takebonoとりあえず卒業旅行3−山陰
2006年3月15日 旅行
鳥取の朝は昨日の吹雪が嘘のように晴れ渡り、僕はそんな気持ちの良い空をしばし見上げた。ホテルの朝食が無料バイキングだったので、昼御飯分もがっつり詰め込んで出発。すばらしくよく眠れたせいで体調良好。
まあまずせっかくだから鳥取砂丘を見てくるべえと思い立ち、バスで砂丘へ。だが、バスが延々と走ってるはずなのにちっとも砂丘らしき景色が見えてこない。昨日の大雪で砂丘は雪に埋もれていたのだ。雪に埋もれた鳥取砂丘はスキー場のゲレンデだったまるで。まあ、貴重な光景だったのかな。
駅に戻って山陰本線で鳥取を出発。さらに西へ走り米子へ。
米子から境線に乗り込む。一度乗ってみたかった米子駅0番線の「鬼太郎列車」だ。鳥取・境港は水木しげるの故郷で有名。境線「鬼太郎列車」は、各駅が妖怪の名前になっている。ちなみに米子駅は「ねずみ男」駅。終点の境港駅は「鬼太郎」駅だ。 途中「後藤」という駅で窓の外を見たら「泥太坊」駅だった。わっミラクルだわ。
境港駅到着。境港は鬼太郎の街。「鬼太郎ロード」を歩く。100個以上妖怪の像やら絵やらが街中に点々としているし、鬼太郎グッズの店だらけ。なんつうか、すばらしい。鬼太郎ファンの僕はほとんどの妖怪を知っている。昭和という時代を「妖怪」で描ききった水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」は日本が生んだ最高のマンガの一つである。
記念館にも入りたかったけど、時間がないのでさっさと境港を後にする。
米子から山陰本線はさらに西へ。とうとう出雲市駅までやってきた。出雲は出雲大社に代表されるように神の街。さらに西へ行って明日は下関をぐるっとまわろうかなんて考えてたら、時刻表に「3月16日は運休」とかあって、早々に下関攻略は諦めて、そろそろこの辺で明日から東京にUターンすることにした。土曜日は卒業式だし、金曜夜にバイトが入ってたのも思い出したからだ。出雲市駅の近くのビジネスホテルに宿をとる。部屋が空いてないとかで、なぜか和室の12畳くらいの部屋になった。広いっ。ラッキー。 缶ビール3本飲んで寝た。爆睡。
写真は鳥取砂丘。どこが砂丘やってくらいに雪で埋もれてるけど。
まあまずせっかくだから鳥取砂丘を見てくるべえと思い立ち、バスで砂丘へ。だが、バスが延々と走ってるはずなのにちっとも砂丘らしき景色が見えてこない。昨日の大雪で砂丘は雪に埋もれていたのだ。雪に埋もれた鳥取砂丘はスキー場のゲレンデだったまるで。まあ、貴重な光景だったのかな。
駅に戻って山陰本線で鳥取を出発。さらに西へ走り米子へ。
米子から境線に乗り込む。一度乗ってみたかった米子駅0番線の「鬼太郎列車」だ。鳥取・境港は水木しげるの故郷で有名。境線「鬼太郎列車」は、各駅が妖怪の名前になっている。ちなみに米子駅は「ねずみ男」駅。終点の境港駅は「鬼太郎」駅だ。 途中「後藤」という駅で窓の外を見たら「泥太坊」駅だった。わっミラクルだわ。
境港駅到着。境港は鬼太郎の街。「鬼太郎ロード」を歩く。100個以上妖怪の像やら絵やらが街中に点々としているし、鬼太郎グッズの店だらけ。なんつうか、すばらしい。鬼太郎ファンの僕はほとんどの妖怪を知っている。昭和という時代を「妖怪」で描ききった水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」は日本が生んだ最高のマンガの一つである。
記念館にも入りたかったけど、時間がないのでさっさと境港を後にする。
