此社会、或破壊につき… “4”
2006年2月10日 戯言戯言諸々その他非正規労働の主役たちについて論じます。主役はなんといっても女性と若者です。
『労働力調査』によると、女性労働者の半数以上は非正規労働です。一方、男性は8割が正社員です。「男性は正社員、女性は非正規社員」という、性に基づく「差別的雇用体系」は定着している、といっていいのかな? 女性は結婚後はどうしても再就職型になるし、家庭との両立を考えると非正規労働になってしまうからです。
一般的に、女性はライフスタイルの選択により就業形態が大きく変わりうるとされてます。正社員として働き続けた女性の生涯賃金は、パート再就職女性に比べ2.6倍、退職後に専業主婦になった女性と比べると驚愕の4.5倍。出産・育児のために家庭に入ることで失われた収入を指す「機会費用」が高すぎるのである。「機会費用」は子どもを育てる教育費とは別のもので。この知識集約型産業下では、子どもを中流以上の生活ができる社会人に育てたいーという教育エゴが生まれたりすると、またさらーにお金がかかるのです。少子化になるの当たり前じゃないですかァ。 ずっとずっとずっと色々な多くの多くの多くの人が言い続けてきてることですが、仕事と家庭が両立できる環境を整備するしかないのだと思います。シングルマザーってすごいと思う。
若者の非正社員化も深刻です。全体では男性は8割が正社員にもかかわらず、15歳〜24歳の男性の非正社員比率は4割を超えています。女性は5割を超えています。現代の若者の半数近くは非正社員なのですね。 自分の周りみてごらんよ。友達にも非正社員たくさんいるはずだよ。意識の問題でも勿論あるのだけど、勿論それ以上に本質的な構造の問題でもあります。
非正規労働者は生活の基盤を当然つくれません。女性は夫に、若者は親に、それぞれパラサイトしてます。でもだんだん親世代もリタイヤしていき、年金受給世代になってゆきます。団塊世代は2007年前後に大量リタイヤします。親世代もまた社会にパラサイトしてゆくのですね。なんだよそれ。 親世代ももういつまでも子をパラサイトさせるゆとりがなくなってくと、パラサイト族は行き場を失うのでは?という懸念があります。 たぶんろくなことにならない。
フリーターの子どもを持つ親たちの不安――
「がんばって家も建てた。住宅ローンも完済した。名実ともに中流の暮らしを満喫しようと思ったが、まてよ、30歳を過ぎてもフリーターをしている我が子は、少々気張って建てたマイホームを維持できるのだろうか。固定資産税だって払ってゆけるのだろうか。ひょっとしたらこの家は、我ら夫婦一代のものでしかなく、息子の代になったら手放すことになるのではなかろうか。だとすれば、家を持つって何だったのだろう…」
切実といえるのか。うーん。 亡き後は血の繋がった者に託したいという親心を、フリーターどもが無駄にし、中流の象徴であるマイホームは一代の砂上の楼閣でしかなくなるのかもって。でも、そんなことわかってたことっつうか…。うーん。
夫にパラサイトする既婚女性も不安でいっぱい。夫のリストラ、病気、浮気…。女性の再就職は家計の補助ではなく自立的なものになるべきなのか。うーん。
子どもは親を頼ることに慣れ、妻は夫を頼ることに慣れ、夫は頼られることに慣れてしまっているという。社会制度はもう頼ることもできなくなるかもしれないね。
僕はでも、頼っていいと思うんだ。余力があるなら頼られていいと思うんだ。全員が完全に自立するよりも、ある部分ある部分を信頼しあって生活してくことだと。非正規労働の主役である女性と若者を全て正社員にすることは無理だし無意味。でもそこにつけ込んでやりたい放題する企業が出てくるのを、やはり駆逐して、非正規労働内でどうにか安定させていくことだと思う。確かに利用はされてるんだけど、持ちつ持たれつだし労使交渉をしていくしかないし、あとやっぱり支援するシステムは必要だと思う。夢追いフリーターはそれでもいいけど、腰掛けフリーターや、正社員になれなくて仕方なくフリってる人とか不本意な非正規社員とかは、支援してほしい。月並みだが。フェアなルールを作ることだと思う。
非正規雇用がこれほど身近になり、「ライフスタイルの多様化の反映」はいつしか真の問題点を隠す便利文句となってる。破壊されているものが何かをちゃんと見なければ、知らず知らずのうちに今度は僕ら自身が何かを破壊し、破壊されてしまうかもしれない。
頭の悪い若者はみんな搾取構造に喰われてく。頭のいい若者は搾取構造を逃れるためにホリエモンを目指すべきなのか? 気付かなければそれでいいとも言えるのだけど、既に何か確実に壊れているようにも僕には思えるのですが。
〔続く〕
『労働力調査』によると、女性労働者の半数以上は非正規労働です。一方、男性は8割が正社員です。「男性は正社員、女性は非正規社員」という、性に基づく「差別的雇用体系」は定着している、といっていいのかな? 女性は結婚後はどうしても再就職型になるし、家庭との両立を考えると非正規労働になってしまうからです。
一般的に、女性はライフスタイルの選択により就業形態が大きく変わりうるとされてます。正社員として働き続けた女性の生涯賃金は、パート再就職女性に比べ2.6倍、退職後に専業主婦になった女性と比べると驚愕の4.5倍。出産・育児のために家庭に入ることで失われた収入を指す「機会費用」が高すぎるのである。「機会費用」は子どもを育てる教育費とは別のもので。この知識集約型産業下では、子どもを中流以上の生活ができる社会人に育てたいーという教育エゴが生まれたりすると、またさらーにお金がかかるのです。少子化になるの当たり前じゃないですかァ。 ずっとずっとずっと色々な多くの多くの多くの人が言い続けてきてることですが、仕事と家庭が両立できる環境を整備するしかないのだと思います。シングルマザーってすごいと思う。
若者の非正社員化も深刻です。全体では男性は8割が正社員にもかかわらず、15歳〜24歳の男性の非正社員比率は4割を超えています。女性は5割を超えています。現代の若者の半数近くは非正社員なのですね。 自分の周りみてごらんよ。友達にも非正社員たくさんいるはずだよ。意識の問題でも勿論あるのだけど、勿論それ以上に本質的な構造の問題でもあります。
非正規労働者は生活の基盤を当然つくれません。女性は夫に、若者は親に、それぞれパラサイトしてます。でもだんだん親世代もリタイヤしていき、年金受給世代になってゆきます。団塊世代は2007年前後に大量リタイヤします。親世代もまた社会にパラサイトしてゆくのですね。なんだよそれ。 親世代ももういつまでも子をパラサイトさせるゆとりがなくなってくと、パラサイト族は行き場を失うのでは?という懸念があります。 たぶんろくなことにならない。
フリーターの子どもを持つ親たちの不安――
「がんばって家も建てた。住宅ローンも完済した。名実ともに中流の暮らしを満喫しようと思ったが、まてよ、30歳を過ぎてもフリーターをしている我が子は、少々気張って建てたマイホームを維持できるのだろうか。固定資産税だって払ってゆけるのだろうか。ひょっとしたらこの家は、我ら夫婦一代のものでしかなく、息子の代になったら手放すことになるのではなかろうか。だとすれば、家を持つって何だったのだろう…」
切実といえるのか。うーん。 亡き後は血の繋がった者に託したいという親心を、フリーターどもが無駄にし、中流の象徴であるマイホームは一代の砂上の楼閣でしかなくなるのかもって。でも、そんなことわかってたことっつうか…。うーん。
夫にパラサイトする既婚女性も不安でいっぱい。夫のリストラ、病気、浮気…。女性の再就職は家計の補助ではなく自立的なものになるべきなのか。うーん。
子どもは親を頼ることに慣れ、妻は夫を頼ることに慣れ、夫は頼られることに慣れてしまっているという。社会制度はもう頼ることもできなくなるかもしれないね。
僕はでも、頼っていいと思うんだ。余力があるなら頼られていいと思うんだ。全員が完全に自立するよりも、ある部分ある部分を信頼しあって生活してくことだと。非正規労働の主役である女性と若者を全て正社員にすることは無理だし無意味。でもそこにつけ込んでやりたい放題する企業が出てくるのを、やはり駆逐して、非正規労働内でどうにか安定させていくことだと思う。確かに利用はされてるんだけど、持ちつ持たれつだし労使交渉をしていくしかないし、あとやっぱり支援するシステムは必要だと思う。夢追いフリーターはそれでもいいけど、腰掛けフリーターや、正社員になれなくて仕方なくフリってる人とか不本意な非正規社員とかは、支援してほしい。月並みだが。フェアなルールを作ることだと思う。
非正規雇用がこれほど身近になり、「ライフスタイルの多様化の反映」はいつしか真の問題点を隠す便利文句となってる。破壊されているものが何かをちゃんと見なければ、知らず知らずのうちに今度は僕ら自身が何かを破壊し、破壊されてしまうかもしれない。
頭の悪い若者はみんな搾取構造に喰われてく。頭のいい若者は搾取構造を逃れるためにホリエモンを目指すべきなのか? 気付かなければそれでいいとも言えるのだけど、既に何か確実に壊れているようにも僕には思えるのですが。
〔続く〕
此社会、或破壊につき… “3”
2006年2月2日 戯言戯言諸々その他「厚生労働省が1日発表した毎月勤労統計調査(速報値)によると、2005年の労働者の平均月給総額は前年比0・6%増の33万4886円で、5年ぶりの増加となった。このうちボーナスなどの月平均は、同2・1%増の6万2077円で8年ぶりの増加。景気回復が賃金に反映したと見られる。常用雇用者は4309万4000人で同0・5%増と2年連続の増加。このうち正社員など一般労働者は同0・5%増と8年ぶりに増加し、景気回復を背景に企業が積極的に正社員雇用を進めていることを裏付けた。パートタイム労働者は0・6%増で、調査が始まった1990年以来増加が続いている。産業別では、製造業が0・4%増と13年ぶりのプラスとなった。労働者1人当たりの年間総実労働時間数は1804時間で、前年比12時間減。出勤日数も234日で前年より2日減った」(読売新聞)
確かに氷河期の風は2007年を前後して劇的に止んでいるように見える。だからっつうわけじゃないけど最近少しだけ就活をしてる。決まれば正社員だ。決まらなければフリーター。どっちにしろ労働者として社会に出たい。去年の今頃も就活やってたけど、あのときとはまた全然意識が違う。たぶんみんなたちとも少し違う。でもそんなこと関係ない。僕が決めることだ。今の僕はフリーターよりも少し管理的な搾取構造に組み込まれてみたいんだ。あー残業してぇ。
では引き続き非正社員社会論。
この手の話で一番度々論じられるのが、日経連(現・日本経済団体連合会)が95年に出した御存知『新時代の「日本的経営」』というやつだ。日経連は将来の日本の雇用形態を3つに分類定義したのだけど、実際これからの企業社会はこのシナリオ通りに進むとされている。↓
?長期蓄積活用型グループ…現在の正社員の範疇。つまり一応は終身雇用。対象は管理職、総合職、技能部門の基幹職。賃金は月給か年俸制。 つまりヘッドや中心歯車だけは終身雇用で囲っときたい思惑。
?高度専門能力活用型グループ…新規プロジェクトごとに集められる専門家。プロジェクトごとの有期雇用契約。プロジェクト終われば解散。対象は企画、営業、研究開発などの専門家集団。賃金は年俸制。 つまりスキルがある人は期間を区切って囲いたい思惑。プロ野球選手と同じ。
?雇用柔軟型グループ…有期雇用契約。対象は一般職などの補助労働力。賃金は時給。 簡単に取り替えがきく使い捨て人材。ほとんどの労働者はここ。
一部の?或いは?とその他大勢の?で構成されるのが、経済界による将来の日本の雇用体系構想だ。このシナリオ通りにいけば、正社員はいずれ高嶺の花になるかもしれないって。ホントかな? 『労働力調査』(総務省2004)は、正規労働者3410万人に対し、非正規労働者を1564万人としている。つまり全体の3割以上が非正規社員であり、これが90年代当時と比較して増加しているのである。
非正社員比率が上がるほど利益率も高くなることはもう証明されてるそうだ。でも非正社員比率の上昇は「研究開発力」「組織運営力」「人的資源の質」「会社愛」など、「企業組織力」を低下させるという懸念もある。目先の利益を優先させて長期的な視野じゃないから仕方ないね。目先優先経営者が増えれば非正社員比率上昇も拍車がかかり、やはりどんどん増えてゆくよね。使い捨て労働力だ。利益は上がり、不安定化は進む。
金子勝によると、90〜01年にかけて若者フリーター率が0.98ポイントずつ増加してるからって、2050年には若者の7割がフリーターになるそうだ。女性の非正社員比率は2047年に100%になり、女性の正社員はいなくなるのだと。相変わらずの金子論ブラックユーモアだが、あながち笑えない。「自分の都合」だったはずの非正規労働はいつの間にか「会社の都合」になり現実味を帯びるほど増殖しているからだ。もはや不安定就業は、「今時の若者はぁ〜」などという月並みな労働意欲・姿勢の問題ではなくなりつつある。
経済学者の玄田有史は言う。「私は、社会の深刻化の原因を意識や意欲の低下のせいと、単純に結論してはいけないことを経済学から学んだ。(ニートなど)社会的に望ましくない事態が生じたとき、それを特定個人の悪しき意識の変化として解釈することには慎重でなければならないと経済学は教える。意識の変化という現実がそこにあったとしても、責めるべきは個人ではない。変化を生み出してきた、社会もしくは経済のシステムそのものなのだ」
世論が「不安定就業(とりわけ「フリーター」等)は問題だ」とか意識する一方で、経済界はちゃんと『新時代の「日本的経営」』でそれらを問題視するどころか喜んで肯定している。この国で一番社会問題に近く在るべき政治家どもは「正社員になればいい」などと全く無責任なことをほざいている。トチ狂いの総理大臣は格差拡大社会を遂に肯定する発言をした。不安定社会が来るとわかっていて、止められないのか。takebonoさんにもウルトラマンにも止められないんだな。おかしくない?おかしくないの?政治とそして選挙の責任を少しは問うべきじゃないの?
問題じゃなければ放置しておけばよいだろう。だが僕は問題と捉えている。だから放置できない。氷河期の風がいずれまた違う形で吹き、問題は再浮上するんじゃないか?だから、現状に対し対策を打ってほしいと考える。ニートなんて愚かな犠牲者だ。今のところ大人社会は特に何も手は打っていない。
だがまだ絶望視はしない。僕は闘う。平和主義者だけど、故に闘う。破壊されてたまるかって。
〔続く〕
確かに氷河期の風は2007年を前後して劇的に止んでいるように見える。だからっつうわけじゃないけど最近少しだけ就活をしてる。決まれば正社員だ。決まらなければフリーター。どっちにしろ労働者として社会に出たい。去年の今頃も就活やってたけど、あのときとはまた全然意識が違う。たぶんみんなたちとも少し違う。でもそんなこと関係ない。僕が決めることだ。今の僕はフリーターよりも少し管理的な搾取構造に組み込まれてみたいんだ。あー残業してぇ。
では引き続き非正社員社会論。
この手の話で一番度々論じられるのが、日経連(現・日本経済団体連合会)が95年に出した御存知『新時代の「日本的経営」』というやつだ。日経連は将来の日本の雇用形態を3つに分類定義したのだけど、実際これからの企業社会はこのシナリオ通りに進むとされている。↓
?長期蓄積活用型グループ…現在の正社員の範疇。つまり一応は終身雇用。対象は管理職、総合職、技能部門の基幹職。賃金は月給か年俸制。 つまりヘッドや中心歯車だけは終身雇用で囲っときたい思惑。
?高度専門能力活用型グループ…新規プロジェクトごとに集められる専門家。プロジェクトごとの有期雇用契約。プロジェクト終われば解散。対象は企画、営業、研究開発などの専門家集団。賃金は年俸制。 つまりスキルがある人は期間を区切って囲いたい思惑。プロ野球選手と同じ。
?雇用柔軟型グループ…有期雇用契約。対象は一般職などの補助労働力。賃金は時給。 簡単に取り替えがきく使い捨て人材。ほとんどの労働者はここ。
一部の?或いは?とその他大勢の?で構成されるのが、経済界による将来の日本の雇用体系構想だ。このシナリオ通りにいけば、正社員はいずれ高嶺の花になるかもしれないって。ホントかな? 『労働力調査』(総務省2004)は、正規労働者3410万人に対し、非正規労働者を1564万人としている。つまり全体の3割以上が非正規社員であり、これが90年代当時と比較して増加しているのである。
非正社員比率が上がるほど利益率も高くなることはもう証明されてるそうだ。でも非正社員比率の上昇は「研究開発力」「組織運営力」「人的資源の質」「会社愛」など、「企業組織力」を低下させるという懸念もある。目先の利益を優先させて長期的な視野じゃないから仕方ないね。目先優先経営者が増えれば非正社員比率上昇も拍車がかかり、やはりどんどん増えてゆくよね。使い捨て労働力だ。利益は上がり、不安定化は進む。
金子勝によると、90〜01年にかけて若者フリーター率が0.98ポイントずつ増加してるからって、2050年には若者の7割がフリーターになるそうだ。女性の非正社員比率は2047年に100%になり、女性の正社員はいなくなるのだと。相変わらずの金子論ブラックユーモアだが、あながち笑えない。「自分の都合」だったはずの非正規労働はいつの間にか「会社の都合」になり現実味を帯びるほど増殖しているからだ。もはや不安定就業は、「今時の若者はぁ〜」などという月並みな労働意欲・姿勢の問題ではなくなりつつある。
経済学者の玄田有史は言う。「私は、社会の深刻化の原因を意識や意欲の低下のせいと、単純に結論してはいけないことを経済学から学んだ。(ニートなど)社会的に望ましくない事態が生じたとき、それを特定個人の悪しき意識の変化として解釈することには慎重でなければならないと経済学は教える。意識の変化という現実がそこにあったとしても、責めるべきは個人ではない。変化を生み出してきた、社会もしくは経済のシステムそのものなのだ」
世論が「不安定就業(とりわけ「フリーター」等)は問題だ」とか意識する一方で、経済界はちゃんと『新時代の「日本的経営」』でそれらを問題視するどころか喜んで肯定している。この国で一番社会問題に近く在るべき政治家どもは「正社員になればいい」などと全く無責任なことをほざいている。トチ狂いの総理大臣は格差拡大社会を遂に肯定する発言をした。不安定社会が来るとわかっていて、止められないのか。takebonoさんにもウルトラマンにも止められないんだな。おかしくない?おかしくないの?政治とそして選挙の責任を少しは問うべきじゃないの?
