何回も、
何回も何回も、
沸き上がる思い。

僕の思ったとおり。
やっぱりこれが、
なんやよくわからんが、
向かうことなんだろうさ。


わっ

2010年4月29日 ひとりごと
才能含めた能力でもあり、経験値からの技術でもある。
まちがいなくそういうものだし、僕はそういうふうに扱っているし、そんなふうに扱ってるから保たれるということもわかる。

気を遣ってるから成り立っているものは、それはそれで合理的な場所で必要とされていて。
辟易するほど誠実に遵守していてもう結構なくらいなのだから。

だからせめてそんな場所じゃなく自由意志で集まったのなら、
せめて友達なのだから、
笑い転げ合うことができるのだから、
本当のとこはどうなのよ、ねえっ、てのを、
WAなんて無視して、語り合いたいのにな。


気を遣ってるから成り立ってんのにな、ってのがやっぱどっかにある以上、
すべからく当たり障り無くなるから、時間がもったいなくなるんだな。

不毛な部分でマジになって、大事な部分をナアナアにして、
つまらないだけだと思う。

そんなもののための力や技術じゃない。
たのしくないのはほんと嫌い。

思春期だね。
端から見ればね。

しょーもないアイデンティティであっても、
どんだけ現実と、無理なく共存させられるかだよね。

いまの自分が、ほんの少し前の自分にとっては信じられなかっただろうと思うように。
ほんの少し前の自分は、またその前の自分にとって信じられなかっただろうと思う。

ちっぽけな真理の城が、現実の前に崩れる典型。

かえりみるには遅かったよね。
もちろん遅すぎることはないけど。

現実と併存できるだけのアイデンティティづくりで。
かっこつけなくてもそれで充分ですよ。
しょせん誰も見ちゃいないから。


体感するG

2009年12月25日 ひとりごと
決してありがたくはない現実が、
僕を攻撃に駆り立てる

それでもときどき、
守りに入りたくなる瞬間に

もう少しだけの声がする

わかっていないはずはない
気付いていないわけがない

絶対に引き戻される
振り切ることは叶わない

だけど
Gがあるから飛ぼうとする

間違っていても、止まらない


向き合わなければならないからこそ、向き合いたくないのが現実てやつじゃないか。
それは僕にとって宿命のようにそこにあった。
くだらないことを言いたくもなくなったとき、くだらないことを聞きたくもなくなっていた。
なにを発しようが論じようが証明しようが、自由と名付けられ放置されるだけだ。異臭を放ちはじめる頃になって初めて嫌な顔をされ避けられるようになるだけだった。

意味もなく肯定されにゆくだけの場所も、
不毛に否定されるだけの場所も、
しかたなく必要とするだけのくだらなさなのだと思うだけだった。

たたきのめされたい。
いつかたたきのめすためにこそ。

現実を初めて前方に見すえた。
僕は僕の現実を、こんなふうに生きる資格があったのだ。

ひとときの勝利の美酒に酔う。
自分の在り方がどれほどのものなのか。
何が応えてくれるのか。
何一つわからなくても、
現実が答えを出してくれる。
始まったばかりの武者震いが、モチベーションをつくってる。
僕は知らぬ間に、自分でも気付かぬうちに、
ひとつずつ、しょーもない自分に勝っていた。


動いてみたことによって、いろんなことに思い至った。
同じようなことを考えた奴は山ほどいるのだろうけど、
やはり同じように、
考えたとゆうだけで終わることなのだろうかと。

山ほど存在するアイデアと、
同じ数だけの、放置物。

動かすということは、
動くということは、
ちっぽけな意地やアイデンティティのキープなんかでは、とてもエネルギーになんかならなくて。

いずれ誰しも、大切なもののために、線を引くのだと思う。
切れないからこそ、切らないためにこそ、線を引くのだと思う。

動かされたものをまだ覚えているから、
こんなイラつきそうな皮肉みたいなことをわざわざ考えちゃうのかもしれません。

なにかしら本質を求める自分自身こそを、現実等身大で客観的にみることができたら、
自負が生まれそうな気がする。
恐れていたつまらなさなんか全然なくて。
いいかげんおもしろさの段階を上げてゆくことなんでしょう。

読みたかった本を読めること。
観たかった映画を見れること。
行きたかった所へ行けること。
学びたかったことを学べること。
飲みたかった奴と飲めること。
話したかったひとと話せること。

時間なんていくらあっても足りやしないな。
限りはあるのだ。
その中で、
思う存分に、
生き尽くすすべこそを、
探していたりしたのだ。


長かった闘いに終止符。
こんな自分が、こんな自分のまま、
自分で決めることができた道をゆく。
その鼓動のまま、立ち止まれもせずにゆく。

いつの頃か、神に願ったこと。
いつの頃か、運命に感謝したこと。

とりかえもきかぬ、
とりかえしようもなき、
まごうことなき我がこころ。

死ぬまで背負うことになるものを、
ただ生きるだけの強さに変えながら。

僕は僕に誓ったものを、
まなざしながらいくだけですよ。

向き合いたくなくても、向き合わなきゃならないものが。
人が人と人についての何を理解り合ってるというのか。
意味がわからなくても不思議ではなく、人には様々な理由があることくらい普通に。
発した言葉に振り回されて。残した言葉に引きずられて。
言葉を攻撃するだけの言葉と、言葉を守るだけの言葉では、
人の気持ちをおもんばかることなく、伝える力は生まれない。
向き合うことなく伝わるものは、恐怖と誤解と、焦燥ばかりだろう。