米子から山陰本線はさらに西へ。とうとう出雲市駅までやってきた。出雲は出雲大社に代表されるように神の街。さらに西へ行って明日は下関をぐるっとまわろうかなんて考えてたら、時刻表に「3月16日は運休」とかあって、早々に下関攻略は諦めて、そろそろこの辺で明日から東京にUターンすることにした。土曜日は卒業式だし、金曜夜にバイトが入ってたのも思い出したからだ。出雲市駅の近くのビジネスホテルに宿をとる。部屋が空いてないとかで、なぜか和室の12畳くらいの部屋になった。広いっ。ラッキー。 缶ビール3本飲んで寝た。爆睡。
写真は鳥取砂丘。どこが砂丘やってくらいに雪で埋もれてるけど。
takebonoとりあえず卒業旅行2−北陸
2006年3月14日 旅行福井で迎えた凍えるような早朝は、尚果てしなく降り続いていた豪雪に見舞われながら、放浪者takebonoの行く手を完全に阻んでいた。闇の中に延々と降る雪を街灯が照らし、僕は新雪にその歩みをめり込ませながら一歩一歩駅に向かった。車道はスプリンクラーが機能しているってのに、歩道は雪に埋もれたままだった。結局都会生まれ育ちの僕は、雪国とそして雪ってやつ自体をなめていたのだ。
吹雪の中、駅に転がり込み、まだ薄暗い始発の北陸本線で福井を脱出。
だんだん夜が明けてきた頃、敦賀駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。滞在時間は40分くらい。なんだか999号の旅みたいだなあと思った。停車時間はその星の一日時間。地球時間では99時間の星もあったし20分くらいの星もあったっけ。
メーテルは言ったっけ。999号が停車する全ての星に降り立ちなさいって。それが鉄郎の夢を叶える条件なんだって。 人生だ。停車駅もまたその過程なのだ。少年が大人になるとき、停車駅は意味を成す。あらゆるリスクを背負って。優しさと勇敢さと情熱を持って。人間的にそして社会的に、決定的に愚かな僕は、そんな生き方を衝動化させてゆきたいのだ。鉄郎はあらゆる少年像であり、僕であった。メーテルは少年を導く母親であり恋人であり、一人の美しき勇敢な女性でもあった。いつだってメーテルは少年が憧れる青春の幻影。999は人生の無限軌道。
敦賀駅は何故か実際に999の駅でもある。駅前には松本キャラの像が乱立。松本チルドレンの僕としてはうれしすぎる駅だ。そんな敦賀駅をうろつきながらいろんなことを考えました。
小浜・舞鶴線に乗り換えて、日本海沿いを延々と西へ。どこまでいっても雪景色だ。ローカル線ってやつは、2時間1本2両なんてのが普通。鈍行長距離移動なんてもうなれたもんだ。
福知山で山陰本線に乗り換える。
城崎温泉駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。志賀直哉を読んでくればよかったなあと思った。温泉や足湯がたくさんあり、特産のカニの店ばかり乱立してた。地方経済はやはり大変だ。観光産業も大競争だ。
山陰本線を西へひた走り、鳥取駅到着。ここで豪雪が凄まじさを増す。寒冷前線の断末魔か。体力の限界も感じ、駅前のビジネスホテルに宿を取る。
相撲を観て、缶ビール2本飲んで爆睡。
吹雪の中、駅に転がり込み、まだ薄暗い始発の北陸本線で福井を脱出。
だんだん夜が明けてきた頃、敦賀駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。滞在時間は40分くらい。なんだか999号の旅みたいだなあと思った。停車時間はその星の一日時間。地球時間では99時間の星もあったし20分くらいの星もあったっけ。
