無駄無駄無駄無駄……

あまいッッ。
あまいぞtakebono。

現実を見れ。
ぐわわわ〜〜ん。

本当はね、人一倍弱気なんです。
常にびびッてっからいつも元気だそうとしているの。
打たれることに、人一倍の過剰防衛をしてしまうの、とかいうと笑われたりー。

それでもいッか。

ヨユーの形。

充実だらけ。
後悔だらけ。

もう少し、
もう少しだけ待ってくれまいか。
これは覚悟とも違う気がする。

出来損ないの人間が、
自分の弱さにまた気付く
夢を見る前に思っていたこと
生きる勇気をほしがっていたこと

ぐーだぐだぐだぐーだーらだらだらだーらだら。
こんな一日が超素敵。
なんか幸福。
つくづくスロー。
24時間、非生産非消費、非経済活動。
あー楽。
ふにゃー。
「何にもしていない」時間を、退屈と感じることがない世界が、
僕はこの世で一番幸福な世界だと思うの。
はー。

存在祝い

2007年2月28日 ひとりごと
ホントたまたまなんだけど偶然ブルハツの「HAPPY BIRTHDAY」聴いてたの。「HIGH KICKS」は意外と素敵だったんだ。
N先生お誕生日おめでとー☆
地獄でしたか。僕は楽しかったけどー。
存在が誕生したことへの感謝。喜びの形としてあってもいい。

 いつのまにか生まれてきて
 いつのまにか歩き出す
 さなぎになり 蝶になり
 飛んでいけるんだよ

 生きる人に生まれてきて
 生きる人に勇気はでる
 生きる事はカッコイイ!!

 誕生日おめでとう♪


ぱーん☆−☆
自分が既に大人であるという現実に焦ってたわけでもないのだけど、
同時にガキでもあることを忘れていたのですね。

自分で自分のことさえわかっていない。
自分がなにをやっているのかもわかっていない。
わかっていないということだけはハッキリわかっている。

決して悩んでたことに決着をつけてから歩き出したわけではないのだ。
僕は、僕で良くて、
でも僕を決められなくて、
でもこの僕でなければだめなんだと思ったから。
飛びたくて、飛ぶの。
要するに、
いま冷静で余裕もあって、
尚かつその上でパニクってんのね。

なにしてんのかって。
そりゃー、人なんだよ。
あたりまえじゃん。
世界が変わるんだから、
揺れるはずさ


振動に鈍感だったのは、
純粋ぶって、むしろガキぶって、
汚い大人のように、自分の立ち位置キレイに決めようとしてたからでしょう。
信じていいんですよね。
最低であり最高な僕は、
死んでも良い僕であり、絶対に死ねない僕でもある。
人を傷つける僕であり、人を守り抜く僕でもある。
素晴らしい僕であり、素晴らしくない僕である。
それが人であり、この僕だ。
たぶん等身大に近い、自分だ。


人が人を見るときは、
どうしたって、
その瞳を通して映し出す。
人は人の眼で人を見る。

一度でいいから、
神の目に映りたいかも。
僕は何者なのだろうかと。

パニクってるのは、飛んだからだよ。
風を受け翼が揺れるのは、いま空を飛んでいるからだよ。
しかし恐れない。
いまだわからぬは勇気の在処だ。

ただでさえ分断されている思考が、分散されてく。
集中力、ねーなあー。

情報化社会の渦に、沈みそうだ。

動け、脳。
NO〜。

こっからだ。
こんなとき神の子NGさんなら、と。
こんなつたない文章でも、毎日書いているからか、言語で構成してすんでいた世界が以前とは変わってきてたみたいだ。居心地が良くて気付かなかった部分だろうか。
僕は僕自身をあまりにも自己完結させてた部分もたくさんあったんだなー。
にゃるほど。
まさしく他者によって気付かされる。
他者が写し出す僕。
僕を取り巻く「言葉」たちの、無駄で不毛な部分を、「声」という聴覚表現にまで表出させるその瞬間まで残存させておかなければ、なるほどあたりまえだ、伝わるわけがないー。
「文字」だけじゃだめだ。

