見ようとしていたものと見なきゃいけないものと見てるもの
2009年11月12日 ひとりごと動いてみたことによって、いろんなことに思い至った。
同じようなことを考えた奴は山ほどいるのだろうけど、
やはり同じように、
考えたとゆうだけで終わることなのだろうかと。
山ほど存在するアイデアと、
同じ数だけの、放置物。
動かすということは、
動くということは、
ちっぽけな意地やアイデンティティのキープなんかでは、とてもエネルギーになんかならなくて。
いずれ誰しも、大切なもののために、線を引くのだと思う。
切れないからこそ、切らないためにこそ、線を引くのだと思う。
動かされたものをまだ覚えているから、
こんなイラつきそうな皮肉みたいなことをわざわざ考えちゃうのかもしれません。
なにかしら本質を求める自分自身こそを、現実等身大で客観的にみることができたら、
自負が生まれそうな気がする。
恐れていたつまらなさなんか全然なくて。
いいかげんおもしろさの段階を上げてゆくことなんでしょう。
同じようなことを考えた奴は山ほどいるのだろうけど、
やはり同じように、
考えたとゆうだけで終わることなのだろうかと。
山ほど存在するアイデアと、
同じ数だけの、放置物。
動かすということは、
動くということは、
ちっぽけな意地やアイデンティティのキープなんかでは、とてもエネルギーになんかならなくて。
いずれ誰しも、大切なもののために、線を引くのだと思う。
切れないからこそ、切らないためにこそ、線を引くのだと思う。
動かされたものをまだ覚えているから、
こんなイラつきそうな皮肉みたいなことをわざわざ考えちゃうのかもしれません。
なにかしら本質を求める自分自身こそを、現実等身大で客観的にみることができたら、
自負が生まれそうな気がする。
恐れていたつまらなさなんか全然なくて。
いいかげんおもしろさの段階を上げてゆくことなんでしょう。
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