僕たちは秋にHの大学に集った。冬に都内の大学間で連携するイベントのためだった。その企画自体は大規模で面白いもので、大学生活において貴重な思い出となった。僕はスタッフとして参加し、Hはリーダーとして苦しみ抜き、イベントを大成功に終わらせた。イベントの最中、Hは僕にぼそっと言った。
「おれは今回のこの企画が終わったら、ある賭けに出ようと思ってるんだ」

いま思うと陳腐なものだったが、あのスタイルはその後の僕に多少影響を与えたように思う。しかし、その「賭け」がどうなったのかを知らないまま、僕たちはそれ以来会うこともなく、あっという間に1年ほどが過ぎていった。

ある日、大学の7限の講義が終わって帰り際の教室でケータイが鳴った。着信画面を見たら奴だった。慌てて電話に出て「久しぶりじゃんH!」と僕が言おうとする前に、
「takebonoくん? あのさァ、旅に出たくない?」
と、懐かしいHの声が耳に入った。
「ハァ!?」と、僕は呻いた。
「おれさー、いま映画監督と飲んでるんだ。監督と一緒に今度世界の国々をみて回ってくるんだ。takebonoくんも一緒にどうかなーと思ってさ!」

電話を切ってしばし僕はボーっとした。あいつは世界か。すごいなと。
ふと顔を上げたらBちゃんがキレてた。「人と話してるときってさ、フツー何かしら断ってから電話とるもンじゃない?」とBちゃんは言った。
ゴモットモ。そういえばBちゃんと何話してたんだっけ僕は、とそこで気が付き。
全然頭に残ってなくて、「今何話してたっけ?」とか聞くとまたキレそうだったのでゴメンゴメンと即座に誤った。

Hいまなにしてんだろ。
「監督」とやらと世界を観て回れたんだろうか。
もしかしたら、と思う。
アイツは「賭け」に勝ったのかもしれない、と。

いろんなものを始めようとしていたお互いのあの頃の、Hと食って飲んだお好み焼きとビールの味が忘れられなくて、僕は広島に行ったときは必ずあの「お好み村」に寄る。
もしあなたが広島に行くことがあったら、具だくさんのお好み焼きを、火傷に気を付けながらガツガツ食ってビールを飲んで、広島市民球場でカープの応援をした後で、もう一度原爆ドームの前を歩いてみてはくれないか? 僕がHと汗を拭い語り合いながら歩いた道がそこにあるんだ。
あの頃は何かを始めたくて仕方がなかった。何が出来るのかもわからないのに、何かを始めたくて仕方がなかった。そんな二人が出会ったということ。そんな一つの奇跡から、僕は一つのことを確信したんだ。

求め続ければ、出会い続ける、ということ。

いくら熱く、いくらクールで、いくら他人から評価され誤解されようとも、結局は君は優しい人間だった気がするよ。
いつか会うだろう。外国かもしれないね。いやたぶん場末の飲み屋だろうね。せめてそのときまでブルーダークメモリとして残しておくよ。なーH。
【END】


市民球場なくなるなんて思いもしてなかった頃に書いた文章なんだな
こないだお好み焼き食べたときに、ふと胸に沸き起こるものがあった。
お好み焼きを食べるたびに思い出すのは、クールで熱かったあいつのこと。
takebonoくんよぅ、あの熱い夏のブルーダークメモリを憶えているかい?と、僕の耳には今でもとりわけ彼のクールな声が聞こえたりするのだ。
今回は熱い話。


Hに出会ったのは、僕が大学1年のときで、あのメチャクチャに暑く熱い夏の、広島だった。
あのときHは「お好み村」で、具がメチャメチャに入ったお好み焼きにかぶりつきながら、現代世界の地域紛争のことかなんかについて、友人と語り合っていた。隣のテーブルにいた僕はその話が何故だか妙に興味深くて、お好み焼きとビールジョッキ片手にあっさりその卓に移り、あっさり会話に紛れ込んで、これまたあっさりと僕らは友達になった。
Hは(おそらく)2歳年上の大学3年生で、茶髪にグラサンで不気味な目つきをした兄ちゃんだったけど、平和を愛する優しい男だった。指輪やら腕輪やらがジャラジャラで手首から先が重そうで、とんでもなくプライドを気にしつつもたまに自分を見失ったりもする男だった。

夜中にHの部屋に集まって少人数で議論したことがあって、某超有名大学のK君がHの安全保障論に噛み付いて空中戦になり、傍らにいたA君がウヘウヘと笑ってたことにHがキレて「おれが話してンだろがッッ!!」と枕をぶん投げて壁に叩き付けて一触即発になったことがあった。あのとき僕は「やめろやめろ!」と間に入って、ウンザリした。平和のための議論で戦争、バカみたいだと。
「Hと議論?やめた方がいいね」と誰かが言ってた理由がそのときやっと分かったわけだった。

僕が広島を発つ日、高速バスの発車時間ギリギリまで僕らは二人で飲んでいた。僕らは本当にいろんなことを語り合った。まるで昔からお互いを知っていたみたいに、それは穏やかで激しくて多様で熱く厚く深い会話だった。
昔マンガを描いてたんだよ、と僕が言ったとき、彼はジョッキのビールを飲み干してから言った。
「じゃあtakebonoくんはさ、『ナニワ金融道』読んだ? おれの部屋に全巻あるんだけどさ、今度貸してあげるよ。おれいま経済学部なんだけど、学部選んだのは、アレ読んでから世の中への考え方が少し変わったからなんだよね」

そして僕らは路面電車に乗っている間も語り続け、広島駅の高速バスターミナルで、
「東京で会おうや」と、握手をして別れた。

会えるわけねーよなーと思ってたら、Hは本当に東京の某有名大学の学生だったわけで、その数ヶ月後には僕らは実際に新宿で再会して飲んだ。
Hはそこで、僕にある学生イベント企画の話をした。夏にも聞いたことはあったけど、ハッタリだと思ってたし、企画倒れが常の学生イベントだからどうだかなァと思ってたけど、Hは真剣だったんだ。
それはHが指揮をとり行う、T大とH大とM大とW大と…あらゆるHの人脈を駆使するアングラのインカレのようなビッグイベントだった。
takebonoくんの大学にはおれの人脈が薄いから、手伝ってくれないか?とHは言った。
夏のときを遙かに超える数乱立するビールのジョッキの隙間をぬって、何かを繋げるように、僕らは再び握手をした。
【つづく】


2年も残してたブルダクメモリ。
どうでもいいブルーダークメモリィというのは、実にどうでもいいときに限って呼び起こされるものだとは思わないか? でもそれは、本当は、どれくらいどうでもいいものなのだろう?

こないだ風邪をひいたとき、我が家の夕飯は煮込みおでんだった。前の日に僕がおでん鍋に入れることを提案してたために大量に入ってたジャガイモは結構な好評で、僕が風邪をひいてる間に食い尽くされてしまった。朦朧としながらも僕は残念でならなくて、そして或る記憶を思い出したのだ。
思い出というものは、言葉にならないものだと思っている。
それは記憶のようであり、残留思念だ。
世界が意味付けられる前に、蒼い静寂の嵐の中をただ駆け抜けた残り香のようなものだ。
ほとんどの人が過ぎ去らさせていくものを僕が見つめていた――。
高速のスローモーションのような時代における――。
今回は小さな話だ。


高校3年のとき、その年の文化祭は当然高校生活最後の文化祭で、僕のクラスは出店で「じゃがバター」と「ホットドッグ」を企画して盛り上がっていた。既にそのときの僕は生徒会も引退してて、日々がくだらなくて、学校も行ったり行かなかったりで、辞めることまで考えていて、そしていつものように半分死にキレてたのに、いつの間にか「ジャガイモを洗う係」にさせられていたのでした。エッーー!!っとォッ冗談じゃなァーよッッ!家で寝てよと思ってたのにマジかよォッと思った。
「じゃがバター」と「ホットドッグ」は、全く無意味に大繁盛〜☆♪!!…した挙げ句、僕は延々と洗い場でジャガイモを洗う羽目になったのだった。文化祭は連続3日間くらいあってウンザリンで、僕はジャガイモを洗ってはカゴに放り込んだ。一体何個洗ったか忘れてしまったくらい。とにかく次から次へ「じゃがバター」は売れるもんだから、それはそれは大変な作業でいいかげんにしろクソバカ文化祭と思った。
僕が洗った山のようなジャガイモに、これまた延々と切り込みを入れてく「切り込み係」をやってたのは、Cさんて子で、彼女は背が高くて目がぱっちりしたかぁいー子だった。あの子は確かバレー部かなんかやってたんだっけ。
イモを洗い続けてた末に文化祭一日目がやっと終わり、放課後既にグダグダで「ハァァ嗚呼…」と呻き、僕はなにをやってるんだろうなにこんなゴミ学校のクソ文化祭でジャガイモなんか真剣に洗っちゃってんだよバカヤロと自問自答しながら下校しようとしてて、「ぁあー明日どっか消えよッかなー」とか思ってたら、校門の所でCさんが駆け寄ってきてぱっと顔をこっちに向けて、
「takebonoくんッ、また明日ねッッ!!」
と言った。すごく。すごく明るい声と。笑顔で。
そしてCさんはきびすを返してそのまま自転車に飛び乗って行ってしまった。

僕は一人で頷いていた。うーんこうゆう部分なんだろなーと思った。「また明日」ってすごくいい言葉だと思った。深い意義なんか無くても、重厚な価値なんかなくても、人は動けるんだ。日々の瞬間瞬間がほんの少しだけ嬉しかったなら、案外投げ出すこともないのだと。自分への執着も結構中和されるんだと思った。
明日があるんなら。また明日会えるなら。こんな僕でも生きてゆけるもんなんだなと。Cさんの笑顔と一言だけで、明日もジャガイモを洗い続けようと思えたのでした。
あの頃って、自分の存在を許してくれる人たちと、明日も明後日も、ただ会いたかっただけなんだと思う。
そんなシンプルな気持ちだけで、あの頃の僕は少しだけ穏やかになれることもあったのだ。

文化祭はといえば大成功だった。裏方が頑張ったおかげで。
しかし全くセーシュン的な感想は特になしで。
衛生検査が厳しくて、食品を扱う係は検便をやらなくちゃならない決まりがあって。Cさんも検便したんだろうなあとか。
「ずぶねリズム」は校長先生に読まれたかなあとか。
生徒会の後輩うらやましいなとか。