僕はいつのまにか、ひとりよがりで、僕の中でだけ理解していて僕の中でだけ構築することに躍起になってしまっていて、肝心な部分というか、相手に伝えるための表現というシンプルな部分を、無視していたのかな。
僕が何をどう感じ、心のどの部分をどう動かし、どのような意思を表明するのかを、以前はもっと、わけわからんままに吐き出せてたはずなのに。
かんたんなことなんだ。
ソウルの原点てやつじゃないか。
余裕こきよって。けしからんな吾輩。

会心の当たりがライナーゲッツー、ってかんじなのね。
もっと昔はがむしゃらにバット振ってたぞ。そんで案外どん詰まりがポテンヒット生んでたぞ。
空振り恐れず振れるようになってから、そこそこコツつかんで、今度はクリーンに打とうとしてきちゃってたな。僕のバッティングはこんなんじゃなかった。アベレージなんかどーでもよくて、結果恐れず思い切り振れればよかったんじゃん。

無知の知。
もっと愚かしくぶつかってみてもいいンかしら。
僕のことをまだ若いと言ってくれている人だっているのだし。
そーだったそーだったね。
完結させちゃだめなんでした。
要するにちいさかった。
僕は終わらない物語。
KAZUYAたんと、KT画伯と、MTR氏とでだらだら飲み。
夜中にKWT氏ご到着。お仕事おつかれッした。
賞味期限切れのカップ麺食べたり。
パスタゆでたり。
ファミコンとかやった。

どーしよーもねー。
コレいま知る限り一番どーしよーもねーメンツかもな。
失われた世代。ぼくら。
未来あんのかよ。
歴史なんかあてになりゃしない。
強く生きるしかないのだけど、
弱すぎる。ぼくら。
目に見えている。
他人事ならそりゃー理想も綺麗事も言えるけどさ。
近くにいて、目に見えるのは、辛いな。
無力だ。
いっぱいいっぱいになればこの憂いすら偽善に終わる。
人生確かにスリルのがええんけど、
こうゆうのは違うんやないのか。
正体が見えていても、不安というもの自体が不安だ。

実際、
ホントにささやかでいいから、
ぼくたちみんな、いつか幸せになれるのかなあ。

爆睡して起きたら誰もいなくてみんな帰っちゃってて、いつものように放置されてるはずの宴の残骸がきれいに片付けられていて、誰がやってくれたのさーうれしーなー。たぶんKWT氏でしょ、優しいなー。
こうゆう何気ない所に、僕は、せめてビールぐらい好きなだけおごったるよいうわけです。みんな余裕ねーんだもん。とりわけKTくん余裕ねーなー。
Sちゃんと御飯食べにいった。会うのは夏以来。また久しぶりになっちったね。
僕が卒業した大学は最近またしてもイメチェンをくわだてているらしい。ちぇーっバカ大学がー。
なんにせよやりたいことやり尽くして早く卒業しーよSちん。そんで共にいろんなことぶつかってこーよ。ねー。これからって時代厳しいけど絶対楽しくもあるからさ。 励まし合ってこーぜ。

そんで、かねてより対談させたかったことを思い出してあのKT画伯をその場に呼んでみた。
思いついたときは「KT氏にSちゃんを会わせてみたかった」だったけど、今回むしろ「SちゃんにKT氏を会わせてみたかった」だった。
昨夜の大暴走から一夜明け上機嫌のKT氏はいろんなこと語ってくれたのでなかなかよかった。

人はどうしてもある程度の固定観念で人を見てしまうから、僕だって結局は絶対にそうだから、だから、自分の情報量キャパ量いわば範疇を、むしろ超えたり度外視するような存在に会わなければ、やっぱりソウルは生まれにくいんだよね。
僕は「出会い」ってのはそうゆうもんだと思うし、ある程度都合良く作動しちまう脳体系の中であっても、ちっぽけでもいいから「出会い」続けることなんだと思うんだよね。
他者になんといわれようと、自分の感動は自分のものやん。
新しいものに出会うってすてきなことだ。
僕は、新しい人やものに出会い続けたくて。そして、人に人を出会わせてやりたいとも思っちょって。
ソウルとソウルを繋ぐことが、僕のソウルでもあるということか。
なんにせよいま一つの時代がきてるぜ。それが僕の中で渦を巻いてやがるよ。
ソウル脳、つくってこ。
朝母さんと話して、
昼間にKTと話して、
その後Nっちゃんと御飯食べに行って話して、
それから仕事行って、ベラベラ適当なこと話して、
夜はSKと飲みに行って話しました。Nっちゃんも合流してホッピーだのカラオケだのなんだかんだあってたのしかった。友達っていいもんだなー。

