間々田孝夫『消費社会のゆくえ―記号消費と脱物質主義』

市場が高度に発展してけば、ニーズも商品も多様になるし、嗜好や個性も差異も利用再利用されてくけど、それを多様化とかいえるンかしら。記号っても、僕は、自分のスタイルに合った消費財を選択していると思うけど、周りの圧力ものすげー感じるんやけど。
誰かが、誰かのまま、無理なくその人なりの意味を消費してけばいいのにと思うんやけど。

グルメもファッションもレジャーも、いまはいらない。すきくないから。いままでずっとそうだしこれからもずっとそうかもしんないしそうじゃないかもしんない。
土手でサッカーしたり、読書して昼寝したり、興味のあるものを勉強したり、いろんな人といろんな話をしたり、手料理でパーチィーしたりするのが、いまでもすき。小金があったりなかったりするのは関係ないことがわかってきた。
金払ったことに価値あるようなのがすきじゃなかったんだ昔から。

少ない余暇。金払う余暇。疲れる余暇。その反動でゆとりやらスローやら脱物質やら。満たさなければならないものは、いつからそんなに複雑になっちまったのか。
僕にはこの消費社会が無理すぎて。
なんにもしなくてもいいのにさ。あるものだけでいいのにさ。一緒にいるだけでいいのにさ。すッげ楽しいことってたくさんあるのにさ。

大金持ちになったら、アパートの大家になって、維持費だけの家賃でみんなを住まわしてあげるからね。

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