文化祭の打ち上げは厳禁と言われてもかまわず居酒屋でした。
Cさんはきてなかったし。話す奴いないし。つッまんねェーーっと思いながら飲んでたら、
クラス1の大馬鹿トラブルマシーンA氏がからんできて、
「takebonoくんはァ、いま欲しいモノとか、あるゥ?」みたいな話題になってて、
僕は咄嗟に、
「友達が欲しい」
なんて言いそうになって、イヤさすがに場の雰囲気を一瞬考えて、ハア!?みたいになるのが恐くて、でも実際友達が欲しくて、いや友達というか、友達なんだけど、うわこいつすげーなにマジ好きこいつと一体どんなことが語り合えるだろ何が出来るだろ、みたいな友達が欲しかったわけで、いや欲しがるもんじゃないと思うしじゃあクラスメートたち死ねってわけでもなく、でも「いないなあ」といつも思ってたわけだから、
「あのね…、すッげえすごい…し、知り合いが欲しい」
なんて口走ったらドッと笑われた。なにそれー、って。

こんな気持ち、いつか誰かわかってくれるんだろうかと、あの頃はずっと思ってた。ブルーハーツの「街」や「情熱の薔薇」を聴きながら過ごしたブルーダークエイジの小さなメモリは、おでんの具としてのジャガイモなんかから呼び起こされました。
今も、じゃがバターを食べるたびにどこかで思い出しているはずなんだろう。あのブルーダークの日々をね。
【END】
なんでもいいから小学校の頃の記憶を覚えているかい? あの小さなブルーダークはもはや次元や時空さえ超越するものだとは思わないかい? 精神世界さんの構造も、シナプス氏の形成も、イデオロギィ坊やも、比較しようがないほど今とあの頃は異なるはずだ。ここまで、こんなふうに、どうしようもなく生きてきた僕が、これまたどうしようもなかった小学生時代なんかを振り返ってみると、あの時代の行動様式は、実に今では形容しがたい世界観なり感覚なりで成立していたということに気付く。つまり、今の僕らは既に、大人なんだ。
教職課程の教育原理では、コメニウスの次くらいに出てくるJ・ロックの「タブラ・ラサ」は、要するに「子ども=白紙」論なのだけど、それに対しルソー派が子どもは「芽」であるとか言ったりして。そこで僕は思う。あれは、白日夢のように、豆腐のように、原始の白い記憶だ。

なぜそんなことをしたのか――?という問いは、他人からもそして自己の内にもある。
僕の場合それは、決まり文句への分かり切った回答だ。
「それが、真っ白だったから」だ。

今回は、小学生の頃の記憶だ。誰しも無限に抱えるエセトラウマは、その実体なんて確認できやしないほど陰鬱だ。ともかくあの時代はただ閃光のように白い原始時代だった。どうしようもねえことは数え切れないくらいあったけど、こびり付く一つの記憶は今尚拭いきれない。故に書き残しておきたい。


ガスッッ!!!と音がした。僕がそいつを殴りつけた音だった。
あらゆる感情が渦を巻いていた。〈怒〉や、〈憎〉や、〈悲〉。だけど、瞬間のほとんどの部分はそんな風にカテゴライズできるものじゃなく、ただただ真っ白な感情の渦だった。そうだ。あれは真っ白な感情のカーテンだった。核が炸裂したように白い閃光の中で、ただ一人の人間を傷つけるためだけに、僕の全身は躍動した。
「うえッえッッ!」って呻いて。ドダンッッ!!!っと。そいつはアスファルトの路上に転倒した。
倒れたボブサップの頭を狙って渾身の力で蹴り込もうとする藤田和之みたいに、僕はさらに回り込んでそいつの顔面をメッタメタに蹴りつけようかと思った。しかし僕は、しかし、そこで、やめた。
僕は復讐を恐れた。僕は罪の意識を恐れた。ただひたすら、暴力の巻き起こす醜悪で吐き気さえする心臓の鼓動を恐れた。脈が速まる。なんでこうなった? 誰がこの結果を望んだ? それは、数分前にはニタニタと笑っていたそいつへの、制裁だった。

許されようとも思わない瞬間にそのときはくる。何かを許せずにそれはキレたのだ。ぷつんとキレたのだ。負荷が張りつめて張りつめて、崩壊や革命みたいに、弾け千切れるときに、白光が闇を覆ったのだ。
白い闇に包まれたとき、細胞が自我を裏切った。

暴力による秩序の構築。拳による平和。このときの僕はそのおぞましさを初めて知ったわけだ。自らの衝動と、相手が流す血によってである。
僕はその日以来、エンタメ以外の現実世界の暴力に、吐き気がするようになった。

暴力は、暴力を確かに生む。
そして、恐怖と絶望こそが暴力を生む。

相手がナイフや銃を構え、ミサイルを持ち出したとき。
無抵抗者を少しでも傷つけたとき。
かけがえのないものを奪ったとき。
恐怖と絶望による暴力に、「正義」が与えられ、「正しい暴力」はそこから地獄の連鎖を始めるのだ。

ギリギリの、最後の瞬間まで、僕は愚かでもいいと考える。
暴力を、否定するだろう。
悲しみの連鎖を断ち切るために。
暴力を、否定するだろう。

☆今回のブルーダークメモリは小学生の頃に僕が同じ学校の子を殴ったときの嫌な記憶でした。そいつはいつも僕をいきなり殴りつけておきながら笑って逃走する最低の奴でした。僕は足が遅かったので追いかけられず毎回イラついてたわけ。ある日に、僕が善意からとったある行動を、彼が見事に踏みにじったことがあって、そしてまたしても彼は僕を殴りつけて逃走しようとしたので、僕はいい加減にイラララっときて襟首つかんで引き倒して思い切り殴りつけたわけです。「この野郎死ね」と思ったよあんときは普通にね。そんでそんとき多少殴りすぎてしまったんですね。僕は数発だったと思ったんだけど、何十発も殴ってたのかもしれない。そいつは泣きながら道路で血を流してました。そこで暴力に酔ってる自分に気付いたわけです。客観的なら「正当な防衛」なり「報復」なり理屈付けられるんだろうけど、僕はああゆう類の暴力とは、実に真っ白なもんだとそこで思ったわけです。PRIDEのリングみたいな白さです。あの白さは、正義とか悪とかそんなものを超えた領域だと思う。自分の中の神が一瞬だけ罪を見逃すために目を瞑った、そんなような感覚。 とにかくそれ以来彼は僕に近づかなくなった。僕は降りかかる火の粉を「仕方なく暴力で解決」したわけでした。 今だから言えること。恐ろしいことだけど、正当性の名の下の暴力は昂揚感がありました。それが最低に嫌だった。
あの白い暴力は、二度と見たくない。ブルーダークで、良いのです。
【END】

今日の栃東
● 白鵬 (寄り倒し) 8勝4敗 ………うぇえ。

今日のtakebono
・早起きした。
最近ふとある人のことを思い出した。本当に、ふと、だ。今までほとんど思い出すことがなかったのは、あれから連絡し合ってないというのもあったけど、僕が大学生でいる間はずっとホントにずっと、記憶を思い出すとき独特のあの「隙間のようなもの」が、僕の内部に滲み出てこなかったからだと思う。大学を卒業して初めて、そしてブログを書き続けていなければ、永久に彼の記憶は僕の奥底に眠っていたのではないか。そのこと自体は何ら不幸なことではなかったのだけど、僕が彼のことをここ数年間忘却していたのは事実だ。そしてこの頃、ふと、唐突に思い出したのも事実だ。繰り返すが、それらは何一つ不幸なことではない。
今回は、そんな話だ。


彼は6か7くらい年上の大学院生だった。確か某有名大学だった。
いつ出会ったのかは忘れてしまった。きっかけは覚えているのだけど。
彼は物静かな男だった。家は近くなかったけど同じ区内で、彼は静かな住宅街の小綺麗なアパートで一人暮らしをしていた。
当時まだ大学に入学したばかりの僕は、時々彼の部屋へ飲みに行ったりした。
彼はいつもクールだったから、飲みながら静かに話をした。もちろん笑いは絶えなかったのだけど、それでも僕らの会話は基本的に静かなものだった。それは僕にとって素敵な時間だった。語る、という行いの意義を僕は彼から初めて学んだような気がした。彼は紳士的で、ソウル的で、頭の回転も速かった。でも(?)酒はあまり飲まなかった。これ以上うまく言えないのだけど、つまり彼はそのような人だった。

彼からすれば年下で、しかも未熟で無知すぎた僕の話を彼はよく聞いてくれたし、彼の話すことも僕はじっくり聞いていた。
僕の描いたマンガを渡したこともあった。じっくり見たいというので渡して後日返してもらったときに、君らしいマンガだね、とだけ彼は言った。
飲みながら僕らは色々な話をした。お互いの話や、昔や、これまでの経緯や、今の話。或いは彼は政治や経済の話もしてくれた。僕にはさっぱりだったけど、どこか彼の話しぶりとその話は尊敬できたし面白かった。
口座メインにしてるのは新生銀行なんだ、と言って彼は苦笑いをした。批判されるんだろうけどね、と彼は付け足して、それから缶チューハイをグラスに注いで飲んでいた。
「どういうこと?」と僕は尋ねた。
君は本当に何も知らないんだね、と彼は静かに笑ってそう言った。

社民党主催のやつと共産党主催のやつでそれぞれ行われてる【原水爆禁止世界大会】が、いつまで一緒にやってていつの時点で分裂して今日に至ってるのか?とかそんな話を飲みながら話してたことがあって、彼はそのとき語り切れなかったらしく後日に関連記事の切り抜きを僕に郵送してくれた。解説付きで。でもそれを読んでも僕にはさっぱりわからなかった。

あるとき僕は僕が昔描いたマンガを彼に見せたくて、それを渡して、後日彼がメールをくれたことがあった。彼はメールの中で述べた。
〔君が君らしい10代の青春を謳歌してきたことが羨ましい。…僕の10代はあまりにも卑屈だった。…〕

比較的長かったと思うそのメールの内容のほとんどをもう僕は憶えていない。ただそのとき、それぞれの人にはそれぞれのいろんな過去があるんだなとだけ思った。それだけは憶えている。

