冥土陰邪犯

2006年6月28日 読書
冥土陰邪犯
昨夜のSKさんの横暴クライマックスのせいで体調がガクガク。SKさんとは本当に決定的に分かり合えないけれど、お互いそのことを認め合えてると思うし、それでも馴れ合いやキレること無しに語り合えうるから素敵です。相手を傷つける武器を持ちながらにして手を繋ぐことってのは、一つの現実的な平和なのかもしれないね。武器を捨てることじゃなくて、手を伸ばすことなのが。 ただSK君には、そこらの大人たちのように、現実に手も足も出せない虚しさや、疲れ果てるだけのダンスのような虚構現実へのもがき方は、必要ないと思ってたんだよね。この僕が正しさを説けるわけがないけれど、まあせいぜい藻掻きに協力してはやりたい。きっとそんな時代なんだろう。

最近は、山本七平『日本資本主義の精神』読んだ。でもちゃんと読まなかった。
思想史だとか精神の形成史だとか全くよくわからんくて、イマイチサッパリパリンだったんだけど、ともかく日本資本主義の精神基盤が形成されたのは江戸時代だとかいうことが書かれてた。日本の近代化は外からのものだったけど、資本主義の精神基盤は封建時代の徳川期に形成されていたものなんだそうだ。藩政だとか、禅の思想だとかが、結局エコノミックアニマルにも通じてるんだそうだ。
日本資本主義は、日本の民主主義同様に、未成熟で不完全なのだと思ってたけど、それは実際オリジナル資本主義なわけか。本流の資本主義に移行しつつある今だからこそ、またしても、日本流のそれを不完全とみなすのか、オリジナルのものとしてみなすのか、誇るのか、支持するのか、批判するのか、その辺りなのかなあとか思った。

資本主義は、全てが同じ性格を有していない。それも当然実感は無いけれど、アメリカもヨーロッパもアラブもアジアもそれぞれに異なる資本主義を持っているんだそうだ。日本の資本主義は「日本型資本主義」と度々そう呼ばれてるやつだ。かつては「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界から賞賛され、嫉妬され、或いは「日本的経営」「金融社会主義」「日本株式会社」だの言われたやつだ。「日本では経済学、経営学は役に立たない」とまでいわれた所以のやつだ。
西欧資本主義ではプロテスタンティズムがそうであったといわれているように、日本には「日本資本主義の精神」が独自に存在するという。それは「見えざる原則」によるのだという。日本資本主義はこれで動いているのだとさ。

例えば、日本の雇用社会は「終身雇用制度」ということになっている。近年崩壊しつつあることも含め、多くの人が一応はそう認識してたはずだ。だけど不思議なことに、「終身雇用契約」というものは実際には存在しない。例えば採用面接の際に「貴社は終身雇用ですよねぇ?」なんて言ってみろ。ソッコー不採用ケッテーだ。「えー!終身雇用制度だと言いながら、終身雇用の契約は無いの??」と、外国人は不思議顔で質問するそうだ。僕ら日本人は「まあそうですねぇ」と答えるほかない。興味深い。よく考えてみると、「終身雇用制度」を基準に、出世戦争が存在し、入社戦争が存在し、大高中小の受験戦争が存在しているからだ。延々と敷かれている悪名高き脳死人生レールのピラミッドのその正体は、なんと実体の無い「終身雇用制度」に基づいていた。そうなんだよな。日本の資本主義は欧米のような「契約」ではなく、「慣習」に基づいているのだ。

就職は「雇用契約」である一方で、「企業神」をシンボルとした「共同体への加入」なのだという。日本の会社は、必ずしも「利潤追求」「労働力を提供して賃金を獲得する場所」ではなく、純粋な機能集団ではないという。それは、コミュニティーなのだ。正社員こそが血族のコミュニティーなのだ。故に「正当解雇」は「希望退職」なんだとさ。だから非正規社員は無権利状態のまま放置されてるわけなんだとさ。
「公共精神が無くなった」とか「地域の崩壊」とか言われる、あれ。政治家型無責任発言典型例の、あれ。そうなんだ。日本人の公共は「企業神」の方だったのだ。会社という共同体維持のためにはいくらだって奉仕する人間が、自分の属する共同体(社会とか地域とか家族とか)にはまるで無関心なのは、企業入社こそが擬制の血縁集団への加入だったからなのだと。年功序列。終身雇用。福利厚生。アフター5。系列。談合。これら日本特有といわれる企業社会特有の単語群は、そこからきてるのか。わからん。
この国は、馴れ合いとしがらみと慣習が、資本主義の基本である「個人」をも、ときに凌駕してるのか。

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