此社会、或破壊につき… “2”
2006年1月31日 戯言戯言諸々その他景気が回復してきているという。2007年問題を控え、企業の求人数も上昇している。こんな僕だって望めば正社員になれるってことを最近は自分自身若干真剣に考え始めた。氷河期の風が劇的に止むこのときが機会なのかもしれない。だがしかし非正社員化は止まっていない。まさに相互作用として。
「正社員になればいい」と、2005年3月の参院予算委員会で、ある野党議員による非正社員問題についての言及に対し、ある与党の二世議員がそんな野次を飛ばした。彼らの中ではまだ「フリーター亡国論」すらも根強い。この国の為政者たちの意識はやはりその程度だ。いつも思うのは、誰がこの問題を問題として問題視するかだ。その辺の酔ったおっさんの意見ならともかく、国会議員が社会問題をそんな風に扱うのは軽率で乱暴すぎやしないかって。全員が正社員になって済む問題ではないし、そもそも正社員になれないのが問題でもあるのだから。
ある自治体の調査によると、90年代半ばには6割近い企業が「簡単な仕事だから」という理由をトップにパート労働者を雇っていた。人手不足の90年代半ばにおいては、パートは「簡単な仕事をする人」のイメージであり、あくまで臨時要員だったのである。しかし2000年に入ってからの同じ問いかけにおいて、6割近い企業の支持を集めたのは「賃金コストが安くて済むから」だったのである。
正社員は、会社の都合により生活を左右され人生を左右される。そんなことがない代わりに、非正社員はあらゆる処遇面で正社員よりも低い水準におかれる。だがかつての非正社員は、「自分の都合に合わせて働ける」という個々の希望する労働形態に適した面を含むものでもあった。そこから――或いは富める日本経済とその恩恵を受けた親世代の経済的余裕から――ある種のモラトリアム(人生決定を先延ばしにする)による「フリーター」が生まれることになる。右肩上がりの高度成長期を生きてきた親世代は、そんな若者たちが同居することを大目に見ることのできる余裕と体力があって、「家付き食事付き洗濯付き」という居心地の良さが、若者の晩婚化と親への依存性を加速させたといわれている。社会学者の山田昌弘は、そんな若者たちを「パラサイト・シングル」という言葉で括ったりした。(『パラサイト・シングルの時代』山田昌弘)
だが近年になると状況は変わる。「自分の都合で働ける」ことが、非正社員が非正規労働に従事する上での拠り所だったのに、最近は「会社の都合」がそれを凌駕し始めたのである。
「欧米では非正規労働は臨時的な仕事という位置づけだが、日本では不況乗り切り策の切り札として重宝がられてきた。正社員に比べれば、人件費が圧倒的に安いのである」(p6)
男性正社員の時間あたりの賃金(ボーナス含)を100とすると、パート労働者は39.1になる。90年当時は100:45.9だったので、ここ10数年でかなり格差は拡大していることになる。 女性の場合、正社員100に対し、パート労働者は53.2。正社員では男女間の賃金格差は大きいのだが、パートになると縮小する。パート労働はどちらかといえば男女均等に近いともいえる。その理由の一つは、パート労働が元来、家計補助的な女性中心の労働だったことに起因する。パート労働者1200万人中、その7割が女性である。現在はリストラやリタイヤなどで男性もパート市場に参入しているが、女性中心型市場故に、男性でも女性仕様の低賃金体系に組み込まれる。企業にとっては嬉しくて仕方がない。
『2003年版・労働経済白書』(厚生労働省)によると、パート・アルバイトは年収150万円未満に8割が属し、派遣社員は年収200万未満が半数(契約社員と嘱託は4割)に達している。 非正規労働の全体的な低賃金は、企業が人件費コストを抑えるのに加え、主婦労働者が多いパート労働者は「社会保険料や所得税を負担したくない」「夫の扶養控除範囲内で働きたい」等の理由で一定の収入範囲内にとどまるいわゆる「就業調整」をしていることが少なくないから、低賃金が固定されているという要因もある。主婦やパラサイトはそれでもいいんだろうけど、自立したい人にとっては低賃金体系は足枷になる。興味深いところだ。労使協調が結局泥沼になってやがる。
一つの大前提として言えるのは、90年代半ば以降に急テンポで進行した企業による「非正社員化」の狙いが、人件費の圧縮にあったことである。不況だったからね。では景気が回復してきたら正社員は増えるのだろうか。部分的にはそうなるかもしれないが全体傾向としてはあまり期待できないと筆者はいう。不況脱出で苦しむ中で企業は、総人件費がいかに経営を圧迫しているか、その削減こそが不況の克服であり、人件費の安い東アジアとの市場競争に勝利してゆく最短ルートであることを、恐るべきことに強く自覚してしまったからである。