彼は大学院を卒業後、雑誌社に勤め、その後にTV局関係に移ったと聞いたけど、その後の行方は知らない。都心の方に引っ越した後は多忙を極めているらしく、連絡もとり合わなくなった。そういえば引っ越す前の彼の部屋で一緒に飲んだのだった。そこで色々話したきり、それ以来彼には会っていない。
もしまた出会うときがあるなら、彼とはまた違ったことが語り合えるのだろう。その時間は間違いなく面白いだろう。素晴らしいものが生まれるのかもしれない。でも今は会っていない。確実に言えることは、あの頃だからこそ会えたということである。今からは、あのときと同じように、未知としてそれは扱われるのだとも思う。

僕はあの頃の彼と同じ歳になりつつある。そして初めて僕は僕の無知無力を本格的に知り始めてもいる。僕もまたそのうち年下の人間と、新生銀行や原水爆禁止世界大会や生き方や卑屈さなどついて、飲みながら静かに語ったりするのだろうか。

彼はこの世界のどこかで生きている。僕はここで生きている。それだけが時と共に息づいている。僕の中でだ。
ブルーダークはかつての彼であり、かつての僕であり、今は僕よりも年下の誰かなのだと思う。僕らにできることは、時代を生きることだけなのだ。
【END】
〈9・11〉後も世界は続いた。戦争後だってそうきっと世界は続くのだ。生き残った者たちは絶望の後も生き続けなければならない。

知り合いの知り合いの、誰だったっけあの人は?留学先のアメリカで、「テロ反対&報復戦争反対」のピースウオークをして帰ってきたというその彼女に僕は尋ねた。「投石されたり、威嚇射撃されなかった?」って。
そんなことはなかったよと彼女は笑って答えた。

なんだろうな。なんだろうな。なんなんだろうなー。
どっかの国でテロが起きて戦争が起きてること知ってる。それは僕らは別に「関係無い」んだいつもそういつもそうなんだ。じゃあ「関係ある」ことってなんなんだ?自分の所得と資産と地位と心の安定…とかなのか。本当にそれだけ考えていればオーライなのか。幸せになれるのか。そもそも幸せになりたいのかな。幸せって何かも分からないのにな。でもテロってのは…そうゆうささやかな幸せのようなものをこそ、無差別にぶっ壊しにくるもんなんじゃないのか…?
そんなことを色々考えた。だけど無力感だけが残るから考えるのやめた。そのときの僕は受験勉強するしかなかったからだ。これだって戦争だよな、とかって思いながら。

受験勉強の傍ら、僕は一つの短編小説を書いた。『クラムボン』というタイトルのノンジャンル小説だった。 ストーリーは、人間爆弾の少年の話。ただし人間爆弾の少年「ボン」(bomb)は、作品中には一回も登場しない。最初から最後まで、少年「ボン」の親友である「僕」と、彼の恋人「ミユ」との戦場逃避行を描いた作品だ。いま読み返すとくだらん小説だ。
その小説のあとがきに当時の僕はこう締め括った。
「今日、新宿アルタに飛行機が突っ込まないことが、平和ってやつなのか?」

テロは日常を襲う。人が人の平和を奪う。
じゃあ「運良く」僕らは生きているのか?そしてそれならば…それでいいのか?
平和ってなんだ?

大学に行く意味ってなんだ?この僕が大学に行く意味ってなんだ?
友達100人?恋人?サークル?仲間?イベント?「キャンパスライフ」?
考えただけで少しイラッとした。
みんな死ねないから生きてるだけなんじゃないのか?

わかんない。何もかもわかんないままだったんだけど、考えたことに価値があったような気がした。僕が大学に行く理由ってのは、きっとそれは、僕の生き方そのものなんだ。

そして春を迎えた。僕は希望の大学に受かった。周囲からは奇跡だと言われた。ちっぽけな奇跡だ。そんなものは、ソウル次第でいくらでも起こせるものだということ。そんな簡単なことさえ、ここまでこなければやはり気付かなかったのだ。

そして僕は奇跡の果てに在った大学で4年間を過ごした。僕以上のソウルフルなクズに何人も出会った。それはもはや言葉にはならないものだった。言葉にしちゃうと陳腐になりそうで、僕はそれを言葉にしなかった。それが素晴らしすぎたんだ。

振り返るとわかる。取り返しなんかつかない。ついてはならない。だから後悔もするのだし、だから素晴らしいものだったんだ。
限りある生は、他のどんなものよりも遙かにかけがえなく、輝くためにそこに在る。いまはそう思う。綺麗事や偽善に何よりも嘔吐していた僕がこんなこと思うのは少しおかしくもある。昔の僕を知る人に聞いてみたいな。やっぱり僕は変わったんだろうか?

あのテロリズムは、生命と平和という世界の奇跡を、僕に再認識させた。
〈9・11〉は僕の幾度目かの、しかし記憶に残るまでの、何かの始まりだったともいえる。人間の弱さ。愚かさ。万物の中に存在するテロリズム。そしてtakebonoのソウル。そんな、どうにもなりそうにないものたちと、向き合ってくために。
それは長い長い平和への道のりなのかもしれないし。
また違うものだったかもしれない。

向かうってことがどういうことなのか。わかり始めてきた。
生きるってすんごいことだったんだ。
きっとそのために、自分や世界を知ろうとしてきたんだ。
一生は絶対に短い。
ソウル続く限り生きることだ。
具体的に。追われることによっても追い続けることだ。
いつかソウルフルに生きれたらいい。
いつかソウルフルに死ねたらもっといい。

ブルーダークメモリはまだ、いつかもまた、続いてく。
【END】
僕の受験戦争が始まり、僕は予備校に通った。津田沼の代ゼミの、最低ランクのそのまた最底辺レベルのクラスだった。授業はバカみたいにわかりやすかった。英語の最初の1時間目で「be動詞」が何なのかがわかった。中高6年間の英語の時間で僕は何をしてきたんだろうかって思った。2時間目に「文型」を理解し、3時間目には文法の使い方が少しわかってきた。偏差値は30くらいからのスタートだったけど、勉強がわかってくのは楽しかった。一日最低10時間は勉強するようにした。予備校でも友達なんかつくらずに、ずっとずっと空き時間も全て勉強した。朝「いってきます」の次に発した言葉は夜の「ただいま」だった日が何日も続いた。最低クラスの連中は次々と授業に姿を見せなくなってったけど、僕は休まずに通った。一度、授業が僕一人のときがあった。あれは先生がかわいそうだったな。

大学に行きたかった。どうしても行きたかった。でも時々、予備校のテキストを引き裂きたくなったし、シャーペンをへし折りたくもなった。都合のいい夢ばかり見た後で、どんな締めくくりを信じることが出来るだろうかって、それだけが本当に恐かった。ちっぽけな希望を失う恐怖が、また僕を前進させてもいた。

模試の結果は徐々に良くなっていって、夏頃には、3流大くらいなら入れそうにまで僕の頭は進化していた。「大学入ったらパラダイスだぞ」と先生が笑って言った。現在の大学のレジャーランド化は、これがそうかと思った。こうやって、受験戦争の果てに「ゴール」した大学で、皆が脳死してゆくんだろうなって。日本の教育の受験体制は確かに広範囲の「学力」(とかいう極めて曖昧なもの)をもたらしたけど、大切な部分を何も育てちゃいない。「何の役に立つの?」って、そんなこと、ずっと誰かが問い続けてる間にも、レジャーとトレンドの脳死文化と慣習に大多数は楽しく巻き込まれてく。
世界?社会?基準は自分だろ。自分で探すんだろ。意味や価値も。理由も甲斐もだ。自分だろ。自分が創るんだろ。そんなこと、当たり前じゃないか。
だけど僕はそんときはまだ、まだ何も見つけきれちゃいなかった。僕は僕の生き方が恐かった。不本意も、未知も恐かった。恐いものばかりだったんだ。

日本史の先生の雑談がすっげえ面白かったし、現代文の先生が毎時間配るプリントに載ってるコラムのような文章が面白かった(あのプリントは後々の僕に、そしてこのブログにも活かされてる)。ホントに、予備校は学校なんかより全然面白かった。

そしてあの夏の夜も必死で勉強してたんだ。今考えるとあれこそが受験勉強で、僕は脳死してたんかもしれない。戦争は脳を麻痺させる。
夜中に兄から日本史を教わっていたとき、Nちゃんからメールが届いた。
〔世界が、変だぞ!?〕
…なにそれ!?

兄がTVをつけたとき、僕はそれを画面全体に見た。アメリカ資本主義経済の象徴――世界の中心にそびえ立つあのツインタワーが…!? あのシーン。世界貿易センタービルに巨大な穴が空いていたあのシーン。僕はリアルタイムで見たのだ。飛行機が…!?突っ込んだ…!?なに?それ…!? ビルから黒煙がガンガンに吹き出していた。これは…戦争?まさかっ?でも…超大国アメリカが…攻撃されている!?
あの瞬間、世界って震撼したんだと思う。きっとそれこそがテロリズムだったのだ。
もう一生忘れることはない。それが、世界と僕が巡り会った2001年〈9・11〉。
映像の中の狂ったリアルは、僕の心臓を強烈に叩き続けていた。
【つづっく】
節目の季節だからか。かつての節目の季節の記憶をいま思い出した。
初めて未来に向かおうとしたのはいつだった?自分でもわけのわからないものに震え、初めてソウルを形にしようと思い立ったのはいつだったろうか?
あのテロリズムは僕に恐怖を与え、そして希望を与えた。今回はあの5年前の〈9・11〉を巡る話だ。


「お前生徒会もやってるから一応なー」とか言って、小太りの担任教師は書類を数枚机の上に放った。卒業が間近になって、いよいよ進路を決めなくちゃならなくて、しかし何一つ未来など考えたこともなかった僕に、担任教師はかったるそうに「進路指導」の時間を務めてくれていた。「お前ココとココなら推薦で入れるけど?」とか言って彼は書類を指さして軽く突いた。その書類には、聞いたこともないおよそ五流くらいの大学名が幾つか載っていた。彼は僕の顔色も見ずに「お前チコクと欠席多いんだよなー」と別の書類に目を通しながら呟いた。僕は15秒くらいの沈黙の後で焦らず目を見て彼に意思を伝えた。「ソコとソコ、いいです。いかないです」
いつものように、いつの間にか季節は巡っていて、その頃の僕は高校三年生だった。

