無知takebono経済学?
2006年6月7日 戯言戯言諸々その他とにかく神が市場をおつくりになられたことはわかった。そして時代は近代化し今や神の市場による所得分配こそがこの世界のルールになった。それが公正で公平かどうかという果てしなく続くマルクスチックな議論はまたあとで。
しかしゴミクズはどうしても経済からはみ出すのだろなー。「合理的」なんて、どんな場合にどんな意味なんだろって思っちゃう時点でクズ。僕はそうすると「非合理的」なのか。そんなものあるかよ、ばか。僕が僕なりに誠実に懸命に生きてる人生なのに。なんか、逆だ。僕が肯定する僕を、周囲が否定するんだな。僕は自由に生きていたいのに♪みんな幸せになるべきなのに♪だ。
経済学における、うんたら学派やなんたら学派が、長い年月をかけ積み重ねてきた学問はやっぱ相当なものでさっぱりわからん。でもどうやら神と人間の闘いにステージを本格的に移したのは最近のことのようだ。
「神さまとやら、あなたは残酷だぞ!」(byB・J)
「神の意表をつく技ッッ!!」(by柳龍光)
神の破綻。それは随分前から囁かれてきた、要するに「市場の失敗」だった。神の失敗を補うために人間たちは立ち上がる。
「お前たちもようやくわかったろうぜ!この世に完璧なんてものがねえってことをーッッ!!」(byザ・マシンガンズ)
市場の失敗:大きい規模の産業或いは地域によって、自由競争の結果、独占が発生する。「自然独占」。消費者が選択する余地がなくなり、釣り上げられた価格で消費者は買わなくてはならなくなる。 また、ある経済活動の影響が、市場取引を通さずに各経済主体に及ぶことがある。「外部性」。向上や車の排気ガスによる大気汚染、排水による水質汚濁、自動車の騒音・震動。環境破壊等々。 また、「公共財」の問題や「不完全情報」の問題等々、市場の失敗は数多く存在し、対策として規制等がときに必要になる。税金・罰金・行政指導。免許制・資格制・認可制等々がある。しかしこれらの規制システムが既得権益の温床になることも多々ある。本来は市場の暴力性から人々を守るはずの規制が食い物にされるため、従って規制緩和もときに必要になる。結局は、そのバランス、その攻防なのだな。では一体誰が神の領域へ足を踏み入れるのか。それはいちおう人間代表としての政府の役割である。
政府の役割:政府は市場経済を正常に機能させるための法律や警察を整備し、契約や交換を守らないといけない。「法による支配」。 また政府は市場を競争的に維持し、独占を取り締まらなくてはならない。独占状態は、市場原理に沿わない独占価格を生み、技術発展も起こりにくくなるから。
このように、神の市場メカニズムに対し人間の力が介入してゆくのが現状経済なのだな。で、結局最初の問いに戻っちゃった。 人間は「どれくらい」神の領域に介入するべきなのか――?
トマス・モアに始まるユートピア思想。カール・マルクスに始まるマルクス主義。全然わからんのだけど、たぶん神の市場の否定なのだろうと思う。
そしてJ・M・ケインズによる所謂ケインズ経済学の立場というのは、市場メカニズム「神の手」の「不具合」を、人間政府が介入して「修正」してあげるというアルマゲドン超えの理想だった。左翼からは「資本主義の延命にすぎぬ」だとか言われ、市場原理主義者からは「神に対してこの無礼者が」と言われたわけだった。 そんでとにもかくにもマクロ経済学はこうしてその全容を垣間見せることになった。つまりいよいよケインズの登場である。ケンブリッジ学派とやらがここまでくるのにどれだけの時間と研究を費やしたのか、だがしかし無知故に傲慢に進めるのである。
ミクロ経済学の誕生が1776年アダムスミス『国富論』ならば、マクロ経済学の誕生は1936年J・Mケインズ『雇用・利子及び貨幣の一般理論』に求められる。つまりマクロ経済学の歴史というものはまだ半世紀と少しなのだ。その扉は、1929年にアメリカに端を発し始まった世界大不況において開かれる。『一般理論』でケインズが論じたものこそが「失業」だった。労働市場では必ずしも「神の手」は正常に機能せず、むしろ不完全雇用こそが一般的であることをケインズは示したのだった。そうだった。
…ここでtakebonoは行き詰まった。グラフや図表はまだ理解できた。だが、経済学の定理や論理の、そう、数式ってやつがわからないのだサッパリパリンだ。それはつまり数学がわかっていないからだと思う。数学は無理。高校時代は連続赤点王だったtakebono。くそー、誰か僕に数学を教えてくれないかなあ。 仕方ないので数学的な部分は出来るだけ理解したつもりで、進めてくことにする。あぁここが文系の限界なのか。
偉大なケインズ。市場主義を正当化する古典派経済学を乗り越え新パラダイムを生み出したケインズ経済学。惰性に準拠する思想を思想によってうち倒し、そして同様にうち倒されつつあり、いやもう倒されてしまったか。とにもかくにも現代経済の核であり基盤であるケインズのその偉大なヒストリーに無知な僕が迫る。
