終戦記念日の朝、広島を後にする。山陽本線を東へ戻る。旅もいよいよ帰り道だ。岡山、神戸と突っ走る。鳥取にも行きたかったんだけどもう疲れちまった。
旅先では会えなかったM君と連絡がつき、明後日の八王子で飲む約束をした。しかしBちゃんとはとうとう連絡がとれなかったな。
京都のビジネスホテルに宿をとる。これまでで一番高いホテルだ。すっごい高級感。従業員がほとんどいないし、ほとんどが全自動なの。初めてカードのルームキーってやつを使った。最初使い方がようわからんくて、なんか5分くらい部屋のドアが開けられなかった。だめね放浪者は、ホテルなんか使っちゃあ。 だから、今回の旅は全体的に「観光」の域を出なかった感じがする。やはりお土産は帰る直前に買うものだと思った。本来、軽装備でリュックに全部詰め込んで、駅や駐車場で野宿し、自分の行きたい所に勝手に向かうものなんだろうな旅ってやつは。各地の観光名所をまわり、名物を食べ、お土産を買い、交通機関やらコインロッカーやら、およそ観光産業の全てに対して、僕の手持ち金が吐き出されてゆく感覚が、旅の終わり頃からいい加減に醜悪な心地を伴うようになってきたのだ。放浪者に優しいコンビニの便利なサービスを受容しておいて、僕はしかしそれが腹立たしくて仕方がなかった。

SJがブログ見てくれたって、あと色々長いメールをくれた。SJも自分の在るべき場所で懸命に生きようとしてるんだなって思った。そんなSJに対し、本当にかけるべき言葉なんてすぐには考えつかないのだけど、でも、全く違う道を歩き尚、しかし君がピンチの時にはやはり僕は駆けつけるんだろうな。SJよ、見てるか?僕らがいたあの時代からもう何年か経って、少なくとも今のtakebonoは、誰かにとってのちっぽけな希望になることが出来ているみたいなんだ。今は自分が自分に基づいてる。T秋が言ってたね。「自分で在れ」と。その「自分」ってやつと、「社会」が認めときにニーズとする(それもまた)「自分」ってやつが、そのバランスに、死ぬほど苦しめられてきたけどさ、大学入って色々なこと考えたり本読んだり、とんでもなく素敵な連中に出会ったりしてな、だんだん輝いていったんだtakebonoは。自分で在ろうとするエネルギーはときに、自分を変えることなく自分を強くするんだってこと。だから結局変わってねえんだし変わったんだよ。俗にいう「自分探し」だったんかもしんないけど、今の僕は、あの頃大嫌いだった「自分」とたぶん同じ「自分」を誇りにしてるんだわ。だから楽しいぜ、今は、何もかもがさ。 SJ、あの頃は君にも迷惑かけたね。一時期、生きてるのが嫌でそれでも死ねなくて、君に依ってたような時もあった。恋だの友情だのそんな戯言に吐き気を催しながらね。だけど、周りの連中みんな死ねばいいと思ってたけど、君だけは生きててほしいと思ってたっけ。そんな僕も死んでいいんだと思ってた。馴れ合いとかじゃねえ。ただあの頃のtakebonoを知ってくれているのはたぶん君だけなんだ。ただそんなことが、ふと懐かしくなるときもあるんよねやっぱり。あんな、どうしようもない時代だったけど、今の僕を創ってくれたのか。だから優しく静かに閉めておこうと思ってんのさ。愚かだろ。 …精一杯考えてここまで書いたわ。いつかでいい。何のしがらみもなく、そしてtakebonoがもう少しだけ輝くようになったとき、外国のビールか何かで君と飲みたいぜSJ。いつかはまた会えるだろ。君の人生の新しい活躍を祈ってるよ。

夜は京都駅周辺を散歩した。多くの人が駅に寝ていた。僕も本来ああすべきだったのだろうな。軽く雨が降ってきた京都の夜空に、今年も終戦記念日の願いをかけた。どうか世界が平和になりますように。旅も終わりだな。こんな夏ももう終わりなのだろう。
−つづく−

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