あてもなく、行方もわからず、僕には何も無かった。何一つ無かった。高校を卒業する間際に一人でいろんなことを考えた。何とかなるとも思っちゃいなかったけど、どうにかしようとも思わなかった。とりあえず五体満足で健康なくせに、自分の人生のくせに、僕は自分で自分を動かせないでいた。勉強もほとんどパーだったし、「やりたいこと」なんてあるわけねえだろ!と思ってた。僕にはマンガを描くことくらいしかなかったから、本気で漫画家でも目指すかなぁとかも思ってた。
例えばこんなクズ校を出て、3流か4流大学に行って(いやそれがたとえ1流大だったとしてもだ)、しかしこんな僕が一体何者になれるのだろうかって、いつも思ってた。成功した人や充実してる人たちが、過去のエピソードとして「あの出会いが無ければ…」なんて話よく聞くけど、それ結果論だろと思ってた。「出会い」なんて実際僕には一つも訪れないじゃないかよって。それが過渡期なのかもわからない。括るのも意味がない。自分で決めて歩くことに関して、僕は僕の何を決めればいいのか。疑うことなのか信じることなのか。自己選択は、吐き気のする幸福を選ばずに、自滅を選んでもいいものなんじゃないのかって。死ねないから生きなきゃいけないのかなって。僕を動かすものはなんなんだろって。ただわけもわからずに、浅はかに、僕はいろんなこと考えた。

知り合いの知り合いの女の子と話をした。その人は僕の100倍くらい頭がいい人で、進学校に通っていて、すごいいい人で、でも親の仕事が失敗したことで大学進学を諦めて就職が内定していた。もっと勉強したかったけど仕方ないよねって寂しそうに笑う彼女に、僕はやりきれない思いだった。こんな素晴らしい人が機会を閉ざされていて、一方でこんな僕のようなゴミクズが、機会を前にしておいて自分でそれを潰そうとしてやがることに。歯ぎしりした。
後悔が押しもした。高校では僕はいろんなものを粗末にし、大切なものを放り出してしまってたことにやっと気づいてた。何もかもに申し訳ない思いだけはあった。クズの僕が五体満足な僕で在る奇跡をこれ以上冒涜しちゃだめだって思った。可能性いくつ?きっと僕にだって生きたい瞬間があるんじゃないかって。
何者かになろうとするとき、ソウルを考えた。大学にはきっとソウルがあるだろうって。僕が求めるもの、僕を何度だって揺らすものがあるだろうって。
大きな後悔とちっぽけな希望こそが背中を押していた。

2001年春。高校を卒業し僕は受験浪人になり、最初で最後の受験戦争が始まった。それは間違いなく自分との戦争だった。そうだ。あの〈9・11〉が起こるまで、僕はそんな風にして生きていたんだ。
【つづっく】
みんなは生きててマジでビビったときってあるかい? 「ビビる」は「恐怖」とは少し違うんだよ僕の中では。あれは一瞬の「危機意識」みたいな、発作のような、硬直するような、そんな感覚なんだ。元来ビビり屋のtakebonoは、あの当時よく「恐怖」以外にも色々なものにビビってたっけ。
今回は、takebonoがものすげービビったある日の出来事の話だ。


その日の夕方。いつものように、僕はくだらねー高校の帰り道で。だらだらっと自転車に乗りながら、高速道路のガード下を進んでいた。
人気の無い高速ガード下――。僕が漕ぐ自転車の前方には、これまたどっかの高校の制服姿で、体すごくでかいヤンキーっぽい男が、これまただらだらっと自転車を走らせてた。僕は別にそんなん気にしないで、自転車の前カゴに入れてたmyカバンを何となくいじってた。そしたら手がひっかかって自転車のハンドルのとこのベルを若干鳴らしてしまった。いけねっ、っと思った。
そしたらいきなしその男が自転車を方向転換させて、僕の自転車の横側に並んできた。
「コラてめー」とそいつは言った。
なんだ?え?僕か?こいつ何?誰?いきなりどうしたのよ?狂ってんのか?と、僕は思った。
「サイフ出せコラ」
まずビビった。でもまだ頭のどこかで、これ現実?とか思ってた。危機意識の無いジャパニーズというより、ただ鈍感というか…。おぉっこれが「カツアゲ」ってやつかぁ☆なんて考えてた。バカなtakebonoくん。
その間に、そいつは自分の制服の内側の胸ポケットをゴソゴソし始めた。
なにやってんだコイツ?って最初思った。でも次の瞬間それが何を意味してるのか一瞬でわかって、僕は初めて心臓が凍り付いてバゴンとそれが割れたように鳴った。
「刺すぞコラ」
マジかよッ…。直感した。ナイフだ。
サイフ出せっつってコイツはナイフ出しやがッた。バカかッてめえッッ。やべ、やべー、やべーぞ!おいおいおい!
声が震えて上ずった。「やめろ…」とかって言ったかと思う。確かそうだ。まぁ当然そいつはやめるわけないんだけど。とにかくホントにビビった。マジで。
そんで、考える前に体が動いた(ってのはこうゆうことだろうと後で思った)。僕は、横付けしてたそいつの自転車の車輪を思い切り足の裏で蹴り付けた。ガシャコーン!!
そいつは自転車ごとのけぞった。ここしかねえ!いま逃げるしかねえ!
火事場の馬鹿力ってあのことですよ。ものすげえ脚力で僕はペダルを漕いだ。競輪の選手みたいに。グアシグアシギュギュギュ!って。逃げっ…た、と思った。
だけどそいつ!追ってきやがったのだ!
恐えー!恐えーっ!わあああぁぁ!
猛スピード!追う者!追われる者!
すぐ先に車がガンガン走ってる道路があった。突っ込んだらやべえ!二人とも死ぬぞ!だけど止まるわけにいかねえんだこっちは!そして突っ込んだ。プァ・パ・パ・パー!!…死ぬぞっ!
猛スピードで交差点に突っ込んだ僕は、衝突寸前でトラックをかわし、そのまま道路を突っ切ってしまった。
すぐ後方の気配が無くなったのがわかった。振り返ると、道路の向こう側でUターンしてくそいつの自転車の後ろ姿が見えた。はあああああ…逃げ切ったわあ…。
気が付くとハァーハァー呼吸してた。汗がどっと出てた。
「退屈な日常」だなんて冗談じゃねえよ。スリルありすぎなんだよ。何で僕がこんな目に合うんだよ畜生、と思った。
ばかげすぎてんだよ高校生。なんなんだよ、くたばれよ、と思った。でもホントはすっごくホッとした。バカヤローと呟いてた。

そんなこんなである日のブルーダークメモリでした。
【END】
奇妙な飲み会もとりあえず終わって、結構飲んでしまって店を出るともう夜も更けていて、みんなしてフラついてて、まあ解散ってことになって、帰ろうとしたら、「ここら辺地元で詳しい人ー?」とか言う奴がいて、手を挙げたのは僕だけで、あれ?地元僕だけ?君ら何でここ(S駅)を選んだの?じゃあtakebonoくんはナビよろしくーということになって。原チャの後ろに乗って、駅前を徘徊する警官を避けながら、駅の側のあのでけえ公園まで僕はみんなをナビした。公園で大勢でバカみたいにそこでたまってダベって、少しずつ人数は減っていったけど、結局は日付変わるまで僕らはそこにいた。群れるの大嫌いだしくだらねえなあとか思ってたけど、昼間は学校で話したこともないような奴らと何で僕はいま一緒にいるんだろうなあと不思議でもあった。これが一般的な現代高校生文化ってやつなのかなあとか考えてた。

ちょうど今くらいの寒い冬の夜だった。でっけえ公園にはほとんど人気が無くて、僕らの話し声だけが響いていた。
息は白かった。学校で一度も話したことない、昼間よりも数倍ギャル化してたB(名前忘れた)さんが、僕にホットの缶コーヒーをくれた。

(B)「飲む?」(缶コーヒーを渡す)
(自分)「うん」(受け取って開ける)
(B)「吸う?」(タバコ取り出す)
(自分)「いい」(吸う印象つくりたくないな…)
(B)「…takebono君、学校で○○と噂になってるよ」(煙を吐く)
(自分)「ハァ?ふーん…」(コーヒーを飲む)

そんとき思った。自分は学校でクラスメートのことなんかどうでもよく、眼中にさえなかったのに、周りは以外とどーでもいい他者のことを結構よく見ているんだなと。自分を疎外していたものは自分自身でもあったんじゃないかって、そんとき少しだけ思ったんだ。自分はちっとも優しくないのに、彼らはどこか優しかった。人を暖め、勇気づけるものはやはり人なのかなあって。 takebonoが、初めてクラスメートという同年代の他者に触れ、どうしようもないようなどこか暖かい気持ちになれたのはその夜が凍るように寒かったからだけではなくて、僕のソウルのどこかしらがやっぱ冷めきってたからだったように思う。あんな寒い夜に少しだけあったかいなって思ったのは、ケバいBさんがくれた缶コーヒーと、そしてそれは初めて感じた他者のコミュニティーによるぬくもりだったような気がする。小さいことだ。小さいことだったんだけど。そのときの僕はどこか確かに、僕を見る他者の存在が初めて優しくてうれしかったんだ。

その後日付変わってからもいろんなことがあって、僕は明け方家に帰った。どこか不思議なこの朝帰りは、もう二度と訪れない種類のものだということを知りながら。自販機で買ったホットのミルクティーが胃に沁みこんでいった。この日から夜中や明け方帰るときには僕はミルクティーを飲む癖がついた。
ミルクティー飲むときたまに思い出します。数多くある酒飲んだ日の夜の中で、あんなどうでもいい夜が以外と記憶に残ってるもんです。僕はどこかで、忌み嫌う一方でどこかで、本当は「高校生」らしく、「一般的」らしく在りたかったのかもしれなかった。だから底辺でも公立高を選んだんだ。ホントは「高校生」やりたかったんだ。「自分」なんかよりホントはさ、みんなと同じように泣いたり笑ったり動揺したりキレたりしたかったんだ。叶わなくていい願いはやっぱり叶えられなかったんだけどさ。

だから、思う。学校に行くということは、学力の保障でも協調性云々でもなんでもなくて、ときに殺したくなるような奴に出会うことや、ときに死にたくなるような時間を味わうことや、何よりも素晴らしい喜びを探すためだったり、総じて生きているということや、そしてどうしようもない自分をどうしようもないくらい生き尽くすために、自分こそを自分で創り上げてゆく過程なのだったと。何よりもクラスメートという他者にこそ触れ合うことで、それを磨き、紡ぎ、育ててゆく場所だったのだと思うんだ。カリキュラムなんかまなざさなくても、進路探しに躍起にならなくても、社会に脅えなくてもよかったんだ。僕はそのことにもっともっと早く気づくべきだったんだよ。

