夏の或る一日

2006年9月2日
夏の或る一日
昼間はNっちゃんと、川を越えて市川の方までいきました。東京を数?離れただけでこんなにもロストワールドが広がるとは思わなかったな。
写真は市川側の土手沿い。
夏も終わりに近づいて。
それでも夏なんだなあ。

夜は地域ゴミュニティーで飲みっ。
大すきな飲みっ!

MM氏、先日の大暴走を悪びれる様子無しっ。うーん制裁決定ッッ。
N先生がきてたら面白かっただろうなあ。うーんどうかなぁ。
そして楽しみにしてたN先生イチオシのKT氏は、うんやっぱりおもしろかったー。なるほどな、と。N先生は見る目があったな。久しぶりにマイソウルをかすめた逸材だと思ったぞ。なるほどな、と。 そう、うん、僕にはわかったぞ。なんでN先生が彼と僕を出会わせてくれたのかがね。KTさんと話せば話すほど――。それも僕にしかわからないんだろうな。
それは、奇跡に価値を、つけたくなるほどのソウル。
うれしくなるね。

多少酔ってたんだろうけど、KT氏と、O君をまじえて色々語りました。
二人の言葉、そのどちらにも共感した。その通り、なんだよな。こんな時と場所でこんないい語り合いに出会えるとは思わなかった。
思えば。かつて。
「語る」必要を認めなかったり。
台本同士をぶつけ合うような言葉遊びが空中戦を展開したりして。
僕は、ただ「人が人と話すこと」が、これほど難しいことなのかと、悪戦苦闘したこともあったけれど。
だけどいいかげんいまは人をもっと信じれてるよ。
こうゆう語り合いだって、人はすることができるンだから。
心の無い言葉は、響かないはずなのさ。ね、MM氏。
最後には、手を繋ぐために、言葉を発すのだと、思ってるから。
だから。
「僕にはわかっている」と言ってくれたO君が、すんごく誇らしかった。
そして。
「わからない」と言ってくれたKTさんが、すんごく嬉しかった。

自分にとってのその人の、精一杯の「生」を。
ただ認め、優しく見守ってやりたい。

その立場に立つ限り、僕は僕以外では在りえないのだろう。

新興宗教にも。
馴れ合いボランティア集団にも。
トレンドにさえも。
絶対に絶対に絶対負けやしない。
一人一人が自分の力で考え、一人一人と話し合い、一人一人を大切にしながら、共に時代を生き抜こうとしていくための、コミュニティーなんだ。
自分の生き方を、自分の力で考えようとすること。その過程で人と話そうとすること。本当は、自分の言葉で、自分の考えを伝えるために、そのためにこそ、あるんだよな。

僕は。
一人では無力だと思ったから。
僕は、一人では何一つ気付けないのだと思ったその瞬間から。
仲間が必要なのだと、初めて思ったんだ。
それが僕の、何かを誰かに伝えようとする意味なんだ。

KTさんの気持ち、わかる、気がする。僕もそんなんだった。
だから君はそんな君だったんだね。
君は僕に共感させるほど、良い奴だったんだな。

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