ブルーダークの少年の記憶【Ⅷ】−2
2006年4月3日 エッセイ僕の受験戦争が始まり、僕は予備校に通った。津田沼の代ゼミの、最低ランクのそのまた最底辺レベルのクラスだった。授業はバカみたいにわかりやすかった。英語の最初の1時間目で「be動詞」が何なのかがわかった。中高6年間の英語の時間で僕は何をしてきたんだろうかって思った。2時間目に「文型」を理解し、3時間目には文法の使い方が少しわかってきた。偏差値は30くらいからのスタートだったけど、勉強がわかってくのは楽しかった。一日最低10時間は勉強するようにした。予備校でも友達なんかつくらずに、ずっとずっと空き時間も全て勉強した。朝「いってきます」の次に発した言葉は夜の「ただいま」だった日が何日も続いた。最低クラスの連中は次々と授業に姿を見せなくなってったけど、僕は休まずに通った。一度、授業が僕一人のときがあった。あれは先生がかわいそうだったな。
大学に行きたかった。どうしても行きたかった。でも時々、予備校のテキストを引き裂きたくなったし、シャーペンをへし折りたくもなった。都合のいい夢ばかり見た後で、どんな締めくくりを信じることが出来るだろうかって、それだけが本当に恐かった。ちっぽけな希望を失う恐怖が、また僕を前進させてもいた。
模試の結果は徐々に良くなっていって、夏頃には、3流大くらいなら入れそうにまで僕の頭は進化していた。「大学入ったらパラダイスだぞ」と先生が笑って言った。現在の大学のレジャーランド化は、これがそうかと思った。こうやって、受験戦争の果てに「ゴール」した大学で、皆が脳死してゆくんだろうなって。日本の教育の受験体制は確かに広範囲の「学力」(とかいう極めて曖昧なもの)をもたらしたけど、大切な部分を何も育てちゃいない。「何の役に立つの?」って、そんなこと、ずっと誰かが問い続けてる間にも、レジャーとトレンドの脳死文化と慣習に大多数は楽しく巻き込まれてく。
世界?社会?基準は自分だろ。自分で探すんだろ。意味や価値も。理由も甲斐もだ。自分だろ。自分が創るんだろ。そんなこと、当たり前じゃないか。
だけど僕はそんときはまだ、まだ何も見つけきれちゃいなかった。僕は僕の生き方が恐かった。不本意も、未知も恐かった。恐いものばかりだったんだ。
日本史の先生の雑談がすっげえ面白かったし、現代文の先生が毎時間配るプリントに載ってるコラムのような文章が面白かった(あのプリントは後々の僕に、そしてこのブログにも活かされてる)。ホントに、予備校は学校なんかより全然面白かった。
そしてあの夏の夜も必死で勉強してたんだ。今考えるとあれこそが受験勉強で、僕は脳死してたんかもしれない。戦争は脳を麻痺させる。
夜中に兄から日本史を教わっていたとき、Nちゃんからメールが届いた。
〔世界が、変だぞ!?〕
…なにそれ!?
兄がTVをつけたとき、僕はそれを画面全体に見た。アメリカ資本主義経済の象徴――世界の中心にそびえ立つあのツインタワーが…!? あのシーン。世界貿易センタービルに巨大な穴が空いていたあのシーン。僕はリアルタイムで見たのだ。飛行機が…!?突っ込んだ…!?なに?それ…!? ビルから黒煙がガンガンに吹き出していた。これは…戦争?まさかっ?でも…超大国アメリカが…攻撃されている!?
あの瞬間、世界って震撼したんだと思う。きっとそれこそがテロリズムだったのだ。
もう一生忘れることはない。それが、世界と僕が巡り会った2001年〈9・11〉。
映像の中の狂ったリアルは、僕の心臓を強烈に叩き続けていた。
【つづっく】
大学に行きたかった。どうしても行きたかった。でも時々、予備校のテキストを引き裂きたくなったし、シャーペンをへし折りたくもなった。都合のいい夢ばかり見た後で、どんな締めくくりを信じることが出来るだろうかって、それだけが本当に恐かった。ちっぽけな希望を失う恐怖が、また僕を前進させてもいた。
模試の結果は徐々に良くなっていって、夏頃には、3流大くらいなら入れそうにまで僕の頭は進化していた。「大学入ったらパラダイスだぞ」と先生が笑って言った。現在の大学のレジャーランド化は、これがそうかと思った。こうやって、受験戦争の果てに「ゴール」した大学で、皆が脳死してゆくんだろうなって。日本の教育の受験体制は確かに広範囲の「学力」(とかいう極めて曖昧なもの)をもたらしたけど、大切な部分を何も育てちゃいない。「何の役に立つの?」って、そんなこと、ずっと誰かが問い続けてる間にも、レジャーとトレンドの脳死文化と慣習に大多数は楽しく巻き込まれてく。
世界?社会?基準は自分だろ。自分で探すんだろ。意味や価値も。理由も甲斐もだ。自分だろ。自分が創るんだろ。そんなこと、当たり前じゃないか。
だけど僕はそんときはまだ、まだ何も見つけきれちゃいなかった。僕は僕の生き方が恐かった。不本意も、未知も恐かった。恐いものばかりだったんだ。
日本史の先生の雑談がすっげえ面白かったし、現代文の先生が毎時間配るプリントに載ってるコラムのような文章が面白かった(あのプリントは後々の僕に、そしてこのブログにも活かされてる)。ホントに、予備校は学校なんかより全然面白かった。
そしてあの夏の夜も必死で勉強してたんだ。今考えるとあれこそが受験勉強で、僕は脳死してたんかもしれない。戦争は脳を麻痺させる。
夜中に兄から日本史を教わっていたとき、Nちゃんからメールが届いた。
〔世界が、変だぞ!?〕
…なにそれ!?
兄がTVをつけたとき、僕はそれを画面全体に見た。アメリカ資本主義経済の象徴――世界の中心にそびえ立つあのツインタワーが…!? あのシーン。世界貿易センタービルに巨大な穴が空いていたあのシーン。僕はリアルタイムで見たのだ。飛行機が…!?突っ込んだ…!?なに?それ…!? ビルから黒煙がガンガンに吹き出していた。これは…戦争?まさかっ?でも…超大国アメリカが…攻撃されている!?
あの瞬間、世界って震撼したんだと思う。きっとそれこそがテロリズムだったのだ。
もう一生忘れることはない。それが、世界と僕が巡り会った2001年〈9・11〉。
映像の中の狂ったリアルは、僕の心臓を強烈に叩き続けていた。
【つづっく】
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