ブルーダークこそ僕の10代の学生生活だった。そしてそれは僕の原色でもあった。透明な存在でもなく、ゴテゴテに塗り固められた気色悪さでもなく、出来合いのポスターカラーでもなければ、虹のようにカラフルなものでもそれはなかった。それは僕の原色であり、鮮やかで不確実で悠久のブルーダークだったのでした。
【END】
忘れられない夜ってあるだろうか?陽が落ちた闇の中で、自分の心臓の鼓動を許してくれている他者の優しい存在に気付いたことはあるだろうか?
今回は、永久凍土のようだったtakebonoのソウルを、初めてほんの少しだけ溶け落ちるくらいに暖めてくれたある冬の夜の話だよ。


高校に入ってからよく摂取するようになったアルコール類は、虚ろなtakebonoをハイにさせた。悪名高きYNさんや破滅士USとよく飲んだっけ。飲みまくって公園で花火をしたりね。あんときは通報されそうになったね。迷惑行為だからやめようね。YNさんとは土手で昼間から飲んだこともあったね。あんときは吐いたね。夜中に酔って川に落ちそうになったこともあったね。あんときも大量に花火したりね。ホントにクズ高校生は夜と野外と火と爆音がすきみたいなんだ。嘔吐物みたいな会話しかしなかったし、誰がいなくなっても全然構わなかったし、そのくせ不幸をネタにしたり、セーフティーをキープしてたり、どーでもいい醜悪なトレンドに一喜一憂したりしてたんだ。世の中のほとんどのことは僕らにとって「関係無い」ものだったし、誰にとってもごくありふれた「つまらない」日常だったくせに、そうだ、とりわけ楽しくもないのに死にたくもなく、そんなことくらいしか僕らはやることがなかったんだ。こんな日々が後に「思い出」だとか「青春だったね」とか、ホントやめてくれって。記憶がなくていい。過去がそんな風にカテゴライズされたとして、やっぱり悪酔いと同じような吐き気がするんだろうなって。

そんな酒の飲み方しか知らなかったtakebonoさんが初めて大勢での飲み会に行ったのは高2の時でした。クラスで飲み会やるっていうから行ったのです。なんでかっていうと、場所がなぜか最寄りのS駅だったから。ま、近いしいくか、ってノリで。誰が見つけたのか知らんがS駅のあのゴミ溜めみたいな裏路地の居酒屋の二階。角のスペースが貸しきりだったっけ。初めて居酒屋での同年代の奴らの喧騒や会話、それらに触れることがどういう感じか、そこで僕は初めて少しだけ理解したのでした。

底辺校のクラスメートたちは、学校にいるときと全然違う奴もいれば、ほとんど同じ雰囲気・キャラの奴もいたりと、多様だった。飲むと変わる奴や、飲めない奴もいて、結構興味深かった。なによりも、昼間の学校では話してるとこ見たことないような奴ら同士でお喋りしてたり、全然接点の無いような連中同士で盛り上がったりしてんの見ると興味深かった。男女も、キャラも、立場も関係なく、みんなが高校生らしく混ざり合ってんの。へェ、こいつら仲良しなんだな、と思った。下町気質なのか。どこかあの頃僕がいたあのクラスは、クラスメートがクラスメートに対して優しくて、底辺校故に競争なんてのも全く無くて緊張感なんて全く無くて、堅苦しい団結力(僕はこれが大嫌い)も無くて、ゆるゆるだらだらどちらさんも楽しくやろっよみたいな平和な空気があったんだよ。中学の陰険で硬直的な閉鎖性に比べると、全然開放的で平等で尚平和だったんだ。

「takebono君、楽しんでる?」と、昼間より何倍も濃い化粧をしたA(名前忘れた)さんが、喧騒の中、無表情で聞いてきた。何とか聞き取れたので、「うん楽しいヨ」と答えてジョッキのビールを飲み干した。バカ共が歓声を上げるのが少しだけ楽しかった。酒とコミュニティーって力を持ってるんだなァとそのとき初めて僕は思ったのでした。
【つづっく】
僕にとって学校教育は青黒い思い出しかない。自我が目覚めた中等教育以降はとりわけそうなんだ。

何もかもつまらなくて生徒会に入ったっけ。
それほど面白くもなかったけれど、結果的に暇潰しとなり学校をやめずに済んだからよかった。感謝してる。そういえばいろんな奴がいたっけよ。もう忘れちゃったけど。生徒会室はたまり場だったっけ。よくあそこで昼御飯を食べたり漫画を読んだりしたっけ。

部活もやったっけ。
色々なものを作ったっけ。部費で私物を買ったっけ。もっと動けたはずだけど、それでも結構楽しかったな。SJにも会えたしね。

そういや図書委員てのやってたっけ。本もあまり読まないくせに図書室がすきだった。もう忘れちゃったけど、外国の小説かなんかわけもわからず読みふけってたっけ。

学校の「勉強」も意味わかんなかったけど、がんばればテストの点は取れていた。でも全然面白くなかった。一学期だけがんばって点取って、二学期三学期は勉強する必要はなかった。

中等教育までのカリキュラムは僕に学力を保障し、僕を社会化した?結果ここにいる僕はみんなと同じように教育のなれの果てに立っているのかな?
卒論書く中で、教師存在は学校という社会階層選別機関におけるふるい分け作業と、「人間形成」としての教育作業の間でジレンマ起こすとか本に書いてあったけど、そんなことあったんかなあと思う。僕は普通に切られたような気がするんだが。教師は葛藤もなく僕を切り付けたような気がするんだが。
それでも、期末テストかなんかでテスト用紙に「授業あまり面白くないです」と書いて提出したことがあったけど、返却された答案には「いろいろ制約があって思うように出来ないのです」と書かれてた。僕はその言葉の意味を教育実習でやっと気づかされることになるのだけどね。

複雑でもないのだろうけど、単純ともいえなかったような。ちゃんとみんなと同じように生きることができるもんだと思っていたんだよ。僕自身が出来損なっているくせに、出来上がってもいないくせに、形だけを求めちまってた僕は。だからいつの間にか気付いて動いちまってた。何をすれば僕は楽しかったっけ?
なんか、僕次第で何にでもなったことに対して僕が無関心だったことが、結局一番青黒いの。ブルーダークなんだ。だからってそれは決められた答えじゃなくて、カリキュラムがとりあえず指しているもんでもなかった。もっと教えてほしかった。何にもわからなかったもん。理解できなくても語りかけてほしかったかな。僕聞く耳持ってたよ。

今回は学校の記憶を語ろうと思ったけれど記憶断片的すぎ。単なる独り言だこりゃ。もう忘れていいものなんだなあきっと。

あの頃聞きたかった言葉たちに今震えてたりして、ソウルってたりして。何万回でも行き来するコミュニケーションたちに僕はソウルを吹き込んでやりたいの。
【END】
学校って教育機関に行きたくないときはあったかな?そして行かなかったことはあったかな?
今回は、takebonoが忌み嫌い続けた学校教育にまつわる青黒い話。


卒論執筆期間に、今更と思いながらも教育社会学うんたらの本を読んだ。特に藤田先生の著書はまとまっててよかった。読んだ後にそしてどうでもいい記憶を思い出した。

「君たちはね、労働力なんですよ」
社会科公民の授業中にその教師はそう言った。ほとんど授業と脈絡なかったと思う。誰も意味がわかんなかったと思う。教科書も開かずにボーッとしてた僕はその言葉で顔を上げた。教師は無表情で黒板にチョークを走らせてた。

生活空間の中で得うる全ての情報知識とは別に、学校という近代教育システム機関においては、極めて限定され選別されぬかれた所謂「教育知識」が扱われるわけだが、それがいわゆる「勉強」なのだけども、産業社会面と国民社会面あるといわれ、初等教育ではどっちかってっと国民社会面の国民性とコミュニティ性だとか、そんなもんの重視らしい。そういや小学校ってのはくだらない雑務役割分担がやたらあったっけ。中等教育では産業社会面にシフトしていって、適応力や分業能力とかそんなもんが重視される。で高等教育では産業社会の専門分野になってゆくわけだ。
そう考えると教育とは納得ゆくものだった。行っても意味がないと思ってたあの学校教育には、意図された意味がちゃんとあったのだ。そいつをちゃんと僕に伝えてくれればよかったのに。

あの頃、僕は遅刻常習高校生で、本当によく遅刻をした。1時間目が始まる10分くらい前までに校門入らないと門閉められちゃって「遅刻指導」とかで、その場で朝っぱらから説教を聞かなければならない制度になってて、それがうざすぎた。大体何でみんなそんなくだらないこと茶番みたいによくやってられんなって。だから僕は遅刻しそうなときはうんと遅れて登校した。わざわざ10分遅れで「遅刻指導」なんてバカみたいだからだ。先生だって忙しい日々の業務の中でそんなことする必要ない。みんなして1時間遅刻して登校すれば済むじゃんって思ってた。
そんなことを続けてたら、あるとき担任に朝早く職員室に会いに来るように言われた。そしてわざわざ朝っぱらから職員室に会いに行ったら、遅刻多過ぎることについて尋ねられた。
「学校に来る意味が無いような気がするんです」と僕は言った。本心だ。
「じゃあ帰れ!」と担任はキレた。
大人げないな、と思った。こっちが下手に出てりゃキレやがるんだいつも。中学の時の教師もそういえば僕に、帰れ!ってキレたっけ。デジャブだこれって思った。しかし何かしら答えてくれたっていいのにな。話し合いの余地ないのかよって。そしてなんかすごいめんどくさくなった。イラつくの通り越して。帰るのもめんどくさくなった。大体さー朝来たばっかだろお前が来いって言ったからさー、帰れはないだろ。朝職員室に来たおかげでその日は遅刻がつかなかった。せっかくだから早退もしたくなかったのでした。
その後は教師も何も言わなくなった。僕は進級がやばくなるまで遅刻を繰り返した。

もう1時間目始まってんなーとか考えながら漕ぐ自転車の上で、僕は風を受けながら凄まじくリラックスしていた。あの意味のない時間がすきだった。無意味とされてるものって僕には生産的だったみたいだ。どうしてもあの頃の僕にとって教育は意味が無かった。
【つづっく】
ときどき凄まじく遠くに行きたくなるときが君にもあるだろうか?ホームで逆方向の電車に飛び乗ろうとしたことがあなたにもあっただろうか?
今回は、takebonoが初めて一人であてもなく遠くに行こうと思ったときの話だよ。その後すきになってゆく一人旅の原点かもしれないね。


