takebonoのこころ

2006年8月24日 読書
昨日の「こころ」が頭を離れない。何かがグシャッときた感じ。

人は。どんなときも。それぞれの偶然や奇跡に。生かされているのかな。
ならば。
どんな人もそれぞれの偶然や奇跡に。死にうる瞬間をも秘めているのかな。

その人のコアのようなもの。
僕ならばそれはソウル。
それが大事なんだな。たぶん。なによりも。
希望、かもしれない。

たぶん。
手に入れたい、という願いよりも。
失いたくない、という思いの方が。圧倒的に強く。重い。
それを手に入れた瞬間から。それは失う不幸を内在する。
守らなければならない苦しみを生む。
誰かや何かのために生きることになったとき。
生が、自分と乖離するんだな。
死ねなくなることで、生きていけるのだ。
地上に生をとどめておくための。
希望の鎖。

だから。
僕が思う「不幸」とは。
「本当は手に入れたくもなかったもの」を「手に入れてしまった」こと、だと思う。
これしかない。

「手に入れてしまったもの」を「失えない」ために。
自分も他人も傷つけなきゃなんない。そんなことしておきながら。
後悔なんかしてみたり。
「本当」を恐れて、そっと振り返ってみたり。なんて。
哀しいことだと思うばかりだ。

最近思う。いや前からも思う。
僕らを動かしていたものも、また誰かや何かに動かされていたことをだ。
僕らを操っていたものも、また何かに操られていた。
僕らの世界は誰かが用意したもので、その誰かもまた何かに世界を用意されていた。
最初っから。バーチャルこそ秩序だった。その向こうに。

ただ経済があるだけだった。
だだっぴろく。経済が。

僕を殺そうとした人も、いずれ誰かや何かに殺されるだろう。
僕を生かしてくれた人も、誰かや何かによって生かされている。
僕は、僕が愛する人たちが、誰かによって愛されることを。願ってやまない。

剥き出しで、其所に在った、誰にも語れやしない「こころ」に感謝する。
「先生」も「K」も、きっと。
そのような「こころ」に触れて死んだのだと思う。

僕のこころは。
結局は僕にしかわからない。
でも伝えることはできるのかもしれない。
遺書なんかではなく。
takebonoの言葉で。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索