メーテルは言ったっけ。999号が停車する全ての星に降り立ちなさいって。それが鉄郎の夢を叶える条件なんだって。 人生だ。停車駅もまたその過程なのだ。少年が大人になるとき、停車駅は意味を成す。あらゆるリスクを背負って。優しさと勇敢さと情熱を持って。人間的にそして社会的に、決定的に愚かな僕は、そんな生き方を衝動化させてゆきたいのだ。鉄郎はあらゆる少年像であり、僕であった。メーテルは少年を導く母親であり恋人であり、一人の美しき勇敢な女性でもあった。いつだってメーテルは少年が憧れる青春の幻影。999は人生の無限軌道。
敦賀駅は何故か実際に999の駅でもある。駅前には松本キャラの像が乱立。松本チルドレンの僕としてはうれしすぎる駅だ。そんな敦賀駅をうろつきながらいろんなことを考えました。
小浜・舞鶴線に乗り換えて、日本海沿いを延々と西へ。どこまでいっても雪景色だ。ローカル線ってやつは、2時間1本2両なんてのが普通。鈍行長距離移動なんてもうなれたもんだ。
福知山で山陰本線に乗り換える。
城崎温泉駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。志賀直哉を読んでくればよかったなあと思った。温泉や足湯がたくさんあり、特産のカニの店ばかり乱立してた。地方経済はやはり大変だ。観光産業も大競争だ。
山陰本線を西へひた走り、鳥取駅到着。ここで豪雪が凄まじさを増す。寒冷前線の断末魔か。体力の限界も感じ、駅前のビジネスホテルに宿を取る。
相撲を観て、缶ビール2本飲んで爆睡。
takebonoとりあえず卒業旅行−北陸
2006年3月13日 旅行
新宿駅を23時9分に発った「ムーンライトえちご」は真夜中の闇の中を順調に北へ快走。明け方5時ごろの到着地は新潟。
で、いつも気になる夜行列車の隣の座席の人は?前回散々だったからね。まあ、万が一よ、隣がかわいい女の子だったら?そりゃあナンパ…いやいや話しかけるんだけどねアハハ。 「えちご」が人気ないのか、この時期新潟いく奴が少ないのか。車内はガラガラだった。隣の人どころじゃなくて、空席のほうが多かった感じ。 キリンビールを飲んで寝ました。アイマスクなんて必要なかった。
起きたら新潟駅。5時前。まだ暗い。雪。この時点まで北へ行くか西へ行くか決めてなかったのだけど、日本海の雪景色もいいなあと思い、越後線で西へ。
吉田。柏崎。直江津。と、ひたすら日本海沿いを西へ。車窓から眺める雪景色と日本海は最高の眺め。
黒部を通り過ぎて、やってきたのは富山。特産の「ますのすし」を食って、いつもように初めての街をうろつく。途端嫌がらせのように雪がやたら降り出したので、富山市役所へ逃げ込む。ここは展望台が観光名所。景色はまあまあそこそこ。僕が住む東京都E区のF駅の300億ゼネコンタワーのほうが数倍上だよ。
雪が止んだので富山城址公園へ。
そんなこんなで午後には富山を離れて、北陸本線で高岡駅へ。富山県高岡市はあの藤子不二夫の故郷。takebonoは藤子チルドレン。あの名作中の名作「まんが道」にも何度も出てきた高岡大仏や、高岡城址公園などを歩いてまわる。幼き日に手塚チルドレンだった藤本と安孫子が、時を経て自らも伝説を作った。そしてtakebonoもまた彼らの歴史の跡を辿ってるのです。どこか感慨深い。射水神社にも行きました。藤本と安孫子は漫画家になることをお願いしてたけど、僕はお賽銭を上げて、「ソウルフルに生きれること」をお願いした。何もかもこれからだ。 それから「ドラえもんの道」とか通って高岡を離れました。
その後、金沢に到着しました。でも少し歩いて飯食って発っただけ。あと駅の待合室にTVがあってそこで出発前に相撲を観た。あぁ栃東が…。浮浪者くずれのおっさんたちと一緒に観てたんだけど、やつら最終的には酔っ払ってケンカを始めやがった。しょうがねえなあと思って止めようとしたんだけど、押されてつんのめったのでイラついてやめた。駅で迷惑行為はやめましょう。