問題じゃなければ放置しておけばよいだろう。だが僕は問題と捉えている。だから放置できない。氷河期の風がいずれまた違う形で吹き、問題は再浮上するんじゃないか?だから、現状に対し対策を打ってほしいと考える。ニートなんて愚かな犠牲者だ。今のところ大人社会は特に何も手は打っていない。
だがまだ絶望視はしない。僕は闘う。平和主義者だけど、故に闘う。破壊されてたまるかって。
〔続く〕
此社会、或破壊につき… “2”
2006年1月31日 戯言戯言諸々その他景気が回復してきているという。2007年問題を控え、企業の求人数も上昇している。こんな僕だって望めば正社員になれるってことを最近は自分自身若干真剣に考え始めた。氷河期の風が劇的に止むこのときが機会なのかもしれない。だがしかし非正社員化は止まっていない。まさに相互作用として。
「正社員になればいい」と、2005年3月の参院予算委員会で、ある野党議員による非正社員問題についての言及に対し、ある与党の二世議員がそんな野次を飛ばした。彼らの中ではまだ「フリーター亡国論」すらも根強い。この国の為政者たちの意識はやはりその程度だ。いつも思うのは、誰がこの問題を問題として問題視するかだ。その辺の酔ったおっさんの意見ならともかく、国会議員が社会問題をそんな風に扱うのは軽率で乱暴すぎやしないかって。全員が正社員になって済む問題ではないし、そもそも正社員になれないのが問題でもあるのだから。
ある自治体の調査によると、90年代半ばには6割近い企業が「簡単な仕事だから」という理由をトップにパート労働者を雇っていた。人手不足の90年代半ばにおいては、パートは「簡単な仕事をする人」のイメージであり、あくまで臨時要員だったのである。しかし2000年に入ってからの同じ問いかけにおいて、6割近い企業の支持を集めたのは「賃金コストが安くて済むから」だったのである。
正社員は、会社の都合により生活を左右され人生を左右される。そんなことがない代わりに、非正社員はあらゆる処遇面で正社員よりも低い水準におかれる。だがかつての非正社員は、「自分の都合に合わせて働ける」という個々の希望する労働形態に適した面を含むものでもあった。そこから――或いは富める日本経済とその恩恵を受けた親世代の経済的余裕から――ある種のモラトリアム(人生決定を先延ばしにする)による「フリーター」が生まれることになる。右肩上がりの高度成長期を生きてきた親世代は、そんな若者たちが同居することを大目に見ることのできる余裕と体力があって、「家付き食事付き洗濯付き」という居心地の良さが、若者の晩婚化と親への依存性を加速させたといわれている。社会学者の山田昌弘は、そんな若者たちを「パラサイト・シングル」という言葉で括ったりした。(『パラサイト・シングルの時代』山田昌弘)
だが近年になると状況は変わる。「自分の都合で働ける」ことが、非正社員が非正規労働に従事する上での拠り所だったのに、最近は「会社の都合」がそれを凌駕し始めたのである。
「欧米では非正規労働は臨時的な仕事という位置づけだが、日本では不況乗り切り策の切り札として重宝がられてきた。正社員に比べれば、人件費が圧倒的に安いのである」(p6)
男性正社員の時間あたりの賃金(ボーナス含)を100とすると、パート労働者は39.1になる。90年当時は100:45.9だったので、ここ10数年でかなり格差は拡大していることになる。 女性の場合、正社員100に対し、パート労働者は53.2。正社員では男女間の賃金格差は大きいのだが、パートになると縮小する。パート労働はどちらかといえば男女均等に近いともいえる。その理由の一つは、パート労働が元来、家計補助的な女性中心の労働だったことに起因する。パート労働者1200万人中、その7割が女性である。現在はリストラやリタイヤなどで男性もパート市場に参入しているが、女性中心型市場故に、男性でも女性仕様の低賃金体系に組み込まれる。企業にとっては嬉しくて仕方がない。
『2003年版・労働経済白書』(厚生労働省)によると、パート・アルバイトは年収150万円未満に8割が属し、派遣社員は年収200万未満が半数(契約社員と嘱託は4割)に達している。 非正規労働の全体的な低賃金は、企業が人件費コストを抑えるのに加え、主婦労働者が多いパート労働者は「社会保険料や所得税を負担したくない」「夫の扶養控除範囲内で働きたい」等の理由で一定の収入範囲内にとどまるいわゆる「就業調整」をしていることが少なくないから、低賃金が固定されているという要因もある。主婦やパラサイトはそれでもいいんだろうけど、自立したい人にとっては低賃金体系は足枷になる。興味深いところだ。労使協調が結局泥沼になってやがる。
一つの大前提として言えるのは、90年代半ば以降に急テンポで進行した企業による「非正社員化」の狙いが、人件費の圧縮にあったことである。不況だったからね。では景気が回復してきたら正社員は増えるのだろうか。部分的にはそうなるかもしれないが全体傾向としてはあまり期待できないと筆者はいう。不況脱出で苦しむ中で企業は、総人件費がいかに経営を圧迫しているか、その削減こそが不況の克服であり、人件費の安い東アジアとの市場競争に勝利してゆく最短ルートであることを、恐るべきことに強く自覚してしまったからである。
〔続く〕
「正社員になればいい」と、2005年3月の参院予算委員会で、ある野党議員による非正社員問題についての言及に対し、ある与党の二世議員がそんな野次を飛ばした。彼らの中ではまだ「フリーター亡国論」すらも根強い。この国の為政者たちの意識はやはりその程度だ。いつも思うのは、誰がこの問題を問題として問題視するかだ。その辺の酔ったおっさんの意見ならともかく、国会議員が社会問題をそんな風に扱うのは軽率で乱暴すぎやしないかって。全員が正社員になって済む問題ではないし、そもそも正社員になれないのが問題でもあるのだから。
ある自治体の調査によると、90年代半ばには6割近い企業が「簡単な仕事だから」という理由をトップにパート労働者を雇っていた。人手不足の90年代半ばにおいては、パートは「簡単な仕事をする人」のイメージであり、あくまで臨時要員だったのである。しかし2000年に入ってからの同じ問いかけにおいて、6割近い企業の支持を集めたのは「賃金コストが安くて済むから」だったのである。
正社員は、会社の都合により生活を左右され人生を左右される。そんなことがない代わりに、非正社員はあらゆる処遇面で正社員よりも低い水準におかれる。だがかつての非正社員は、「自分の都合に合わせて働ける」という個々の希望する労働形態に適した面を含むものでもあった。そこから――或いは富める日本経済とその恩恵を受けた親世代の経済的余裕から――ある種のモラトリアム(人生決定を先延ばしにする)による「フリーター」が生まれることになる。右肩上がりの高度成長期を生きてきた親世代は、そんな若者たちが同居することを大目に見ることのできる余裕と体力があって、「家付き食事付き洗濯付き」という居心地の良さが、若者の晩婚化と親への依存性を加速させたといわれている。社会学者の山田昌弘は、そんな若者たちを「パラサイト・シングル」という言葉で括ったりした。(『パラサイト・シングルの時代』山田昌弘)
だが近年になると状況は変わる。「自分の都合で働ける」ことが、非正社員が非正規労働に従事する上での拠り所だったのに、最近は「会社の都合」がそれを凌駕し始めたのである。
「欧米では非正規労働は臨時的な仕事という位置づけだが、日本では不況乗り切り策の切り札として重宝がられてきた。正社員に比べれば、人件費が圧倒的に安いのである」(p6)
男性正社員の時間あたりの賃金(ボーナス含)を100とすると、パート労働者は39.1になる。90年当時は100:45.9だったので、ここ10数年でかなり格差は拡大していることになる。 女性の場合、正社員100に対し、パート労働者は53.2。正社員では男女間の賃金格差は大きいのだが、パートになると縮小する。パート労働はどちらかといえば男女均等に近いともいえる。その理由の一つは、パート労働が元来、家計補助的な女性中心の労働だったことに起因する。パート労働者1200万人中、その7割が女性である。現在はリストラやリタイヤなどで男性もパート市場に参入しているが、女性中心型市場故に、男性でも女性仕様の低賃金体系に組み込まれる。企業にとっては嬉しくて仕方がない。
『2003年版・労働経済白書』(厚生労働省)によると、パート・アルバイトは年収150万円未満に8割が属し、派遣社員は年収200万未満が半数(契約社員と嘱託は4割)に達している。 非正規労働の全体的な低賃金は、企業が人件費コストを抑えるのに加え、主婦労働者が多いパート労働者は「社会保険料や所得税を負担したくない」「夫の扶養控除範囲内で働きたい」等の理由で一定の収入範囲内にとどまるいわゆる「就業調整」をしていることが少なくないから、低賃金が固定されているという要因もある。主婦やパラサイトはそれでもいいんだろうけど、自立したい人にとっては低賃金体系は足枷になる。興味深いところだ。労使協調が結局泥沼になってやがる。
一つの大前提として言えるのは、90年代半ば以降に急テンポで進行した企業による「非正社員化」の狙いが、人件費の圧縮にあったことである。不況だったからね。では景気が回復してきたら正社員は増えるのだろうか。部分的にはそうなるかもしれないが全体傾向としてはあまり期待できないと筆者はいう。不況脱出で苦しむ中で企業は、総人件費がいかに経営を圧迫しているか、その削減こそが不況の克服であり、人件費の安い東アジアとの市場競争に勝利してゆく最短ルートであることを、恐るべきことに強く自覚してしまったからである。
〔続く〕
此社会、或破壊につき… “1”
2006年1月29日 戯言戯言諸々その他――拝啓takebono様
――――
お元気ですか? ご無沙汰しております。しばらく寒い日が続いておりますけど、お風邪などおひきになられてはいませんか? 私の方はその後なんとか体調もすこぶる良く日々を過ごしております。
最近日本経済もやっと景気が回復してきているようですね。「痛み」と引き替えに、やっとの思いで…。
そこでこの度、実は私…「痛み」とは何ぞや?というどうしようもない愚問を思いつきまして、それで今回思い立った次第なのです。例の奴です。ええ…その通りです、全く憐れな奴です。 政治家や強者は、大衆が理解しうることは口にしてくれませんのでしょうけど…、公共部門や族議員の既得権剥奪や、金融や教育や経済の規制緩和…。…私にはさっぱりわかりませんけれど…? じゃあ、私たち庶民が食らっちゃう具体的な「痛み」って実のところ何なのでしょう? 医療費負担…?消費税増税…? でも…本当にそれだけのことなのかしら?
ときに就職活動の件、考えてみてくださいましたでしょうか? 就職とは「雇用」とか「労働」とかと同じことなわけでしょう? 過剰と浪費。需給。例えば或る破壊が…なんだか私…それが根本というか…ときに大変なもののように聞こえてしまって…にっちもさっちもいかなくなっちゃったみたいなんです。…「雇用破壊」何某?
就職する前にどうか御一考してみてくださいませんでしょうか? この社会に何が起きているのか。親愛なる貴方様の御返事をお待ちしております…。
◇◇◇ 敬具
――――
…えっと、僕は雇用問題に少し関心があります。雇用とは労働であり、生産活動であり、人々の生活設計やアイデンティティーでもあるからです。何はともあれ働くことで日々の生活は秩序立ってるからです。でも就活はしてません。えへへへへ。
今回は、鹿島敦の『雇用破壊』を読みました。
いまこの国では、実に雇用者の3人に1人が非正社員です。非正社員とは、パート、アルバイト、派遣社員、請負社員、契約社員、嘱託その他などで有期で働く人のことをいいます。2004年に「改正労働者派遣法」が施行され、ほとんどの職種で派遣社員を使えるようになり、今や労働者は必要な時に必要な所へ必要なだけ送り込めばよいという時代が到来しつつあります。いま様々な立場の人たちが同じ会社で働いており、その中でも正社員と非正社員の処遇面の格差は益々拡大しているといわれています。
非正社員問題は、これまでにも労組や様々な研究機関が関心を寄せてきたけど、総合的な社会問題として扱うメディアや機関は現れてこなかったそうです。あらゆる社会問題に関係してくる実に大きな問題なのにね。
なぜ非正社員が増えているのか?それはバブル以降の低成長期において、企業が「人材」を「コスト」と強く考えるようになったからです。人件費削減の切り札―安価な労働力―としての非正社員を増やせば、健康保険や厚生年金など企業負担金がゴソッと減るからです。一定条件で非正社員もそれらの保険には入れるのだけど、経営者の一部はいろんな方策を用いて彼らをその枠外で雇用しようとするのです。
非正規社員の大量出現雇用は確かに企業の業績回復へ寄与しました。景気にも、失業率の回復にも一応は貢献しました。だけどその一方で、雇用社会における非正社員化は様々な問題を生みました。そいつは僕らの社会にとって本当に最悪のツケとして、近い将来において、恐ろしく様々な形をもって顕在化するのではないでしょうか。 雇用とは社会の基盤故に、雇用の不安定化は社会の不安定化になってゆくと思われるからです。凶行腐敗絶望、わけのわからん社会になってゆくかもしれない。わけがわかる、とまでは言わなくとも、或る要因はハッキリしてるような気もするのです。だって確実に破壊されてるものがあるから。
僕は、人が人のために人を破壊するような社会を絶対につくりたくないのです。いろんな視点があるけれども、まず身近な問題を社会問題として他人事で片付けたくないと考えるなら、僕はやっぱこうゆう所から関心を持つみたいです。 自分にも関係してくることなので、若年層に焦点をあてた雇用問題の本も少し読んでます。とりあえずは触れません。
では、内容の紹介だけでとりとめなくなりますが、「雇用破壊」について。
〔続く〕
――――
お元気ですか? ご無沙汰しております。しばらく寒い日が続いておりますけど、お風邪などおひきになられてはいませんか? 私の方はその後なんとか体調もすこぶる良く日々を過ごしております。
最近日本経済もやっと景気が回復してきているようですね。「痛み」と引き替えに、やっとの思いで…。
そこでこの度、実は私…「痛み」とは何ぞや?というどうしようもない愚問を思いつきまして、それで今回思い立った次第なのです。例の奴です。ええ…その通りです、全く憐れな奴です。 政治家や強者は、大衆が理解しうることは口にしてくれませんのでしょうけど…、公共部門や族議員の既得権剥奪や、金融や教育や経済の規制緩和…。…私にはさっぱりわかりませんけれど…? じゃあ、私たち庶民が食らっちゃう具体的な「痛み」って実のところ何なのでしょう? 医療費負担…?消費税増税…? でも…本当にそれだけのことなのかしら?
ときに就職活動の件、考えてみてくださいましたでしょうか? 就職とは「雇用」とか「労働」とかと同じことなわけでしょう? 過剰と浪費。需給。例えば或る破壊が…なんだか私…それが根本というか…ときに大変なもののように聞こえてしまって…にっちもさっちもいかなくなっちゃったみたいなんです。…「雇用破壊」何某?
就職する前にどうか御一考してみてくださいませんでしょうか? この社会に何が起きているのか。親愛なる貴方様の御返事をお待ちしております…。
◇◇◇ 敬具
――――
…えっと、僕は雇用問題に少し関心があります。雇用とは労働であり、生産活動であり、人々の生活設計やアイデンティティーでもあるからです。何はともあれ働くことで日々の生活は秩序立ってるからです。でも就活はしてません。えへへへへ。
今回は、鹿島敦の『雇用破壊』を読みました。
いまこの国では、実に雇用者の3人に1人が非正社員です。非正社員とは、パート、アルバイト、派遣社員、請負社員、契約社員、嘱託その他などで有期で働く人のことをいいます。2004年に「改正労働者派遣法」が施行され、ほとんどの職種で派遣社員を使えるようになり、今や労働者は必要な時に必要な所へ必要なだけ送り込めばよいという時代が到来しつつあります。いま様々な立場の人たちが同じ会社で働いており、その中でも正社員と非正社員の処遇面の格差は益々拡大しているといわれています。
非正社員問題は、これまでにも労組や様々な研究機関が関心を寄せてきたけど、総合的な社会問題として扱うメディアや機関は現れてこなかったそうです。あらゆる社会問題に関係してくる実に大きな問題なのにね。
なぜ非正社員が増えているのか?それはバブル以降の低成長期において、企業が「人材」を「コスト」と強く考えるようになったからです。人件費削減の切り札―安価な労働力―としての非正社員を増やせば、健康保険や厚生年金など企業負担金がゴソッと減るからです。一定条件で非正社員もそれらの保険には入れるのだけど、経営者の一部はいろんな方策を用いて彼らをその枠外で雇用しようとするのです。
非正規社員の大量出現雇用は確かに企業の業績回復へ寄与しました。景気にも、失業率の回復にも一応は貢献しました。だけどその一方で、雇用社会における非正社員化は様々な問題を生みました。そいつは僕らの社会にとって本当に最悪のツケとして、近い将来において、恐ろしく様々な形をもって顕在化するのではないでしょうか。 雇用とは社会の基盤故に、雇用の不安定化は社会の不安定化になってゆくと思われるからです。凶行腐敗絶望、わけのわからん社会になってゆくかもしれない。わけがわかる、とまでは言わなくとも、或る要因はハッキリしてるような気もするのです。だって確実に破壊されてるものがあるから。
僕は、人が人のために人を破壊するような社会を絶対につくりたくないのです。いろんな視点があるけれども、まず身近な問題を社会問題として他人事で片付けたくないと考えるなら、僕はやっぱこうゆう所から関心を持つみたいです。 自分にも関係してくることなので、若年層に焦点をあてた雇用問題の本も少し読んでます。とりあえずは触れません。
では、内容の紹介だけでとりとめなくなりますが、「雇用破壊」について。
〔続く〕
「カイケイ」YOTAストーリー《7》−final−
2006年1月28日 戯言戯言諸々その他こんな余田話も最終回です。
どうですその後の「数字苦手」の具合は?「数字」が苦手という人がいても、会計と「数字に弱い」ことは関係ないと筆者は言います。会計はセンスなのだと。そういや数学得意な奴が頭良かったわけじゃないもんなあ。
☆「【50人に1人が無料!】―いま○○をお買いあげ頂くと、なんと50人に1人の割合で、購入額の全額がキャッシュバックされるという驚きのキャンペーン!!!」☆
例えば↑のようなキャンペーン広告をみて、「タダかぁすっげえ」「当ったるっかなぁ」とか言ってる人は数字のセンスがないんだってさ。えぇそれはなんで?? それでは最後の“謎を解け”
まず「無料」にとらわれてはいけない。そしてどんな広告にも「広告主」がいるということに気付くかどうかである。広告主からすれば、【50人に1人が無料】は「100人に2人無料」=2%無料=「2%の割引」である。そう、【50人に1人が無料】の正体は、たかが【2%割引】と同じことだったのだ。このデフレ下で、消費税だって7%に上がるかってのに、大体「10〜30%割引」くらいならどこの店でもやってることで、【2%割引】なんてホントはアピールにもなりゃしないチンケなもんのはずです。でも【50人に1人が無料】に表現を変えただけで全然違うものになるね確かに。だから広告を見た瞬間に「数字のトリック」に気付くことが「センス」なのであると。なるほどさ。
「…言葉や表現のインパクトに惑わされずに、物事をキチンと数字で考えることができるかどうか、それが数字のセンスだ」(p188)
だから、会計は数学が強いこととは違うといわれるのです。方程式や微分積分なんかできなくても、「加減乗除(+−×÷)」を電卓で使いこなせればいいのだと。筆者の山田さんは文系出身で人気小説家でもあるのです。やはりセンスなんだね。
先ほどのキャンペーンの立案者―センスもない大衆をいかに効率よくひっかけるかということに日々頭を使っている人たち―は抜群のセンスだよって。
分析の基本とは、割り算で「1単位あたりの力」を出し、過去と比較し「力の流れ」を見ること。対象となる数字のチョイスが大事である。
つまり「ある特定の数字を定期的におさえること」だと。
まずはスーパーのチラシをチェックして買い物することから始めましょう。今日は何がいつもより安いかな?必要な分だけ買ってもちゃんとお得になってるかな?
