めのん

2006年2月13日 読書
プラトンの『メノン』。

アテナイを訪ねた青年メノンが、「先生、道徳というものは教えることができるもんなんでしょうか?」とソクラテスに尋ね、道徳と道徳教育を巡る二人のやりとりが延々と展開される。

メノンが少し意地悪気味に質問し、ソクラテスはうまく答える。
「…僕は、教えられるか教えられないかを知っているどころか、徳それ自体がそもそも何であるかということさえ知らないのだよ。…この問題に関する僕の知恵は、同市民たちの御多分にもれず貧困であって、徳について全然何も知らないことを、自分自身に対して非難している状態なのだ。そして、ある一つのものが何であるかを知らないとしたら、それがどのような性質のものかということを、どうして僕は知ることができよう」

道徳教育はどう在るべきか?を問う前に、道徳とはそもそも何なのか?を考えようよとソクラテスは言う。メノンは少し小馬鹿にした気持ちのまま自分の道徳論を展開するが、ソクラテスは無知の知により、ソフィスト批判も含め、様々な論法でメノンの問いを導いてゆく。

「何であるかがまだわかっていないようなものについて、それがどのような性質のものであるかということを考察しなければならないらしい」

徳とは…「善きもの」か? またそれを獲得する能力か? それが善きものでなければ不獲得もまた徳か?
徳とは知識であるか? 知識であるなら教えられるはずだろうか?
徳は善であるか? 徳は有益であるか? 有益はときには害ではないか? 正しい使用の場合は有益であり、正しくなければ有害ではないか?
教えられるもの、つまり教えうるものならば、教える者と習う者がいるはずではないか? 徳における教師とは? また、生徒とは?
すばらしい人や、徳のある人は確かに存在する。しかし、教えうる能力はまた別ではないか?

「我々はまず何よりも、我々自身に注意を向けて、我々をとにかく何かの仕方で、より優れた人間にしてくれるような人を探し求めなければならない」

正しさに導くのは思惑か?知識か?
結局は、神の恵みによる??

道徳はどうやったら教えられるか?を議論する前に、道徳とは何か?をもっともっと議論したいものだねえ。で、2人のやりとりは終わる。

今日学校行って、教職ゼミの残りの作業をしました。やっとめどがついた。
おつかれメノンそしてtakebono。

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