り、「大人が起こした戦争」に振り回され続けたジュドーが、自分の手で「正義」という曖昧な感情とそれが巻き起こした戦争に決着をつけようとするのが素敵だった。
そしてモビルスーツはやっぱりかっこよかったね。
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