1つしか正答がない数学と違い、会計学にはいくつもの正答が存在する。やはりどの数字をおさえるかなのだ。あらゆる数字の背後に存在する「意味」を把握できるかにかかっている。センスを磨けるかどうかなのだ。
「どうすれば物事を的確にとらえることができるようになるのか?ということにチャレンジし続けているのが会計という学問なのです」(p206)
会計への興味と同時に、ベストセラーの条件が見えてきたかなあ。
僕の感想としてはただ一言。ではそれをアカギ風に最後の言葉として贈って↓、こんな余田話いいかげんにオシマイ。
「『数字』を恐れるな…、繰り返す…『数字』を恐れるな…」
{END}
どうですその後の「数字苦手」の具合は?「数字」が苦手という人がいても、会計と「数字に弱い」ことは関係ないと筆者は言います。会計はセンスなのだと。そういや数学得意な奴が頭良かったわけじゃないもんなあ。
☆「【50人に1人が無料!】―いま○○をお買いあげ頂くと、なんと50人に1人の割合で、購入額の全額がキャッシュバックされるという驚きのキャンペーン!!!」☆
例えば↑のようなキャンペーン広告をみて、「タダかぁすっげえ」「当ったるっかなぁ」とか言ってる人は数字のセンスがないんだってさ。えぇそれはなんで?? それでは最後の“謎を解け”
まず「無料」にとらわれてはいけない。そしてどんな広告にも「広告主」がいるということに気付くかどうかである。広告主からすれば、【50人に1人が無料】は「100人に2人無料」=2%無料=「2%の割引」である。そう、【50人に1人が無料】の正体は、たかが【2%割引】と同じことだったのだ。このデフレ下で、消費税だって7%に上がるかってのに、大体「10〜30%割引」くらいならどこの店でもやってることで、【2%割引】なんてホントはアピールにもなりゃしないチンケなもんのはずです。でも【50人に1人が無料】に表現を変えただけで全然違うものになるね確かに。だから広告を見た瞬間に「数字のトリック」に気付くことが「センス」なのであると。なるほどさ。
「…言葉や表現のインパクトに惑わされずに、物事をキチンと数字で考えることができるかどうか、それが数字のセンスだ」(p188)
だから、会計は数学が強いこととは違うといわれるのです。方程式や微分積分なんかできなくても、「加減乗除(+−×÷)」を電卓で使いこなせればいいのだと。筆者の山田さんは文系出身で人気小説家でもあるのです。やはりセンスなんだね。
先ほどのキャンペーンの立案者―センスもない大衆をいかに効率よくひっかけるかということに日々頭を使っている人たち―は抜群のセンスだよって。
分析の基本とは、割り算で「1単位あたりの力」を出し、過去と比較し「力の流れ」を見ること。対象となる数字のチョイスが大事である。
つまり「ある特定の数字を定期的におさえること」だと。
まずはスーパーのチラシをチェックして買い物することから始めましょう。今日は何がいつもより安いかな?必要な分だけ買ってもちゃんとお得になってるかな?
1つしか正答がない数学と違い、会計学にはいくつもの正答が存在する。やはりどの数字をおさえるかなのだ。あらゆる数字の背後に存在する「意味」を把握できるかにかかっている。センスを磨けるかどうかなのだ。
「どうすれば物事を的確にとらえることができるようになるのか?ということにチャレンジし続けているのが会計という学問なのです」(p206)
会計への興味と同時に、ベストセラーの条件が見えてきたかなあ。
僕の感想としてはただ一言。ではそれをアカギ風に最後の言葉として贈って↓、こんな余田話いいかげんにオシマイ。
「『数字』を恐れるな…、繰り返す…『数字』を恐れるな…」
{END}
「カイケイ」YOTAストーリー《6》
2006年1月27日 戯言戯言諸々その他筆者のある友人は、大勢での飲み会のとき必ずワリカン役を買って出るそうだ。10人で飲んで5万円だったとき、とりあえず5万を払い、後で一人頭5千円ずつ回収するという結構面倒な役。なんでそんなのいつも引き受けるのよその人?謎だわ。 ならば“謎を解け”
解答としてはイマイチだと思ったんだけど、実は彼はお勘定5万円をカードで支払っていたのでした。「キャッシュ・フロー」をよくするためにです。会計におけるキャッシュ・フローとは、単純な現金の出し入れのこと。クレジットカードの引き落としは使用の翌々月だったりするので、カード負債は5万だけど財布には9人×5千円=4万5千円がポンと入ることになる。それがキャッシュ・フロー。そうやって毎回の飲み会をカード負債と回収分で相殺してけば、理論上ずっと無利子で借り続けることが出来るということ。
カード払いって無利子なんだね。厳密には利子はあるそうだけど、店側がその分「手数料」で払ってるんだって。「カード利用不可」だと安心して飲み食い遊べないから、店側は「手数料を払ってでもカード利用可にしたい」思惑があるからだと。 逆に百貨店などではカード会社との間に手数料が発生しないんだって。百貨店でカードが使えなきゃカード自体のブランドが失墜するから、カード会社はコスト割れでも百貨店と契約を結ぶんだとさ。
しかし考えてみてほしい。キャッシュ・フローは派手でも、カード負債は確かに存在してるということ。これはいろんな場面の会計で言えることです。『ナニワ金融道』でもあったけど、破産する奴はこれが見えてないのです。
「キャッシュ・フローは現金しか考慮に入れてないが、利益は目に見えない負債なども考慮に入れた数字なのである。お金があることと儲かっていることとは別次元のお話というわけだ」(p170)
だからウン億の金を動かしてる企業も、キャッシュ・フローと負債混じってるわけだから、利益はたかがしれてたり赤字だったりするわけです。だから資金繰りが大事なのだよね。
個人の会計の場合で重要なのは「フリー・キャッシュ・フロー」と呼ばれる、自由に使えるお金のことです。一般的には、収入からローンと生活費を抜き、保険と貯蓄を抜いた額がそれ。実際豊かさの指標になりうるのはこれ。把握し認識することから始めれば、多少大ざっぱでも良いのだと。僕は低消費ライフだから、ほとんど計算いらないね。
会計のセンスはまずこんな風に家計のポイントをつかむことから始まるといえるでしょう。
この退屈な大衆庶民教養シリーズも次回で終わり。みなさん、節約会計生活をしましょうね。
解答としてはイマイチだと思ったんだけど、実は彼はお勘定5万円をカードで支払っていたのでした。「キャッシュ・フロー」をよくするためにです。会計におけるキャッシュ・フローとは、単純な現金の出し入れのこと。クレジットカードの引き落としは使用の翌々月だったりするので、カード負債は5万だけど財布には9人×5千円=4万5千円がポンと入ることになる。それがキャッシュ・フロー。そうやって毎回の飲み会をカード負債と回収分で相殺してけば、理論上ずっと無利子で借り続けることが出来るということ。
カード払いって無利子なんだね。厳密には利子はあるそうだけど、店側がその分「手数料」で払ってるんだって。「カード利用不可」だと安心して飲み食い遊べないから、店側は「手数料を払ってでもカード利用可にしたい」思惑があるからだと。 逆に百貨店などではカード会社との間に手数料が発生しないんだって。百貨店でカードが使えなきゃカード自体のブランドが失墜するから、カード会社はコスト割れでも百貨店と契約を結ぶんだとさ。
しかし考えてみてほしい。キャッシュ・フローは派手でも、カード負債は確かに存在してるということ。これはいろんな場面の会計で言えることです。『ナニワ金融道』でもあったけど、破産する奴はこれが見えてないのです。
「キャッシュ・フローは現金しか考慮に入れてないが、利益は目に見えない負債なども考慮に入れた数字なのである。お金があることと儲かっていることとは別次元のお話というわけだ」(p170)
だからウン億の金を動かしてる企業も、キャッシュ・フローと負債混じってるわけだから、利益はたかがしれてたり赤字だったりするわけです。だから資金繰りが大事なのだよね。
個人の会計の場合で重要なのは「フリー・キャッシュ・フロー」と呼ばれる、自由に使えるお金のことです。一般的には、収入からローンと生活費を抜き、保険と貯蓄を抜いた額がそれ。実際豊かさの指標になりうるのはこれ。把握し認識することから始めれば、多少大ざっぱでも良いのだと。僕は低消費ライフだから、ほとんど計算いらないね。
会計のセンスはまずこんな風に家計のポイントをつかむことから始まるといえるでしょう。
この退屈な大衆庶民教養シリーズも次回で終わり。みなさん、節約会計生活をしましょうね。
「カイケイ」YOTAストーリー《5》
2006年1月26日 戯言戯言諸々その他「あ、それポン!」…「チー!」…「ロン!」「えっ?」(ざわっ…ざわっ…)
南4局オーラスでマンガン逆転が可能だったのに、2位の男が喰いタンヤオのみであがり、誰も順位は変わらなかった。麻雀は1位を取ってなんぼのゲームだってのに、なぜこの男は安手であがり2着に甘んじたのか? うーん…さあ“謎を解け”
雀荘に行く人なら簡単にわかるね。そう、実は2位の男は雀荘の店員だったのだ。そう、店員は店の「回転率(1日でどれだけの客をさばけるかという割合)」を高めたかっただけなのだ。店側からすれば1ゲームの場所代で商売してるわけだから、勝ち負けはどうでもよく、早くゲームを消化させゲーム数を増やしたいのである。2位の男の一見不可思議なタンヤオ1000点あがりの真実は、店の「回転率」をあげる所にあったのでした。 なーんだ。
「回転率」を重視する商売の典型といえば回転寿司、牛丼屋、立ち食いそば屋や立ち飲み屋。客が入れ替わり立ち替わり入っては出ていく「薄利多売」で利益を出している。店の構造自体も「ゆっくりできない」ように出来ているはずだ。
飲食店だけじゃない。映画館が上映時間の長い映画を好まないのも「回転率」の重視からだ。超人気映画でも1回3時間半もあれば1日に3回くらいしか流せない。300人定員満席でも300(人)×3(回)=1日900人しか集客できない。ならばそこそこ人気の2時間映画を1日5回流して、3分の2の200人しか入らなくても200(人)×5(回)=1日1000人である。 例えばタランティーノの『キル・ビル』はもともと4時間以上の1本の作品だったのだが、長すぎて上映できないので『1』『2』に分けて、まるでシリーズ物のごとく別の時期に上映したそうな。ちなみにあの映画僕は両方観た。刀を振り回すユマ・サーマンも、白目をむく栗山千明も、カタコトのルーシー・リューも、結局血にまみれてるので気持ち悪くなっただけの映画。
「売り上げ=単価×数」という永久不変の法則によって、単価を上げられないなら「回転率」を上げるしかない。もちろん単価が低いほど客は集まるので、回転率を上げるために単価をまず下げるという手もある。牛丼屋チェーンやファーストフードの値引き戦争はここに原因がある。まず集客力か、それとも値段なのか、難しいところだ。 「安い」だけでの集客力は、結局地獄の低価格競争を後押しするだけで真のリピーターは生まれにくい。いくら安くても美味しくなければ段々飽きられ、いずれは回転率も落ちてゆく。ハンバーガーチェーンの値下げ競争が急に終結し、素材や斬新さを競い合う高価格競争にシフトしていったのはそんな背景がある。
だから企業は真の「リピーター」を作ることに躍起だ。大リーグやサッカーJリーグなどは地域密着型ファンサービスであるといわれているが、地元意識を最大限に刺激した「ファンとチームとの一体感」は、何度も球場に足を運んでもらうための試行錯誤でもある。見ろ!客席はリピーターで溢れているじゃないか! 日本のプロ野球は長らくTVと巨人が支配してきたから、なかなかリピーターを生み出す形にならなかったのかも。新球団楽天は三木谷氏がヴィッセル神戸も兼ねてるから、これから「リピーター増やし」にいろんなことをやっていくと思われるよ。
テーマパーク業界でひとり勝ちのディズニーランドも、リピーターがやたら多いから強いのだね。1日で回りきれないアトラクションや訪れるたびに変わるイベント等、客を何度も楽しませる力があるからだといわれてる。
酒やタバコのブランドイメージもそうだね。いろんなお店のポイントカードとか特典とかもリピーター策ですね。いかに何度も消費させるかってのは、やはり商売の命題。
何度も何度もお金を使わせる。欲望を創造し肥大化させ拡大させる。それを万人にも拡大してく。すごい市場ってすごい。資本主義的なものってすごい。擦り切れるまで「チャンスゲイン」をうかがって、燃え尽きるまで「回転率」上げまくって、人はどこまでゆくんだろか。
そんな高速度高密度市場競争社会には、僕は嫌気なんか初めからある。だけど僕は「スロー」なんて上品な対抗物よりも、「だらだら」「まったり」がすきだよ。
南4局オーラスでマンガン逆転が可能だったのに、2位の男が喰いタンヤオのみであがり、誰も順位は変わらなかった。麻雀は1位を取ってなんぼのゲームだってのに、なぜこの男は安手であがり2着に甘んじたのか? うーん…さあ“謎を解け”
雀荘に行く人なら簡単にわかるね。そう、実は2位の男は雀荘の店員だったのだ。そう、店員は店の「回転率(1日でどれだけの客をさばけるかという割合)」を高めたかっただけなのだ。店側からすれば1ゲームの場所代で商売してるわけだから、勝ち負けはどうでもよく、早くゲームを消化させゲーム数を増やしたいのである。2位の男の一見不可思議なタンヤオ1000点あがりの真実は、店の「回転率」をあげる所にあったのでした。 なーんだ。
「回転率」を重視する商売の典型といえば回転寿司、牛丼屋、立ち食いそば屋や立ち飲み屋。客が入れ替わり立ち替わり入っては出ていく「薄利多売」で利益を出している。店の構造自体も「ゆっくりできない」ように出来ているはずだ。
飲食店だけじゃない。映画館が上映時間の長い映画を好まないのも「回転率」の重視からだ。超人気映画でも1回3時間半もあれば1日に3回くらいしか流せない。300人定員満席でも300(人)×3(回)=1日900人しか集客できない。ならばそこそこ人気の2時間映画を1日5回流して、3分の2の200人しか入らなくても200(人)×5(回)=1日1000人である。 例えばタランティーノの『キル・ビル』はもともと4時間以上の1本の作品だったのだが、長すぎて上映できないので『1』『2』に分けて、まるでシリーズ物のごとく別の時期に上映したそうな。ちなみにあの映画僕は両方観た。刀を振り回すユマ・サーマンも、白目をむく栗山千明も、カタコトのルーシー・リューも、結局血にまみれてるので気持ち悪くなっただけの映画。
「売り上げ=単価×数」という永久不変の法則によって、単価を上げられないなら「回転率」を上げるしかない。もちろん単価が低いほど客は集まるので、回転率を上げるために単価をまず下げるという手もある。牛丼屋チェーンやファーストフードの値引き戦争はここに原因がある。まず集客力か、それとも値段なのか、難しいところだ。 「安い」だけでの集客力は、結局地獄の低価格競争を後押しするだけで真のリピーターは生まれにくい。いくら安くても美味しくなければ段々飽きられ、いずれは回転率も落ちてゆく。ハンバーガーチェーンの値下げ競争が急に終結し、素材や斬新さを競い合う高価格競争にシフトしていったのはそんな背景がある。
だから企業は真の「リピーター」を作ることに躍起だ。大リーグやサッカーJリーグなどは地域密着型ファンサービスであるといわれているが、地元意識を最大限に刺激した「ファンとチームとの一体感」は、何度も球場に足を運んでもらうための試行錯誤でもある。見ろ!客席はリピーターで溢れているじゃないか! 日本のプロ野球は長らくTVと巨人が支配してきたから、なかなかリピーターを生み出す形にならなかったのかも。新球団楽天は三木谷氏がヴィッセル神戸も兼ねてるから、これから「リピーター増やし」にいろんなことをやっていくと思われるよ。
テーマパーク業界でひとり勝ちのディズニーランドも、リピーターがやたら多いから強いのだね。1日で回りきれないアトラクションや訪れるたびに変わるイベント等、客を何度も楽しませる力があるからだといわれてる。
酒やタバコのブランドイメージもそうだね。いろんなお店のポイントカードとか特典とかもリピーター策ですね。いかに何度も消費させるかってのは、やはり商売の命題。
何度も何度もお金を使わせる。欲望を創造し肥大化させ拡大させる。それを万人にも拡大してく。すごい市場ってすごい。資本主義的なものってすごい。擦り切れるまで「チャンスゲイン」をうかがって、燃え尽きるまで「回転率」上げまくって、人はどこまでゆくんだろか。
そんな高速度高密度市場競争社会には、僕は嫌気なんか初めからある。だけど僕は「スロー」なんて上品な対抗物よりも、「だらだら」「まったり」がすきだよ。
「カイケイ」YOTAストーリー《4》
2006年1月25日 戯言戯言諸々その他とあるスーパーでの弁当フェアにて、社員のA氏は限定100個の新商品「秋の味覚ざんまい弁当」をお昼過ぎには完売させるという大成功を収めた。だがその後で社長に酷く怒鳴られたのだった。売り上げに貢献したのに怒られたのはなぜ? “謎を解け”
それはA氏が「チャンスロス(機会損失)」をしたから。商売の基本とは「チャンスゲイン(売り上げ機会の獲得)」―消費者が「欲しい」と思った瞬間に商品を提供できること(気まぐれな欲望が生まれた瞬間逃さず金を使わせることだよ!他店或いは他の欲望に奪われる前に!)―にある。100個仕入れた弁当は確かに100個全て売れたが、お昼過ぎに完売するくらいならば、150個仕入れとけば150個売れたじゃねえかよ、ってこと。つまりその場合A氏の完売は「50個の売り上げ機会」を失ったということなのである。ここが難しいところなのだ。「在庫」の売れ残りは恐いが、しかし早過ぎる完売による「品切れ」も同時に経営者にとっては恐いのである。社長はA氏のチャンスロスに対し、その店の幹部候補への期待も込めて商売のプロとして怒ったのだった。
チャンスロスって考えさせられる。三大欲求や消費の面だけじゃなくてさ、例えば何かを頑張ろうとか思い立ったときとかは、それ自体が既に「機会」だということ。自分の中に生まれた奇跡だということ。それを僕は「ソウル」や「衝動」とときに呼んだりするけども。そうだ。だからね。逃がしちゃいけないんだよ。 一瞬にでも生まれた目標には、向かわないと。好きになった人には、優しくしてあげないと。ソウルを感じたことは、極めないと。この世に生まれたのなら、生きなければ。出会えそうならば、出会わなければ。大切なら、愛そう。直球が来るのなら、フルスイングしちまおう。立ち上がれたのなら、歩いてみよう。キレてるんなら、殴りつけてやれ。一つでも楽しいことあったら、どうか死なないでくださいよ。 それ全部奇跡が与えた機会なんだもんさ。
もしかしたらもう少し出来たかもしれないとか。あと少し出来たかもしれないとか。チャンスロスへの後悔が背中を押したりするんだよ。自分を生きる機会を失い続けちゃだめだって、誰かに言われるような気がするんだよ。
いま生きてることって、僕が思うより遙かにすごすぎることなんだろうよ。
弁当を売り尽くすことよりも、同じ論理で、「生き尽くす」ことなんだろうよ。
本当はまだ死んじゃだめだ。誰も死んじゃだめ。充分生き尽くしていないでしょ。奇跡に対して礼を逸さないこと。何も正しくなくていい。ただ礼儀だけ込めて、僕らは僕らのやり方で、濃密なソウルに溢れながら生命を使い果たしてやろうよ。
それはA氏が「チャンスロス(機会損失)」をしたから。商売の基本とは「チャンスゲイン(売り上げ機会の獲得)」―消費者が「欲しい」と思った瞬間に商品を提供できること(気まぐれな欲望が生まれた瞬間逃さず金を使わせることだよ!他店或いは他の欲望に奪われる前に!)―にある。100個仕入れた弁当は確かに100個全て売れたが、お昼過ぎに完売するくらいならば、150個仕入れとけば150個売れたじゃねえかよ、ってこと。つまりその場合A氏の完売は「50個の売り上げ機会」を失ったということなのである。ここが難しいところなのだ。「在庫」の売れ残りは恐いが、しかし早過ぎる完売による「品切れ」も同時に経営者にとっては恐いのである。社長はA氏のチャンスロスに対し、その店の幹部候補への期待も込めて商売のプロとして怒ったのだった。
チャンスロスって考えさせられる。三大欲求や消費の面だけじゃなくてさ、例えば何かを頑張ろうとか思い立ったときとかは、それ自体が既に「機会」だということ。自分の中に生まれた奇跡だということ。それを僕は「ソウル」や「衝動」とときに呼んだりするけども。そうだ。だからね。逃がしちゃいけないんだよ。 一瞬にでも生まれた目標には、向かわないと。好きになった人には、優しくしてあげないと。ソウルを感じたことは、極めないと。この世に生まれたのなら、生きなければ。出会えそうならば、出会わなければ。大切なら、愛そう。直球が来るのなら、フルスイングしちまおう。立ち上がれたのなら、歩いてみよう。キレてるんなら、殴りつけてやれ。一つでも楽しいことあったら、どうか死なないでくださいよ。 それ全部奇跡が与えた機会なんだもんさ。
もしかしたらもう少し出来たかもしれないとか。あと少し出来たかもしれないとか。チャンスロスへの後悔が背中を押したりするんだよ。自分を生きる機会を失い続けちゃだめだって、誰かに言われるような気がするんだよ。
いま生きてることって、僕が思うより遙かにすごすぎることなんだろうよ。
弁当を売り尽くすことよりも、同じ論理で、「生き尽くす」ことなんだろうよ。
本当はまだ死んじゃだめだ。誰も死んじゃだめ。充分生き尽くしていないでしょ。奇跡に対して礼を逸さないこと。何も正しくなくていい。ただ礼儀だけ込めて、僕らは僕らのやり方で、濃密なソウルに溢れながら生命を使い果たしてやろうよ。
「カイケイ」YOTAストーリー《3》
2006年1月24日 戯言戯言諸々その他筆者が知っているある自然食品店は、お客もほとんど見当たらないのにたくさんの商品群が通路や階段にまで山積みされているという謎の店。膨大な「在庫」を抱えてるくせに、やっぱりいつまでも潰れないで開店を続けている。なぜ潰れないの? “謎を解け”
まずは「在庫」の話から。一方で売り物であるはずの在庫は、会計では「罪庫」とも言われるほどやっかいな存在。それは、「棚卸減耗損(在庫を長い間抱えることにより生じるリスク)」「在庫管理にかかる人件費」「場所の問題」等々により、維持費とでもいうべき「在庫コスト」が生じるからだ。
商売するなら「売り切れ」と「在庫ナシ」状態をつくってはいけないのだけど、「多くてはダメだが無いと困る」のが在庫であり、その量の微妙な調整が重要なんだとさ。だからITで在庫調整したり、店頭ディスプレイの配置でうまいことやったりするんだそうです。
不良在庫が増えると、卸業者など生産者や仕入れ先への代金を払えなくなって、銀行とかの資金繰りがショートして倒産するわけです。銀行からの資金繰りは結局借金なので利息払い等を考えると必要以上は借りない方が良いのは当たり前だし、資金は投資に回した方が良い(と株主も圧力をかける)から、企業の財務課はギリギリのラインで資金を持っておき、ショートしないように資金繰りをするのです。支払期限を引き延ばすための「手形」はそんなときに役立ちます。または「掛取引」において代金回収を早めるのも策の一つです。小売業は「現金商売」であって、売り上げと代金の同時獲得ができるから、資金ショートのリスクが少ない業種です。そごうやダイエーが潰れたときすぐ買収の手が上がったのはそのためなんだって。
〈新年度から一人暮らしする人へ〉…家賃は3ヶ月まとめて一気に支払った方が良いそうだよ。たったそれだけで大家さんの「代金回収の不安・面倒(総じてリスク)」が無くなるから。大家と仲良くしといて損はないはず。どんな経営者も資金繰りの不安を抱えてるのだな。
だいぶ脱線したけどそれでは最初に戻って、膨大な在庫を抱える自然食品店の謎解き。この店は「在庫コスト」がかかりすぎて資金ショートしないのか?客もいないのになぜ潰れないのか?