そんでさらに北陸本線を西へ。今現在は福井です。福井の漫画喫茶で始発を待ってまぁす。明日は山陽地方をうろつくぞ。
雪の中にキリンビールを突っ込んでグウシャグウシャかき回したらガンガンに冷えて超美味かった。あうー。
写真は富山城址公園。
で、いつも気になる夜行列車の隣の座席の人は?前回散々だったからね。まあ、万が一よ、隣がかわいい女の子だったら?そりゃあナンパ…いやいや話しかけるんだけどねアハハ。 「えちご」が人気ないのか、この時期新潟いく奴が少ないのか。車内はガラガラだった。隣の人どころじゃなくて、空席のほうが多かった感じ。 キリンビールを飲んで寝ました。アイマスクなんて必要なかった。
起きたら新潟駅。5時前。まだ暗い。雪。この時点まで北へ行くか西へ行くか決めてなかったのだけど、日本海の雪景色もいいなあと思い、越後線で西へ。
吉田。柏崎。直江津。と、ひたすら日本海沿いを西へ。車窓から眺める雪景色と日本海は最高の眺め。
黒部を通り過ぎて、やってきたのは富山。特産の「ますのすし」を食って、いつもように初めての街をうろつく。途端嫌がらせのように雪がやたら降り出したので、富山市役所へ逃げ込む。ここは展望台が観光名所。景色はまあまあそこそこ。僕が住む東京都E区のF駅の300億ゼネコンタワーのほうが数倍上だよ。
雪が止んだので富山城址公園へ。
そんなこんなで午後には富山を離れて、北陸本線で高岡駅へ。富山県高岡市はあの藤子不二夫の故郷。takebonoは藤子チルドレン。あの名作中の名作「まんが道」にも何度も出てきた高岡大仏や、高岡城址公園などを歩いてまわる。幼き日に手塚チルドレンだった藤本と安孫子が、時を経て自らも伝説を作った。そしてtakebonoもまた彼らの歴史の跡を辿ってるのです。どこか感慨深い。射水神社にも行きました。藤本と安孫子は漫画家になることをお願いしてたけど、僕はお賽銭を上げて、「ソウルフルに生きれること」をお願いした。何もかもこれからだ。 それから「ドラえもんの道」とか通って高岡を離れました。
その後、金沢に到着しました。でも少し歩いて飯食って発っただけ。あと駅の待合室にTVがあってそこで出発前に相撲を観た。あぁ栃東が…。浮浪者くずれのおっさんたちと一緒に観てたんだけど、やつら最終的には酔っ払ってケンカを始めやがった。しょうがねえなあと思って止めようとしたんだけど、押されてつんのめったのでイラついてやめた。駅で迷惑行為はやめましょう。
そんでさらに北陸本線を西へ。今現在は福井です。福井の漫画喫茶で始発を待ってまぁす。明日は山陽地方をうろつくぞ。
雪の中にキリンビールを突っ込んでグウシャグウシャかき回したらガンガンに冷えて超美味かった。あうー。
写真は富山城址公園。
takebonoなりゆき
2006年3月12日 旅行近所の図書館で講演会があったので聴いてきました。出版業界の社長とかが来てて、出版だとか編集だとか書籍業界のあれこれを話してた。いずれ作家になるtakebonoさんには興味深い話ばかりでした。 今日の講演会は申し込んだのが一ヶ月くらい前で、そんときは丁度就活をしてて、どこも就職できなかったらこの講演会で出版会社社長に体当たりで自分を売り込もうかと本気で考えてた。でも今は全くそんなこと考えてなくて。人間ってわからないもんだなと思う。やっぱり弁護士を目指そうかと思う。
社長が最後に言ってた。「人生なりゆき」
その後T氏の家に寄ってビール飲んで、栃東のさい先良い初日を見届けて。いやもう今日の栃東の相撲ったら。がんばって。
