◇ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』を読みました。素晴らしい本でした。何度も感動した。せつなすぎて、せつなすぎる。かわいそうだとかさ、偽善だとかさ、そんなことって実はわめくこと自体が、善とはじゃあ何なのか?だなんて考えたこともないような奴らの単なる棒読み台詞に過ぎないのではないか、とまで思ってしまいました。自分が苦しみ傷つくことと同じくらい、他人のために涙を流せる人間が、きっと優しさを力に変えるのだと僕は信じてるのです。そのこと自体は善でも偽善でもないはずだろっが、って。 そして、知能や教養ってやつが、人と人の間にくさびを打ち込むものであるとしても、願いたいのはやはりあらゆる異種や知能レベルとの、共感であったり、思いやろうとする特別で尚不変的な心情なのだと僕は思うのです。人間とは何なのかを、考えさせられる感動作品でした。
−32歳になっても幼児の知能しかなかったパン屋店員チャーリイ・ゴードンは、脳科学の実験モデルになることで、知能を獲得する実験手術を受けられることになった。脳の検査においては、ネズミのアルジャーノンが彼の競争相手である。やがて超IQと超知能を手に入れたチャーリイは天才に生まれ変わる。だが、これまでは喪失するものが何なのかさえ知ることのできなかった彼が、超知能により得たものは、天才故の孤独と、人間が残酷にも持ちうる剥き出しの「心」そのもの全てであった。知能を手に入れたばかりに、愛と憎悪そして喜びと孤独の中でチャーリイは壮絶な葛藤を繰り広げる。人間とは何なのか。人間として生きるとはどういうことなのか。全世界が涙したというのも頷けるほどの感動のドラマは、takebonoの胸をも確かにうった。
「チャーリイ・ゴードンのことばかりだけじゃなくて、人生について人間について、そして僕は発見した。誰もチャーリイ・ゴードンなんかどうでもいいんだとね、白痴であろうが、天才であろうが。だとしたら、どういう違いがあるっていうんですか? …障害は、僕が人間だってことだ。 …知能だけでは何の意味もないことを僕は学んだ。あんた方の大学では、知能や教育や知識が偉大な偶像になっている。でも僕は知ったんです。あんた方が見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです」
精神遅滞の少年給仕が皿を落として割ったシーンがやはり印象的。上司は少年を怒鳴りつけ、食堂の客達は彼を嘲笑い、彼はただ微笑をし続ける。それを見ていたチャーリイはかつての自分に彼を重ね合わせながら、ついには激昂しその場の全員を非難してしまう。
精神遅滞であるが故にチャーリイはいじめられたり優しくされたりしてきたのですが、天才に生まれ変わった彼からは全ての人が離れていくシーンや、上司の不正を発見したことから初めて生まれた道徳精神と葛藤するチャーリイの姿を描いたシーンも印象的。
−32歳になっても幼児の知能しかなかったパン屋店員チャーリイ・ゴードンは、脳科学の実験モデルになることで、知能を獲得する実験手術を受けられることになった。脳の検査においては、ネズミのアルジャーノンが彼の競争相手である。やがて超IQと超知能を手に入れたチャーリイは天才に生まれ変わる。だが、これまでは喪失するものが何なのかさえ知ることのできなかった彼が、超知能により得たものは、天才故の孤独と、人間が残酷にも持ちうる剥き出しの「心」そのもの全てであった。知能を手に入れたばかりに、愛と憎悪そして喜びと孤独の中でチャーリイは壮絶な葛藤を繰り広げる。人間とは何なのか。人間として生きるとはどういうことなのか。全世界が涙したというのも頷けるほどの感動のドラマは、takebonoの胸をも確かにうった。
「チャーリイ・ゴードンのことばかりだけじゃなくて、人生について人間について、そして僕は発見した。誰もチャーリイ・ゴードンなんかどうでもいいんだとね、白痴であろうが、天才であろうが。だとしたら、どういう違いがあるっていうんですか? …障害は、僕が人間だってことだ。 …知能だけでは何の意味もないことを僕は学んだ。あんた方の大学では、知能や教育や知識が偉大な偶像になっている。でも僕は知ったんです。あんた方が見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです」
精神遅滞の少年給仕が皿を落として割ったシーンがやはり印象的。上司は少年を怒鳴りつけ、食堂の客達は彼を嘲笑い、彼はただ微笑をし続ける。それを見ていたチャーリイはかつての自分に彼を重ね合わせながら、ついには激昂しその場の全員を非難してしまう。
精神遅滞であるが故にチャーリイはいじめられたり優しくされたりしてきたのですが、天才に生まれ変わった彼からは全ての人が離れていくシーンや、上司の不正を発見したことから初めて生まれた道徳精神と葛藤するチャーリイの姿を描いたシーンも印象的。
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