答えは簡単でした。謎の自然食品店の正体は、ネット宅配がメインの店だったのです。店舗は在庫置き場をせっかくだからとお店にしただけのものだった。だからたくさんの商品が積まれてるのにお客がいなかったわけです。人件費や場所代も、倉庫運営より効率的だったそうです。
「在庫」の恐さがわかった所で、各企業の「在庫減らし」努力を紹介。 まず「バーゲンセール」。バーゲンに衣料品が多いのは、ファッションは「流行」が変わりやすくて常に「時代遅れ」による不良在庫化のリスクがあるから。虫食いとかもあるし、衣料品は総じて在庫コストがかかるそうです。「在庫一掃セール」は、商品の新しい店への移動コストを少しでも減らすため。以下その他。
・福袋
・「店長(シェフ)のオススメ」
・新装開店セール(在庫一掃セールの残り)
以前うちの兄が働いてたスーパーの話。マグロのサクってあるよね。かたまりで売ってるやつ。実は品物としてはあれが一番新鮮で、あれが古くなったらバラして「刺身○点盛り」とかに利用して、さらに古くなったら磨り潰して「ネギトロ」や「つみれ」に利用するんだって。あとお総菜にも利用する。(サク→刺身→ミンチかお総菜の具)の順に古くなってるんだと。サクが一番新鮮なのです。マグロはサク買いして、調理したり刺身にしたりするのが一番新鮮なの食べれるってことね。 しかしこれ軽い偽装工作じゃんと思ったのは僕だけか?これが発展するとラベルごと貼り替えたりするんじゃねえの。
「在庫減らし」は各企業が死にものぐるいで頑張ってるハードワーク。商品の販売状況のオンライン管理に始まって、その最近の究極の形が「受注生産」。売れない物は最初から作らず、受注して初めて作るってやつ。もはや時代は大量生産大量消費モデルも超える生産市場の形が出現するに至ってる。
でも僕の部屋には無駄な物がたくさんあります。なかなか捨てられないものばかり。
在庫といえば、(まあ全然関係ないけど)今日Nちゃんと小岩のイトーヨーカドーに行きました。えっと?何で行くことになったんだっけ?忘れた。 そんで、屋上のファミリーランドがあまりにも懐かしかった。昔はよくきてたっけ。デパートの屋上の子どもの遊び場スペースってどんどん消えてるらしいけど、あそこはまだ残ってた。独特の雰囲気。夕焼けに染まる下界の街並みがきれいで、寒かったけど見入った。 店の在庫減らしに協力したかったけど、何も買い物しなかった。
まずは「在庫」の話から。一方で売り物であるはずの在庫は、会計では「罪庫」とも言われるほどやっかいな存在。それは、「棚卸減耗損(在庫を長い間抱えることにより生じるリスク)」「在庫管理にかかる人件費」「場所の問題」等々により、維持費とでもいうべき「在庫コスト」が生じるからだ。
商売するなら「売り切れ」と「在庫ナシ」状態をつくってはいけないのだけど、「多くてはダメだが無いと困る」のが在庫であり、その量の微妙な調整が重要なんだとさ。だからITで在庫調整したり、店頭ディスプレイの配置でうまいことやったりするんだそうです。
不良在庫が増えると、卸業者など生産者や仕入れ先への代金を払えなくなって、銀行とかの資金繰りがショートして倒産するわけです。銀行からの資金繰りは結局借金なので利息払い等を考えると必要以上は借りない方が良いのは当たり前だし、資金は投資に回した方が良い(と株主も圧力をかける)から、企業の財務課はギリギリのラインで資金を持っておき、ショートしないように資金繰りをするのです。支払期限を引き延ばすための「手形」はそんなときに役立ちます。または「掛取引」において代金回収を早めるのも策の一つです。小売業は「現金商売」であって、売り上げと代金の同時獲得ができるから、資金ショートのリスクが少ない業種です。そごうやダイエーが潰れたときすぐ買収の手が上がったのはそのためなんだって。
〈新年度から一人暮らしする人へ〉…家賃は3ヶ月まとめて一気に支払った方が良いそうだよ。たったそれだけで大家さんの「代金回収の不安・面倒(総じてリスク)」が無くなるから。大家と仲良くしといて損はないはず。どんな経営者も資金繰りの不安を抱えてるのだな。
だいぶ脱線したけどそれでは最初に戻って、膨大な在庫を抱える自然食品店の謎解き。この店は「在庫コスト」がかかりすぎて資金ショートしないのか?客もいないのになぜ潰れないのか?
答えは簡単でした。謎の自然食品店の正体は、ネット宅配がメインの店だったのです。店舗は在庫置き場をせっかくだからとお店にしただけのものだった。だからたくさんの商品が積まれてるのにお客がいなかったわけです。人件費や場所代も、倉庫運営より効率的だったそうです。
「在庫」の恐さがわかった所で、各企業の「在庫減らし」努力を紹介。 まず「バーゲンセール」。バーゲンに衣料品が多いのは、ファッションは「流行」が変わりやすくて常に「時代遅れ」による不良在庫化のリスクがあるから。虫食いとかもあるし、衣料品は総じて在庫コストがかかるそうです。「在庫一掃セール」は、商品の新しい店への移動コストを少しでも減らすため。以下その他。
・福袋
・「店長(シェフ)のオススメ」
・新装開店セール(在庫一掃セールの残り)
以前うちの兄が働いてたスーパーの話。マグロのサクってあるよね。かたまりで売ってるやつ。実は品物としてはあれが一番新鮮で、あれが古くなったらバラして「刺身○点盛り」とかに利用して、さらに古くなったら磨り潰して「ネギトロ」や「つみれ」に利用するんだって。あとお総菜にも利用する。(サク→刺身→ミンチかお総菜の具)の順に古くなってるんだと。サクが一番新鮮なのです。マグロはサク買いして、調理したり刺身にしたりするのが一番新鮮なの食べれるってことね。 しかしこれ軽い偽装工作じゃんと思ったのは僕だけか?これが発展するとラベルごと貼り替えたりするんじゃねえの。
「在庫減らし」は各企業が死にものぐるいで頑張ってるハードワーク。商品の販売状況のオンライン管理に始まって、その最近の究極の形が「受注生産」。売れない物は最初から作らず、受注して初めて作るってやつ。もはや時代は大量生産大量消費モデルも超える生産市場の形が出現するに至ってる。
でも僕の部屋には無駄な物がたくさんあります。なかなか捨てられないものばかり。
在庫といえば、(まあ全然関係ないけど)今日Nちゃんと小岩のイトーヨーカドーに行きました。えっと?何で行くことになったんだっけ?忘れた。 そんで、屋上のファミリーランドがあまりにも懐かしかった。昔はよくきてたっけ。デパートの屋上の子どもの遊び場スペースってどんどん消えてるらしいけど、あそこはまだ残ってた。独特の雰囲気。夕焼けに染まる下界の街並みがきれいで、寒かったけど見入った。 店の在庫減らしに協力したかったけど、何も買い物しなかった。
「カイケイ」YOTAストーリー《2》
2006年1月22日 戯言戯言諸々その他筆者の家の近くにある高級フランス料理店は、シンプルな外装で値段が高くて、でも流行ってるわけでもないようなお店。立地は繁華街や商店街ではなく、駅からも離れた郊外住宅地ベッドタウンであり、大きな道路に面しているわけでもないので駐車場もない。高級住宅地でもないのにしかし値は張る高級店。安くもなければ便利でもなく評判もわからない高級レストラン。お客がそれほど入ってる様子もないのに、ずっと潰れないで開店しているのはなぜなのか?というのが今回の謎。「さおだけ屋」は、「費用を減らす」に重点を置いた「初期投資のいらない副業」だったけど、レストランは維持費もいるし「売り上げを増やす」ことをしなければ普通は潰れるんじゃないの?なぜ潰れないの? でもそれも会計学が一気に謎を解くのです。 “謎を解け”
商売の原則である「等価交換(同じくらいの価値のモノ−お金や商品・サービス−同士を交換する)」がまるで無視されているこの店はなぜ潰れないのか。「高級」に見合った立地にするか、評判を集めるか、安くするか、どれかしら手を打たないと絶対に潰れると誰もが思うはずです。でも真実は違くて、不合理な「高級」にはちゃんと意味があったのです。
答えは、そのお店で開催している〈フランス料理教室〉と〈ワイン教室〉にあった。「高級」だからこそ、ベッドタウンの主婦たちが昼間に時間の取れるターゲットとして生徒として集まり、その入会金と月謝が商売になるという仕組み。昼過ぎから夕方にかけて開く〈教室〉はランチやディナーともかぶらず、教室はお店そのものを使用し、講師はお店のシェフとソムリエだから人件費も何とかなり、生徒たちはお店の固定ファンになり時々は食べに来ることもあったりするという。「高級」というブランドは、お得感と箔がつくからこそ〈教室〉にとってなくてはならないポイントであり、格安料理店にする必要なんかなかったのだ。
この謎のレストランの正体は、「本業で設ける必要のない商売」だったのである。
しかし、〈教室〉副業がいくらおいしくても、本業をやめて副業に絞ってしまったら本末転倒である所にこの商売の面白さがある。この商売の場合、「高級フランス料理店のシェフ(ソムリエ)が教える」という所にこそ、お金を払う価値があるからだ。
本業と副業はバラバラになってはいけなくて、商売はつなげて考える「連結経営」が大切とされる。東急、小田急、阪急など全国の私鉄が路線上に百貨店や遊園地を置いたのは、家族連れの運賃を期待したことからであった。 楽天やらライブドア(大変ね今)やらIT企業が証券会社を買収していろんなことするのは、ネットによる株取引が盛んだからというだけでなく、ネット投資家が本業である自社サイトを利用してくれるかも、という相乗効果を狙っているからといわれている。 ソニーの音楽・映画事業は、TVやDVDやCDコンポの売り上げに結びつくことを狙っているためである。 新日鉄の子会社に新日鉄ソリューションズというシステム会社があって、「鉄」と「システム」は一見関係ないように見えるけど、鉄を作る工場での高炉とかの管理は今や高度なシステムが不可欠だからなんだってさ。 こんな風に、企業は相乗効果の高い事業と市場を常に狙っているのであります。
個人なら、「週末起業」が流行ってるので良いでしょう。自分の趣味や知識を活かした副業を週末に行えば、疲れないで続けられるし儲かったら嬉しい。土日や夜間に本業や趣味と関係ないバイトをしたって長続きはしないから。
ちなみに筆者は、自分の本業、或いは興味や知識のある業界や市場での株式投資を副業として薦めている。(自社株の場合はインサイダーもどきに気を付けること)
「連結経営」の考え方は大切だと思った。僕はいま作家を目指したいんだけど、結局リアルでソウルフルなネタって実社会にこそゴロゴロしてる。ひきこもり的な職業はえてして社会に出ることから磨かれてゆくのだ。僕のようなクズヒッキーは、書物や映像だけじゃなく、いくらだって社会を見なければいけないのだよね。 僕の卒業後の進路はいま二転三転してて、やっぱ就職しようかなあううん。
栃東優勝!震えるよおめえ!最高!
初場所総括は明日。
商売の原則である「等価交換(同じくらいの価値のモノ−お金や商品・サービス−同士を交換する)」がまるで無視されているこの店はなぜ潰れないのか。「高級」に見合った立地にするか、評判を集めるか、安くするか、どれかしら手を打たないと絶対に潰れると誰もが思うはずです。でも真実は違くて、不合理な「高級」にはちゃんと意味があったのです。
答えは、そのお店で開催している〈フランス料理教室〉と〈ワイン教室〉にあった。「高級」だからこそ、ベッドタウンの主婦たちが昼間に時間の取れるターゲットとして生徒として集まり、その入会金と月謝が商売になるという仕組み。昼過ぎから夕方にかけて開く〈教室〉はランチやディナーともかぶらず、教室はお店そのものを使用し、講師はお店のシェフとソムリエだから人件費も何とかなり、生徒たちはお店の固定ファンになり時々は食べに来ることもあったりするという。「高級」というブランドは、お得感と箔がつくからこそ〈教室〉にとってなくてはならないポイントであり、格安料理店にする必要なんかなかったのだ。
この謎のレストランの正体は、「本業で設ける必要のない商売」だったのである。
しかし、〈教室〉副業がいくらおいしくても、本業をやめて副業に絞ってしまったら本末転倒である所にこの商売の面白さがある。この商売の場合、「高級フランス料理店のシェフ(ソムリエ)が教える」という所にこそ、お金を払う価値があるからだ。
本業と副業はバラバラになってはいけなくて、商売はつなげて考える「連結経営」が大切とされる。東急、小田急、阪急など全国の私鉄が路線上に百貨店や遊園地を置いたのは、家族連れの運賃を期待したことからであった。 楽天やらライブドア(大変ね今)やらIT企業が証券会社を買収していろんなことするのは、ネットによる株取引が盛んだからというだけでなく、ネット投資家が本業である自社サイトを利用してくれるかも、という相乗効果を狙っているからといわれている。 ソニーの音楽・映画事業は、TVやDVDやCDコンポの売り上げに結びつくことを狙っているためである。 新日鉄の子会社に新日鉄ソリューションズというシステム会社があって、「鉄」と「システム」は一見関係ないように見えるけど、鉄を作る工場での高炉とかの管理は今や高度なシステムが不可欠だからなんだってさ。 こんな風に、企業は相乗効果の高い事業と市場を常に狙っているのであります。
個人なら、「週末起業」が流行ってるので良いでしょう。自分の趣味や知識を活かした副業を週末に行えば、疲れないで続けられるし儲かったら嬉しい。土日や夜間に本業や趣味と関係ないバイトをしたって長続きはしないから。
ちなみに筆者は、自分の本業、或いは興味や知識のある業界や市場での株式投資を副業として薦めている。(自社株の場合はインサイダーもどきに気を付けること)
「連結経営」の考え方は大切だと思った。僕はいま作家を目指したいんだけど、結局リアルでソウルフルなネタって実社会にこそゴロゴロしてる。ひきこもり的な職業はえてして社会に出ることから磨かれてゆくのだ。僕のようなクズヒッキーは、書物や映像だけじゃなく、いくらだって社会を見なければいけないのだよね。 僕の卒業後の進路はいま二転三転してて、やっぱ就職しようかなあううん。
栃東優勝!震えるよおめえ!最高!