(→→)
しかしゴミクズはどうしても経済からはみ出すのだろなー。「合理的」なんて、どんな場合にどんな意味なんだろって思っちゃう時点でクズ。僕はそうすると「非合理的」なのか。そんなものあるかよ、ばか。僕が僕なりに誠実に懸命に生きてる人生なのに。なんか、逆だ。僕が肯定する僕を、周囲が否定するんだな。僕は自由に生きていたいのに♪みんな幸せになるべきなのに♪だ。
経済学における、うんたら学派やなんたら学派が、長い年月をかけ積み重ねてきた学問はやっぱ相当なものでさっぱりわからん。でもどうやら神と人間の闘いにステージを本格的に移したのは最近のことのようだ。
「神さまとやら、あなたは残酷だぞ!」(byB・J)
「神の意表をつく技ッッ!!」(by柳龍光)
神の破綻。それは随分前から囁かれてきた、要するに「市場の失敗」だった。神の失敗を補うために人間たちは立ち上がる。
「お前たちもようやくわかったろうぜ!この世に完璧なんてものがねえってことをーッッ!!」(byザ・マシンガンズ)
市場の失敗:大きい規模の産業或いは地域によって、自由競争の結果、独占が発生する。「自然独占」。消費者が選択する余地がなくなり、釣り上げられた価格で消費者は買わなくてはならなくなる。 また、ある経済活動の影響が、市場取引を通さずに各経済主体に及ぶことがある。「外部性」。向上や車の排気ガスによる大気汚染、排水による水質汚濁、自動車の騒音・震動。環境破壊等々。 また、「公共財」の問題や「不完全情報」の問題等々、市場の失敗は数多く存在し、対策として規制等がときに必要になる。税金・罰金・行政指導。免許制・資格制・認可制等々がある。しかしこれらの規制システムが既得権益の温床になることも多々ある。本来は市場の暴力性から人々を守るはずの規制が食い物にされるため、従って規制緩和もときに必要になる。結局は、そのバランス、その攻防なのだな。では一体誰が神の領域へ足を踏み入れるのか。それはいちおう人間代表としての政府の役割である。
政府の役割:政府は市場経済を正常に機能させるための法律や警察を整備し、契約や交換を守らないといけない。「法による支配」。 また政府は市場を競争的に維持し、独占を取り締まらなくてはならない。独占状態は、市場原理に沿わない独占価格を生み、技術発展も起こりにくくなるから。
このように、神の市場メカニズムに対し人間の力が介入してゆくのが現状経済なのだな。で、結局最初の問いに戻っちゃった。 人間は「どれくらい」神の領域に介入するべきなのか――?
トマス・モアに始まるユートピア思想。カール・マルクスに始まるマルクス主義。全然わからんのだけど、たぶん神の市場の否定なのだろうと思う。
そしてJ・M・ケインズによる所謂ケインズ経済学の立場というのは、市場メカニズム「神の手」の「不具合」を、人間政府が介入して「修正」してあげるというアルマゲドン超えの理想だった。左翼からは「資本主義の延命にすぎぬ」だとか言われ、市場原理主義者からは「神に対してこの無礼者が」と言われたわけだった。 そんでとにもかくにもマクロ経済学はこうしてその全容を垣間見せることになった。つまりいよいよケインズの登場である。ケンブリッジ学派とやらがここまでくるのにどれだけの時間と研究を費やしたのか、だがしかし無知故に傲慢に進めるのである。
ミクロ経済学の誕生が1776年アダムスミス『国富論』ならば、マクロ経済学の誕生は1936年J・Mケインズ『雇用・利子及び貨幣の一般理論』に求められる。つまりマクロ経済学の歴史というものはまだ半世紀と少しなのだ。その扉は、1929年にアメリカに端を発し始まった世界大不況において開かれる。『一般理論』でケインズが論じたものこそが「失業」だった。労働市場では必ずしも「神の手」は正常に機能せず、むしろ不完全雇用こそが一般的であることをケインズは示したのだった。そうだった。
…ここでtakebonoは行き詰まった。グラフや図表はまだ理解できた。だが、経済学の定理や論理の、そう、数式ってやつがわからないのだサッパリパリンだ。それはつまり数学がわかっていないからだと思う。数学は無理。高校時代は連続赤点王だったtakebono。くそー、誰か僕に数学を教えてくれないかなあ。 仕方ないので数学的な部分は出来るだけ理解したつもりで、進めてくことにする。あぁここが文系の限界なのか。
偉大なケインズ。市場主義を正当化する古典派経済学を乗り越え新パラダイムを生み出したケインズ経済学。惰性に準拠する思想を思想によってうち倒し、そして同様にうち倒されつつあり、いやもう倒されてしまったか。とにもかくにも現代経済の核であり基盤であるケインズのその偉大なヒストリーに無知な僕が迫る。
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