記憶が途切れていてあの日がいつだったかも覚えていない。高校1年か2年のときだったかなあ。

ある日の早朝。僕は最寄りS駅の始発で都心から間逆へ向かう電車に乗り込んだ。あの朝はまだ少し寒かった気がする。その電車でどこまでもどこまでも行こうと、その日なぜか僕は急に思い立ったんだ。何も持たずに、何も考えずに。始発って初めて乗ったけど、なんだ普通の電車じゃんって思った。でも乗客はやっぱ少なかった。 僕が乗った電車は延々と東へ東へとガタゴト走り、千葉県に入り、窓の外の景色は徐々に殺風景になっていった。途中、部活の朝練かなんかの高校生の集団がどっと乗り込んできて、うざいなあと思った。電車はさらに東へガタゴト走り、結局は千葉の最東端まで僕を運んでしまった。僕は見慣れぬ地に降り立ち、ハア!?って思って、息を一つ吐き、うろうろして、やはり海を見ようと思って歩き出していた。

そうなんだ。海を見たかった。東日本の海から太平洋を見たかった。いつかは海の向こうのアメリカに渡ろうと僕は勝手に思っていたからだ。『釣りキチ三平』の矢口高雄が、子どもの頃に海の向こうといえばアメリカだと信じ、東北日本の西側の海岸からロシアに向かって「いつかアメリカへいくぞお!」と叫んだエピソード(矢口高雄『蛍雪時代』)があって、じゃあ僕は間違えずにちゃんとアメリカへと続く水平線を見渡してやろうと思ったのだ。

海を見るために、僕は早朝の人気のない千葉県の道路を歩いた。コンビニで買ったパンをかじり、お茶をすすり、マルボロをふかしながら歩いた。何も思考しないようでいて多くのことを思い浮かべながら歩いた。静かだった。小旅行だなあと思った。道路を横切って舗装されてない道に入りさらに歩くと海の匂いがした。さらに進むとけわしい断崖に出た。海が視界いっぱいに出現してた。わあおと呟いてた。打ち寄せる波のしぶき。潮風。海だ。
周囲には人一人いなかった。自殺しにきてるわけじゃないんだぞと思いながら、もっと眺めよく見ようと思って岩場のような所を登ろうとしたら、砂山みたいになってて足が滑りかけた。そしてどっと滑った。危ねっ。なんとか足場キープ。一歩間違えたら転落して死ぬところだった。ぞっとした。

そして僕はしばらくそこにいた。海はすてきだった。独りぼっちもすてきだった。いつまでもここにいたらどうなるんだろと思った。
その後また延々と駅まで歩き、延々と電車に乗り、普通に東京の我が家に帰宅した。何事もない普通の一日としてその日は過ぎていったのでした。

あの頃、どこまでも遠くに行きたいと思ったとき、僕にとっての世界の果てはあの千葉県の東端の名も無き自殺名所のような断崖だった。その数年後、同じような思いに駆られた僕は、真夏の沖縄の最南端の離島の海岸にいた。世界の果ては拡大していると思った。どこまで世界は続くのだろうかと思った。 その後の僕は、二度と見ることのない世界を幾度も巡るような一人旅がすきになっていった。世界は広大で僕は小さすぎる。だから、僕の世界の果てはいつも拡大してゆくんだ。ほとんどの場合、限界やら臨界やらのラインを、僕はうんと手前で引いてしまっていたからだ。小さいんだよ。

恐れること。その一歩を恐れようとすること。世界を知り自らを知ることで、無謀は勇敢へと変わるだろう。その歩みは僕を変えるだけでなく、世界をも変える力を持つだろう。

既に次の世界の果てを目指し歩き始めたtakebonoの、遠き良きブルーダークメモリでした。
【END】
期末テストの時期だった。HIは留年が決まったらしく完全に学校に来なくなって、話し相手がいなくなったAKは隣の女の子とばかり話していた。聞こえてくる話の内容から、どうやらAKも試験の結果次第では留年だということがわかった。

最初は、僕が知ったことかよざまあみろと思った。いなくなればいい。こんなバカが、クズヤンキーが、社会のゴミが消えれば、このクソ学校も少しはマシになるだろう。消えろ。死ねばいい。勝手に自滅しろっ。そんな風に思ってた。 …だけど、思ったんだ。留年したらこいつどうなんだろって。僕らはクズだ。クズ故に、疎まれ、軽んじられ、避けられ、いつか排除されてく。でもホントにそれでいいのかよと思った。このままだとAKは確実に留年する。きっと彼のクズ仲間も、クラスメートも、教師も、親さえも、そんな結果を見て見ぬふりするんだろう。たかが一人のクズが当然のように落ちてゆく。社会はそんな風に僕らを切り刻むんだろう。takebonoよ、お前それでいいのか?って、そんとき僕は思ったんだ。救うなんて傲慢だ。でも、光を当てれば輝くものってあるんじゃないのか。手を伸ばせば繋げるものって実はあるんじゃないのか。何にもならないのだろうけど、誰も褒めやしないのだろうけど、慈善事業なんてしたくもないんだけど、でも僕はAKを助けたいと思ったんだ。強く思ったんだ。いくらクズでもよー、こんな所で消えていいわけがないだろが。淘汰なんかされていいわけがないんだって。同情なのか共感なのかもよくわかんなかった。ただそれは僕が初めて自分以外の友達のために動くことができる何かだったんだと思う。
そして僕はある日AKに話しかけたんだ。
(自分)「AK君は何(の教科)がヤバイんだ?」
(AK)「え?あ…あぁ…○○と○○と○○…」
(自分)「見してみ」
AKは何だこいつって目をしてた。力のある奴ほど今まで誰も君の力になろうとしてこなかったんだね。待ってろ、僕が今助けてやる。絶対に留年なんかさせない。 僕はAKのノートをひったくった。勉強の痕跡すらない真新しいページが開いた。教科別にファイリングできるノートで、期末テスト全ての科目が教科名だけ貼られてファイリングされてた。もがいていると思った。本当はコイツだって留年なんかしたくないんだ。だけど、きっと何をやっていいかわからないんだ。かつて僕もそうであったように。あらゆる勉強嫌いがそうであるように。
そして僕はAKに勉強を教えた。正確には、テストで点を取る勉強法を教えた。学校の試験なんてそんなものだった。AKは不思議そうな顔をして素直に僕に従った。

ヤマは当たった。AKは期末テストを無事クリアした。何とか僕はAKの力になることができたのだ。
「takebono君にお礼言わなきゃよー!」とかクズ仲間と騒いでたようだけど、仲間の手前、気まずさってやつだろうか、いざ僕と目が合うとAKはそっぽを向いた。別にお礼なんて不要だった。ただ僕はちゃんとAKが底辺を生き残れたことがうれしかった。そしてその日からまた僕らは一言も会話することはなくなった。

一度だけ、放課後にAKと自転車置き場でとすれ違ったことがあった。僕に気づくとAKは無言で頭をかくんと下げた。あれは、不器用なAKが見せた彼なりの誠実な感謝の気持ちだったのかもしれないね。

その後AKは髪型をよく変えた。ロン毛からアフロやドレッドにもなった。そしてその後卒業まで僕らは一言も口をきかなかった。それでよかったし、そうあるべきだった。たまに思い出すこともあるけど、僕らはきっと二度と出会わなくていいのだと思う。

ただ、歌を聞きたかった。AKがあの夜語った自分の夢に出てきた歌だ。流行りでもなく、誰かに歌えるものでもなく、ろくでもなく、みっともなく、どうしようもない、でもAKだけが創れる歌だ。それはきっと僕らの歌でもあるんだろう。いつか聴かせてほしいんだ。あの修学旅行の夜のような透き通る声で、遠くを見つめていたあの目で、君は激しく切なく君だけの歌を歌うんだ。作詞は僕がやってやる。曲名は「ブルーダークの番外地」だ。きっとまだくたばっていないで、どこか番外地みたいな所でバカやってるんだろうからな君は。

あの時代の僕がAKとコラボした記憶は、今でもたまに思い出す、特に鮮明に記憶に残っている僕のブルーダークメモリなのでした。
【END】
恐らく数十分の間だったのに、真夜中の誰もいないホテルの部屋で僕は何十時間も独りでいたような気がした。あんなクズどもの、しかし一刻も早い帰還を僕は願った。僕も一緒に行くべきだったのか。教師に牙をむいてでも奴らを救うべきだったのか。でもAKは僕のことをかばった。どうすればよかったのかなんてわけがわからなかった。ただ、部屋に一人残されたのが惨めだった。 きっとクズはクズ故に負のレッテルを貼られ、不当な扱いを受けることにももう慣れてしまっていて、傷つかなくていいのに傷つけられて、傷つけなくていいのに傷つけてしまうのかもしれない。争いなんて何も生みやしないのに。いくらだってうまくすり抜けてる奴らいるのに、クズはどっかでひっかかっちまうんだ。僕は悲しかった。アイツラって何なんだろうなって思った。でも僕も、結局は似たようなもんか…。クズなんだ結局。 僕らはどうしようもない現実にいつか叩きのめされるんだろうか。だから皆こんなどうでもいい旅行イベントで、現実を忘れようと、空騒ぎしてるのだろうか。そんなことを思った。

しばらくして3人が疲れた顔で帰ってきた。色々面倒なことになったらしいけど、とりあえず夜も遅いので部屋に帰されたようだった。YEは相当疲れたようで、一番遠くの布団にひっくり返って寝てしまった。HIが「まァどうぞ」と言ってお茶をいれた。もう真夜中だった。僕とAKとHIの3人はお茶をすすって一息ついた。僕はさっき起きたことについて僕が思うことを2人に語った。それは、高校に入学してからは欠片も出すことのなかった僕の内面的な感情だった。僕は学校で口をきいたこともないような奴ら、軽蔑しきっていた奴らに、確かに何かを熱く語っていたのだ。2人とも多少驚いてた。それまでの僕のイメージとキャラが崩れたようだった。ソウルに触れた、と僕は思った。