初場所総括は明日。
「カイケイ」YOTAストーリー《1》
2006年1月21日 戯言戯言諸々その他雪が降ったなあ。
雪には思い出がない。
雪、ゆきゆきて。
こんな日は軽く教養になる本でも読もう。どうだいこんな本。。。
☆☆
会計とか会計学とかって苦手?僕苦手。「入門」レベルで難しい。僕は数学とか数字とか大っ嫌いだから。でも食わず嫌いかも、とも思う。僕と同じこと思ってる人きっとたくさんいたんだろう。昨年『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』山田真哉著(光文社新書)がベストセラーになりました。会計のこと少しでもわかりたいっていうそこらの人々が支持したこの本、あっさり読んでみたよ。
余談ですが、地元の図書館で借りようとしたら、なんと500人待ち。狂ってら。ベストセラーだからってみんなで借りてまで読みたがらなくてもいいのに。買う人たくさんいたからベストセラーなんだろ?買えよ新書くらい。…そんなこと言っておきながら僕は学校の図書館で普通に借りました。しかし学生の方が社会人より本読んでないのだな。
で、内容は会計の話でした。まずはタイトルにもある「さおだけ屋」のお話から。
「さおだけ屋」って?そう、あれですよ。あの、「たーけや〜さおだけ〜さおだけ〜。2本で千円」とかわめきながら不定期でトラックで町内まわってて、そのうちどこかに去っていっちゃうあの謎の商売のこと。単純に考えて、儲かってんの?て誰でも思う。そして絶対儲かってないと思うはず。大体「さおだけ」って?買う人いるの?使い捨てでも買い換え商品でもない。それに、欲しいときは各自スーパーにでもいくだろ。不定期(うちの町内は3ヶ月に一回くらいしか見ないなぁ)に日中うろうろして商売になるの?でも潰れないで長いこと続けられてるみたいなのはなんでなの?って話。
〈事実1〉「そもそも、さおだけはそんなに需要がない」
〈事実2〉「わざわざ、さおだけ屋から買うメリットもない」
だけど潰れずに成り立っている。疑問と謎に満ちた「さおだけ屋」の経営。しかし会計学が一気にその謎を解くのです。 “謎を解け”
まず「さおだけ屋」は副業であり、本職は商店街の金物屋だったりするという真実がある。金物屋の商売で自宅に配達するついでにだったり、仕事の合間にだけ「さおだけ〜」を営業しているのである。さおだけも人件費もトラック代もガソリン代も全部本業のものを流用しているから諸経費ゼロ。万が一売れたらラッキーだし、本業の金物屋の宣伝にもなるんだそうだ。
そう、さおだけ屋の正体は「初期投資のかからない副業」だったのである。
この一連のさおだけ屋の謎から見えてくる、「商売」の本質…「利益を上げる」ってことは、、、
・売り上げを増やす
・費用を減らす
この実にシンプルな2点をどこまで掴むかにかかっているのだという。
さおだけ屋はこの「商売」の基本をおさえてるからこそこれだけ長い期間にわたって全国的に地味ながら「ゴーイング・コンサーン(企業にとって大前提である「継続」すること)」できているのである。「売り上げを増やす」よりも、「費用を減らす」に重点を置いた利益の上げ方は、副業としての「さおだけ屋」がなせる仕組みでもあるってことだな。
少し身近に置き換えてこの基本構造を見てみよう。「売り上げを増やす」は、企業なら設備投資や新規市場開拓だろう。じゃあ個人ならどう?…「昇進」や「残業増やす」とか「土日バイトする」とか考えられるけど、それって結構大変だよね。でもアフェリエイトとか株とかもなかなか難しいよね。だから個人は「利益を上げる」ことを考えるならば、「費用を減らす」ことがやはり賢明なんだ。「節約」ってやつですよ。
そして筆者は「節約は絶対額で考える」べきだという。100万円のものを1%引き99万円で購入するのと、1000円のものを50%引きで500円で購入するのを比較した場合、一見後者が断然お得に見えるけど、実際の節約額は1万円>500円なわけだ。後者のような節約を繰り返す人ほど、マイホームや結婚式で「一生に一度のイベントですから」と言われると「高くてもいいや」となっちゃうらしい。 チリが積もってもなかなか山にはならないのに、山はすぐ崩されるもんなのです。毎日100円節約して、「たまにはパッと」5万使ったら、一年間で「100(円)×365(日)−5万(円)=マイナス1万3500円」で大赤字である。 「こういう人は非常に赤字を出しやすい性質なので経営者には向いていない。節約した気になっているだけで会計を見ていないのである」(p42)と筆者は苦言を呈す。僕もその通りだと思う。
「節約は絶対額で考える」は、「常に費用対効果を考えればいい」という反論を受ける。確かに、値段に見合った効果が期待される買い物をいつも心がければいいのである。だけど、行きつけのスーパーならともかく、値段の相場情報がわからないときはどうするのか。例えば食器洗い乾燥機が店頭で「水道代がナント年間8万円の節約!」という推しで売られてたら、「今買って何年でモトが取れるかな…?」と考え込んでも仕方ないのだ。食器洗い乾燥機はジャーやレンジのように結構電力を食う知られざる家電であり、水道代を節約した分それは電気料金にはねかえってくるというカラクリがあるからだ。「手洗い」とトータルコストでは差はないことを、東京電力はHPでも実験結果を公表している。このように情報源が偏っている場合、本当の費用対効果はわからないのである。
要するに無駄な物は買わないということと、数字に騙されないということである。「安いから」「お得だから」よりも、「時間の節約」「置き場」「効用」等々、熟慮し悩むべきファクターはたくさんあるのだ。数字だけではないからこそ、数字に惑わされないために、「会計」的な感覚が必要なのだという。わかりやすい。
そして「自分の家計状況を知っていること」で、食器洗い乾燥機だけで水道代が年間8万も節約されるわけがないということくらいわかるようになると筆者はいう。
長々書いちゃった。えへへ。ちょっとベストセラーになった理由がわかったような気がした。特に親愛なる浪費家の諸君は「会計」に興味を持ちましょう。
雪には思い出がない。
雪、ゆきゆきて。
こんな日は軽く教養になる本でも読もう。どうだいこんな本。。。
☆☆
会計とか会計学とかって苦手?僕苦手。「入門」レベルで難しい。僕は数学とか数字とか大っ嫌いだから。でも食わず嫌いかも、とも思う。僕と同じこと思ってる人きっとたくさんいたんだろう。昨年『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』山田真哉著(光文社新書)がベストセラーになりました。会計のこと少しでもわかりたいっていうそこらの人々が支持したこの本、あっさり読んでみたよ。
余談ですが、地元の図書館で借りようとしたら、なんと500人待ち。狂ってら。ベストセラーだからってみんなで借りてまで読みたがらなくてもいいのに。買う人たくさんいたからベストセラーなんだろ?買えよ新書くらい。…そんなこと言っておきながら僕は学校の図書館で普通に借りました。しかし学生の方が社会人より本読んでないのだな。
で、内容は会計の話でした。まずはタイトルにもある「さおだけ屋」のお話から。
「さおだけ屋」って?そう、あれですよ。あの、「たーけや〜さおだけ〜さおだけ〜。2本で千円」とかわめきながら不定期でトラックで町内まわってて、そのうちどこかに去っていっちゃうあの謎の商売のこと。単純に考えて、儲かってんの?て誰でも思う。そして絶対儲かってないと思うはず。大体「さおだけ」って?買う人いるの?使い捨てでも買い換え商品でもない。それに、欲しいときは各自スーパーにでもいくだろ。不定期(うちの町内は3ヶ月に一回くらいしか見ないなぁ)に日中うろうろして商売になるの?でも潰れないで長いこと続けられてるみたいなのはなんでなの?って話。
〈事実1〉「そもそも、さおだけはそんなに需要がない」
〈事実2〉「わざわざ、さおだけ屋から買うメリットもない」
だけど潰れずに成り立っている。疑問と謎に満ちた「さおだけ屋」の経営。しかし会計学が一気にその謎を解くのです。 “謎を解け”
まず「さおだけ屋」は副業であり、本職は商店街の金物屋だったりするという真実がある。金物屋の商売で自宅に配達するついでにだったり、仕事の合間にだけ「さおだけ〜」を営業しているのである。さおだけも人件費もトラック代もガソリン代も全部本業のものを流用しているから諸経費ゼロ。万が一売れたらラッキーだし、本業の金物屋の宣伝にもなるんだそうだ。
そう、さおだけ屋の正体は「初期投資のかからない副業」だったのである。
この一連のさおだけ屋の謎から見えてくる、「商売」の本質…「利益を上げる」ってことは、、、
・売り上げを増やす
・費用を減らす
この実にシンプルな2点をどこまで掴むかにかかっているのだという。
さおだけ屋はこの「商売」の基本をおさえてるからこそこれだけ長い期間にわたって全国的に地味ながら「ゴーイング・コンサーン(企業にとって大前提である「継続」すること)」できているのである。「売り上げを増やす」よりも、「費用を減らす」に重点を置いた利益の上げ方は、副業としての「さおだけ屋」がなせる仕組みでもあるってことだな。
少し身近に置き換えてこの基本構造を見てみよう。「売り上げを増やす」は、企業なら設備投資や新規市場開拓だろう。じゃあ個人ならどう?…「昇進」や「残業増やす」とか「土日バイトする」とか考えられるけど、それって結構大変だよね。でもアフェリエイトとか株とかもなかなか難しいよね。だから個人は「利益を上げる」ことを考えるならば、「費用を減らす」ことがやはり賢明なんだ。「節約」ってやつですよ。
そして筆者は「節約は絶対額で考える」べきだという。100万円のものを1%引き99万円で購入するのと、1000円のものを50%引きで500円で購入するのを比較した場合、一見後者が断然お得に見えるけど、実際の節約額は1万円>500円なわけだ。後者のような節約を繰り返す人ほど、マイホームや結婚式で「一生に一度のイベントですから」と言われると「高くてもいいや」となっちゃうらしい。 チリが積もってもなかなか山にはならないのに、山はすぐ崩されるもんなのです。毎日100円節約して、「たまにはパッと」5万使ったら、一年間で「100(円)×365(日)−5万(円)=マイナス1万3500円」で大赤字である。 「こういう人は非常に赤字を出しやすい性質なので経営者には向いていない。節約した気になっているだけで会計を見ていないのである」(p42)と筆者は苦言を呈す。僕もその通りだと思う。
「節約は絶対額で考える」は、「常に費用対効果を考えればいい」という反論を受ける。確かに、値段に見合った効果が期待される買い物をいつも心がければいいのである。だけど、行きつけのスーパーならともかく、値段の相場情報がわからないときはどうするのか。例えば食器洗い乾燥機が店頭で「水道代がナント年間8万円の節約!」という推しで売られてたら、「今買って何年でモトが取れるかな…?」と考え込んでも仕方ないのだ。食器洗い乾燥機はジャーやレンジのように結構電力を食う知られざる家電であり、水道代を節約した分それは電気料金にはねかえってくるというカラクリがあるからだ。「手洗い」とトータルコストでは差はないことを、東京電力はHPでも実験結果を公表している。このように情報源が偏っている場合、本当の費用対効果はわからないのである。
要するに無駄な物は買わないということと、数字に騙されないということである。「安いから」「お得だから」よりも、「時間の節約」「置き場」「効用」等々、熟慮し悩むべきファクターはたくさんあるのだ。数字だけではないからこそ、数字に惑わされないために、「会計」的な感覚が必要なのだという。わかりやすい。
そして「自分の家計状況を知っていること」で、食器洗い乾燥機だけで水道代が年間8万も節約されるわけがないということくらいわかるようになると筆者はいう。
長々書いちゃった。えへへ。ちょっとベストセラーになった理由がわかったような気がした。特に親愛なる浪費家の諸君は「会計」に興味を持ちましょう。
日本之下流社会(一二・最終章)
2005年12月8日 戯言戯言諸々その他下流論も遂に最終章です。
これまで「下流社会」を延々と波もなくダベってきましたが、多少興味深かったと思います。僕なりの結論を言えば、やはりこれからの社会にて貧富の差が大きくなる中でどうすっかってことです。晩婚化と少子化はどんどん進み、自殺者や失業者や犯罪者やフリーターやニートとかが増えるかもしれないけど、でも餓死者が出るわけではないし、革命が起きるわけでもない。「下流」が固定されるだけです。働かず働けず、結婚せず結婚できず、子どもを産まず産めず、「自分」を追う迷路の中で疲れ果て、とりあえず歩くために「夢」を持ち、やはり納得いかず努力ができず、低価格消費を繰り返し、一人で考え悩み、孤独と虚無に怯え、何もかも面倒になり、その日その日を生きてゆく。そんな人たちが「下流」に増え、そしてその人たちはいずれ身動きが取れなくなるまでそこに生息し続けるのです。中にはダークサイドに落ちてゆくやつもいるかもしれない。 政治も経済も周囲の人たちでさえも、そんな状況をいま是認しています。だけど本当にこれは「仕方のない」ことなのでしょうか?
「上流」はいま、自分の全存在をかけて激烈な競争社会で日々を戦い抜いています。そこで得る誇りや自負こそが社会を支え、また「上流」を支えてもいます。一方で「下流」は「自分らしさ」を追い、トレンドに没しそうな葛藤の中でそこそこ楽しく生きようと藻掻いています。当然経済的な格差がついていきます。「上流」は「勝ち組」を名乗り、醜悪にそれを自画自賛します。「下流」は「別に負けてもいいや」「勝って何が面白いの?」と、ルサンチマン(て言うの?)的に、実は嫉妬しながら呟いています。 誰もが救われているようにも、救われぬようにも思えるし、流れの隙間にこそ実は素敵な豊かさがあるようにも僕は思うのです。
労働市場にとって今やなくてはならない存在である「フリーター」が何故か批判され、子供なぞ育てることもままならない環境の中で何故か「少子化」が懸念され、階層意識をまたしてもぼやかすような「個性」「ゆとり」「自分探し」が何故か教育界では奨励され、教育機関卒業と同時に現実に絶望するパターンを生んでいます。とりわけ教育は、もともと均一ではない人間というものを画一的に処理し、その上で競わせ、そのくせ時には手を繋いでゴールさせ、現実味のない協和幻想を吹き込み、しかし「良識ある公民」となることには常に恐怖を与え続け封殺してきました。 そして、どんなにがんばっても差のつかない「結果悪平等」を、弱肉強食のネオリベラリズムにて叩き壊し、永久にありえない「機会の平等」を唱えつつ、階層格差の固定化を遂に人々が是認し始めるところまでこの社会は来てしまいました。 政治や経済は「自己責任」を唱え、公共や福祉から徐々に撤退を見せ始めています。巷ではホームレスが凍死し、罪の無い子どもたちが狂気の犠牲になり、善良な人を狙った悪徳業が蔓延し、力を持たない一市民は権力の前に泣き寝入りをし、多くの若者たちが現実に脅え希望を失っています。一体いつからこの国では弱い者が更に弱い者を叩くようになったのでしょうか?
そんな中で「公共精神」を叫び、「昔はよかった」ノスタルジーに浸り、既得権の剥奪に脅えながらも自己の老後資産運用に必死こく大人たちがいます。片方で、政治にも参加せずに自分より更に弱いものに牙をむく奴らがいて、また一方では、優しい気持ちを裏切られ続け、閉ざし、破綻することを知りつつ闇に心を委ねていく人たちがいます。 ゴミクズの僕なんかよりもよっぽど優れてて優しくて素晴らしくて人に優しく在れる人たちが、僕なんかよりずっと素晴らしくこの社会に生きていくべきそんな人たちが、同じこの社会で何故傷ついてゆかねばならないのでしょうか?
だけど、だけどね。書いててずっと思ってました。takebonoは「下流」で、しかもそこにもう在処を見つけてしまっていたことを。いつからだろうかわからないけれど、たぶんずっとずっと前からだ。takebonoは「下流」に在ることが運命付けられてたような。思えばあの日やあの日からかなぁ。 きっと「藤子不二夫」も「アントニオ猪木」も「takebono」も、何かのキッカケで生まれたのだし、それでいいのだと思う。 僕の中の僕だけのテロリズムかヒロイズムかよくわからんものが帰結する一つの形かと。だけどまだ僕は「ただ一切が流れてゆく」ことを許していません。5年くらい前からそうでした。だから充実してたんじゃん。限りある命を、いま、生きてゆきたいんだよ。すごく。生きてゆきたいんだよな。この僕が知る僕を。知ろうとする僕をだよ。
そうさ。こんな僕にどんな意欲が足りないというんだ?
僕がどのように生きれば誰が納得するっていうんだ?
社会は普通に狂っている。だがしかし「下流」はクズである。そしてだからといって「上流」が素晴らしいわけでもない。ボケた「中流」が素敵なわけでもない。大切なのは「流れ」の中にあって、自分の足で歩き、自分を見極め続けることだ。立ち上がるときに立ち上がろうとすることや、変えられることから変えようとすることや、心臓の鳴り方に納得できるかどうかということなんだ。自分なりに創りあげたどうしようもないソウルを、自分の手で生かしていければ、きっと生きることが楽しいはずさ。この瞬間は、もう2度と無い、自分の生命なんだから。そうなんじゃないのかな。
H先生の教職ゼミの共同研究を終えて、M先生の総合演習のグループワークを終えて、Sゼミの卒論を終えたら、たっくさん飲んで、一通りの人に挨拶をして、書きかけの小説を書き終えて、いろんなやり残しのそのまたやり残しなどを終えて、そして大学を卒業したら、そして宙ぶらりんになったら、仕事とネタとたくさんのソウルを見つけて、本をたくさん読んでたくさん本を書くんだ。地方にも外国にも行きたいしルームシェアもしたいし、コミュニティーを守り、作ってもゆきたいんだ。僕はもはや死なない。動けなくなるまでは、僕は絶対に生きていく。
「下流」でもいい。アンバランスで方向感覚のないこの僕が、この社会でもし泳げるのなら。そこが「下流」でもいい。そう思うんだ。 S先生、ごめんなさい。僕はtakebonoでした。そしてtakebonoは「下流」がすきでした。
“おしまい♪”
これまで「下流社会」を延々と波もなくダベってきましたが、多少興味深かったと思います。僕なりの結論を言えば、やはりこれからの社会にて貧富の差が大きくなる中でどうすっかってことです。晩婚化と少子化はどんどん進み、自殺者や失業者や犯罪者やフリーターやニートとかが増えるかもしれないけど、でも餓死者が出るわけではないし、革命が起きるわけでもない。「下流」が固定されるだけです。働かず働けず、結婚せず結婚できず、子どもを産まず産めず、「自分」を追う迷路の中で疲れ果て、とりあえず歩くために「夢」を持ち、やはり納得いかず努力ができず、低価格消費を繰り返し、一人で考え悩み、孤独と虚無に怯え、何もかも面倒になり、その日その日を生きてゆく。そんな人たちが「下流」に増え、そしてその人たちはいずれ身動きが取れなくなるまでそこに生息し続けるのです。中にはダークサイドに落ちてゆくやつもいるかもしれない。 政治も経済も周囲の人たちでさえも、そんな状況をいま是認しています。だけど本当にこれは「仕方のない」ことなのでしょうか?
「上流」はいま、自分の全存在をかけて激烈な競争社会で日々を戦い抜いています。そこで得る誇りや自負こそが社会を支え、また「上流」を支えてもいます。一方で「下流」は「自分らしさ」を追い、トレンドに没しそうな葛藤の中でそこそこ楽しく生きようと藻掻いています。当然経済的な格差がついていきます。「上流」は「勝ち組」を名乗り、醜悪にそれを自画自賛します。「下流」は「別に負けてもいいや」「勝って何が面白いの?」と、ルサンチマン(て言うの?)的に、実は嫉妬しながら呟いています。 誰もが救われているようにも、救われぬようにも思えるし、流れの隙間にこそ実は素敵な豊かさがあるようにも僕は思うのです。
労働市場にとって今やなくてはならない存在である「フリーター」が何故か批判され、子供なぞ育てることもままならない環境の中で何故か「少子化」が懸念され、階層意識をまたしてもぼやかすような「個性」「ゆとり」「自分探し」が何故か教育界では奨励され、教育機関卒業と同時に現実に絶望するパターンを生んでいます。とりわけ教育は、もともと均一ではない人間というものを画一的に処理し、その上で競わせ、そのくせ時には手を繋いでゴールさせ、現実味のない協和幻想を吹き込み、しかし「良識ある公民」となることには常に恐怖を与え続け封殺してきました。 そして、どんなにがんばっても差のつかない「結果悪平等」を、弱肉強食のネオリベラリズムにて叩き壊し、永久にありえない「機会の平等」を唱えつつ、階層格差の固定化を遂に人々が是認し始めるところまでこの社会は来てしまいました。 政治や経済は「自己責任」を唱え、公共や福祉から徐々に撤退を見せ始めています。巷ではホームレスが凍死し、罪の無い子どもたちが狂気の犠牲になり、善良な人を狙った悪徳業が蔓延し、力を持たない一市民は権力の前に泣き寝入りをし、多くの若者たちが現実に脅え希望を失っています。一体いつからこの国では弱い者が更に弱い者を叩くようになったのでしょうか?
そんな中で「公共精神」を叫び、「昔はよかった」ノスタルジーに浸り、既得権の剥奪に脅えながらも自己の老後資産運用に必死こく大人たちがいます。片方で、政治にも参加せずに自分より更に弱いものに牙をむく奴らがいて、また一方では、優しい気持ちを裏切られ続け、閉ざし、破綻することを知りつつ闇に心を委ねていく人たちがいます。 ゴミクズの僕なんかよりもよっぽど優れてて優しくて素晴らしくて人に優しく在れる人たちが、僕なんかよりずっと素晴らしくこの社会に生きていくべきそんな人たちが、同じこの社会で何故傷ついてゆかねばならないのでしょうか?