適当なもんだ。
シンプルな方だ。

単独行動や、黙々としてることもすきだけど、
人と自然な形で話すこともすきなんだね。
人の話を聞くのは元来すきで。
コミュニケーション能力なんぼのもんじゃい。
僕はこれからそうゆう仕事を探そっ。
KT氏と卓球した。マジ強えぇぁなあぁーKTさん〜。

その後ラーメン食べに行ったり。KT氏の家でぐだぐだ飲んだり。音楽聴いたり。マジ語ったり。
KT画伯という人物は、実際、周囲の評価はパロディーイカレキャラではあるが、非常に本質的で、且つ楽しく話し込める友人の一人だ。スピリチュアルなんか翳さなければもっともっと良い男だと思うのにな。
受験脳が下す合理的な判断は、ピンポイントで、誰よりも論理に説得力があるし、実際回転は速いなと思う。
ただ心がついていってない、という。
心か。心ね。

思いやりや優しさという、ある意味非合理極まりなく愚かなものが、何から生まれるのか、未だわからない。
誰だって僕だってキチガイだっつぅことでもある。

きりがない。きりがないという。その、きりのなさ。
わかってるし。
わかってるんだけど。
いま合理的でなくてもいいじゃんか、ってのもある。
いま馬鹿愚かだって素敵じゃんか、と。

きりのない悲しみを、果てのない人間の弱さを、
共に憤ったり、涙を流したり、ほんの少しだけでも立ち向かったり、できる人。
そんな人を僕は優しいと思い、すきになるみたいだから。
若いことなんてやっぱりわかってるんさ。

間違っているかもしれないけれど、
僕は、他者に優しく在れる人がすき。
賢明な解答と五分五分くらいに、この非合理は食らい付いてくる。
何事もなかったように過ぎたり、終わるとしたって、
それもまた、後悔のない生の使い尽くし方なんだろうと思う。

まるで少年のようなまっすぐなカヲス。
抱きとめたいくらいにあやうい輝き。
僕に余裕があるうちに、
何か、を。

自分の力で考えられるなら、
自分の言葉で話せるでしょっ。
僕メインプロデュースの小さな企画。今日本番でした。いや大学を思い出した。いろんなことをしたっけなあ。
結果としては、まーまー納得する成功、なのかなあ。
ピンポイント且つ、正面から行った。それがこの場所の価値だし、僕の在り方だと思ってたから。
届いたことは届いたし、可能性は繋いだと思う。
僕が提案しなければ生まれなかった空間と時間、共有したもの。そうゆうものはよかったと思う。

個々相対的に繋がり方を模索するのも大事で。一歩一歩いくのも大事なんだけど、
実際…、実際なんだよな。
それは僕たちなんだよ。
僕たちは本当にリスクを背負えるのか?
フリーライダーに本当に立ち向かえるのか?

犠牲や負担が大きすぎる試みは、むしろ、
参加できる奴とできない奴という壁を生んでしまう。

僕たちは手を繋ぎきれるのか?

なんつうか、なによりも、なによりも、
僕にはまだ見えてない。見えてこない。
真理とかじゃない。在るべき形なんてとんでもない。
なんていうか、希望がだ。
曖昧なものを曖昧にしすぎてる。
無為を肯定していては、意義はあっても伝わらない。
なにより、どーにも見えてこないんだよなー。わっかりづらい。

おしえてほしいものがなにかもわからない。
僕が自分で考えなければならないことがなんなのかもわからない。

なにかがおかしいと思っているけど、
なにがおかしいのかがわからない。

僕らになにができるのか。
僕らになにができないのか。

焦っていると言われても仕方ないだろうな。
現実を目の前に僕ですら揺らいでいる。
信頼してる人はたくさんいるし。甘えたくないけど大ピンチには助けてくれると思うし心強いのだけど。
でもそれ以前に、