その後我々は世間話をした。一夜限りの世間話だ。明日になれば誰もが忘れ、また叩きのめされるためにそれぞれの現実で生きていくんだろう。それぞれのクズコミュニティーに帰り、言葉を交わすことは二度とないのだろう。 HIは半分寝ていた。僕はただいろんな話をした。AKは日本の将来の話をした。僕は当時軽く社会運動のようなものに携わっていたのもあり、社会についてAKと話した。不思議だった。社会から排除されかけてるクズどもが、何故この社会を憂い日本の将来について語り合っているのか。きっと僕らには他にもたくさん話すことがあった。いつものような期末テストの話だとか、友達や恋人の話だとか、部活の話や、TVの話や、下ネタや、内輪ネタでも何でもよかった。でも僕らは、クズ故に僕らは、社会を語ることしかできなかった。クズ故に僕らは社会を語り合いたかったんだ。僕らを生み育てた社会、そして僕らが生きていく社会、故にだった。

話してる最中にHIも寝てしまい、僕らは部屋の電気を落とした。日付が変わってから何時間も経っていた。AKは僕に夢の話をしてくれた。歌を創りたいんだと言ってAKが開いた汚いノートには、たどたどしい文字とつたない語彙力で、びっしりと歌詞が書き込まれていた。流行りを追うような音楽じゃない、本当の音楽、創りたい音楽をさとAKは呟いた。そして窓を開けて窓枠に座り、彼はタバコに火をつけた。AKが吐くマルボロの煙は月明かりに映し出されながら窓の外の冷たい外気に吹き飛ばされていった。
「もう(教師)来ないと思うよ。普通に(こっちで)吸えば?」と僕は言った。
北海道の夜の闇をバックに、AKがゆっくりこっちを振り向いた。学校では見せることのない穏やかな顔だった。
「小心者なんでね」と、AKは寂しそうに笑って言った。

翌日、我々は東京に帰還した。僕の修学旅行はこうして幕を閉じた。僕とAKは確かにソウルをコラボさせた。北海道の空に一夜限りの共鳴音を残して。

学校が始まるとまた日常が復活した。僕は相変わらず学校をサボったり遅刻したりした。AKはクズ仲間とつるんでばかりいた。HIは留年が決まったらしく学校に来なかったし、YEも相変わらず耳のピアスを手入れしながらあの小さい彼女と仲良く寄り添っていた。
誰も、誰とも何一つ会話しなかった。皆それぞれの在るべき世界に戻っていたんだ。在るべき日々と共にね。

だけどね。この話はここで終わらないんだ。僕が再びAKと向き合い、今度こそこのクズを救ってやろうと思い立ったのは、そのすぐ後のことだったんだよ。
【つづっく】
AKがバスに忘れたらしきMDウオークマンを担任教師から受け取ったとき、担任はすまんなあという顔をした。結局この修学旅行中の「ザ・クズ班」の統率は、少なからず僕の力でもあった。あなたの職務にクズな僕が貢献してんだぞおい!本当はこんな風に助け合いながらうまくやっていくことってできたんだろ。傷つけ合うことなんかなかったんだろ。互いの立場がすれ違いをさせたのだ。衝突ってでもそんなもんなんだろう。話し合う余地があるなら戦争なんて起こらないんだろう。 こんなくだらない修学旅行、面白くも何ともなかったけど、ただ、僕にはまだすることがあった。奴ら「ザ・クズ班」のクズ3匹と、僕はまだ何一つソウルをコラボしてない。奴らの内面に触れたかった。ここまできた本当の意味、その機会こそを僕はこの旅でうかがっていたんだ。

修学旅行最後の夜は、クズどもがどこかの部屋に一同に集まってバカ騒ぎでもやる計画があるらしかった。そして結論から言えばその計画は見事に潰れた。
事の始まりは、夜更けに2人の女子が「ザ・クズ班」の部屋に来訪したことからだった。2人ともガクガクに酔っていた。手にはウイスキーの瓶があった。バカかこいつらと僕は思った。しかし、修学旅行の本質的な部分を見た気もした。 別にヤバイ雰囲気もないし、ほっとくと彼女らは廊下で倒れそうなので部屋に入れてやった。だけど、こんな所を見られたらヤバイんだろうなと思った。夜中に男子の部屋しかも「クズ班」の部屋に女の子2人が泥酔一歩手前なんてね。各御家庭の親御さんたちはこんな事態を一番危惧してるんだろうに。 故に夜間の部屋間移動、とりわけ男子女子間の部屋間移動は厳しくチェックされてた。教師側も旅先で不祥事を起こさぬよう必死だったんだ。僕の高校は底辺校だけどそれを「伝統」とか言い換えて、ギリギリ入学者を確保してるような学校だった。まだまだ落下できる可能性があるからこそ落下を食い止めようと必死こく公立校の悲しいパターンだった。

そんなわけで、夜中もご苦労なことに教師が交替でホテルの廊下歩いてたり「見回り」とかしてるわけだった。でも、最終日の夜は引率教師全員でうちあげで酒が入ることを僕は知ってたし、そんなにピリピリしてないんじゃないかなとか思っていた。どうせ明日には東京に帰るのだ。第一、この2人の女子が千鳥足のまま「クズ班」の部屋に辿り着けたこと自体、警戒が緩い証拠だろうと思った。しかし、僕の推測は外れた。その数分後、まさに最悪のタイミングで、突如ものすごい勢いで2人の教師が「ザ・クズ班」の部屋に飛び込んできたのである。

その場の全員が、何が起きたかわかっていなかった。ハア!?と僕は思った。教師どもはものすげえ形相をしていた。なんだなんだこの一斉検挙みたいな雰囲気は!?僕らが何か悪いことしたのか?
女子2人は頭を叩かれて連れてかれた。「お前たちも外出ろ」と担任教師は言った。もう一人の教師は、僕らを突き飛ばして、部屋に敷いてあった僕らの布団をメチャクチャにひっくり返し、「まだ誰か隠れてんじゃないのかァ」とか言って戸棚まで調べてた。そんなとこに人が入れるかバカが。 そして僕は無性に腹が立ってきた。重なった。自我が芽生えたときから僕が嫌悪してきたものに、そのときの教師どもが重なった。それは見苦しい権力の末端の横暴の姿だった。不毛な争いと、たちの悪い熱と、傲慢な保守権力を醜悪に行使する姿だ。久しぶりに僕の中に怒りの感情が沸いた。「ザ・クズ班」を救わなければと思った。

クズ3匹への同情じゃない。自分に非がないことを証明したかったわけでもない。だけど、僕らが一体何をしたっつうんだ?あの時点で女子2人を追い返すことなんて出来なかったハズだよ。わからないけど、教師側から僕らへの何かしらの負のレッテルが、状況を酷くしていたのは確かなようだった。故に僕はキレていた。徹底的にやるぞ。屈するのはまっぴらだ。「ザ・クズ班」の誰にも非はないだろが。教師どもの横暴な態度こそを謝罪させるべきだろが。僕が教師に詰め寄ろうとした刹那、AKが口を開いた。
「takebono君は関係無いッすよ」
あ!? AKは僕をかばってた。今思うと旅行の最初から、いや「ザ・クズ班」が決定したときから、AKは僕に何か負い目を感じていたのかもしれない。AKが促すとHIも「そだな、takebono君は関係無いな」と言った。ハア!?お前らだって悪くないだろうに。なぜ噛みつかない。 僕は動揺した。こんなクズたちにかばわれても…。 「そうか」と言って担任は僕に何か言いたそうな顔をして、僕以外のクズ3匹を部屋の外に連行していった。修学旅行最後の夜に、僕は一人で部屋に残されたまま立ちすくんでいた。
【つづっく】
就学旅行当日の朝の集合時間前。集合場所の羽田空港内にあった本屋で僕は本を立ち読んでいた。どうせ退屈な旅だろうから読書用に何冊か買っていこうかと悩んでいたのだ。「爆笑問題」の太田が高校時代やはり友達がいなくて退屈な修学旅行中に読書するための本を何冊も持っていったという話を聞いて、太田の気持ちわかるなあと思った。僕はしかも例の「ザ・クズ班」だし。大きな問題なく終わればそれでいいやと思っていた。それにしても、AKは旅行にくるのだろうか。友達の死を乗り越えてまでアイツはくるのだろうか。それだけが僕は気になっていた。

AKはきていた。みんなはもう前日までに荷物を現地に送っちまって手ぶらなのに、AKは一人だけ大きなバッグを背負って現れた。心なしか表情は暗かった。とにかく「ザ・クズ班」はこれで無事全員が揃い、takebonoの最初で最後の修学旅行が始まった。東京下町の底辺高校の生徒たちを乗せたジェット機は一路、北の大地に向かって飛び立った。
機内にて、離陸の瞬間に雄叫びをあげる奴らがいて、隣の席のチンピラ風YEはよだれを垂らして寝ていた。僕は当時はまっていた『銀河英雄伝説』を取り出して読み始めた。

数時間後には北海道に到着。その時期の北海道は東京の冬くらいだった。雪もないし、つまらなかった。団体でぞろぞろ歩くのはイラついた。お前ら奴隷か。
旅行の内容自体にはほとんど記憶がない。アウトドア体験だとか、森を散策するだとか、あとは各地の観光地をまわったような記憶が断片的にあるだけだ。不毛な時間だったように思う。協調性ゼロゼロ。 一つだけ覚えてるのは登山をしたことだ。確かカヌーだとかフィッシングだとかいろんな体験コースがあって、登山コースは希望者が少なければ中止だとかで、それに僕は飛びついたんだっけ。数人での登山は黙々と登るのが楽しかったし、頂上は雲が下に見えて最高に気分が良かった。まあこういうのもいいんでないかなー、と頂上で僕は空を見上げて美濃輪のように手をかざした。

さて「クズ班」である。宿泊地のホテルにて、先に鍵を開けて部屋で待ってたのに、やつらはなかなか部屋に現れない。やっときたと思ったらドアの前で「鍵?」「takebono君が持ってんじゃね?」とかグダグダやってる。鍵開いてるっつーの。早く入れよってドアを開けてやった。 クズ3匹は荷物を置くとすぐどこかへ散り散りに部屋を出て行った。おい僕は留守晩? 「鍵開けとけばいいヨ」とHIが言ったので、僕も部屋を出てホテル内をうろついた。何か盗られてもしらんぞお前ら。 で隣の部屋とか遊びに行ったけどつまらなかった。どこもつまらなかった。みんなは楽しそうなのに僕だけ冷めてるなあと思った。 一人で気ままに風呂に行ったり売店に行ったり、ぶらぶらして結局部屋に戻った。本を読んでたら突然部屋の電話が鳴った。なんだ?「○○です、YEいますかァ?」 YEの彼女だ。コイツなんで部屋の電話でかけてくるんだ!?「いまいないよ」と言って僕は乱暴に切ってやった。YEはおろかAKもHIも部屋を出て行ったきり帰ってこない。なんだかろくなことが起きそうもないな、と思った。