だけど、だけどね。書いててずっと思ってました。takebonoは「下流」で、しかもそこにもう在処を見つけてしまっていたことを。いつからだろうかわからないけれど、たぶんずっとずっと前からだ。takebonoは「下流」に在ることが運命付けられてたような。思えばあの日やあの日からかなぁ。 きっと「藤子不二夫」も「アントニオ猪木」も「takebono」も、何かのキッカケで生まれたのだし、それでいいのだと思う。 僕の中の僕だけのテロリズムかヒロイズムかよくわからんものが帰結する一つの形かと。だけどまだ僕は「ただ一切が流れてゆく」ことを許していません。5年くらい前からそうでした。だから充実してたんじゃん。限りある命を、いま、生きてゆきたいんだよ。すごく。生きてゆきたいんだよな。この僕が知る僕を。知ろうとする僕をだよ。
そうさ。こんな僕にどんな意欲が足りないというんだ?
僕がどのように生きれば誰が納得するっていうんだ?
社会は普通に狂っている。だがしかし「下流」はクズである。そしてだからといって「上流」が素晴らしいわけでもない。ボケた「中流」が素敵なわけでもない。大切なのは「流れ」の中にあって、自分の足で歩き、自分を見極め続けることだ。立ち上がるときに立ち上がろうとすることや、変えられることから変えようとすることや、心臓の鳴り方に納得できるかどうかということなんだ。自分なりに創りあげたどうしようもないソウルを、自分の手で生かしていければ、きっと生きることが楽しいはずさ。この瞬間は、もう2度と無い、自分の生命なんだから。そうなんじゃないのかな。
H先生の教職ゼミの共同研究を終えて、M先生の総合演習のグループワークを終えて、Sゼミの卒論を終えたら、たっくさん飲んで、一通りの人に挨拶をして、書きかけの小説を書き終えて、いろんなやり残しのそのまたやり残しなどを終えて、そして大学を卒業したら、そして宙ぶらりんになったら、仕事とネタとたくさんのソウルを見つけて、本をたくさん読んでたくさん本を書くんだ。地方にも外国にも行きたいしルームシェアもしたいし、コミュニティーを守り、作ってもゆきたいんだ。僕はもはや死なない。動けなくなるまでは、僕は絶対に生きていく。
「下流」でもいい。アンバランスで方向感覚のないこの僕が、この社会でもし泳げるのなら。そこが「下流」でもいい。そう思うんだ。 S先生、ごめんなさい。僕はtakebonoでした。そしてtakebonoは「下流」がすきでした。
“おしまい♪”
日本之下流社会(一一)
2005年12月7日 戯言戯言諸々その他「偏頗なる社会、不公平なる社会、黄金は万能の勢力を有して横梁跋扈する社会には余輩は歓んで社会問題を迎えんとす。余輩は諸君と共に今日静かに日本の下層社会を研究し、この問題を提げて今日政治社会の腐敗を叫破し、平民政治を開きて下層社会の幸福を謀らん」(『日本之下層社会』p389)
横山氏は偉かったなあ。
では長かった下流論も遂に次で最終章です。
最後は引き続き僕ら団塊ジュニア世代のライフスタイル分析。
「よく買い物に行く店の階層性」について。
まず団塊ジュニア男性。ツタヤは「中」「下」ほど多い。でも無印もユニクロもマツキヨも、「上」「下」関係なく買い物していますね。
次女性。「中」「下」ほどコンビニで買い物する。でも女性も「上」「下」関係なくユニクロ、ドンキ、マツキヨ、無印、とごく一般的に買い物している。
一般的な店の客層には階層性あんまないのだ。そりゃそーかもな。すっげえ高価そうな服着て宝石付けた女性が100円ショップで買い物してるもんな。ユニクロや無印の客層が全て「下」には見えないしね。
「買い物一般の傾向における階層性」について。
まず団塊ジュニア男性。「上」ほど、「普段買い物する時間がほとんどない」。「通販が好き」。「年齢・地位・役職にふさわしい買い物をする」。「老舗のものはやはりよいと思う」傾向にある。 「下」ほど、「買い物が大好き」。「ブランド・メーカーにこだわりを持つ」傾向にある。 ちなみに「中」は、「限定ものに弱」く、「年齢・地位・役職にふさわしいものを買」わず、「どうしても必要なもの以外を買」ってしまう傾向にあります。 商品を選ぶ際に情報収集に時間を割ける「下」とそうでない「上」の差が見られますね。「下」も買い物にはこだわっているんだね。 そして階層意識に関係なくどの層も「商品の機能や性能など細かいところまでチェックする」「本当に気に入ったものは価格にこだわらずに買う」傾向にある。「好きな車」や「好きなウイスキー銘柄」にも階層差はない(ウイスキー?)。 つまり所得多くてもだからといって特に欲しいものがない「上」と、欲しがってこだわっても手に入らない「下」がいるってことか。もっと「上」に無駄遣いさせて経済回さないとな企業さん。
次女性。端折って一つだけ、「団塊ジュニア女性の持っている腕時計の階層性」について。どーでもいいな。「上」ではセイコーやシチズンが多く、「中」「下」ほどロレックスやカルティエ。どーでもいいな。
次に「これからお金をかけたいこと」の階層性について。
団塊ジュニア男性。「上」ほど「財テク・投資」「インテリア」「健康」「スポーツ」「住宅・リフォーム」。「下」ほど「教養・資格取得」「娯楽・イベント」。
女性。「上」ほど「旅行・レジャー」「インテリア」「健康」「美容」。
金に余裕ができると健康や美容や財テクに投資する余裕も生まれるって感じか。
興味深いデータ。団塊世代の趣味は「上」ほど「旅行・レジャー」「ドライブ」など高かったけどこれらみんなジュニアでは階層性のない価値観。団塊世代の「上」が持ちえた価値はジュニア世代ではどの層でも持てるもんになってるんだな。最後のビッグマーケットとかいわれる団塊世代だが、あまり派手に消費するとは思えないな。
…以上。今まで延々と日本の階層社会についてそして「下流」について論じてきましたが、やっと次でまとめて終わろうと思います。やってくる「下流」社会に対し、僕はどんなファイナルゴミアンサーを出せばいいのかな。
日清食品の安藤社長はいう。「今後の日本人は年収700万以上と400万以下に二極化する。700万以上の消費者向けに高付加価値の健康志向ラーメンを、400万以下の消費者向けに低価格商品を開発する」
カップラーメンに「上」「下」が生まれる時代かよ…はあ。そしてそれはビールよりも発泡酒が売れる時代であり、100円ショップが大繁盛の時代である。片方で、メディアや政界をも食らおうとしたホリエモン。球団を誕生させた三木谷氏。ヒルズ族にセレブ。新時代だ。
「上」消費者を狙うトヨタレクサス。「下」消費者を狙う発泡酒。両方を狙う日清食品。やってくる二極化・階層化時代を巡り企業も全知を振り絞る。 誰でもいいからいい加減「勝」ったり「負」けたりして早く死んでくれ、と思っちゃったりする。
“最終下流へつづく”
横山氏は偉かったなあ。
では長かった下流論も遂に次で最終章です。
最後は引き続き僕ら団塊ジュニア世代のライフスタイル分析。
「よく買い物に行く店の階層性」について。
まず団塊ジュニア男性。ツタヤは「中」「下」ほど多い。でも無印もユニクロもマツキヨも、「上」「下」関係なく買い物していますね。
次女性。「中」「下」ほどコンビニで買い物する。でも女性も「上」「下」関係なくユニクロ、ドンキ、マツキヨ、無印、とごく一般的に買い物している。
一般的な店の客層には階層性あんまないのだ。そりゃそーかもな。すっげえ高価そうな服着て宝石付けた女性が100円ショップで買い物してるもんな。ユニクロや無印の客層が全て「下」には見えないしね。
「買い物一般の傾向における階層性」について。
まず団塊ジュニア男性。「上」ほど、「普段買い物する時間がほとんどない」。「通販が好き」。「年齢・地位・役職にふさわしい買い物をする」。「老舗のものはやはりよいと思う」傾向にある。 「下」ほど、「買い物が大好き」。「ブランド・メーカーにこだわりを持つ」傾向にある。 ちなみに「中」は、「限定ものに弱」く、「年齢・地位・役職にふさわしいものを買」わず、「どうしても必要なもの以外を買」ってしまう傾向にあります。 商品を選ぶ際に情報収集に時間を割ける「下」とそうでない「上」の差が見られますね。「下」も買い物にはこだわっているんだね。 そして階層意識に関係なくどの層も「商品の機能や性能など細かいところまでチェックする」「本当に気に入ったものは価格にこだわらずに買う」傾向にある。「好きな車」や「好きなウイスキー銘柄」にも階層差はない(ウイスキー?)。 つまり所得多くてもだからといって特に欲しいものがない「上」と、欲しがってこだわっても手に入らない「下」がいるってことか。もっと「上」に無駄遣いさせて経済回さないとな企業さん。
次女性。端折って一つだけ、「団塊ジュニア女性の持っている腕時計の階層性」について。どーでもいいな。「上」ではセイコーやシチズンが多く、「中」「下」ほどロレックスやカルティエ。どーでもいいな。
次に「これからお金をかけたいこと」の階層性について。
団塊ジュニア男性。「上」ほど「財テク・投資」「インテリア」「健康」「スポーツ」「住宅・リフォーム」。「下」ほど「教養・資格取得」「娯楽・イベント」。
女性。「上」ほど「旅行・レジャー」「インテリア」「健康」「美容」。
金に余裕ができると健康や美容や財テクに投資する余裕も生まれるって感じか。
興味深いデータ。団塊世代の趣味は「上」ほど「旅行・レジャー」「ドライブ」など高かったけどこれらみんなジュニアでは階層性のない価値観。団塊世代の「上」が持ちえた価値はジュニア世代ではどの層でも持てるもんになってるんだな。最後のビッグマーケットとかいわれる団塊世代だが、あまり派手に消費するとは思えないな。
…以上。今まで延々と日本の階層社会についてそして「下流」について論じてきましたが、やっと次でまとめて終わろうと思います。やってくる「下流」社会に対し、僕はどんなファイナルゴミアンサーを出せばいいのかな。
日清食品の安藤社長はいう。「今後の日本人は年収700万以上と400万以下に二極化する。700万以上の消費者向けに高付加価値の健康志向ラーメンを、400万以下の消費者向けに低価格商品を開発する」
カップラーメンに「上」「下」が生まれる時代かよ…はあ。そしてそれはビールよりも発泡酒が売れる時代であり、100円ショップが大繁盛の時代である。片方で、メディアや政界をも食らおうとしたホリエモン。球団を誕生させた三木谷氏。ヒルズ族にセレブ。新時代だ。
「上」消費者を狙うトヨタレクサス。「下」消費者を狙う発泡酒。両方を狙う日清食品。やってくる二極化・階層化時代を巡り企業も全知を振り絞る。 誰でもいいからいい加減「勝」ったり「負」けたりして早く死んでくれ、と思っちゃったりする。
“最終下流へつづく”
日本乃下流社会(一〇)
2005年12月5日 戯言戯言諸々その他卒論の傍らブログは自由に書きまくります。卒論は20000字以上書かなきゃいけないんだけど、このブログの下流論シリーズは15000字いったよ。なにやってんだ僕は。SK兄さんの卒論に役立ててあげようかな。
下流論シリーズも残り僅か。「下流」とtakebonoの運命やいかに…。くほほ。興味深くねーなあ。
「テレビ番組視聴の階層性」について。興味深いデータ。「上」ほどNHKをよく観る。「下」ほどフジテレビをよく観る。えー僕はどっちもよく観るぞおい相撲NHKだしよー受信料は払わねばならんなあ相撲ファンは。
次は「政党支持の階層性」について。これは世代でだいぶ違う。
自民党…まんべんなく支持獲得。「上」も「下」も自民支持。さすが日本。さすが大衆党。興味深いのは団塊ジュニア世代では「上」ほど不支持。あらゆる面で若さだな。若い野心家どもはもう腐れ伝統政党を見限っているのかもな。
民主党…これまたまんべんなく支持獲得。団塊ジュニア世代「上」は自民より民主支持の傾向にあるということ。烏合の衆政党。
公明党…団塊世代以降の「下」の支持を伸ばす。さすがエセ救済宗教党。
共産党…団塊世代以降全く支持皆無。おいおい中高年しか支持してませんよ。
社民党…共産よりは幅がある感じ。没落末期の元大政党。さすが団塊世代「下」には人気。
支持政党無し…相当数いるんだこれが。日本における政党の存在価値なんてこんなもんなんかなあ。若い人ほど政党離れが酷い。まーこれじゃ政治が変わるわけないわね。しかしなんて多いのだろうね。
政治のことなんか書けばきりがないなあ。政治家は「下流」問題を何とかしてください。
「東京都内の階層性における住居の棲み分け」というのも取り上げられてて興味深かったんだが、読み飛ばした。読んだ人は教えて。今後に役立てよう。
今日はこれまで。
“つづく”
下流論シリーズも残り僅か。「下流」とtakebonoの運命やいかに…。くほほ。興味深くねーなあ。
「テレビ番組視聴の階層性」について。興味深いデータ。「上」ほどNHKをよく観る。「下」ほどフジテレビをよく観る。えー僕はどっちもよく観るぞおい相撲NHKだしよー受信料は払わねばならんなあ相撲ファンは。
次は「政党支持の階層性」について。これは世代でだいぶ違う。
自民党…まんべんなく支持獲得。「上」も「下」も自民支持。さすが日本。さすが大衆党。興味深いのは団塊ジュニア世代では「上」ほど不支持。あらゆる面で若さだな。若い野心家どもはもう腐れ伝統政党を見限っているのかもな。
民主党…これまたまんべんなく支持獲得。団塊ジュニア世代「上」は自民より民主支持の傾向にあるということ。烏合の衆政党。
公明党…団塊世代以降の「下」の支持を伸ばす。さすがエセ救済宗教党。
共産党…団塊世代以降全く支持皆無。おいおい中高年しか支持してませんよ。
社民党…共産よりは幅がある感じ。没落末期の元大政党。さすが団塊世代「下」には人気。
支持政党無し…相当数いるんだこれが。日本における政党の存在価値なんてこんなもんなんかなあ。若い人ほど政党離れが酷い。まーこれじゃ政治が変わるわけないわね。しかしなんて多いのだろうね。
政治のことなんか書けばきりがないなあ。政治家は「下流」問題を何とかしてください。
「東京都内の階層性における住居の棲み分け」というのも取り上げられてて興味深かったんだが、読み飛ばした。読んだ人は教えて。今後に役立てよう。
今日はこれまで。
“つづく”
日本之下流社会(九)
2005年12月4日 戯言戯言諸々その他『下流社会』を読み続けていて「あてはまるなあ」て思った後で書いています。今回はライフスタイルにおける階層論について。(一)のイントロで書いたtakebonoさんの理想とする低生産低消費型ソウルフルコミュニティー型ライフスタイルとかいうクソクズな代物は、まさしく「下流」生活そのものですね。S先生に説教されるのはTAじゃなくて僕であるべきだった。だけどM先生はそんな僕のことを「高等ルンペン」と言った。自分を無理矢理納得させるために僕はいろんなことを思考しているつもりはなかったけど。まだ見ぬ「下流」が僕にとって何なのか、飛び込まなきゃ見えてこないのは当然だけど、そのときはもう僕は下流へ流されてるのだろうか。
「趣味と階層性」について。
「あなたの趣味はなんですか?」の問い。まず団塊ジュニア男性。「PC・インターネット」はどの層でも多い。かつて「デジタルディヴァイド」とか言われたやつは、低所得者がPCを持てず、PCスキルの有無に差がつき、ひいては情報格差がつく、という懸念でもありましたが、「下流」社会は少し違う。接続料さえ払えば多様な娯楽を楽しめるPCは、むしろ低階層の趣味になっている。ハードを持っているかどうかのディヴァイドではなく、ソフトを使いこなし、目的に応じて活用できるかどうかのディヴァイドは存在するだろうけど、PCを所有し楽しむという点では階層差はないのである。むしろ趣味が「PC・ネット」は「下」ほど多い。
「上」ほど多い趣味はやはり「旅行・レジャー」「スキー」「サイクリング」「ゴルフ」と金がかかるイメージのものばかり。うーだめなんだ僕はこーゆうの。 一方で「下」ほど多い趣味は「AV機器」「音楽コンサート鑑賞」「テレビゲーム」「スポーツ観戦」と、低消費とインドア傾向といえるかな。つうかtakebonoやっぱ近いな。僕はあと読書とサッカーが好きです。 階層性があまりない趣味は「PC・ネット」の他には「カラオケ」「ドライブ」「外食・グルメ」(行ってる店で差がついてんじゃね?とか思うが)
次に団塊ジュニア女性。「上」ほど多い趣味は「読書」「園芸・ガーデニング」「料理」etc…。高所得旦那を持つ専業主婦をイメージできるね。セレブか。 「下」ほど多いのは「音楽コンサート鑑賞」「楽器の演奏」「絵画・イラスト」「ダンス・舞踏」でした。 階層性があまりない趣味は「PC・ネット」「旅行・レジャー」「外食・グルメ」「ショッピング」でした。
総合的にみますと、「下」の男は「上」よりもAV機器を操作し、コンサートにでかけ、テレビゲームをし、スポーツ観戦をし、ネットをする。「上」よりも旅行やスキーやサイクリングやゴルフは趣味にしない。そしてどの層の男もカラオケとドライブと外食グルメをする。 単純に所得差が窺えるし、「下」ほどどこかひきこもりっぽいように思う。
次女性。「下」の女は「上」よりもコンサートにでかけ、楽器をひき、イラストを描き、踊る。「上」よりも本を読まず、料理をせず、庭をいじらない(庭なんて無いんだろ)。そしてどの層の女もネットをし、旅行し、外食グルメをし、ショッピングにでかける(やはり内容的に差はあるだろうけど)。 「下」ほどサブカルチャーに走るのは狩谷教授の説と対応してる。なるほど。でも料理とか読書とかはした方がいいな。
あてはまるよね。あてはまる。レジャーだめだしね。金のかかる趣味には縁がないし。協調性ゼロだし。それがどういう質のものなのかもわかんないくせに、やってみたくもない。つまんなそうだ。まるで埋まりそうにないのだ。
“つづく”
「趣味と階層性」について。
「あなたの趣味はなんですか?」の問い。まず団塊ジュニア男性。「PC・インターネット」はどの層でも多い。かつて「デジタルディヴァイド」とか言われたやつは、低所得者がPCを持てず、PCスキルの有無に差がつき、ひいては情報格差がつく、という懸念でもありましたが、「下流」社会は少し違う。接続料さえ払えば多様な娯楽を楽しめるPCは、むしろ低階層の趣味になっている。ハードを持っているかどうかのディヴァイドではなく、ソフトを使いこなし、目的に応じて活用できるかどうかのディヴァイドは存在するだろうけど、PCを所有し楽しむという点では階層差はないのである。むしろ趣味が「PC・ネット」は「下」ほど多い。
「上」ほど多い趣味はやはり「旅行・レジャー」「スキー」「サイクリング」「ゴルフ」と金がかかるイメージのものばかり。うーだめなんだ僕はこーゆうの。 一方で「下」ほど多い趣味は「AV機器」「音楽コンサート鑑賞」「テレビゲーム」「スポーツ観戦」と、低消費とインドア傾向といえるかな。つうかtakebonoやっぱ近いな。僕はあと読書とサッカーが好きです。 階層性があまりない趣味は「PC・ネット」の他には「カラオケ」「ドライブ」「外食・グルメ」(行ってる店で差がついてんじゃね?とか思うが)
次に団塊ジュニア女性。「上」ほど多い趣味は「読書」「園芸・ガーデニング」「料理」etc…。高所得旦那を持つ専業主婦をイメージできるね。セレブか。 「下」ほど多いのは「音楽コンサート鑑賞」「楽器の演奏」「絵画・イラスト」「ダンス・舞踏」でした。 階層性があまりない趣味は「PC・ネット」「旅行・レジャー」「外食・グルメ」「ショッピング」でした。
総合的にみますと、「下」の男は「上」よりもAV機器を操作し、コンサートにでかけ、テレビゲームをし、スポーツ観戦をし、ネットをする。「上」よりも旅行やスキーやサイクリングやゴルフは趣味にしない。そしてどの層の男もカラオケとドライブと外食グルメをする。 単純に所得差が窺えるし、「下」ほどどこかひきこもりっぽいように思う。