でも僕は信じてたりね。
人が、人の、弱さを越えるだけの、強さを。

向き合うこと以外にはありえなかった。

ことば

2009年5月13日 ひとりごと
伝えたいと思ったときに、
伝わるようにがんばればいい。

自分の中の大切な思い。
言葉にすることはなくても、
それが素敵だということを知ってる。

言葉を獲得する過程で、
説明のつくことは増えても、
表現することは増えても、
言葉にならない気持ちはなくならない。

言葉にできる喜びと同様に、
それもまた素敵なことだったのだ。

R-E

2009年4月20日 ひとりごと
違いを認め合うこと、が、

もはや僕の中で、王道となった。尊重するということ。

お互いがお互いの正しさを持ってることなんて、前提なのだ。
無理に馴れ合うことも、
違う、ことを理由に閉め出すことも、
自ら垣根をつくってて、つまらないのだ。

何かが同じだからといって、必要以上に群れることや、
理解し合ってる気になって、その場だけ盛り上がることが、
オエッてしちゃうんだ、昔から。

都合の良い言葉なんていくらでもつくれる。
表面上の和なんて、テクニックなのだ。

現実経済社会の下で、どうしたって現れる、なあなあでは済まされないリアルがあるのだから、
せめて優しいコミュニテイーの中では、人間の人間たる機微のようなものとして、違いなどいくらでも尊重できると思うのだ。

大切なものを奪われずにすむのだと思った、あのときの、あの希望のような安堵。
世界は、僕が思っているよりも果てしなくて、
人は、僕が思っているよりもずっと多様で、
みんなみんなそれらは、もっと厳しくもっと残酷で、もっと素晴らしく多様で複雑だったのだから。

敬意を表して生きている。
だからこんな自分で在れる。
僕を知る人にそう伝える。
いまある言葉を駆使しての空虚だけれどそれは根拠だと。
伝わることとはまた別だけれど。

どーしよーもない奴っていますよ。
話し合うことができないんだよね。
要領とテクニックと相性やね。
目をつけられると最悪。
無視するわけにもいかんし、へりくだるのが最善。

カンブリアはしょーもないわ。


takebonoは少年時代に幾度となく大人たちに言われました「やる気あんの?」って。
あるって言ったら怒られて、
ないって言ったらブチキレられるのです。

で、やる気はゼロなんだけど、やる気あるフリをするの。
そしたらそいつは満足するの。
しょーもないって言っててもしょーもないの。
結局、そーゆうもんで回転してるとこには、そーゆうもんで対応するのが、大人だとか割り切りだとかいうやつなの。正しくも正しくなくもなく、そーゆうもんでただ回転してるだけなの。そーゆうものじゃなく回転してる世界があるのと同じように。
そーゆうもんじゃなければ回転しないのなら、くだらなくても良いとさえ思うの。

理在

2009年4月9日 ひとりごと
中途半端な理なら、無いほうが素敵。
あんなにくうだらねえと思っていた社会学のほうが、ずっと理があるように見えるから。

個人てのはそんなもんじゃねーだろう。
そいつにしか存在しないもので生きることができるっつうことを、僕は見てきたのだ。

綺麗事に向き合ってみても、そいつは現実じゃなかったことを。
弱者の愚かさや醜さやどーしょーもなさを。
等身大を生きることを。

心の重みを知っている。
だからこんなこと主張するわけもない。

かつてはできた、論じるだけ論じれちゃうことに対して、
いまはカラッポ。価値を感じない。
語るよりも、生きる方が先だからかな。
忘れえない日々が続く。
後にこの時代のできごとを思い出したりするのだろうか。

机上の限界を知る。
だからこそ机上の知識の不可欠さを知る。
知識を知識として認めることを知る。

全ては現実に向かうためのもの。
見えてくるものを変えるため。

知は力だよ。すばらしいよね。

置き場所

2009年2月26日 ひとりごと
ほんと何年ぶりかにペンを取った。
インクが滲むのはなんでだ。
トーンを引っ張り出してきてキリハリしてみた。

昔はこんなことを延々とやってたんや。すっげよな。
上手く描くことをやめれば、表現したいものまだまだあるかもしれないのだけど。

やりたかったことを次から次へやり遂げ続けて、
それでもまだ、あとからあとから溢れ出るように、やりたいことってやつが生まれてくる。

やりたくてしかたがないことができても、多少諦めなきゃならないような制約がついてまわるようになるまで、あとどれくらい時間は残されてるのか、わからんけど。

確実に、いましかないだろってこと。
いましかないやろ。なにかやるんなら。

一日一日を、
一回一回取り組んでいる出来事を、
もう二度と取り戻せない取り返しのつかないものとして、
感謝して大切に大切に取り組んでいます。

いま過ごす時間で
一人の友達との食事も
一冊の本も
数時間の集まりも
この時代が過ぎたあとでもう一度、やはりかけがえがなかったと思うんでしょう。

動力

2009年2月19日 ひとりごと
もう少し、場外戦のようなもんだと思うん。
リング上で正しくても。
伝わらないんじゃなかろうか。

えてして、安易につまらないものにやられてくんじゃないか。
内面とゆうの果てしなさとりとめの無さは、本質的故に、何も動きうるものがなくなるんじゃないか。

自分で自分の人生を自分が生きてることに、重みを感じてないのかな。
ぶちやぶらせていいんだよ。


虚空

2008年12月7日 ひとりごと
バーミヤンで勉強してました。

MTR氏の家が目の前なのでお茶にさそった。
やっぱり元気なかった。
電池切れみたいに。

なにか言えちゃうのもいやんなる。
どーすればいいというのでしょうか。


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