日本之下流社会(八)
2005年12月2日 戯言戯言諸々その他さあ下流論も佳境です。
繰り返される論争。「個性」「自分らしさ」「ホントの自分探し」「夢」について。
団塊ジュニアの調査で、「生活の中で大事にしてること」で、「個性・自分らしさ」「自立・自己実現」が多かった階層はやはり「下」。労働収入は「自分らしさ」や「自己実現」に反比例してるんだな。自分を追い求める限りは困窮は仕方ない。そしてそれでよい。しかし同じ調査が団塊世代では逆の結果を生んでいることが興味深い。団塊世代は「上」の方が「自分らしさ」や「自己実現」を答えているのである。きっと働きすぎたんだよあなた方は。
『希望格差』でもあったけど、「下」の若者が現実逃避のために「夢」を持とうとするって話。そんなんもう最近は、いっちまえばいいやん、って思う。帰ってくる現実なんか用意しないで突っ走っちまえ、と思う。これも若さだろうか。自分らしく死ねばいい。
かの有名な東大の狩谷教授が言うように、勉強以外での自己能力観の肥大化による自主的ドロップアウトと「成功物語否定的」価値観の形成が、結果低学歴低所得につながるならば、やはり「下流」ほど「自分らしさ」に心中するのだともいえなくはない。〈自分らしさ派〉はその代償として階層意識と生活満足度を低下させていて、尚「夢」を見る。その夢を現実のものにするのは個々のソウル次第だが、困窮や無念を愛することができればそれでも素敵だと僕は思うけどな。
〈自分らしさ派〉は未婚率が多く、結婚してても子どもはいない率が高い。職業ではフリーターが多い。まあ予想通りです。雇用環境の悪化と産業構造の変化が非正規雇用を増加させ低所得者を生み出し、結果的に晩婚化と少子化が進み、相互作用的に〈自分らしさ派〉が生まれていったという感じか。決して「青い鳥」ではなく、現実を見てそれでも〈自分らしさ〉を追いたい奴は追えば良いと思うし、いくら問題視したって放置してるからしょうがあんめえと思うし、やっぱり自分らしく死ねれば最高だとも思う。自分が自分にどれだけ基づいているか試されるの、素敵だよ。
そして面白いのが最近流行りの「コミュニケーション能力」の有無ってやつ。この実に曖昧なスキルが備わっているかどうかで、「勝ち組」「負け組」が左右されるという論まである。総じて「下」では「コミュニケーション能力」が希薄な人間が多いとデータは示すのである。
「コミュニケーション能力が高い者は、よりよい就職をし、よりよい所得を得て、より恵まれた結婚をし、結果、より高い階層に属する可能性が高い。他方、自分らしさにこだわりすぎて、他者とのコミュニケーションを避け、社会への適応を拒む若者は、結果的には低い階層に属する可能性が高いのである」(『下流社会』p174)
僕は人と話すのがすきだけど、「コミュニケーション能力」とは違うと言われるのだろう。モチベーション次第だけど人と仲よくなるのが得意だと自分では思ってんだけど、それも違うと言われるのだろう。でもなあ、隙間が圧倒的にすきだしなあ、人に話しかけるのすきだよ。愛想笑いはモチベーション次第ですね。リラックスしてるときほど無神経で無表情だよ僕は。ゼミもGWも社会運動も結局すきですよ。要するに僕にはゴミュニティーにおけるゴミュニケーション能力なら備わってるんだけどね。 なんでもそうだけど無理矢理測ろうとするよな「コミュニケーション能力」ってつまるとこなによ? 僕ゴミュニケーションの方がすきよ。生ゴミュニケーション。
“つづく”
繰り返される論争。「個性」「自分らしさ」「ホントの自分探し」「夢」について。
団塊ジュニアの調査で、「生活の中で大事にしてること」で、「個性・自分らしさ」「自立・自己実現」が多かった階層はやはり「下」。労働収入は「自分らしさ」や「自己実現」に反比例してるんだな。自分を追い求める限りは困窮は仕方ない。そしてそれでよい。しかし同じ調査が団塊世代では逆の結果を生んでいることが興味深い。団塊世代は「上」の方が「自分らしさ」や「自己実現」を答えているのである。きっと働きすぎたんだよあなた方は。
『希望格差』でもあったけど、「下」の若者が現実逃避のために「夢」を持とうとするって話。そんなんもう最近は、いっちまえばいいやん、って思う。帰ってくる現実なんか用意しないで突っ走っちまえ、と思う。これも若さだろうか。自分らしく死ねばいい。
かの有名な東大の狩谷教授が言うように、勉強以外での自己能力観の肥大化による自主的ドロップアウトと「成功物語否定的」価値観の形成が、結果低学歴低所得につながるならば、やはり「下流」ほど「自分らしさ」に心中するのだともいえなくはない。〈自分らしさ派〉はその代償として階層意識と生活満足度を低下させていて、尚「夢」を見る。その夢を現実のものにするのは個々のソウル次第だが、困窮や無念を愛することができればそれでも素敵だと僕は思うけどな。
〈自分らしさ派〉は未婚率が多く、結婚してても子どもはいない率が高い。職業ではフリーターが多い。まあ予想通りです。雇用環境の悪化と産業構造の変化が非正規雇用を増加させ低所得者を生み出し、結果的に晩婚化と少子化が進み、相互作用的に〈自分らしさ派〉が生まれていったという感じか。決して「青い鳥」ではなく、現実を見てそれでも〈自分らしさ〉を追いたい奴は追えば良いと思うし、いくら問題視したって放置してるからしょうがあんめえと思うし、やっぱり自分らしく死ねれば最高だとも思う。自分が自分にどれだけ基づいているか試されるの、素敵だよ。
そして面白いのが最近流行りの「コミュニケーション能力」の有無ってやつ。この実に曖昧なスキルが備わっているかどうかで、「勝ち組」「負け組」が左右されるという論まである。総じて「下」では「コミュニケーション能力」が希薄な人間が多いとデータは示すのである。
「コミュニケーション能力が高い者は、よりよい就職をし、よりよい所得を得て、より恵まれた結婚をし、結果、より高い階層に属する可能性が高い。他方、自分らしさにこだわりすぎて、他者とのコミュニケーションを避け、社会への適応を拒む若者は、結果的には低い階層に属する可能性が高いのである」(『下流社会』p174)
僕は人と話すのがすきだけど、「コミュニケーション能力」とは違うと言われるのだろう。モチベーション次第だけど人と仲よくなるのが得意だと自分では思ってんだけど、それも違うと言われるのだろう。でもなあ、隙間が圧倒的にすきだしなあ、人に話しかけるのすきだよ。愛想笑いはモチベーション次第ですね。リラックスしてるときほど無神経で無表情だよ僕は。ゼミもGWも社会運動も結局すきですよ。要するに僕にはゴミュニティーにおけるゴミュニケーション能力なら備わってるんだけどね。 なんでもそうだけど無理矢理測ろうとするよな「コミュニケーション能力」ってつまるとこなによ? 僕ゴミュニケーションの方がすきよ。生ゴミュニケーション。
“つづく”
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