僕は僕が余裕をなくすのが恐い。
ソウルの敗北が恐いんだ。


人に優しくできなくなったときの僕には、もう何も価値や意味がなくなっちゃう気がして。

そして、タイムリミットはあると思う。
僕が僕であるタイムリミットはあるんじゃないかと最近思う。
焦らなければむしろ落ち着かない。
長いスパン。積み重ね。数カ年計画。成長と熟成。
みんなわかってるんだけど、

一方で僕のソウルが囁くんだ。
いましかないんだよ、と。

何かを考えてるとき、僕は遠い目になるみたいだ。
僕はきっといまがピークだ。だからこそ思考を止めたくない。
ここ最近、この人は大丈夫だな、心配いらないな、と思ってた人が、結構倒れてってる。
たぶん、何かが凄く、そういう時代なんだと思う。
一方で、何かと心配してたり気遣ってたりしてた人が、自分の足で歩き始めようとしてる。そういうところにも微かな希望を見たりする。

僕も例外ではないだろう。
いつかは僕も敗れ去る。
立ち上がれなくなるときがくるんだろう。

一生は間違いなく一度だから
いつだってせいいっぱい悔いなく生きるしかないのだけど。

なにかね。この時代。
僕たち、もうすでに大人なのに。
確実なものなんか何もなくて。
10代の頃散々苦しめられた「正しさ」ってのはなんだったんかなあと。やっぱり思う。
茶番じゃないのかと叫んだものは、そんなことはない甘い若いお前は何も知らぬと散々否定された末に、いまよくよく見ればやっぱり茶番だった。

このオトシマエをどうつけさせるか。
それだけでボーッとすることもある。
すっげー愚かな僕のソウル。
時間ももうあまりない。
燃え尽きたっていいかもしれない。
間近に迫ったミニ企画のプレ企画というか打ち合わせというか打ち合わせることなんかほとんどないけど小さな会議。

大学を思い出す。こんな風なワクワクはそのものだ。
あーでもないこーでもないと。
少数精鋭タイプの民主主義。

自主ゼミを思い出す。
教職課程を思い出す。
学部のイベントを思い出すな。

「正しさ」に挑む。
いつだって、現実の切り取り方の多様さを知ることだった。

真実はいつも一つじゃないからなあコナン。

無力を実感する挑戦と知って、だけどやめない。
無知の知を力に、
ぶつけなければ、
ぶつからなければ、
動いたことにすらならないのだ。
心が引きちぎられそうなときがある。
誰も彼も何もかも心配で。
大丈夫。
大丈夫と言い聞かす。
悪いことはそんなに続かない。
現実は優しい一面も持っている。
大人になるってそんなに大変なことなのか。

永遠じゃなくても、
人は、あったかい。
一瞬のぬくもりこそが永遠なのかもしれない。
強くはないのに、つくづく絶望させない。

どうしようもないものは絶対に来るけど。
死ぬ前に、
どんな形でも、
そのときの僕、やっぱり人に優しくすることができないんだろう。

だからいま、
せめていま、
かつての僕が生きていることに感謝した、
人の、優しさってやつに。
敬意を表し、もう一度感謝し、
まごころを込めて、この僕が、
愚かでもいいじゃないかと。

優しさを、力に。

繰り返す。
優しさを、力に。
へこんだ。
へこんだ。
へこんだし。
みんなに悪いことしたし。

ときに思いは、
思いに影響されながら、
こんなふうに動揺したり、
それがただのそれぞれの行き違いだとわかってても、
それでもそれが人の、人である故の、
罪であり、
それこそが、それ自体が、
信頼という奇跡でもありうるということに、
感謝していいくらいなのだ。

ソウルをソウルのままで、終わらせやしないのだ。
傍観者のままでは平和は守れなかった。
主体性に迂闊だったか。
手痛く学びました。
誰かのせいにする大人だけにはなりたかない。
だから自分の至らなさがやだ。

らしくないまま。
らしくなく。
痛い。
人が人でなければ、
こんな日はない。
AYU氏の地元の盛岡商が逆転優勝したので、便乗して祝勝飲み。終末トリオ偶然今年もよろしく。
KT画伯の禁酒の誓いはいまやどこに?
「パンダにとっての笹の葉なんだよ」