次女性。「下」の女は「上」よりもコンサートにでかけ、楽器をひき、イラストを描き、踊る。「上」よりも本を読まず、料理をせず、庭をいじらない(庭なんて無いんだろ)。そしてどの層の女もネットをし、旅行し、外食グルメをし、ショッピングにでかける(やはり内容的に差はあるだろうけど)。 「下」ほどサブカルチャーに走るのは狩谷教授の説と対応してる。なるほど。でも料理とか読書とかはした方がいいな。
あてはまるよね。あてはまる。レジャーだめだしね。金のかかる趣味には縁がないし。協調性ゼロだし。それがどういう質のものなのかもわかんないくせに、やってみたくもない。つまんなそうだ。まるで埋まりそうにないのだ。
“つづく”
日本之下流社会(八)
2005年12月2日 戯言戯言諸々その他さあ下流論も佳境です。
繰り返される論争。「個性」「自分らしさ」「ホントの自分探し」「夢」について。
団塊ジュニアの調査で、「生活の中で大事にしてること」で、「個性・自分らしさ」「自立・自己実現」が多かった階層はやはり「下」。労働収入は「自分らしさ」や「自己実現」に反比例してるんだな。自分を追い求める限りは困窮は仕方ない。そしてそれでよい。しかし同じ調査が団塊世代では逆の結果を生んでいることが興味深い。団塊世代は「上」の方が「自分らしさ」や「自己実現」を答えているのである。きっと働きすぎたんだよあなた方は。
『希望格差』でもあったけど、「下」の若者が現実逃避のために「夢」を持とうとするって話。そんなんもう最近は、いっちまえばいいやん、って思う。帰ってくる現実なんか用意しないで突っ走っちまえ、と思う。これも若さだろうか。自分らしく死ねばいい。
かの有名な東大の狩谷教授が言うように、勉強以外での自己能力観の肥大化による自主的ドロップアウトと「成功物語否定的」価値観の形成が、結果低学歴低所得につながるならば、やはり「下流」ほど「自分らしさ」に心中するのだともいえなくはない。〈自分らしさ派〉はその代償として階層意識と生活満足度を低下させていて、尚「夢」を見る。その夢を現実のものにするのは個々のソウル次第だが、困窮や無念を愛することができればそれでも素敵だと僕は思うけどな。
〈自分らしさ派〉は未婚率が多く、結婚してても子どもはいない率が高い。職業ではフリーターが多い。まあ予想通りです。雇用環境の悪化と産業構造の変化が非正規雇用を増加させ低所得者を生み出し、結果的に晩婚化と少子化が進み、相互作用的に〈自分らしさ派〉が生まれていったという感じか。決して「青い鳥」ではなく、現実を見てそれでも〈自分らしさ〉を追いたい奴は追えば良いと思うし、いくら問題視したって放置してるからしょうがあんめえと思うし、やっぱり自分らしく死ねれば最高だとも思う。自分が自分にどれだけ基づいているか試されるの、素敵だよ。
そして面白いのが最近流行りの「コミュニケーション能力」の有無ってやつ。この実に曖昧なスキルが備わっているかどうかで、「勝ち組」「負け組」が左右されるという論まである。総じて「下」では「コミュニケーション能力」が希薄な人間が多いとデータは示すのである。
「コミュニケーション能力が高い者は、よりよい就職をし、よりよい所得を得て、より恵まれた結婚をし、結果、より高い階層に属する可能性が高い。他方、自分らしさにこだわりすぎて、他者とのコミュニケーションを避け、社会への適応を拒む若者は、結果的には低い階層に属する可能性が高いのである」(『下流社会』p174)
僕は人と話すのがすきだけど、「コミュニケーション能力」とは違うと言われるのだろう。モチベーション次第だけど人と仲よくなるのが得意だと自分では思ってんだけど、それも違うと言われるのだろう。でもなあ、隙間が圧倒的にすきだしなあ、人に話しかけるのすきだよ。愛想笑いはモチベーション次第ですね。リラックスしてるときほど無神経で無表情だよ僕は。ゼミもGWも社会運動も結局すきですよ。要するに僕にはゴミュニティーにおけるゴミュニケーション能力なら備わってるんだけどね。 なんでもそうだけど無理矢理測ろうとするよな「コミュニケーション能力」ってつまるとこなによ? 僕ゴミュニケーションの方がすきよ。生ゴミュニケーション。
“つづく”
繰り返される論争。「個性」「自分らしさ」「ホントの自分探し」「夢」について。
団塊ジュニアの調査で、「生活の中で大事にしてること」で、「個性・自分らしさ」「自立・自己実現」が多かった階層はやはり「下」。労働収入は「自分らしさ」や「自己実現」に反比例してるんだな。自分を追い求める限りは困窮は仕方ない。そしてそれでよい。しかし同じ調査が団塊世代では逆の結果を生んでいることが興味深い。団塊世代は「上」の方が「自分らしさ」や「自己実現」を答えているのである。きっと働きすぎたんだよあなた方は。
『希望格差』でもあったけど、「下」の若者が現実逃避のために「夢」を持とうとするって話。そんなんもう最近は、いっちまえばいいやん、って思う。帰ってくる現実なんか用意しないで突っ走っちまえ、と思う。これも若さだろうか。自分らしく死ねばいい。
かの有名な東大の狩谷教授が言うように、勉強以外での自己能力観の肥大化による自主的ドロップアウトと「成功物語否定的」価値観の形成が、結果低学歴低所得につながるならば、やはり「下流」ほど「自分らしさ」に心中するのだともいえなくはない。〈自分らしさ派〉はその代償として階層意識と生活満足度を低下させていて、尚「夢」を見る。その夢を現実のものにするのは個々のソウル次第だが、困窮や無念を愛することができればそれでも素敵だと僕は思うけどな。
〈自分らしさ派〉は未婚率が多く、結婚してても子どもはいない率が高い。職業ではフリーターが多い。まあ予想通りです。雇用環境の悪化と産業構造の変化が非正規雇用を増加させ低所得者を生み出し、結果的に晩婚化と少子化が進み、相互作用的に〈自分らしさ派〉が生まれていったという感じか。決して「青い鳥」ではなく、現実を見てそれでも〈自分らしさ〉を追いたい奴は追えば良いと思うし、いくら問題視したって放置してるからしょうがあんめえと思うし、やっぱり自分らしく死ねれば最高だとも思う。自分が自分にどれだけ基づいているか試されるの、素敵だよ。
そして面白いのが最近流行りの「コミュニケーション能力」の有無ってやつ。この実に曖昧なスキルが備わっているかどうかで、「勝ち組」「負け組」が左右されるという論まである。総じて「下」では「コミュニケーション能力」が希薄な人間が多いとデータは示すのである。
「コミュニケーション能力が高い者は、よりよい就職をし、よりよい所得を得て、より恵まれた結婚をし、結果、より高い階層に属する可能性が高い。他方、自分らしさにこだわりすぎて、他者とのコミュニケーションを避け、社会への適応を拒む若者は、結果的には低い階層に属する可能性が高いのである」(『下流社会』p174)
僕は人と話すのがすきだけど、「コミュニケーション能力」とは違うと言われるのだろう。モチベーション次第だけど人と仲よくなるのが得意だと自分では思ってんだけど、それも違うと言われるのだろう。でもなあ、隙間が圧倒的にすきだしなあ、人に話しかけるのすきだよ。愛想笑いはモチベーション次第ですね。リラックスしてるときほど無神経で無表情だよ僕は。ゼミもGWも社会運動も結局すきですよ。要するに僕にはゴミュニティーにおけるゴミュニケーション能力なら備わってるんだけどね。 なんでもそうだけど無理矢理測ろうとするよな「コミュニケーション能力」ってつまるとこなによ? 僕ゴミュニケーションの方がすきよ。生ゴミュニケーション。
“つづく”
日本之下流社会(七)
2005年12月1日 戯言戯言諸々その他2005年、結婚情報会社が新成人に実地した結婚意識調査で、「早く結婚したい」が女性で2年前より倍増。80年代以降、資格や技能などでの「自分探し」ブームで、「女」よりも「自分」に磨きをかけた上の世代を反面教師として、早婚と出産願望が強まっているそうだ。女性のキャリア社会参入は一方でこんな現象を生むのも頷ける。こんな不安定な世だから、最短距離でシンプルな安定こそ結婚という形だというのもわかる気がする。だけど今やパートナーとなる男も不安定社会に晒されているわけだから、将来性含め男はピンキリなわけだ。早婚も良し悪しかと思うがな。しかし今後のメガコンペティション時代というのは女性にとっては本当に男獲得競争時代になってゆくのかも。 「中」以上でいたいから結婚するの?結婚したいから恋愛するの?恋愛したいから「女」を磨くの?とりわけ「下流」女性にはがんばれとしか言えないな。愛は神秘であってほしい。takebonoはソウルラブを祈るよ。
というわけで今回はちょっとした番外編かも。「恋愛結婚の階層化」について。
「恋愛結婚率」(どうやって定義づけたのかしら?「お見合い」や「許婚」と区別したのかな)が、55年当時35%だったのが、75年には65%にまで急増したんだと。多くの人が恋のマイアヒーに目覚め結婚していったのだね。戦後民主化、工業化と都市化と大衆消費社会化、農民の雇用者化、家族の核家族化、高学歴化、総じて個人主義化か。身分も階級もお家も何かしらのしがらみもなく、中流化の時代にふさわしい結婚形式として「恋愛結婚率」は急増した。「駆け落ち」って言葉は今もあるのかな?家柄や階級を乗り越えた真の愛はとてもロマンチックだったろうなぁ。そんな「駆け落ち」を描いたドラマが多かったらしい70年代にピークを迎えたという恋愛結婚は、階層化によって自由恋愛が困難になってきた80年代以降から晩婚化という形で衰退が表れてきたのだとさ。はァ!?ほんとかよって。恋愛市場は複雑かつ拡大したけど、恋愛の機会は階層によっても制限されてるってことか。へェェ。恋に上等も下等もあるかよって。いや、あるとするならばやはりそれが「結婚」に帰結するときなんだろうな。じゃあ結婚を意識した恋愛は自由恋愛ではないの?確かに一流商社マンはパチンコ屋で働くねえちゃんとは結婚しねえだろうよ。キャリアウーマンは自分のオフィスの清掃員とは結婚しねえだろうよ。確率的で一般的でもっともな話だ。そしてもっともっと複雑だろうし。それに、人の結婚にも恋愛にも、何か意見するなんてことが僕に出来るわけがない。姉の結婚式も、TちゃんKちゃんの結婚式も、やっぱり嬉しかったから祝ったんだ。
あれだけ援助交際を煽り、既存体制の破壊を唱えた宮代真司も、20歳下の東大名誉教授の娘と「ふと目があって激震が走」り、彼女の父親に「うちはクリスチャンなので離婚はできませんよ」と釘を刺されながらもめでたく入籍したっとさ。階層性の壁の前に保守的な結婚をしたっとさ。いや別にいいよそんなん。それこそ「自由」なんしょ。 上野千鶴子がイケメン医師と結婚して専業主婦になっても別にいいよ。笑わないよ。
“つづく”
というわけで今回はちょっとした番外編かも。「恋愛結婚の階層化」について。
「恋愛結婚率」(どうやって定義づけたのかしら?「お見合い」や「許婚」と区別したのかな)が、55年当時35%だったのが、75年には65%にまで急増したんだと。多くの人が恋のマイアヒーに目覚め結婚していったのだね。戦後民主化、工業化と都市化と大衆消費社会化、農民の雇用者化、家族の核家族化、高学歴化、総じて個人主義化か。身分も階級もお家も何かしらのしがらみもなく、中流化の時代にふさわしい結婚形式として「恋愛結婚率」は急増した。「駆け落ち」って言葉は今もあるのかな?家柄や階級を乗り越えた真の愛はとてもロマンチックだったろうなぁ。そんな「駆け落ち」を描いたドラマが多かったらしい70年代にピークを迎えたという恋愛結婚は、階層化によって自由恋愛が困難になってきた80年代以降から晩婚化という形で衰退が表れてきたのだとさ。はァ!?ほんとかよって。恋愛市場は複雑かつ拡大したけど、恋愛の機会は階層によっても制限されてるってことか。へェェ。恋に上等も下等もあるかよって。いや、あるとするならばやはりそれが「結婚」に帰結するときなんだろうな。じゃあ結婚を意識した恋愛は自由恋愛ではないの?確かに一流商社マンはパチンコ屋で働くねえちゃんとは結婚しねえだろうよ。キャリアウーマンは自分のオフィスの清掃員とは結婚しねえだろうよ。確率的で一般的でもっともな話だ。そしてもっともっと複雑だろうし。それに、人の結婚にも恋愛にも、何か意見するなんてことが僕に出来るわけがない。姉の結婚式も、TちゃんKちゃんの結婚式も、やっぱり嬉しかったから祝ったんだ。
あれだけ援助交際を煽り、既存体制の破壊を唱えた宮代真司も、20歳下の東大名誉教授の娘と「ふと目があって激震が走」り、彼女の父親に「うちはクリスチャンなので離婚はできませんよ」と釘を刺されながらもめでたく入籍したっとさ。階層性の壁の前に保守的な結婚をしたっとさ。いや別にいいよそんなん。それこそ「自由」なんしょ。 上野千鶴子がイケメン医師と結婚して専業主婦になっても別にいいよ。笑わないよ。
“つづく”
日本之下流社会(六)
2005年11月30日 戯言戯言諸々その他『週間ポスト』11月11日号特集が、小泉自民党に圧勝をもたらしたのは都市部下流層の若者たちだったのだと指摘。それを受け、慶大教授・金子勝はいつも通りの感じで言う。「下流層の人々は…改革という美名に踊らされているだけだということに気付いていない。もはや弱者は踊りながら殺されていくだけなんです」 ふぅん。
ではでは、引き続き筆者の調査データの考察より。「生活水準意識」では、ここ10年間で貧富の差にハッキリ勝負がついた観が窺え、また「貯蓄額からの階層意識」では、「上」は500万以上で「中」「下」は150万以下と、これまた貯蓄額と階層意識が密接にリンクし、二極化によって共に同時推移している観が窺える。では格差が拡大する中でライフスタイルには実際にどんな現象が起こっているのか。僕らのすぐ未来でもある団塊ジュニア世代にスポットを当てよう。
「結婚に見る階層差」が興味深い。男性の所得(共働きの場合は夫婦合計所得)と配偶関係の相関図を見ると、所得が上がるほど既婚率が上昇することは明らかになっている。経済的余裕が無ければやはり一般的に結婚は出来ないということになる。その%割合だが、150万未満では結婚の可能性はほぼなく、300万未満でも8%とかなり厳しい。300万を超えると30%と可能になり始め、500万で初めて70%と現実味を帯びる。700万を超えると90%、1000万を超えるとほぼ100%が結婚できるのだとデータは示している。「できちゃった婚」のような例外(でも実際にはこの例外が多いじゃないかよ!)を除けば、世帯の所得が500万以上になる結婚が求められていることもデータにより示された。あくまでデータではあるが、年収が低いほど結婚は出来ないという実態は近年様々な調査でアプローチされてもいる。
「階層意識と家族形態の相関」も興味深い。「下」に極端に多いのが「一人暮らし」と「パラサイト」である。ただしパラサイトにおいては男性の方が女性よりも「下」が多く、親と同居することに引け目を感じているのは男ほど多いといえる。男はそんな生き物だよね確かに。 女性は結婚家庭において25%が「上」であるが、男性は結婚家庭の中でも専業主婦と子供のいる世帯でしか25%を超えない傾向にある。女性は結婚することで階層意識を上昇させるが、男性は「俺の給料だけで女房子供を養っている」意識があって初めて「上流」気分を味わうということになる。なるほど。標準意識が強いのね。 「できちゃった婚」を除けば、所得500〜700万辺りが出産のラインらしい。700をキープしたいから出産をとりあえず控えてる「ディンクス」(子供のいない共働き夫婦)が多いと推測されている。なぜかというと、出産したら女性は仕事をやめるケースが多く、そしたら世帯年収が落ちるからだ。子供とリッチライフの間で悩むラインがこの辺なのか。 未婚パラサイト女性は加齢と共に「下」が増加するが、未婚一人暮らし女性は逆に「下」が減少する。未婚であることによる階層意識の低下作用よりも、所得が高まることによる解消意識の上昇作用の方が強いといえるらしい。一人暮らしを始められるくらいのリッチ条件の平均意識は年収400万くらいからで、そのラインが脱「下」ラインといえる。加齢は女性にとって恐怖らしいが、結婚と所得がそれをカバーする状況。30過ぎて未婚でも年収高けりゃハッピーと考えている女性も多い。「負け犬」って空虚だな。一人きりの楽しさだって大きな魅力だってこと。結局総合すると「結婚できないパラサイト女性が年を重ねても年収400未満」という状況が一番惨めだということになるのかな。これら全てはあくまで世間の認識パターンだがね。
多様化社会の到来といわれ、確かにあらゆる社会的枠組みの形態は多様化してきている。まさに「ケータイ」の機種機能のようにである。だけど、価値観や意識は形態ほどには多様化していない。必ずしも「幸福の形」が多様化しているとは言えないという。現実を後追いしながら模索されている状況にあるのか。これを過渡期と言えるのかな。
「…現状では、最も階層意識と生活満足度が高いのはやはり裕福な男性と専業主婦と子供のいる家庭であり、次いで裕福な夫婦のみの世帯である。未婚でも既婚でも、一人暮らしでもパラサイトでも、子供がいてもいなくても、専業主婦でも共働きでも、同じような階層意識と満足度が得られるほど多様化した状況にはなっていないと言えるだろう。(『下流社会』p152)
だがしかし、僕はまた数字に表れないくだらないことを思う。「下」って答えるよそりゃさ。階層意識的にはさ。確かに理想の結婚モデル、家族モデル、職業モデル、生活モデルがあって、社会の変動がそれを破壊した上で「多様化」などと言われ、教育では「個性重視」「生きる力」などと言われ、階層意識は経済格差と共に二極化するんだろう。それを嘆いたっていいだろう。でもそんなこと初めからわかってたんじゃないか。多様だとか個性だとか自己責任だとか、わざわざ奨励されなくても批判されなくても、僕らはアフターバブルの申し子として、破壊された幸福モデルの破片を踏み潰して生きてゆくことしかできないんじゃないのかってさ。「幸福の形」にこそ今の僕は気が滅入るしさ。「上」でも、そしてそうじゃなくても、僕は幸福とか不幸とか未だわかんないんだよ。そしてそのまま「下流」へゆくの? うーん。なにが「上」だよ。寿司じゃあるまいしよ。
“つづく”
ではでは、引き続き筆者の調査データの考察より。「生活水準意識」では、ここ10年間で貧富の差にハッキリ勝負がついた観が窺え、また「貯蓄額からの階層意識」では、「上」は500万以上で「中」「下」は150万以下と、これまた貯蓄額と階層意識が密接にリンクし、二極化によって共に同時推移している観が窺える。では格差が拡大する中でライフスタイルには実際にどんな現象が起こっているのか。僕らのすぐ未来でもある団塊ジュニア世代にスポットを当てよう。
「結婚に見る階層差」が興味深い。男性の所得(共働きの場合は夫婦合計所得)と配偶関係の相関図を見ると、所得が上がるほど既婚率が上昇することは明らかになっている。経済的余裕が無ければやはり一般的に結婚は出来ないということになる。その%割合だが、150万未満では結婚の可能性はほぼなく、300万未満でも8%とかなり厳しい。300万を超えると30%と可能になり始め、500万で初めて70%と現実味を帯びる。700万を超えると90%、1000万を超えるとほぼ100%が結婚できるのだとデータは示している。「できちゃった婚」のような例外(でも実際にはこの例外が多いじゃないかよ!)を除けば、世帯の所得が500万以上になる結婚が求められていることもデータにより示された。あくまでデータではあるが、年収が低いほど結婚は出来ないという実態は近年様々な調査でアプローチされてもいる。