そんでもって突然ですが、これから23時9分新宿発の夜行列車で北陸の方へいつもの独り旅に出発します。向こう大雪だってね。超楽しみ。卒業旅行がこんなんだとはなー。まあそれもまたいいんじゃないかなー。 週末の卒業式までには東京に戻りますー。ブログはしばらく更新が遅れるかも。もしかしたら旅先で更新するかも。
ではでは。いってきます。
社長が最後に言ってた。「人生なりゆき」
その後T氏の家に寄ってビール飲んで、栃東のさい先良い初日を見届けて。いやもう今日の栃東の相撲ったら。がんばって。
そんでもって突然ですが、これから23時9分新宿発の夜行列車で北陸の方へいつもの独り旅に出発します。向こう大雪だってね。超楽しみ。卒業旅行がこんなんだとはなー。まあそれもまたいいんじゃないかなー。 週末の卒業式までには東京に戻りますー。ブログはしばらく更新が遅れるかも。もしかしたら旅先で更新するかも。
ではでは。いってきます。
takebono信州合宿旅行記4
2005年9月22日 旅行何かしらないけど夜中起こされて、部屋を代わってくれとかってので、寝ぼけたまま移動した。移動した先の部屋は男女数人ずついて何やら静かな2次会って感じだったけど、別に加わらなくて寝た。連中の話聞いてても面白くなかったから。何でだろ。こんなシチェーション。二度と無いってわかってて、でもソウルのコラボは全く期待してなくて、連中が何を語りかけてきても僕はドキドキもワクワクもしなくて、僕が何か語ってウケても別に楽しくなくて、アルコールで頭はクラクラすんのに冷めてるこの感覚。このゼミつまらないな。何でだろ。 僕はきっと期待を裏切らずに予想を裏切ってほしいんだ。イタガキさんのマンガのようにさ。そこにソウルがあるんだって。
朝起きて食堂で朝食。僕の前の席に、遅くきた先生が座った。何か話さなきゃーと思いながら何も話せない自分。話そうと思えば無理にでも話せたけど、別に気後れでも気まずさでも自信云々でも全然なくて、いうならばそれは「クズの壁」だった。話すことなんて、本当に見当たらなかったんだ。
ギリギリにチェックアウトして、HR君の車で軽井沢駅まで送ってもらった。道路にはすごい霧が出ていて、ガソリンがきれそうで焦ってたHR君は道を間違えた。
TA君以外はまだ遊んでくらしくて駅で別れた。TA君は10分後の新幹線で早々と帰っていった。僕は軽井沢駅をブラブラしながら、また鈍行で独り旅でもしながら帰るかなあとか思ってたけど、財布の金が尽きそうだったし、何か非常に疲れていたので、やっぱ僕も新幹線で帰ることにした。うろつくにも、軽井沢は霧がかかってて、すごく寒かったし。霧雨のかかるプラットホームに佇みながら、色々なことを考えた。昨日の先生の言葉を思い返したりした。新幹線車内で、横川名物「峠の釜飯」を食う。長野新幹線は速い。ボーっとしてたら一気に上野に着いた。僕がよくする鈍行鉄道旅からしたら全く凄まじい速さだ。これが文明の力か。味気ないな。車内にはスーツ姿のおっさんが多く、軽井沢は通勤圏内なんだって電車男TAが昨日言ってたのを思い出した。そんなもんかい。
帰って疲れて寝た。これで夏も終わりかな。
takebonoの長野夏合宿旅はあっさり終わってった。楽しかったんじゃないかな。こんなもんだろ。 卒業単位は足りてるし、あとはゼミと卒論と取り残した授業だけ。学生生活はもう残り半年もない。なんかやりたかったことは全て叶ってしまった。それだけ僕は僕の人生を過小に眼差していたんだな。大学卒業後の人生では、誰も与えてくれやしないものを創っていきたい。あと残りの、最後の学生生活を、どんなふうに僕はソウルって生きていこうかな。
東京に帰還した日、takebonoを包む夜の闇は、いつだって彼の味方になってくれるかのように、それは静かに静かに確かなる時計の針を刻んでゆくのでした。
