石原東京王国も3期目が確定。
庶民が負担する腐敗都政も、その根を変えるまでには至らず。
選挙は予想通りの出来レースだったけど、この国の政治力学のようなものも垣間見られて興味深かった。

実は僕は今回の都知事選挙では、いつになく色々なことを思考した。それは実際に公私含むことというか、多様多岐なもので、ここでは書かないのだけど、非常に貴重なものだったと思う。
僕らの世界というのは、言うまでもなく誰かにつくられたもので、法と経済と政治はそのメイン動力のようなものだと思っている。だけど、実際にあらゆるレベルやポジションで、世界を担っている人たちはいるんだよね。そこにはいろんな力学が個々に働いているんだよね。
実際にそんな多様なリアルに介入するとき、僕たちがかつて繰り返していた総論じみた机上の空論はなんだったのだろうかと思う。
状況と立場が、ほとんどを決定すると思う。そうゆう意味では、選択肢は限られてくるし、適正な判断を正しさと呼んでいいと思う。
ただそれは、自分のソウルと照らし合わせた上での、モチベーション次第なんだと思う。

一定の余裕と教養のレベルは、貴重で幸福なものだとあらためて思ったよ。
評論家は涙を流さないと思う。
野心家はそれが生きるすべ。
庶民はささやかな秩序を願っている。
僕は、どうゆう立場で、どうゆうモチベーションで、このすでに終わってしまった世界でどんな道を探してゆけばいいんだろう。
どんな人生が僕にとって素敵すぎるだろうかという話でもあるのだ。

コメント

nophoto
ニックネーム無し
2007年4月13日1:06

余裕ってすごいよ。社員もバイトも一杯一杯な今の会社。一踏んばりしてここを改善すれば、もっと良くなるのに、ってとこ、指摘はしてるけど、誰も着手できない。余裕、幅がないと、会社や組織は停滞したまま。

日本の選挙制度はすごくいい加減。選挙って制度が「民主主義でなく多数決」っていうのは仕方ないにしても、決選投票がないのは全く困る。決選投票がないと、「死に票を避けろ」発想が幅をきかせる。あと投票率。投票率が何割いかなければ選挙無効とかないと、「選挙にいきましょう」って気運が生まれない。「●×に一票を!」って宣伝はあっても「選挙に行きましょう。みんなでこの選挙を成立させましょう」って訴える候補者はいない。自分がより多くの票を得て当選すればいいってわけ。

「民主主義」=良い制度→その具体化として「全ての平等な立場の民」のより多くが選んだ人を民の代表とする。価値観の数値化。あるいは「平等」という幻想、偽り、偽善。

ま、選挙がある度に色々考えてるよ。選挙という多数決主義に希望を見い出すことが既に欺瞞なのかもしれないし。

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