需要と供給の均衡で市場価格が決まることはわかった。供給が減れば当然価格は上がり、その結果需要が減って均衡するのだ。価格の上下で弾力的に需要が動けば問題ないのである。「価格弾力性」てやつだ。価格弾力性が小さい場合は悲劇だな。例えば異常気象でコメが半分しか収穫できなかった場合、コメは高くてもやっぱ買いたいって人が多く価格弾力性が小さいといえるので、価格は跳ね上がる。需要が均衡するまで跳ね上がるのだ。つまり「こんな高いんじゃさすがにねェ…」と諦める人が出てきてくれるまで跳ね上がるのだ。野菜高騰でも、キャベツ高いからレタスにすっかぁとかいう場合は価格弾力性は大きいといえるから問題ないわけだけど、コメや魚や肉はそうはいかないのだな。例えばレストラン経営なんてもろインフレが直撃するわけや。良い例が石油価格だ。代替エネルギーが難しいのだから、石油需要は価格弾力性が小さいというわけだ。
供給サイドの価格弾力性も関係してくる。需要が増えて価格が上がったとき、供給があまり増えなければ価格は跳ね上がり続ける。供給における価格弾力性が小さいというわけですな。
需要の増減と供給の増減で、価格は自動上下して決まる。そして均衡に合わせるよう需要及び供給が弾力的に増減するかどうかで決まるのだった。
株価が一日の中でさえ大きく変動するのはそういうわけでですな。株式の供給は、新株が発行されたりしない限り、一定の発行済み株式枚数なわけだから、価格の弾力性など皆無なわけです(供給の価格弾力性ゼロ)。だから株価は短い期間内で跳ね上がったり暴落したりするのですな。

市場経済のメカニズムとは、市場の声である「価格」を通して、個人や企業が「自由」で「自発的」に行動することに重きが置かれながら尚、資源の無駄遣いが防がれ、「適切」(あくまで「適切」)に、分配されるというミラクル構造である。これが、「神の見えざる手」通称「神の手」(ああマラドーナ!orああ中田浩二!!)と呼ばれるのだ。ゴッドハンドだ。個々の利己心による利潤追求が、結果的に社会一般や消費者の利益になり、経済発展の原動力になるのである。 人間のアタマは限られたものでしかないのだけど、自分の意図には入っていない社会的目的においても知らず知らずのうちに貢献するように仕向けられてるのが自由市場なわけだ。市場には自然に秩序を形成するメカニズムが備わっているというわけだ。神の世界だなァ。

この神の世界に不可欠なのが「競争」である。
競争的市場とは、個々の生産者・消費者の価格支配力が小さい市場のこと。ある生産者が価格をつり上げようとして供給を制限しても、まず価格は上がりません。また、ある消費者が彼らの消費量(需要)を減らしてみても、価格を引き下げることはまずできません。
ある企業が技術革新なり新商品なりリストラなりで、どうにかコストを削減しても、当初は市場均衡価格はほぼ無影響です。故にそこで利潤を大きくするわけだ。他企業は乗り遅れまいと同じ事をする。競争によって技術革新は促され、新商品は生まれ、リストラなど節約や合理化が行われる。さらに新規参入企業が増えてくると、市場全体の供給量が増えるわけで、段々と価格は低下してくわけだ。飽和経済における地獄の価格競争が行われるおかげで、消費者はうれしくなっちゃうのだ。

競争市場においては、それぞれの個人や企業には価格支配力がない。自由競争価格だとか消費者民主主義だとかいうのだろうけど、でもそんなケースばかりでは勿論ない。不完全競争市場というものは現実にある。個々の企業が供給量を減らせば価格は上がり、供給量を増やせば価格は低下する、そんな市場。競争のしようがないほどに、独占市場独占企業。「神」に逆らう人間たちですな。
それが寡占企業によるマーケットシェアだ。競争を制限し強調し合うことで、寡占産業全体の利潤を高めようとする「結託」。カルテルとかだ。大企業同士が競争しないで手を組んで利益を守ってること。独占禁止法は暗黙の内に犯されているわけだ。とりわけ日本は談合体質にあるとよくいわれる。そこら中、談合だらけ。眠れない街♪犯罪だらけ♪
だがときに裏切りもおきる。企業が企業を出し抜いたり、よくあることよね。いわば、競争と結託という相反する誘因で寡占企業は動いてるといっていいわけだな。
地獄の価格競争に一度陥ってしまうと、共倒れのリスクも出てくる。だから寡占企業の中でも比較的大きな企業が音頭を取って、価格を下げないように抑えるわけだ。「プライス・リーダーシップ」。このリーダーが価格を握ってるわけだ。勿論ときには下げたりもする。

だから寡占市場では、価格の引き下げ以外に競争しなくてはならないわけです。市場戦争はここで起きてるわけだ。製品の差別化、他企業との違いや商品の特色を打ち出していくこともそうです。性能・品質・デザイン・アフターケア・特典。まあなんて盛大に不毛な競争だこと。 二次的な戦場は、広告・宣伝・リベート・マーケティングだ。
死にものぐるいで戦争する企業の努力のおかげで、色とりどりの商品や高質のサービスを僕たちは享受できるわけです。或いは広告や宣伝で、サギに近く洗脳されたりして、トレンドを脳内で作り上げて買い物するわけですな。無駄すぎる広告・宣伝作戦は、しかし行わなければ他企業に先手を取られるだけです。だからやったもん勝ちなわけですわね。それが不毛でも過剰でも、コミュニティーやまごころや家庭や環境や道徳やらをいくらでも破壊しようとも、まぁ何を道徳的なこといくらでもノタマっても良いけれど、前提として、マーケットシェアを確保するためには戦争やるしかないわけです。はいも一度言いましょう。市場で勝ってゆくには、戦争するしかないのです。わかったかねSK君? 誰もが自分や家族を守るために戦争しているのだよ。
ええ、「殺し合いをしてもらいます」ということですよ。
(→→)

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年4月  >>
303112345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930123

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索