〔続く〕
「正社員になればいい」と、2005年3月の参院予算委員会で、ある野党議員による非正社員問題についての言及に対し、ある与党の二世議員がそんな野次を飛ばした。彼らの中ではまだ「フリーター亡国論」すらも根強い。この国の為政者たちの意識はやはりその程度だ。いつも思うのは、誰がこの問題を問題として問題視するかだ。その辺の酔ったおっさんの意見ならともかく、国会議員が社会問題をそんな風に扱うのは軽率で乱暴すぎやしないかって。全員が正社員になって済む問題ではないし、そもそも正社員になれないのが問題でもあるのだから。
ある自治体の調査によると、90年代半ばには6割近い企業が「簡単な仕事だから」という理由をトップにパート労働者を雇っていた。人手不足の90年代半ばにおいては、パートは「簡単な仕事をする人」のイメージであり、あくまで臨時要員だったのである。しかし2000年に入ってからの同じ問いかけにおいて、6割近い企業の支持を集めたのは「賃金コストが安くて済むから」だったのである。
正社員は、会社の都合により生活を左右され人生を左右される。そんなことがない代わりに、非正社員はあらゆる処遇面で正社員よりも低い水準におかれる。だがかつての非正社員は、「自分の都合に合わせて働ける」という個々の希望する労働形態に適した面を含むものでもあった。そこから――或いは富める日本経済とその恩恵を受けた親世代の経済的余裕から――ある種のモラトリアム(人生決定を先延ばしにする)による「フリーター」が生まれることになる。右肩上がりの高度成長期を生きてきた親世代は、そんな若者たちが同居することを大目に見ることのできる余裕と体力があって、「家付き食事付き洗濯付き」という居心地の良さが、若者の晩婚化と親への依存性を加速させたといわれている。社会学者の山田昌弘は、そんな若者たちを「パラサイト・シングル」という言葉で括ったりした。(『パラサイト・シングルの時代』山田昌弘)
だが近年になると状況は変わる。「自分の都合で働ける」ことが、非正社員が非正規労働に従事する上での拠り所だったのに、最近は「会社の都合」がそれを凌駕し始めたのである。
「欧米では非正規労働は臨時的な仕事という位置づけだが、日本では不況乗り切り策の切り札として重宝がられてきた。正社員に比べれば、人件費が圧倒的に安いのである」(p6)
男性正社員の時間あたりの賃金(ボーナス含)を100とすると、パート労働者は39.1になる。90年当時は100:45.9だったので、ここ10数年でかなり格差は拡大していることになる。 女性の場合、正社員100に対し、パート労働者は53.2。正社員では男女間の賃金格差は大きいのだが、パートになると縮小する。パート労働はどちらかといえば男女均等に近いともいえる。その理由の一つは、パート労働が元来、家計補助的な女性中心の労働だったことに起因する。パート労働者1200万人中、その7割が女性である。現在はリストラやリタイヤなどで男性もパート市場に参入しているが、女性中心型市場故に、男性でも女性仕様の低賃金体系に組み込まれる。企業にとっては嬉しくて仕方がない。
『2003年版・労働経済白書』(厚生労働省)によると、パート・アルバイトは年収150万円未満に8割が属し、派遣社員は年収200万未満が半数(契約社員と嘱託は4割)に達している。 非正規労働の全体的な低賃金は、企業が人件費コストを抑えるのに加え、主婦労働者が多いパート労働者は「社会保険料や所得税を負担したくない」「夫の扶養控除範囲内で働きたい」等の理由で一定の収入範囲内にとどまるいわゆる「就業調整」をしていることが少なくないから、低賃金が固定されているという要因もある。主婦やパラサイトはそれでもいいんだろうけど、自立したい人にとっては低賃金体系は足枷になる。興味深いところだ。労使協調が結局泥沼になってやがる。
一つの大前提として言えるのは、90年代半ば以降に急テンポで進行した企業による「非正社員化」の狙いが、人件費の圧縮にあったことである。不況だったからね。では景気が回復してきたら正社員は増えるのだろうか。部分的にはそうなるかもしれないが全体傾向としてはあまり期待できないと筆者はいう。不況脱出で苦しむ中で企業は、総人件費がいかに経営を圧迫しているか、その削減こそが不況の克服であり、人件費の安い東アジアとの市場競争に勝利してゆく最短ルートであることを、恐るべきことに強く自覚してしまったからである。
〔続く〕
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