ブルーダークの少年の記憶【Ⅳ】
2005年12月26日 エッセイときどき凄まじく遠くに行きたくなるときが君にもあるだろうか?ホームで逆方向の電車に飛び乗ろうとしたことがあなたにもあっただろうか?
今回は、takebonoが初めて一人であてもなく遠くに行こうと思ったときの話だよ。その後すきになってゆく一人旅の原点かもしれないね。
◆
記憶が途切れていてあの日がいつだったかも覚えていない。高校1年か2年のときだったかなあ。
ある日の早朝。僕は最寄りS駅の始発で都心から間逆へ向かう電車に乗り込んだ。あの朝はまだ少し寒かった気がする。その電車でどこまでもどこまでも行こうと、その日なぜか僕は急に思い立ったんだ。何も持たずに、何も考えずに。始発って初めて乗ったけど、なんだ普通の電車じゃんって思った。でも乗客はやっぱ少なかった。 僕が乗った電車は延々と東へ東へとガタゴト走り、千葉県に入り、窓の外の景色は徐々に殺風景になっていった。途中、部活の朝練かなんかの高校生の集団がどっと乗り込んできて、うざいなあと思った。電車はさらに東へガタゴト走り、結局は千葉の最東端まで僕を運んでしまった。僕は見慣れぬ地に降り立ち、ハア!?って思って、息を一つ吐き、うろうろして、やはり海を見ようと思って歩き出していた。
そうなんだ。海を見たかった。東日本の海から太平洋を見たかった。いつかは海の向こうのアメリカに渡ろうと僕は勝手に思っていたからだ。『釣りキチ三平』の矢口高雄が、子どもの頃に海の向こうといえばアメリカだと信じ、東北日本の西側の海岸からロシアに向かって「いつかアメリカへいくぞお!」と叫んだエピソード(矢口高雄『蛍雪時代』)があって、じゃあ僕は間違えずにちゃんとアメリカへと続く水平線を見渡してやろうと思ったのだ。
海を見るために、僕は早朝の人気のない千葉県の道路を歩いた。コンビニで買ったパンをかじり、お茶をすすり、マルボロをふかしながら歩いた。何も思考しないようでいて多くのことを思い浮かべながら歩いた。静かだった。小旅行だなあと思った。道路を横切って舗装されてない道に入りさらに歩くと海の匂いがした。さらに進むとけわしい断崖に出た。海が視界いっぱいに出現してた。わあおと呟いてた。打ち寄せる波のしぶき。潮風。海だ。
周囲には人一人いなかった。自殺しにきてるわけじゃないんだぞと思いながら、もっと眺めよく見ようと思って岩場のような所を登ろうとしたら、砂山みたいになってて足が滑りかけた。そしてどっと滑った。危ねっ。なんとか足場キープ。一歩間違えたら転落して死ぬところだった。ぞっとした。
そして僕はしばらくそこにいた。海はすてきだった。独りぼっちもすてきだった。いつまでもここにいたらどうなるんだろと思った。
その後また延々と駅まで歩き、延々と電車に乗り、普通に東京の我が家に帰宅した。何事もない普通の一日としてその日は過ぎていったのでした。
あの頃、どこまでも遠くに行きたいと思ったとき、僕にとっての世界の果てはあの千葉県の東端の名も無き自殺名所のような断崖だった。その数年後、同じような思いに駆られた僕は、真夏の沖縄の最南端の離島の海岸にいた。世界の果ては拡大していると思った。どこまで世界は続くのだろうかと思った。 その後の僕は、二度と見ることのない世界を幾度も巡るような一人旅がすきになっていった。世界は広大で僕は小さすぎる。だから、僕の世界の果てはいつも拡大してゆくんだ。ほとんどの場合、限界やら臨界やらのラインを、僕はうんと手前で引いてしまっていたからだ。小さいんだよ。
恐れること。その一歩を恐れようとすること。世界を知り自らを知ることで、無謀は勇敢へと変わるだろう。その歩みは僕を変えるだけでなく、世界をも変える力を持つだろう。
既に次の世界の果てを目指し歩き始めたtakebonoの、遠き良きブルーダークメモリでした。
【END】
