今回は、先月の教職課程のシンポジウムで僕の隣に座っていた先生が薦めてくれた、重松清氏の作品を読みます。重松氏の作品は教職課程の指定文献にすべきだと思う。デューイも大事だけど、ペスタロッチやヘルバルトやルソーだって大切なんだけど、しかしこういうものこそがなによりも大切だと僕は思うのだけどね。

◇まず重松清の代表作『エイジ』を読む。「普通」の中学生エイジを視点とした少年の世界観や学校文化が等身大で描かれるのが、とても素晴らしかったです。僕らが僕らを自覚し、大人が大人を自覚するのなら、せめてこんな小説を少しだけでも読んでみたらどうでしょうか、って言いたい。takebono絶賛とまではいかないけれど、間違いなく素晴らしい作品ですね。こんな小説を書きたかったあ。
−東京郊外のニュータウンで相次いで起きていた通り魔事件。その犯人は僕の同級生だった。○○…、おまえって、どんな奴だったんだ――? それでもそんな事件は「普通」の「少年犯罪」として、大人だけが関心を持ってゆく。いずれ僕らに忘れ去られてゆくためにだ。…だけど、そんなもんいまの僕には何の関係もない。家族のこと…友達のこと…恋愛のこと…。僕が揺れ動くものなんて他にもいっぱいあるんだよねっ! 14歳の少年エイジが暮らす「普通」の日常。普通の当たり前のちっぽけな世界。だけどここで全てが起きている。「その気」って誰にでも「ある」んだってこと。それを認めなきゃいけないんじゃないかってこと。どうやってみんなはそれを隠しているの?僕や誰もがここで生きているのにさっ!
「意味は違うんじゃないか。我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない。自分と相手とのつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、「キレる」なんじゃないか」

◇短編集を読む。中でも一番良かったのは、賞も取ったという『ナイフ』という短編。
−私はナイフを持っている。絶望のゲーム〈いじめ〉に遭っている息子。それを守ってやれない父親は、必死で小さなナイフを握りしめた。遠い国の内戦に派遣された元同級生の「ヨッちゃん」は、TV画面の中で自動小銃を携え、あの頃のように凛々しく立っていた。そして私のナイフは、暴力の開放による暴力からの解放をただ待ち続けていた。

あと『ワニとハブとひょうたん池で』も結構よかった。読まなければいけないなんてこたないけれど、教育に携わってゆく者ならやっぱ読むべきだと思う重松氏の作品。もう僕は教育にはあまりまなざしが向かないけれど、僕はやっぱりこういう作品の存在がどこかうれしかったのです。

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