takebono卒業式
2006年3月18日大学の卒業式でした。
卒業するという実感は最後までなかった。ただ、もう二度と会えそうもない人たちと何度も手を振ったり握手したりして別れたこと。久しぶりに入ったチャペルはどこか懐かしい匂いがしたこと。ずっと感じてた卒業への寂しさのようなものがやっぱり充実してたことの裏返しなんだなと再認識したということ。これからよりtakebonoはソウルフルに生きていこうと思ったこと。
研究室でゼミの全員で集合して先生に花束とメッセージカードを渡してきた。完成した卒業論文集が配られた際に、先生が唐突に言った。
「どれも力作でしたけど、おすすめの論文はね…takebonoくんのです」
びっくりして。でもすんごくうれしくて。あぁっ…って、うれしかった。 へぇーって、みんながざわついてた。ノーマークだったかしら。でも先生が学部長賞に推薦したのは違う人のだったようだ。以前から聞いてたことだけど、やっぱりフィールド系じゃないと賞はきびしいんだって。そして産学連携的なテーマじゃないとダメなんだろうなやっぱり。 それでも先生が全員の前で、要するに僕の論文が一番面白かったよということをわざわざ言ってくれたことが、僕は本当にうれしかった。
別れ際に先生に握手を求めたら快く応じてくれた。
「takebonoくんは卒業後どうするの?」と先生がいつもの笑顔で言った。
僕は一瞬回答に困って、そして言った。
「まあ、見ててください」と。
みんながどっと笑った。 いつか。本当に。見ててくれよな。先生も。みんなも。
学部の卒業パーティーはやっぱり出ずに、M君とカラオケで騒いだ後で五反田で飲んだ。尾崎の「卒業」を卒業式に歌いたかった。喉がかれるまで歌った。ただ、僕の卒業は支配や闘いからの卒業ではないだろう。これからだ。これから闘うんだ。政府よりも資本家よりも犯罪者よりもテロよりも恐ろしいものと、僕はこれから一生をかけて闘っていくんだ。
結構飲んで帰った後で、雨はあがっていたからまた駅の側の公園を自転車でぐるぐるまわった。こないだ箱ごと拾ったセブンスターをラスト2本吸いながら、公園を5周した。
卒業――。
くだらないと思ってた小学校の卒業。少年であることのセーフティーを失うことに、ただそれだけに恐怖してた中学校の卒業。生きてゆく時代に自分自身が追いつけなくて、混沌に輝いた高校の卒業。 そして奇跡の連続の上に在り続けた大学を今日僕は卒業した。
僕はこれからどう生きていくか――。
答えはない。答えなんかない。あってたまるものか。僕はこの僕の脳と身体で、一生を過ごすことを、妥協なく選択するのだ。五体満足の上に成り立つコンプレックスが僕をむしろ鮮明に形成してくれている。僕の背中をいつも押してくれる後悔と劣等感が、結局の所は僕を生かしてくれてもいる。僕自身が最初から矛盾であり、その矛盾は欺瞞を打ち倒そうとしている。この僕が僕故の非合理をもってして、正義なんか表明しない闘いを、強者の醜悪な悪徳に対し無謀にも挑むだろう。それがソウルなのだろうか。上下し揺れて落ちるパームかナックルボールのような僕の衝動。ともすれば機会を得ることが僕の全知全能だったとしても、僕は決して人を傷つけはしないだろう。それも若さなのだ。わかっていても、それでも僕は若いのだ。誰かを待つわけでもなく、僕は誰かに会おうとした。傷つける相手を探したり、傷つけてくれる相手を探したりしてた。でも結局それらも僕の過剰飽和のバブル娯楽だったのかもしれない。僕とはなんだ。シンプルな僕とはなんだ。スタンダードはなんだ。僕の衝動とはなんなのだ。恐怖そのものに恐怖したり、幸福の形を喜んだり、あらゆる惰性であらゆる世界は動いている部分があるのだと思う。僕の歪んだ軌道は、美しくもない弧を描いて飛んでゆけばいいのかもしれない。賽はとっくに投げられていたことに何度だって気付くのだ。
僕の4年間はすばらしかった。僕なんかに訪れてはいけないんじゃないかって思うくらい幸せな時間だった。僕は楽しくて嬉しくて笑って泣いてばかりいたな。この大学生活を超える時代はもう永久にやってこないかもな。多くの人に出会い、すれ違い、また出会い、僕は語り合った。僕にはいつしか友達ができていた。この僕が人をすきになったりした。人間とは可能性に充ちていたんだ。
ともすればチンピラかひきこもりで終わっていた僕の人生は、あの合格発表のときから動き出していたんだ。
僕を生かしてくれた大学ももう過去のものにしなきゃなんない。寂しいけどそうすべきなのだ。学部のみんな、自主ゼミのみんな、クズたちみんなたち、教職のみんな、サッカーで繋がったみんな、時に人間は、何かを一瞬で超えたんだよね。僕が探してたもの、いくつだって大学で僕は見つけたんだよ。そうなんだよ。そこにはそれがあったんだよ。
いまが、あのとき夢にまで見た未来なんだ。未来って、あったじゃん。僕はこの先を果てまで生きていく。挫折したときは死ぬときなんだ。未来ってやつをも一度信じてやる。たった一度だけソウルフルに生きることに、もう僕は躊躇う必要がないんだよな。
卒業おめでとう。全てのものへ感謝します。
ありがとHepburn。
