斎藤貴男『安心のファシズム』。
頷くところはあったけど、ピンとこなかったという感じもあるまま、読み終わった。
きっと筆者の立場もあるのだろう。
斎藤貴男氏は新聞等でよく記事を見かけますが、書き下ろしならこれくらいで充分彼らしいのだとも思う。
読書ばっかして、勉強が遅れに遅れている。やっぱりダメ人間だあ。
良くも悪くも「自由」の拡大。不安定社会の拡大。
恐るべき自由の中で、人々は「安心」というファシズムに走るのだと。
弱い者が、自分より弱い者を叩き「安心」し、また、弱い者を養護する者を叩いて「安心」する。
煽られ、拡大させられた「不安」に対し、なすすべ無く人々は「安心」へ走るためにファシズムを選ぶ。
僕らは「不安」と闘わされ、「安心」に殺されてるようなものだわな。
ちっぽけな消費者自由と引き替えに、僕らは他の多くの自由を支配者サイドに差し出してしまった。
競争を強いられ、或いは諦めさせられ、常に何者かに脅えていなければならない日常は、しかし辛うじてちっぽけな自由で息をさせてくれてるのかもしれない。殺されながら平和であり、管理と支配が心落ち着く秩序なのだ。
人々は「不安」に脅え、「安心」へ狂う。
逆に考えれば、「安心」するためには人々は何だってやるということか。教育産業で働いてると、少子化のくせにこれほど教育エゴ熱の高まっている時代はないと感じる。教育ほど不確実な「安心」を売る商売は無いからな。
僕が詐欺師なら、間違いなくそこを狙う。人々の「安心」を狙い撃つ。
そして実際やられてるわけか。
まあなんにせよ、どうしたって僕はファシズムに排除される側だろうと思う。
そもそもファシズムってやつがどんなものなのか、僕はよくわからない。
だから恐い。今がそうなのかもしれないから。
思考停止こそがこの国の国民らしさなのか。
無為にそいつと闘った、僕の負けなのか。
民主主義において人々が選択した社会と政治。その暴走は、最も愚かで恐ろしく、この世で最大の怪物なのかもしれない。
頷くところはあったけど、ピンとこなかったという感じもあるまま、読み終わった。
きっと筆者の立場もあるのだろう。
斎藤貴男氏は新聞等でよく記事を見かけますが、書き下ろしならこれくらいで充分彼らしいのだとも思う。
読書ばっかして、勉強が遅れに遅れている。やっぱりダメ人間だあ。
良くも悪くも「自由」の拡大。不安定社会の拡大。
恐るべき自由の中で、人々は「安心」というファシズムに走るのだと。
弱い者が、自分より弱い者を叩き「安心」し、また、弱い者を養護する者を叩いて「安心」する。
煽られ、拡大させられた「不安」に対し、なすすべ無く人々は「安心」へ走るためにファシズムを選ぶ。
僕らは「不安」と闘わされ、「安心」に殺されてるようなものだわな。
ちっぽけな消費者自由と引き替えに、僕らは他の多くの自由を支配者サイドに差し出してしまった。
競争を強いられ、或いは諦めさせられ、常に何者かに脅えていなければならない日常は、しかし辛うじてちっぽけな自由で息をさせてくれてるのかもしれない。殺されながら平和であり、管理と支配が心落ち着く秩序なのだ。
人々は「不安」に脅え、「安心」へ狂う。
逆に考えれば、「安心」するためには人々は何だってやるということか。教育産業で働いてると、少子化のくせにこれほど教育エゴ熱の高まっている時代はないと感じる。教育ほど不確実な「安心」を売る商売は無いからな。
僕が詐欺師なら、間違いなくそこを狙う。人々の「安心」を狙い撃つ。
そして実際やられてるわけか。
まあなんにせよ、どうしたって僕はファシズムに排除される側だろうと思う。
そもそもファシズムってやつがどんなものなのか、僕はよくわからない。
だから恐い。今がそうなのかもしれないから。
思考停止こそがこの国の国民らしさなのか。
無為にそいつと闘った、僕の負けなのか。
民主主義において人々が選択した社会と政治。その暴走は、最も愚かで恐ろしく、この世で最大の怪物なのかもしれない。
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