THA WORKING POOR

2007年5月9日 読書
『ワーキング・プア―アメリカの下層社会』デイヴィッド K.シプラー(著), 森岡孝二(翻訳)

最近いろんな所で度々耳にするのが「格差」や「ワーキング・プア」。そうゆうタイトルの本もたくさん見かけるようになった。日本もいよいよ危険で不安定な時代に突入しようとしているらしい。
これからの日本がたどる道。おそらくその元祖。それがアメリカ。

この本では、元祖ワーキングプア大国アメリカの、その社会の実態がレポートされている。いくら必死に一生懸命働いても、生活保護ラインギリギリの生活を抜け出せない貧困層といわれるワープアは、実際こんなふうに、アメリカの後を追うように、日本でも増加してゆくんだろうなと思った。
世界一豊かな超大国は、一方で凄まじい数の貧困層を抱える国でもある。また、当然この国の労働社会は日本以上にシビアであり残酷な一面も持ち、その絶望の大きさに比べて希望があまりにも少ないように僕には思えた。

読み終えて、僕はまずタメイキ。そして、まだまだ日本は良い国なのではないかと思った。それほど酷いと思った、このアメリカの底辺ってやつは。
貧しい者が更に追い込まれるようにできてる。市場原理があまりにも優先されすぎてる。セーフティネットを行き渡らせる努力がなさすぎてる。矛盾を諦めた絶望色のPOOR。

どうしてもどうしても、「恵まれている」かどうか、にかかってくるよね。
五体満足で健康であること。両親が健在であること。兄弟姉妹がいること。持ち家があること。学校に通わせてもらえたかどうかということ。
一見当たり前で普通の環境がいかに奇跡的でかけがえがないのかということを再認識する。

運不運が公平ならば、「恵まれている」層はたとえ何か不幸なことが起きたときでもその傷が浅く、「恵まれている」ものの大きさに比例して、結局は救われうるのだ。
しかし「恵まれていない」層は、同じように何か不幸なことが起きたとき、大ダメージを受け、即座にピンチに陥ってしまう。
リストラされたとき、再就職のための学歴やスキルや資格や教養の差。
子どもができたとき、託児先や子育ての助言や支援のコミュニティーの差。
住宅環境の差。教育環境の差。
急な出費のとき、預貯金の差。
いざというとき、頼れる先の数の差。
あらゆるストレスへの精神的余裕度の差。
そして、「恵まれない」環境で経過する時間こそが、更にその差を維持し、また拡大を加速させてゆく。

豊かな国の貧困問題は多様で複雑だ。或る「恵まれない」部分が、別の「恵まれない」部分と複雑に絡みつき、潜在的な貧困を顕在化させる要因に繋がってゆく。「恵まれない」層は、恵まれている層に比べ、あまりにも不測の事態に弱く、世間の荒波に脆く、社会の底辺に沈みやすい。豊かな国の貧困問題において、配慮されにくい不幸な部分がこれだ。

少なくとも、ワーキングプアに対して何か言えるのなら、
あらゆる人に健康で教養のある両親や兄弟姉妹を、確かな不動産を、質の高い学校教育や職業訓練を、頼れる友達を、住宅やコミュニティーを、精神的余裕を、あまねく与えたまへ、なのだ。
筆者のいうように、保守にもリベラルにも扱いにくい部分がこれだと思った。

アメリカ庶民の実態に、ジャーナリストが深く細かく踏み込んだ、とてもよいルポルタージュでした。

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