正高信男『ケータイを持ったサル』

面白くもなかった。
僕は大学の学部ではこうゆう類の本ばかり読まされたな。
わかる部分もある気はしても、結局「そんなこといわれてもね」だ。

こないだ早朝5時半に目が覚めてTVで景気ニュース観た。政府お抱えの経済専門家がとんでもないことを言ってた。経済は「社会問題」嘆き憂い芝居なんかよりよっぽど現実に正直で魅力的だ。

僕がいた学部で、僕らが学んできたことに、わかっちゃいたけどガックリくる。だから僕は今度あのM教授に会いにゆこうと思う。悪いけど、ソウルだ。学部時代、M教授に取り入る奴らが多すぎて、はっきり言えばみんなうざかった。僕はエセインテリぶるのが嫌だった。M教授に取り入ってた奴ら、あいつら、結局誰もが今は市場経済に追われて目をモノクロにさせてるんだろうさ。わかっていながらさ。なぁみんなはさあ、なんのために、M教授が僕らに伝えようとしたことを聞いてたんだよぉって。僕は思うんだよ。
理想を語ることは素晴らしいけれど。だからそれ故に決して綺麗事では済まされなかったはずだ。綺麗事ではないから、持ち続けなければならなかったはずだ。

本の内容は、要するに「若者」批判だった。
母子密着型育児と、同調・協調性育成型教育で、あと消費文化の低年齢化がきてたりして、結果子どもを甘やかして育ててしまった、というやつ。
「傍若無人でコミュニケーションがとれない若者が増え」ていて、「人間らしさを失ったサルに退化している」というわけですね。
MM氏読んだらぶっちぎれそうな本だな。

サル研究がまず無理矢理だからピンと来ない。
「子ども中心主義」の批判はいつもこんな感じじゃないかと思う。だけど僕は、これまで子どもが中心だったことなんか実際あるの?って思うから。ホントうそこけって。いつだって教育側の惰性とエゴだったぞ教育は。
takebono家は、消費文化の商品なんかは、ほとんど何一つ買い与えられなかったけれど、両親はいつも僕を中心に置いてくれた。
そして僕は出来損なったのか?
この社会で一体誰が「人間らしい」のか?

いまや現状をもっと突き詰めた本がたくさんあるから。
でもまぁ大人が「若者」とか使っちゃうとき、一番最初に思うことなんかもしれないな。「サルじゃん」ってのは。
そしてサルは言うだろう。
お前ら愚かな人間ども、みんなくたばってしまえ、と。

進化して人間になろうが。退化してサルになろうが。
ろくなことしなければそれは全部ろくでもない。

サルを見て、人間の愚かさを感じやしないかね。

コメント

nophoto
ランディ・サベージ・たけなつ
2006年9月15日1:09

ふざけーるなと言ってやりましょう(by辻)

mura
mura
2006年9月15日9:39

たけなっつぁんは100%身内ネタやん。
他の人が見たら荒らしかと思われるやろ!(笑)

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