内田樹『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』

売らんかな本見え見えの割には珍しく、まあまあすーっと読ませてくれたかな。
頷く箇所は多かったがウーンと。
自分のことを言われているようでムムム無無と。

親のみならず、もはや子ども自体が、「高給取りレース」における教育サービスにおいて「賢明な消費者」であろうとしてる。だけどその背景は結局ヒエラルキーピラミッドと市場価値商品経済バーチャル世界でしかない。「商品」の価値を適切に理解し、いち早く選択を行える環境にいる子どもだけが、自分が「教育を受ける意味」を知りうるのだ。
「不快」を代償に、我慢してるだけの子どもは、やはり現実認識が不足しているから終わっていくわけだけど。
でも、
現実に期待させることがそもそも難しい、なと思ってしまうのだがな。
そもそも「教育」は残酷な真実であり、罪ではないか。

やっぱり出来レースだと思う。一生をかけた出来レースだ。
誰が何を憂おうが、これは総体や結果としての流れなのだ。

良き労働者になるためか。良き消費者になるためか。国民全員でこの国の市場経済を守ってゆくためなんだろうか。
それでもいいんだけどさ、
僕があの頃先生に教えてほしかったことは、
この国で僕たちは幸せになれるのかどうか、ということだった気がします。

経済社会から排除される人が増えることが教育問題になるのなら、
それこそ誰が何のために何かを学ぼうとするのだろうか。
教育はとっくに自殺してたんじゃん。

自分の生活のことを、多かれ少なかれ皆考えてる。
落ちこぼれのプライドも、
ニートの気楽さも、
現実の前には、ちっぽけで。

だから僕は、在る、と思うんよ。
それらを満たし、且つ個々に普遍的な知の体系というやつが。
それは、
争いや犯罪に巻き込まれないで平和に誠実に暮らす方法。
自分で自分の生活を守る力だったと思う。

賃金を稼ぐ能力、だけじゃない。
自分の生活立場にとってベストな政策を行う政府を、適切に選ぶことのできる政治意識。
争いや犯罪を回避する、権利や法律の知識。
人生を豊かにするための、教養と健康。

学ばなければならないことと、
学びたいこと、
一致してるものは絶対ある。

その上で、
知らなくてもよかったことと、
知ってよかったことが、
どっちも未知の中にあるということも認めてあげたい。
幾らでも在る真実を、都合の良し悪しで見たり見なかったり、見させられたり見させられなかったりしてるんだから。

コメント

mura
mura
2007年3月10日9:54

makiokaraはやっぱりビールばっかり飲んでるンかしら。昼も夜も飲んでそう?
時差どンだけだ。
すごいねーネット。
帰国したらおしえて。写真なぞヨロシク。

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