ワールドカップつれづれ
2006年6月10日思えば94ワールドカップは物心ついて間もないまだ小学生の頃。「ドーハの悲劇」はリアルタイムで観れなくて、朝起きて学校に行くとき、「結局ダメだったね」とあのYさんが呟いて終わった僕のワールドカップ。
その間『Jドリーム』でサッカーの素晴らしさにソウルを形成し始めるtakebono。Jリーグも大すきだった。僕の中にはいつしかサッカーが存在していたのだ。
98フランスワールドカップ。選びようもない高校進学にイラついてた頃にあの最終予選がやっていて。「ジョホールバルの歓喜」は夜中ラジオで聞いていて飛び上がってた。まるでサルバトーレ・ビアンキだったtakebono。不安なんてまるでなかった。絶対に日本代表は勝つんだと思ってた。そうでなきゃ、そうでなきゃ世界が面白くないじゃないか、って思ってたのだ。
本大会は三連敗で、日本の歴史上ワールドカップ初ゴールは中山で、まあ実力差なんてもんがわかんないくらい実力差があったんだと思う。
外国のサッカーに興味を持ったのもその頃からだった。ジダンだとかクライファートだとかクリンスマンだとかが、むっちゃすごかったからだ。日本のサッカーはまだまだ狭くて小さい世界なのだと思った。でもだからこそJリーグに誇りを持った。自国にプロリーグがあるってことは、素晴らしいことなんだと思った。
その後中田が日本を飛び出し、外国リーグとの距離が縮まって、僕が浪人生の頃に中田はASローマでスクデットを決めていた。
シドニーオリンピックのとき、「中田凱旋!メダルを獲るために!」ってスポーツ新聞の見出しに震えまくったっけ。シドニーは稲本がいて高原がいて柳沢がいた。中澤と激突した楢崎が血まみれでPK戦に挑んで1本も止められないで、中田が外して敗れ去ったとき、悔しかった。がんばってがんばってあと少しで負けちゃうことがあるんが悔しかった。
02ワールドカップは大学1年の頃で、以前にも書いたけど、ついこないだのことのようだ。
アジアカップもあった。
アテネオリンピックもあった。
そのたびに僕は、たくさんの人と出会って、その人たちと試合を観てきた。みんなサッカーがすきな人たちだった。アテネ予選はとあるサークルの合宿で観た。話したこともなかった人と、田中達也のゴールでハイタッチをした。
そうだ、おぼえてるよ。あの合宿中に僕は決めたんだっけ。サッカーやろって。チームつくろって。あれが僕の「R−SOMA」の始まりだったんだぜ。
サッカーは、何かを生むんだよな。いつだって、何かを生み続けるんだよな。
06ワールドカップは、いまの僕に何を生むんだろう。
サッカーはいつだって喜びだった。サッカーやってるときは幸せだった。サッカーできることがすでに幸せのうちだったんだ。僕は外国語はできねえけど、いつかサッカーボールで世界を繋げてみたい。世界中の人とサッカーをやってみたいよ。そう思うんです。
とりとめのない散文は、僕のサッカーへの不器用な愛情表現です。リフティングから始めよう。
いまイングランドが手堅く勝利を収めました。
さぁ眠くなんなかったらスウェーデンを応援しよっかな。
その間『Jドリーム』でサッカーの素晴らしさにソウルを形成し始めるtakebono。Jリーグも大すきだった。僕の中にはいつしかサッカーが存在していたのだ。
98フランスワールドカップ。選びようもない高校進学にイラついてた頃にあの最終予選がやっていて。「ジョホールバルの歓喜」は夜中ラジオで聞いていて飛び上がってた。まるでサルバトーレ・ビアンキだったtakebono。不安なんてまるでなかった。絶対に日本代表は勝つんだと思ってた。そうでなきゃ、そうでなきゃ世界が面白くないじゃないか、って思ってたのだ。
本大会は三連敗で、日本の歴史上ワールドカップ初ゴールは中山で、まあ実力差なんてもんがわかんないくらい実力差があったんだと思う。
外国のサッカーに興味を持ったのもその頃からだった。ジダンだとかクライファートだとかクリンスマンだとかが、むっちゃすごかったからだ。日本のサッカーはまだまだ狭くて小さい世界なのだと思った。でもだからこそJリーグに誇りを持った。自国にプロリーグがあるってことは、素晴らしいことなんだと思った。
その後中田が日本を飛び出し、外国リーグとの距離が縮まって、僕が浪人生の頃に中田はASローマでスクデットを決めていた。
シドニーオリンピックのとき、「中田凱旋!メダルを獲るために!」ってスポーツ新聞の見出しに震えまくったっけ。シドニーは稲本がいて高原がいて柳沢がいた。中澤と激突した楢崎が血まみれでPK戦に挑んで1本も止められないで、中田が外して敗れ去ったとき、悔しかった。がんばってがんばってあと少しで負けちゃうことがあるんが悔しかった。
02ワールドカップは大学1年の頃で、以前にも書いたけど、ついこないだのことのようだ。
アジアカップもあった。
アテネオリンピックもあった。
そのたびに僕は、たくさんの人と出会って、その人たちと試合を観てきた。みんなサッカーがすきな人たちだった。アテネ予選はとあるサークルの合宿で観た。話したこともなかった人と、田中達也のゴールでハイタッチをした。
そうだ、おぼえてるよ。あの合宿中に僕は決めたんだっけ。サッカーやろって。チームつくろって。あれが僕の「R−SOMA」の始まりだったんだぜ。
サッカーは、何かを生むんだよな。いつだって、何かを生み続けるんだよな。
06ワールドカップは、いまの僕に何を生むんだろう。
サッカーはいつだって喜びだった。サッカーやってるときは幸せだった。サッカーできることがすでに幸せのうちだったんだ。僕は外国語はできねえけど、いつかサッカーボールで世界を繋げてみたい。世界中の人とサッカーをやってみたいよ。そう思うんです。
とりとめのない散文は、僕のサッカーへの不器用な愛情表現です。リフティングから始めよう。
いまイングランドが手堅く勝利を収めました。
さぁ眠くなんなかったらスウェーデンを応援しよっかな。
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