今回は、takebonoが初めて一人であてもなく遠くに行こうと思ったときの話だよ。その後すきになってゆく一人旅の原点かもしれないね。
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記憶が途切れていてあの日がいつだったかも覚えていない。高校1年か2年のときだったかなあ。
ある日の早朝。僕は最寄りS駅の始発で都心から間逆へ向かう電車に乗り込んだ。あの朝はまだ少し寒かった気がする。その電車でどこまでもどこまでも行こうと、その日なぜか僕は急に思い立ったんだ。何も持たずに、何も考えずに。始発って初めて乗ったけど、なんだ普通の電車じゃんって思った。でも乗客はやっぱ少なかった。 僕が乗った電車は延々と東へ東へとガタゴト走り、千葉県に入り、窓の外の景色は徐々に殺風景になっていった。途中、部活の朝練かなんかの高校生の集団がどっと乗り込んできて、うざいなあと思った。電車はさらに東へガタゴト走り、結局は千葉の最東端まで僕を運んでしまった。僕は見慣れぬ地に降り立ち、ハア!?って思って、息を一つ吐き、うろうろして、やはり海を見ようと思って歩き出していた。
そうなんだ。海を見たかった。東日本の海から太平洋を見たかった。いつかは海の向こうのアメリカに渡ろうと僕は勝手に思っていたからだ。『釣りキチ三平』の矢口高雄が、子どもの頃に海の向こうといえばアメリカだと信じ、東北日本の西側の海岸からロシアに向かって「いつかアメリカへいくぞお!」と叫んだエピソード(矢口高雄『蛍雪時代』)があって、じゃあ僕は間違えずにちゃんとアメリカへと続く水平線を見渡してやろうと思ったのだ。
海を見るために、僕は早朝の人気のない千葉県の道路を歩いた。コンビニで買ったパンをかじり、お茶をすすり、マルボロをふかしながら歩いた。何も思考しないようでいて多くのことを思い浮かべながら歩いた。静かだった。小旅行だなあと思った。道路を横切って舗装されてない道に入りさらに歩くと海の匂いがした。さらに進むとけわしい断崖に出た。海が視界いっぱいに出現してた。わあおと呟いてた。打ち寄せる波のしぶき。潮風。海だ。
周囲には人一人いなかった。自殺しにきてるわけじゃないんだぞと思いながら、もっと眺めよく見ようと思って岩場のような所を登ろうとしたら、砂山みたいになってて足が滑りかけた。そしてどっと滑った。危ねっ。なんとか足場キープ。一歩間違えたら転落して死ぬところだった。ぞっとした。
そして僕はしばらくそこにいた。海はすてきだった。独りぼっちもすてきだった。いつまでもここにいたらどうなるんだろと思った。
その後また延々と駅まで歩き、延々と電車に乗り、普通に東京の我が家に帰宅した。何事もない普通の一日としてその日は過ぎていったのでした。
あの頃、どこまでも遠くに行きたいと思ったとき、僕にとっての世界の果てはあの千葉県の東端の名も無き自殺名所のような断崖だった。その数年後、同じような思いに駆られた僕は、真夏の沖縄の最南端の離島の海岸にいた。世界の果ては拡大していると思った。どこまで世界は続くのだろうかと思った。 その後の僕は、二度と見ることのない世界を幾度も巡るような一人旅がすきになっていった。世界は広大で僕は小さすぎる。だから、僕の世界の果てはいつも拡大してゆくんだ。ほとんどの場合、限界やら臨界やらのラインを、僕はうんと手前で引いてしまっていたからだ。小さいんだよ。
恐れること。その一歩を恐れようとすること。世界を知り自らを知ることで、無謀は勇敢へと変わるだろう。その歩みは僕を変えるだけでなく、世界をも変える力を持つだろう。
既に次の世界の果てを目指し歩き始めたtakebonoの、遠き良きブルーダークメモリでした。
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