卒業するという実感は最後までなかった。ただ、もう二度と会えそうもない人たちと何度も手を振ったり握手したりして別れたこと。久しぶりに入ったチャペルはどこか懐かしい匂いがしたこと。ずっと感じてた卒業への寂しさのようなものがやっぱり充実してたことの裏返しなんだなと再認識したということ。これからよりtakebonoはソウルフルに生きていこうと思ったこと。
研究室でゼミの全員で集合して先生に花束とメッセージカードを渡してきた。完成した卒業論文集が配られた際に、先生が唐突に言った。
「どれも力作でしたけど、おすすめの論文はね…takebonoくんのです」
びっくりして。でもすんごくうれしくて。あぁっ…って、うれしかった。 へぇーって、みんながざわついてた。ノーマークだったかしら。でも先生が学部長賞に推薦したのは違う人のだったようだ。以前から聞いてたことだけど、やっぱりフィールド系じゃないと賞はきびしいんだって。そして産学連携的なテーマじゃないとダメなんだろうなやっぱり。 それでも先生が全員の前で、要するに僕の論文が一番面白かったよということをわざわざ言ってくれたことが、僕は本当にうれしかった。
別れ際に先生に握手を求めたら快く応じてくれた。
「takebonoくんは卒業後どうするの?」と先生がいつもの笑顔で言った。
僕は一瞬回答に困って、そして言った。
「まあ、見ててください」と。
みんながどっと笑った。 いつか。本当に。見ててくれよな。先生も。みんなも。
学部の卒業パーティーはやっぱり出ずに、M君とカラオケで騒いだ後で五反田で飲んだ。尾崎の「卒業」を卒業式に歌いたかった。喉がかれるまで歌った。ただ、僕の卒業は支配や闘いからの卒業ではないだろう。これからだ。これから闘うんだ。政府よりも資本家よりも犯罪者よりもテロよりも恐ろしいものと、僕はこれから一生をかけて闘っていくんだ。
結構飲んで帰った後で、雨はあがっていたからまた駅の側の公園を自転車でぐるぐるまわった。こないだ箱ごと拾ったセブンスターをラスト2本吸いながら、公園を5周した。
卒業――。
くだらないと思ってた小学校の卒業。少年であることのセーフティーを失うことに、ただそれだけに恐怖してた中学校の卒業。生きてゆく時代に自分自身が追いつけなくて、混沌に輝いた高校の卒業。 そして奇跡の連続の上に在り続けた大学を今日僕は卒業した。
僕はこれからどう生きていくか――。
答えはない。答えなんかない。あってたまるものか。僕はこの僕の脳と身体で、一生を過ごすことを、妥協なく選択するのだ。五体満足の上に成り立つコンプレックスが僕をむしろ鮮明に形成してくれている。僕の背中をいつも押してくれる後悔と劣等感が、結局の所は僕を生かしてくれてもいる。僕自身が最初から矛盾であり、その矛盾は欺瞞を打ち倒そうとしている。この僕が僕故の非合理をもってして、正義なんか表明しない闘いを、強者の醜悪な悪徳に対し無謀にも挑むだろう。それがソウルなのだろうか。上下し揺れて落ちるパームかナックルボールのような僕の衝動。ともすれば機会を得ることが僕の全知全能だったとしても、僕は決して人を傷つけはしないだろう。それも若さなのだ。わかっていても、それでも僕は若いのだ。誰かを待つわけでもなく、僕は誰かに会おうとした。傷つける相手を探したり、傷つけてくれる相手を探したりしてた。でも結局それらも僕の過剰飽和のバブル娯楽だったのかもしれない。僕とはなんだ。シンプルな僕とはなんだ。スタンダードはなんだ。僕の衝動とはなんなのだ。恐怖そのものに恐怖したり、幸福の形を喜んだり、あらゆる惰性であらゆる世界は動いている部分があるのだと思う。僕の歪んだ軌道は、美しくもない弧を描いて飛んでゆけばいいのかもしれない。賽はとっくに投げられていたことに何度だって気付くのだ。
僕の4年間はすばらしかった。僕なんかに訪れてはいけないんじゃないかって思うくらい幸せな時間だった。僕は楽しくて嬉しくて笑って泣いてばかりいたな。この大学生活を超える時代はもう永久にやってこないかもな。多くの人に出会い、すれ違い、また出会い、僕は語り合った。僕にはいつしか友達ができていた。この僕が人をすきになったりした。人間とは可能性に充ちていたんだ。
ともすればチンピラかひきこもりで終わっていた僕の人生は、あの合格発表のときから動き出していたんだ。
僕を生かしてくれた大学ももう過去のものにしなきゃなんない。寂しいけどそうすべきなのだ。学部のみんな、自主ゼミのみんな、クズたちみんなたち、教職のみんな、サッカーで繋がったみんな、時に人間は、何かを一瞬で超えたんだよね。僕が探してたもの、いくつだって大学で僕は見つけたんだよ。そうなんだよ。そこにはそれがあったんだよ。
いまが、あのとき夢にまで見た未来なんだ。未来って、あったじゃん。僕はこの先を果てまで生きていく。挫折したときは死ぬときなんだ。未来ってやつをも一度信じてやる。たった一度だけソウルフルに生きることに、もう僕は躊躇う必要がないんだよな。
卒業おめでとう。全てのものへ感謝します。
ありがとHepburn。
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