マンガ少年
2006年7月14日部屋の掃除してます。
おっきな収納ケースを使って、とりわけマンガ本の整理をした。手塚治虫だけで結構あった。
間違いなくこれらのマンガたちは、僕の人格形成に寄与したのだろう。僕はマンガ少年だった。
マンガがなかったら、生きてこれなかったな。
本棚の奥からコロコロコミックが出てきた。このマンガ雑誌は僕にとって、ドラえもんが全てだった。藤子F先生が死んで、僕のコロコロコミック時代は終わったのだ。
もうあの頃のように、ただ先が読みたくてドキドキしてたり、マンガに生かされていたような感覚は戻らないんだろうな。大人たちの周りにはいくらでも娯楽消費が存在してるからだ。
でも、そういう部分なんだろうな。マンガのこっち側にあるものってのは。
だから僕はマンガを描いていたんだと思う。
「マンガなんてもの」に没頭するために。
子どもで在り続けるために。
かつて「誰しもが大人になる、そんなもんです」などと聞かされてから、もう10年くらい経った。変わったものはたくさんあるけれど、僕はいまそんなふうに、「誰しも」的には大人になっていないと思う。
いつか、何かを、どのように、「わかる」ために? 大人になるの? それも示されないままに。結局の所、あやふやで、言葉に出来ないもどかしさと、決定的に矛盾なところがあったんだろう。自然の法則なんてとっくに通用しないんだ。
かつて、戦争や経済が弱肉強食自然の理だとか言うのなら、人類はそんなもの既に超越してるのだから、そりゃないぜと思ったことがあった。そしてそんなマンガを描いたことがある。「戦争」と「経済」を、それこそ力によって、ぶっ潰しに来る男の物語だった。
いま思うと、何が変わることを信じてたのだろう? 僕や、彼や、あの人たちも、同様に。何をもってそんなことを言ったのだろう。
大人へのなり方がわかった今。
そのなり方では決してなることのできない大人になろうと思っている。
今尚僕はマンガがすきだ。支出のほとんどはビールとマンガなのです。
今日の栃東
○ 稀勢の里(押し出し)6勝
おっきな収納ケースを使って、とりわけマンガ本の整理をした。手塚治虫だけで結構あった。
間違いなくこれらのマンガたちは、僕の人格形成に寄与したのだろう。僕はマンガ少年だった。
マンガがなかったら、生きてこれなかったな。
本棚の奥からコロコロコミックが出てきた。このマンガ雑誌は僕にとって、ドラえもんが全てだった。藤子F先生が死んで、僕のコロコロコミック時代は終わったのだ。
もうあの頃のように、ただ先が読みたくてドキドキしてたり、マンガに生かされていたような感覚は戻らないんだろうな。大人たちの周りにはいくらでも娯楽消費が存在してるからだ。
でも、そういう部分なんだろうな。マンガのこっち側にあるものってのは。
だから僕はマンガを描いていたんだと思う。
「マンガなんてもの」に没頭するために。
子どもで在り続けるために。
かつて「誰しもが大人になる、そんなもんです」などと聞かされてから、もう10年くらい経った。変わったものはたくさんあるけれど、僕はいまそんなふうに、「誰しも」的には大人になっていないと思う。
いつか、何かを、どのように、「わかる」ために? 大人になるの? それも示されないままに。結局の所、あやふやで、言葉に出来ないもどかしさと、決定的に矛盾なところがあったんだろう。自然の法則なんてとっくに通用しないんだ。
かつて、戦争や経済が弱肉強食自然の理だとか言うのなら、人類はそんなもの既に超越してるのだから、そりゃないぜと思ったことがあった。そしてそんなマンガを描いたことがある。「戦争」と「経済」を、それこそ力によって、ぶっ潰しに来る男の物語だった。
いま思うと、何が変わることを信じてたのだろう? 僕や、彼や、あの人たちも、同様に。何をもってそんなことを言ったのだろう。
大人へのなり方がわかった今。
そのなり方では決してなることのできない大人になろうと思っている。
今尚僕はマンガがすきだ。支出のほとんどはビールとマンガなのです。
今日の栃東
○ 稀勢の里(押し出し)6勝
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