「階層意識と家族形態の相関」も興味深い。「下」に極端に多いのが「一人暮らし」と「パラサイト」である。ただしパラサイトにおいては男性の方が女性よりも「下」が多く、親と同居することに引け目を感じているのは男ほど多いといえる。男はそんな生き物だよね確かに。 女性は結婚家庭において25%が「上」であるが、男性は結婚家庭の中でも専業主婦と子供のいる世帯でしか25%を超えない傾向にある。女性は結婚することで階層意識を上昇させるが、男性は「俺の給料だけで女房子供を養っている」意識があって初めて「上流」気分を味わうということになる。なるほど。標準意識が強いのね。 「できちゃった婚」を除けば、所得500〜700万辺りが出産のラインらしい。700をキープしたいから出産をとりあえず控えてる「ディンクス」(子供のいない共働き夫婦)が多いと推測されている。なぜかというと、出産したら女性は仕事をやめるケースが多く、そしたら世帯年収が落ちるからだ。子供とリッチライフの間で悩むラインがこの辺なのか。 未婚パラサイト女性は加齢と共に「下」が増加するが、未婚一人暮らし女性は逆に「下」が減少する。未婚であることによる階層意識の低下作用よりも、所得が高まることによる解消意識の上昇作用の方が強いといえるらしい。一人暮らしを始められるくらいのリッチ条件の平均意識は年収400万くらいからで、そのラインが脱「下」ラインといえる。加齢は女性にとって恐怖らしいが、結婚と所得がそれをカバーする状況。30過ぎて未婚でも年収高けりゃハッピーと考えている女性も多い。「負け犬」って空虚だな。一人きりの楽しさだって大きな魅力だってこと。結局総合すると「結婚できないパラサイト女性が年を重ねても年収400未満」という状況が一番惨めだということになるのかな。これら全てはあくまで世間の認識パターンだがね。
多様化社会の到来といわれ、確かにあらゆる社会的枠組みの形態は多様化してきている。まさに「ケータイ」の機種機能のようにである。だけど、価値観や意識は形態ほどには多様化していない。必ずしも「幸福の形」が多様化しているとは言えないという。現実を後追いしながら模索されている状況にあるのか。これを過渡期と言えるのかな。
「…現状では、最も階層意識と生活満足度が高いのはやはり裕福な男性と専業主婦と子供のいる家庭であり、次いで裕福な夫婦のみの世帯である。未婚でも既婚でも、一人暮らしでもパラサイトでも、子供がいてもいなくても、専業主婦でも共働きでも、同じような階層意識と満足度が得られるほど多様化した状況にはなっていないと言えるだろう。(『下流社会』p152)
だがしかし、僕はまた数字に表れないくだらないことを思う。「下」って答えるよそりゃさ。階層意識的にはさ。確かに理想の結婚モデル、家族モデル、職業モデル、生活モデルがあって、社会の変動がそれを破壊した上で「多様化」などと言われ、教育では「個性重視」「生きる力」などと言われ、階層意識は経済格差と共に二極化するんだろう。それを嘆いたっていいだろう。でもそんなこと初めからわかってたんじゃないか。多様だとか個性だとか自己責任だとか、わざわざ奨励されなくても批判されなくても、僕らはアフターバブルの申し子として、破壊された幸福モデルの破片を踏み潰して生きてゆくことしかできないんじゃないのかってさ。「幸福の形」にこそ今の僕は気が滅入るしさ。「上」でも、そしてそうじゃなくても、僕は幸福とか不幸とか未だわかんないんだよ。そしてそのまま「下流」へゆくの? うーん。なにが「上」だよ。寿司じゃあるまいしよ。
“つづく”
日本之下流社会(五)
2005年11月29日 戯言戯言諸々その他「下流社会」が何やら注目されているね。ベストセラーなんだって。知らなかった。世間での捉えられ方は必ずしもマイナスというわけでもなく、『SPA!』11月29日号特集「楽しい『下流社会』の歩き方」(「地球の歩き方」みたいじゃね?)では、「中流にしがみつくことなく、何かを捨てることで楽しい下流ライフを謳歌する人々急増中!」として下流人を取材し紹介。例えば、もともとは短期滞在の外国人旅行者用だった一軒家をシェアするゲストハウスに「満員電車に詰め込まれた中流社会に嫌気がさした人」が転がり込むようになって、今や利用者の7割近くは日本人なんだと。世も末だね。
今日は階層意識調査の統計から。世代別で見ると階層意識は年を追うごとに「中」が減少し「下」が増加してきてるなあという印象を受ける。とりわけ団塊ジュニア世代といわれる層は、階層意識をガンガンに下落させている。団塊ジュニア世代は丁度うちの兄の世代で、まあ僕らも含んでいくのだけど、兄貴に階層意識を尋ねたらやっぱり「下だよ下、ゲゲゲ」とか言いそうだ。厳密に言うと兄の世代は真性団塊ジュニア世代(厚生労働省「人口動態統計」より。団塊世代が実際に産んだ子供の比率が最も多い世代。団塊ジュニアが大体70〜75年生まれに対し、真性は大体73〜80年生まれとされている)とも呼ばれ、学生から社会人への移行期に大きな景気後退に遭遇した世代であり、落ち方が顕著だとも言われている。 こうして見てみると団塊世代や新人類世代はやはり上昇意識があってしかも安定した「中流」だったんだなあと思うし、団塊ジュニアの僕らはその恩恵を多少なりとも受けてきたんだなあとも思う。豊かさを既に知り、不安定社会の到来も知った今の僕らが、将来の消費生活の向上なんて確信できるわけがないのだ。そこで「希望格差」ってやつも生まれているんじゃないか。
団塊ジュニア男性の80%が「今の日本の社会は所得格差が広がっている」と感じている一方で、60%が「成果主義・能力主義」には賛成。しかも「下」ほど多い。「年功序列・終身雇用」支持は15%。特に「下」でやはり少ない。「下」には終身雇用の恩恵を受けていないフリーターや契約社員が多いせいだろう。救えねえなあ。
他方、団塊ジュニア女性の75%が「今の日本の社会は所得格差が広がっている」と感じており「下」ではなんと95%。女性の方が就労の関係などでやはり深刻なのかもしれん。64%が「成果主義・能力主義」には賛成。でも男と違って「上」の方が多い。キャリアウーマンはやはり男性に対抗意識があるのだろう。「年功序列・終身雇用」支持は僅か6%。「上」ではゼロ。女性は年功序列・終身雇用の恩恵に溶していないので全く評価してないのだ。特に「上」の女性にとっては雇用システムは憎むべき男性社会の壁だもんね。主婦だって、高所得の旦那なら成果主義の方が有利と見てるのかもしれない。
以上のように団塊ジュニア世代においては、正規職員を中心とする「上」では…無能な上司や男性社会の壁を破るために、非正規職員を多く含む「下」では…正規職員への嫉妬から、「成果主義・能力主義」が支持されているといえる。面白いな。
「成果主義の中で勝ち続ける者とそうでない者の差は大きく開く。もちろんフリーターとの差はますます拡大する。とすれば、その格差の拡大=下流化をどこまで冷静に受け止められるのかが大きな問題になるだろう。子供がいて住宅ローンもあるのに成果が出せないで給料が下がる人はどうするのかという問題も拡大するだろう。そうなれば、未婚化、少子化はますます進むであろう。結婚して、子供を産んで、平凡に暮らす、そうした普通の「中流」の生活が、どんどん難しくなっていくことは、どうやら間違いない」(『下流社会』p114)
団塊ジュニア世代の僕らは、既に切られたゴールテープを前にして、今何に向かって走ればいいのだろ。走り続けてきた団塊世代がリタイヤ後に自己を喪失するように、僕らも少し戸惑ってやしないかい。トラッキングにしたってレーン自体がないような気がして、走る前から戸惑っている。ニートを笑えない。核戦争が終わるまでは地球は回ってるような気はするけど、僕らのスタートラインが既に失われていて、やはりこのトラックでは未来に期待できないだけに走り甲斐がなく、走る動機付けも生まれてこないんだ。やっぱり「下流」に落ち着いていくんかなあ。
“つづく”
今日は階層意識調査の統計から。世代別で見ると階層意識は年を追うごとに「中」が減少し「下」が増加してきてるなあという印象を受ける。とりわけ団塊ジュニア世代といわれる層は、階層意識をガンガンに下落させている。団塊ジュニア世代は丁度うちの兄の世代で、まあ僕らも含んでいくのだけど、兄貴に階層意識を尋ねたらやっぱり「下だよ下、ゲゲゲ」とか言いそうだ。厳密に言うと兄の世代は真性団塊ジュニア世代(厚生労働省「人口動態統計」より。団塊世代が実際に産んだ子供の比率が最も多い世代。団塊ジュニアが大体70〜75年生まれに対し、真性は大体73〜80年生まれとされている)とも呼ばれ、学生から社会人への移行期に大きな景気後退に遭遇した世代であり、落ち方が顕著だとも言われている。 こうして見てみると団塊世代や新人類世代はやはり上昇意識があってしかも安定した「中流」だったんだなあと思うし、団塊ジュニアの僕らはその恩恵を多少なりとも受けてきたんだなあとも思う。豊かさを既に知り、不安定社会の到来も知った今の僕らが、将来の消費生活の向上なんて確信できるわけがないのだ。そこで「希望格差」ってやつも生まれているんじゃないか。
団塊ジュニア男性の80%が「今の日本の社会は所得格差が広がっている」と感じている一方で、60%が「成果主義・能力主義」には賛成。しかも「下」ほど多い。「年功序列・終身雇用」支持は15%。特に「下」でやはり少ない。「下」には終身雇用の恩恵を受けていないフリーターや契約社員が多いせいだろう。救えねえなあ。
他方、団塊ジュニア女性の75%が「今の日本の社会は所得格差が広がっている」と感じており「下」ではなんと95%。女性の方が就労の関係などでやはり深刻なのかもしれん。64%が「成果主義・能力主義」には賛成。でも男と違って「上」の方が多い。キャリアウーマンはやはり男性に対抗意識があるのだろう。「年功序列・終身雇用」支持は僅か6%。「上」ではゼロ。女性は年功序列・終身雇用の恩恵に溶していないので全く評価してないのだ。特に「上」の女性にとっては雇用システムは憎むべき男性社会の壁だもんね。主婦だって、高所得の旦那なら成果主義の方が有利と見てるのかもしれない。
以上のように団塊ジュニア世代においては、正規職員を中心とする「上」では…無能な上司や男性社会の壁を破るために、非正規職員を多く含む「下」では…正規職員への嫉妬から、「成果主義・能力主義」が支持されているといえる。面白いな。
「成果主義の中で勝ち続ける者とそうでない者の差は大きく開く。もちろんフリーターとの差はますます拡大する。とすれば、その格差の拡大=下流化をどこまで冷静に受け止められるのかが大きな問題になるだろう。子供がいて住宅ローンもあるのに成果が出せないで給料が下がる人はどうするのかという問題も拡大するだろう。そうなれば、未婚化、少子化はますます進むであろう。結婚して、子供を産んで、平凡に暮らす、そうした普通の「中流」の生活が、どんどん難しくなっていくことは、どうやら間違いない」(『下流社会』p114)
団塊ジュニア世代の僕らは、既に切られたゴールテープを前にして、今何に向かって走ればいいのだろ。走り続けてきた団塊世代がリタイヤ後に自己を喪失するように、僕らも少し戸惑ってやしないかい。トラッキングにしたってレーン自体がないような気がして、走る前から戸惑っている。ニートを笑えない。核戦争が終わるまでは地球は回ってるような気はするけど、僕らのスタートラインが既に失われていて、やはりこのトラックでは未来に期待できないだけに走り甲斐がなく、走る動機付けも生まれてこないんだ。やっぱり「下流」に落ち着いていくんかなあ。
“つづく”
日本之下流社会(四)
2005年11月26日 戯言戯言諸々その他昨日の朝生で『下流社会』が早速取り上げられていましたね。久しぶりにスピードに乗ってるぞtakebonoさん。 朝青龍前人未踏の七連覇・年間完全制覇・相撲記録年間83勝。伝説を超える伝説の誕生にtakebonoさん震えた。
では、前回は階層化による企業戦略など生産者側の動向でしたが、今回は階層化による消費者側の分裂を見ていこうと思います。 まずよく言われる男女別の展開論だが、僕は男性だし女性の意識や立場は実際よくわからないということを前置きしておきながらGO。
まず女性における階層論。まあ要するに、階層化+雇用機会均等法以降の女性の雇用市場参入が、女性の生き方を多様化させて格差も拡大してるっていう、ありふれた話。筆者は女性の階層文化を類型化してたけど、くだらなかったし大体イメージできたので端折る。要は所得と家柄とキャリアと結婚意識と教養と将来展望と消費文化の格差の類型です。
「現在、女性の格差が拡大している。それはかつてのように、夫の所得の多寡に帰せられる格差ではない。自分自身が稼ぎ出す所得、その背景にある自分の学歴、その背後にある親の階層、そして自分自身の性格、容姿など、様々な要因によって形成されるライフスタイル全体の格差である」(『下流社会』p69)
かつて女性はただ女だからという理由で女らしくあることを要求され、女であることだけを理由に共同戦線を張れた。その後台頭するジェンダーやら男女平等やら女性の地位の向上やらによって、性差別は撤廃に向かい、女性は一人の「個人」として尊重され、学歴、性格、容姿など全ての要素によって評価され、選別され、差別されるようになった。多くの選別要素は純粋に個人の能力と努力だけの産物ではなく、親の階層や、運にも左右される。 女性同士の差別や格差拡大や戦争なんかもう起きてるよ。もう男女差別なんて主張してる場合じゃねえんだよ。
さて次は男性における階層論。女性に比べてドラスティックな変化こそないが、それでもやはり立場は似たようなもの。親の所得階層と階層性に基づく生活と価値観によって規定される「個人」が、当然二極化を起こしていくという流れ。よくTVに出る放送大の宮本みち子は、90年代以降の高卒者自動的就職システムの崩壊が、弱者としての若者の増大を引き起こしたのだと語る。
「しかしもちろん、若者の全てが弱者に転落したわけではない。結局、若者が弱者と強者に分裂、二極化したのだ」(『下流社会』p73)
高階層の親の下での教育環境では、教養文化と機会が保障され、学歴やよりよい職をやはり得やすい。一方で低階層の親の下での教育環境では、高い教養文化や充分な機会は多少なりとも制限され、低学歴や職を得にくい状況になりやすい。至極当然な話。 就職後の状況も昔とは違い、同学校卒同学歴でも30歳くらいで給与格差がつき始める今日の競争社会では、ガンガンに過労しレールに乗り続けるか、マイペースでの適度な昇進でよしとするか、態度決定をせねばならない。その態度決定こそが男性における階層文化を類型化させる。
筆者の類型化はやっぱりくだらないので男性も端折る。要するに所得と出世志向と消費文化の格差の類型。
男女ともに出来すぎたインタビューが載せられておりなかなか興味深い。なるほど同じ年齢でもだいぶ階層化が進んでるんだなあと思う。年齢はもう関係ないんだね。所得格差もそうだけど文化もだいぶ違う。まさに多様化時代だ。僕なんか確実に「下」だろうな。既に決定しちゃってる。自分でもそう思う。そしてそれで別に悪い気はしない。そしてそんな考え方が既に「下流」なのだろうかなとも思う。
遅ればせながら「下流」の定義。
「「下流」は「下層」ではない。…基本的には「中の下」である。食う食わずとは無縁の生活をしている。しかしやはり「中流」に比べれば何かが足りない。例えば60年代にTVがない家庭は「中流」とは言い難かっただろう。しかし現在は下流でもDVDもPCも持っている。単に物の所有という点から見ると下流が絶対的に貧しいわけではない。では「下流」には何が足りないのか?それは意欲である」
「「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ」(『下流社会』p7)
“つづく”
では、前回は階層化による企業戦略など生産者側の動向でしたが、今回は階層化による消費者側の分裂を見ていこうと思います。 まずよく言われる男女別の展開論だが、僕は男性だし女性の意識や立場は実際よくわからないということを前置きしておきながらGO。
まず女性における階層論。まあ要するに、階層化+雇用機会均等法以降の女性の雇用市場参入が、女性の生き方を多様化させて格差も拡大してるっていう、ありふれた話。筆者は女性の階層文化を類型化してたけど、くだらなかったし大体イメージできたので端折る。要は所得と家柄とキャリアと結婚意識と教養と将来展望と消費文化の格差の類型です。
「現在、女性の格差が拡大している。それはかつてのように、夫の所得の多寡に帰せられる格差ではない。自分自身が稼ぎ出す所得、その背景にある自分の学歴、その背後にある親の階層、そして自分自身の性格、容姿など、様々な要因によって形成されるライフスタイル全体の格差である」(『下流社会』p69)
かつて女性はただ女だからという理由で女らしくあることを要求され、女であることだけを理由に共同戦線を張れた。その後台頭するジェンダーやら男女平等やら女性の地位の向上やらによって、性差別は撤廃に向かい、女性は一人の「個人」として尊重され、学歴、性格、容姿など全ての要素によって評価され、選別され、差別されるようになった。多くの選別要素は純粋に個人の能力と努力だけの産物ではなく、親の階層や、運にも左右される。 女性同士の差別や格差拡大や戦争なんかもう起きてるよ。もう男女差別なんて主張してる場合じゃねえんだよ。
さて次は男性における階層論。女性に比べてドラスティックな変化こそないが、それでもやはり立場は似たようなもの。親の所得階層と階層性に基づく生活と価値観によって規定される「個人」が、当然二極化を起こしていくという流れ。よくTVに出る放送大の宮本みち子は、90年代以降の高卒者自動的就職システムの崩壊が、弱者としての若者の増大を引き起こしたのだと語る。
「しかしもちろん、若者の全てが弱者に転落したわけではない。結局、若者が弱者と強者に分裂、二極化したのだ」(『下流社会』p73)
高階層の親の下での教育環境では、教養文化と機会が保障され、学歴やよりよい職をやはり得やすい。一方で低階層の親の下での教育環境では、高い教養文化や充分な機会は多少なりとも制限され、低学歴や職を得にくい状況になりやすい。至極当然な話。 就職後の状況も昔とは違い、同学校卒同学歴でも30歳くらいで給与格差がつき始める今日の競争社会では、ガンガンに過労しレールに乗り続けるか、マイペースでの適度な昇進でよしとするか、態度決定をせねばならない。その態度決定こそが男性における階層文化を類型化させる。
筆者の類型化はやっぱりくだらないので男性も端折る。要するに所得と出世志向と消費文化の格差の類型。
男女ともに出来すぎたインタビューが載せられておりなかなか興味深い。なるほど同じ年齢でもだいぶ階層化が進んでるんだなあと思う。年齢はもう関係ないんだね。所得格差もそうだけど文化もだいぶ違う。まさに多様化時代だ。僕なんか確実に「下」だろうな。既に決定しちゃってる。自分でもそう思う。そしてそれで別に悪い気はしない。そしてそんな考え方が既に「下流」なのだろうかなとも思う。
遅ればせながら「下流」の定義。
「「下流」は「下層」ではない。…基本的には「中の下」である。食う食わずとは無縁の生活をしている。しかしやはり「中流」に比べれば何かが足りない。例えば60年代にTVがない家庭は「中流」とは言い難かっただろう。しかし現在は下流でもDVDもPCも持っている。単に物の所有という点から見ると下流が絶対的に貧しいわけではない。では「下流」には何が足りないのか?それは意欲である」
「「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ」(『下流社会』p7)
“つづく”