◇昨年の石田衣良作品『東京DOLL』を読む。読み終わって、僕にとって愛とは何なのだろうかと思った。
−孤独な天才ゲームクリエイター・MGが見つけた女神・ヨリは、愛する者の絶望の未来を覗く力を持っていた。生命と性は、システムに罠として組み込まれた、生きているだけならその存在さえ気付かない、肉体の奥深くに眠るプログラムでもある。いずれは隠すこともできなくなるソウルの在処に脅え、僕はそれでも一人で生きてゆくことなどできないことを知りながら、でも一人でいることしかできなかった。取り返しのつかなくなるくらいその誰かを傷つけてしまうことが、僕を、人と繋がる幸福や恐怖からただ逃れさせていた。だから、僕が本当に愛し抱きしめたかったのは、背中に羽を持つ人形の彼女だったのだ。
◇TAに借りた村上龍を読む。まずは『限りなく透明に近いブルー』。村上龍氏が24歳の時に書いて賞をとったイカれデビュー作品。第一稿の元題は『クリトリスにバターを』だそうで、強烈な風俗描写が凄い。30%くらいは官能小説と言ってよいね。
−米軍基地に近い原色の街・福生。酒と麻薬と乱交とニューロック。常軌を逸した無軌道な青春とヒッピー文化。〈現実〉の洪水に溺れる中で、〈非現実〉に残される一滴のリアル。それはアルコールとヘロインとニコチン。体液と血液。汗と海水。不安定なブルーはこの上なく自己を反射させ、それは限りなく静かに透明に近く、穏やかに鮮烈に若者達を映し出していった。
◇あと合間に奥山貴宏氏の『ヴァニシングポイント』を読みました。「ジェネジャン」で騒いでたやつね。興味本位で読みました。自伝小説?奥山氏なりのソウルに溢れてた。僕にはこんな生き方はできないし、したくないけど。ご冥福をお祈りします。それでもやはりソウルだった。大切に、大切に、一度きりの人生を悔いなく生きなければならないこと、当たり前のことを改めて思うときって、僕ドキドキする。「生きている」ってことがどれくらい凄いことなのかってことを再確認するからだ。
−「これまでもその先にあってハッキリとは見えなかった「消滅点」が見えてきた。オレが消えて無くなってしまうポイント、地点が見えてきたのだ。もうすぐオレは消える、もうすぐオレはいなくなる…」
全てに悔いの残らないようになんて生きれないのだろうけど、一度、ただ一度、「瞬き一つの間の一生♪」を、やはり、こんな豊かな国に生まれ、素晴らしい人たちに囲まれ、幸運だったと思うなら、自分の全存在をかけて、自分自身や何か巨大なものと闘ったっていいんじゃないか。快楽じゃなくて惰性でもなくて、燃えたぎるようなエゴイズムとソウルの欠片で、生き尽くしてやるのもいいんじゃないか。僕はいつも愚かしく浅はかだな。でもそう思いました。
−孤独な天才ゲームクリエイター・MGが見つけた女神・ヨリは、愛する者の絶望の未来を覗く力を持っていた。生命と性は、システムに罠として組み込まれた、生きているだけならその存在さえ気付かない、肉体の奥深くに眠るプログラムでもある。いずれは隠すこともできなくなるソウルの在処に脅え、僕はそれでも一人で生きてゆくことなどできないことを知りながら、でも一人でいることしかできなかった。取り返しのつかなくなるくらいその誰かを傷つけてしまうことが、僕を、人と繋がる幸福や恐怖からただ逃れさせていた。だから、僕が本当に愛し抱きしめたかったのは、背中に羽を持つ人形の彼女だったのだ。
◇TAに借りた村上龍を読む。まずは『限りなく透明に近いブルー』。村上龍氏が24歳の時に書いて賞をとったイカれデビュー作品。第一稿の元題は『クリトリスにバターを』だそうで、強烈な風俗描写が凄い。30%くらいは官能小説と言ってよいね。
−米軍基地に近い原色の街・福生。酒と麻薬と乱交とニューロック。常軌を逸した無軌道な青春とヒッピー文化。〈現実〉の洪水に溺れる中で、〈非現実〉に残される一滴のリアル。それはアルコールとヘロインとニコチン。体液と血液。汗と海水。不安定なブルーはこの上なく自己を反射させ、それは限りなく静かに透明に近く、穏やかに鮮烈に若者達を映し出していった。
◇あと合間に奥山貴宏氏の『ヴァニシングポイント』を読みました。「ジェネジャン」で騒いでたやつね。興味本位で読みました。自伝小説?奥山氏なりのソウルに溢れてた。僕にはこんな生き方はできないし、したくないけど。ご冥福をお祈りします。それでもやはりソウルだった。大切に、大切に、一度きりの人生を悔いなく生きなければならないこと、当たり前のことを改めて思うときって、僕ドキドキする。「生きている」ってことがどれくらい凄いことなのかってことを再確認するからだ。
−「これまでもその先にあってハッキリとは見えなかった「消滅点」が見えてきた。オレが消えて無くなってしまうポイント、地点が見えてきたのだ。もうすぐオレは消える、もうすぐオレはいなくなる…」
全てに悔いの残らないようになんて生きれないのだろうけど、一度、ただ一度、「瞬き一つの間の一生♪」を、やはり、こんな豊かな国に生まれ、素晴らしい人たちに囲まれ、幸運だったと思うなら、自分の全存在をかけて、自分自身や何か巨大なものと闘ったっていいんじゃないか。快楽じゃなくて惰性でもなくて、燃えたぎるようなエゴイズムとソウルの欠片で、生き尽くしてやるのもいいんじゃないか。僕はいつも愚かしく浅はかだな。でもそう思いました。
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