KT画伯曰く、takebono雰囲気が変わったと。真面目に新年から気合いが入っていると。
天才児の目はさすがだな。ごまかせないんだな。いろんな意味で、今年は突っ走るためにいま呼吸を整えているんだ。去年は素晴らしい年だった。今年は、去年を活かすんだ。
がんばろうぜと。

僕ら僕らのままで大人になれるのか。
まずは自分自身と、
そしてこの社会との、勝負なんだ。
見てろよ、みんな。
「きっと僕らは手を繋ぐことで、
 より自由になれるんだよ」


ローウェル・ジャドーがそんなこと言ってから四半世紀、
takebonoは、
トレンドやファッションではなく、
嗜好でもポリシーでもなく、
孤独でも、
欲望でもなく、
限りなくソウルとして、
人をすきになっていったんですね。

君も僕も、なにもかもみな、これからなのだということ。
やっとわかったのかも。
一生懸命生きれるのかも。

あったかくて、
あったかくて、
かけがえがなさすぎて、
小さな小さな光のようなものが、
蒼い闇を照らしてく。

きみがきみになりながら、
ぼくはぼくになってゆくのかな。


いまゆっくりと歩きたくて、
手を繋ぎながら立ち上がった、
僕らのいまを、
奇跡のままに、
紡いでく。

希望はまた生まれた。
どーしよーもない友のことを、これほどまで他者が心配してあげられてる、もうこれだけでもそのコミュニティーはもう充分価値があると思う。恵まれてると思う。奇跡だと思う。世の中には、この奇跡が欲しくて欲しくてたまらなくて、ひとりぼっちで震えている人だってたくさんいるのにさ。もっともっと辛い現実を前にうちのめされてる人だってたくさんいるのにさ。
わかってんのかな。
他者に心配されてるんだぞ。
それって、かけがえのないことなんだよ。
かつて僕にそのかけがえのなさを気付かせてくれたのも、君だってその一人なのに。

決して都合の良い言葉ではなく、
共に笑い、泣き、共に生きながらも、
僕を生かしてくれる言葉を吐いてくれる奴
こんな愚かな僕に語りかけてくれる奴
そんな奴がいるのなら、それは奇跡なんだ。
奇跡だから、感謝してんだ。


友達って素晴らしすぎるんだよ
どんなに愚かでもなくしちゃいけないんだよ。

皆の思いが、羨ましくさえ感じる。
どんなに不格好な形でもいい。
どれほど弱々しい形でもいい。
届いてほしい。
ほんの少しでも。
今年はやりたいことみんなやってしまったような気がするのに、
やり残したこともまた多すぎる。
一度限りの人生。
一度限りの奇跡。
素敵に生きられたかな自分。

いまピーク。きっとピーク。
たとえばこれから辛いことがどんだけやってきても、
こんだけ生きてて楽しい時代が在ったんだから、と。
僕は絶対に希望を捨てないのだろうね。
生きている喜び。
味わったらもうやめられやしない。
投げ捨てられやしない。
ソウルという名の、僕の無根拠。
生きろ。
生きろ。
生きちゃえ。
勝手に生きちゃえ。
たっのしいぞお☆
人って不思議だ。自分さえも不思議だ。
奇跡に奇跡を重ねてここにいることがさ。
あの人があの人であったから、
あいつがあいつであったから、
僕が僕でいられるのか。
takebonoがtakebonoでいられるのか。
そうだよな。
全部奇跡なんだ。

やっぱり人がすきなんだな。
やっぱり生きていたかったんだな。
現実はずっと僕の敵だと思っていたけれど、
こんな愚かすぎる僕でも触れられる、優しく尊すぎる現実ってあるんだな。
気付かなかっただけでさ。

限りある時間の中で、
不安定な世界の中で、
いま生きてることがうれしいの。
生きてることってやっぱりすごいことだったんだと、思えることがうれしいの。
生きてるだけで、うれしいし、
生きててくれるだけで、うれしんだ。
存在への感謝。
いま言えるな。

ありがとね。

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