予想通りだけども夜中になると我々「ザ・クズ班」の部屋はクズどものたまり場になった。AKつながりだろうか、各クラスのクズどもが6〜7人くらいバラバラと集まってきた。連中は早速輪になってタバコをふかし始めた。たかが喫煙も見つかったら一応面倒なことになるなと僕は思った。旅先の不祥事は一番学校側にとってやばいからだ。「連帯責任」になるとか言われてたような気がして、僕は舌打ちした。それにしてもお前ら、北海道まできてなんでワルぶってんの?似非の悪意気取ってんの?闘いもせずにふてくされてるくせに、結局公立に胡座かいてやがるんだ。大体お前ら烏合の衆みたいに集まってたまって煙とため息吐くだけで、何にも面白いこととか話さないんだろ。僕のソウルを震わせろよ。何のために僕はこんなクズ班で旅行にきたと思ってんだ。ああイラつく。つまんないなーとか思いながらもう夜中だし寒いしすることもないし、窓際の椅子で僕は本をずっと読んでた。 「吸わない人もいるからさー(気を遣おうぜ)」とか言ってAKが僕の方をちらっと見た。それで奴らのスモーキングタイムは終了した。AKは発言力があるんだなと思った。でも気を遣われても嬉しくもなんともなかった。

そんなこんなで、いろんなことがあって、いろいろ語り尽くせないほどtakebonoさん大変だったんだよあの修学旅行は。しかしなんとかなんとか「ザ・クズ班」をまとめながら、とりあえず無事に修学旅行は進行していった。そして、明日は東京に帰るという修学旅行最後の夜がやってきた。そしてその夜が、takebonoの修学旅行唯一の鮮明なブルーダークメモリとなったのであった。
【つづっく】
「あのメンバーは嫌か?」と、中年小太りの担任教師はわざわざ僕を職員室に呼び出して尋ねた。あのメンバーとは例の同じ班になったクズ3人のことである。修学旅行になぞ行く気がないことを、どうやらうちの母が保護者会かなんかの際に話したらしく、担任教師は僕をなんとしても旅行に行かせようと説得にかかっていたわけである。もちろんあのクズ班は最悪で、旅先では色々困難に見舞われることは間違いないだろうが、僕にとってはそういうイベントの類は中学校の時から行かないことが自明になっていたものだったので、別にメンバーがどうとか以前に行く気は最初から毛頭無かったのだが。担任は恐らくクズ3人と一緒の班が嫌で僕が行きたくないのだと思ったのだろうし、しかしそれでもクズ3人のまとめ役として修学旅行に行くことを期待してもいたみたいだった。「いや、別に。むしろ気を遣わなくていいんじゃないっすか」と僕は答えた。「じゃあ(修学旅行)行こう」と担任は強く言い放ち、僕は「はあ」と答えた。「よし」と呟いた担任の顔には安堵と、説得が成功したという達成感に溢れていた。よかったねと僕は心の中で呟いた。
僕はあの時点でどっちでもよかった。無視することもできたし、いかねーよぜってーと吐き捨てることもできたけど、まぁ別にいっかと思ったのだ。だって、あのメンバーが嫌だから行きたくないなんて、ガキだろ?takebonoらしくないだろ?むしろあの時の僕は少しワクワクし始めていたんだ。面白い展開にソウルを感じていたんだよ。それと、担任教師が僕を必要としてくれたことがほんのちょっとだけ嬉しかったんだな。いつの時も結局甘いんだ僕は。かくして僕は北海道へ行くことになってしまった。修学旅行の2ヶ月くらい前だった。

今は義務化された「総合的学習」に近い形で、旅行に行く前に北海道のことを調べようとかいう「事前学習」とかいうやつのレポートを班でやらなきゃなんなくて、当然3匹のクズ共は全くやる気がない。北海道にまつわるワードが指定されてて各班ごとにレポートを出さなきゃならないんだけど、「安倍なつみ」とか「GLAY」とか「美味しいもの」とか「牧場」とか色々面白いのがあったのに、みんな他の班に取られちゃって、うちのクズ班は余り物ワードの「渡辺淳一」だった。ハア!?渡辺淳一と言えば『失楽園』の作家。北海道生まれなんだって。一応レポート係はHIだったのだが、結局僕がやった。なっちかGLAYについて書きたかったなあとか思いながら僕は渡辺氏の生い立ちなどをまとめた。文庫も一冊買ったけど読まなかった。

そんなこんなで修学旅行が2日後かなんかに迫っていた。クラスメートたちはみんなウキウキと浮き足立っていた。その日はなんか旅行にとって大事な日で(健康診断だか荷物を送る日だったか)、しかしその日「ザ・クズ班」のメンバーであるロン毛チーマーのAKが学校に姿を見せず、だいぶ遅れた時間にゆっくり教室に現れた。「なにやってたんだお前」と担任が冷たい目で言ったけど、それを無視してAKは僕の席の後ろである自分の席に座り、その後ろの席の唯一のクラス内友人である留年HI(←大事な日なので学校にきてた)に話しかけた。そして、「おれ、修学旅行行けない」とAKは力なく呟いた。僕は後ろの席のやりとりを振り返りもせず聞いていた。
「友達が、死んだんだ。昨日…バイクで事故って」
よくあることだなと僕は思った。問題はその一人のバカの死がどれだけAKにとって大きいものだったかということだった。そしてそれは、とりあえずこのくだらない旅行イベントを飲み込むほど大きなものだったのである。
「今日お通夜で、明日葬式、だから…」
AKの友人は停車中のトラックに猛スピードで突っ込んで血と泡を吹いて死んだらしい。自業自得だが、こうやって悲しんでくれる奴もいるのだから天国にいけたと思う。同じように僕が死んでも悲しむ奴はいるだろうかと、よくある台詞のようなことを思ったっけ。
たった一人のバカで掛け替えのなかった友人の死が、数日後に迫ったAKの修学旅行を奪おうとしていた。
【つづっく】
みんなは「修学旅行」とかいう誰にでも訪れるあの「思い出」イベントで、何か心に残ったブルーダークな思い出はあるだろうか?
枕投げとか愛の告白とかバカ騒ぎとか大事故とか?人に見られたらヤバイドキドキものや、「思い出」を作るために共有したワクワクものや、その他たくさんたくさんあるっしょ多分さ。 だけど、takebonoの高校の時の修学旅行といえば、そんな数々のトレンディーなものよりも、どこか奇妙で切なく素敵なある一つの思い出だけが記憶に残っています。
あの夜、真っ暗闇の部屋の中で、月明かりに照らされた揺らめくマルボロの煙の中で、静かに静かに語り出したあいつの横顔を僕は今でも思い出すんだ。今回はそんな修学旅行の思い出話だよ。


修学旅行はいつものように無視するつもりだった。中学校の時も林間学校とか修学旅行や遠足の類もサボったし、行く気も全く無かった。何で?って親や教師とかによく聞かれたけど、周囲を納得させる理由は用意できなかったので明確には答えられなかった。単純だけど僕は人が嫌いで集団が嫌いで、トレンドは吐き気するくらい嫌いだったからというのが理由だったんだけど、理解されないだろうなあとか思ってた。用意された出来合いのトレンド消費イベントに金と時間かけるのも二重に吐き気を催させた。僕は「☆高校生活☆」に死ぬほど気が滅入っていたからだ。第一、2日も3日もクラスの連中と一緒にいられるかって、冗談じゃねえって、思ってたからだった。
最初から行く気もなかったし、当時規則的に学校に通ってなかったこともあって、なんか僕の知らないところで、あれなに?班ていうの?旅行先のホテルの部屋割りが勝手に組まれてて、僕はある3人のクズと一緒の部屋割り班に入れられていた。これがひっでえメンツ!まさに行き場のない掃き溜まりクズ班。AKとHIとYEのクズ3人組。それプラスtakebonoで最クズ4人班。担任教師はクズをひとまとめにすることで、修学旅行を無事進行させたかったのだろうね。

「クズ班」メンバー紹介。まずロン毛の「AK」は、池袋のチーマーみたいな感じの奴。学校内外でつるむクズ共の(昔ならヤンキーとか呼ばれる系のクズか)中心的存在ぽいんだけど、かわいそうにクラス内でつるむ奴がいないの。校舎内の他の場所とか違うクラスではクズ仲間とつるんでるのよく見かけたけど、自分のクラスの教室では誰も友達いないの。だから教室にいるときはいつも寝てるか隣の女の子と話してばっかいる奴だった。僕の後ろの席でこいつはたまにからんできたりして、マジでイラつくし大嫌いだった。 次に、多少大人びた整った顔立ちの「HI」は、AKの後ろの席の奴でAK唯一の教室内の友達なんだけど、ほとんど学校にきてないので留年がほぼ決定してる奴だった。背が高くて長めの黒髪で、末はホストか、じゃなければ爽やかで売れないスポーツタレントみたいな奴だった。ほんとたまに学校くるときはずっと寝てる奴だった。こいつはホントにたまにしか学校にこないけど修学旅行にはいくのか??と僕は不思議でたまらなかった。 最後に、チンピラみたいな雰囲気の「YE」は、教室ではいつも寝てて、放課後になると背の小さな彼女が迎えに来て、寄り添いながら一緒に帰ってく姿がいつもの光景だった。黒いときを見たことがないくらい年間通じてずっと同じ明るい茶髪で、いつもピアスを付けたり外したりしてた。目つきが悪くて、こいつも教室内ではほとんど誰ともつるまなかったし、たまに凶暴な態度を取るけど基本いつも怠そうにしてる奴だった。 こんなクズ3人と、僕は修学旅行で一緒の班になったわけである。いくら底辺校ってもひどすぎるなぁ「ザ・クズ班」。
まァ知ったこっちゃねェわ、どうせ行かねんだし。そう思ってた僕に、しかし運命は興味深く、数ヶ月後には僕はその3人のまとめ役として、遠き悠久の大地・北海道へ、修学旅行へと向かう飛行機の中にいたのでした。
【つづっく】

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