takebono、東京帰還。
朝起きて食堂で朝食。僕の前の席に、遅くきた先生が座った。何か話さなきゃーと思いながら何も話せない自分。話そうと思えば無理にでも話せたけど、別に気後れでも気まずさでも自信云々でも全然なくて、いうならばそれは「クズの壁」だった。話すことなんて、本当に見当たらなかったんだ。
ギリギリにチェックアウトして、HR君の車で軽井沢駅まで送ってもらった。道路にはすごい霧が出ていて、ガソリンがきれそうで焦ってたHR君は道を間違えた。
TA君以外はまだ遊んでくらしくて駅で別れた。TA君は10分後の新幹線で早々と帰っていった。僕は軽井沢駅をブラブラしながら、また鈍行で独り旅でもしながら帰るかなあとか思ってたけど、財布の金が尽きそうだったし、何か非常に疲れていたので、やっぱ僕も新幹線で帰ることにした。うろつくにも、軽井沢は霧がかかってて、すごく寒かったし。霧雨のかかるプラットホームに佇みながら、色々なことを考えた。昨日の先生の言葉を思い返したりした。新幹線車内で、横川名物「峠の釜飯」を食う。長野新幹線は速い。ボーっとしてたら一気に上野に着いた。僕がよくする鈍行鉄道旅からしたら全く凄まじい速さだ。これが文明の力か。味気ないな。車内にはスーツ姿のおっさんが多く、軽井沢は通勤圏内なんだって電車男TAが昨日言ってたのを思い出した。そんなもんかい。
帰って疲れて寝た。これで夏も終わりかな。
takebonoの長野夏合宿旅はあっさり終わってった。楽しかったんじゃないかな。こんなもんだろ。 卒業単位は足りてるし、あとはゼミと卒論と取り残した授業だけ。学生生活はもう残り半年もない。なんかやりたかったことは全て叶ってしまった。それだけ僕は僕の人生を過小に眼差していたんだな。大学卒業後の人生では、誰も与えてくれやしないものを創っていきたい。あと残りの、最後の学生生活を、どんなふうに僕はソウルって生きていこうかな。
東京に帰還した日、takebonoを包む夜の闇は、いつだって彼の味方になってくれるかのように、それは静かに静かに確かなる時計の針を刻んでゆくのでした。
takebono、東京帰還。
takebono信州合宿旅行記3
2005年9月21日 旅行5時45分に目が覚めた。5時半にセットしてたケータイのアラームは全く聞こえなかったのに、僕は奇跡的に起きれたのだ。留守電が入ってた。H先生だった。「ロビーで待ってる」急いで支度をした。昨夜の狂乱が嘘のように、松本の朝は静まり返っていた。皆を起こさないように僕は静かに部屋を出た。ロビーのソファーに眠たそうなH先生が座っていた。「んじゃ、いくか」H先生は、冷たい缶のお茶を僕に手渡すと、眠たそうに旅館の玄関を開けた。爽やかな日差しと人気の無い道路は、合宿最後の朝の到来を表していた。だけど僕にはまだ合宿が残っている。これから軽井沢で学部のゼミ合宿だ。卒論の中間発表会が待っている。9時までに最後の合宿地軽井沢に辿り着くために、H先生の運転する車は僕を乗せて松本駅に向かう。「(この合宿に)きてよかっただろ」H先生が遠い目で呟く。軽井沢合宿とかぶるために、一度は諦めかけたこの松本合宿は、僕のソウルとそれに呼応した(?)メンバーなくしてはありえなかった。本当にきてよかったと思った。そして、自らが選択した強行日程こそが、自らのモチベーションを押し上げたのかもしれなかったとも思う。やっぱり、できることなら、できるだけ、takebonoはtakebonoでなければならないんだな。楽しかった。
松本駅でH先生と別れた。感謝。そして篠ノ井線始発に乗り込んだ。昨日の狂乱宴の酒がまだガンガンに残ってて、すぐ寝た。寝とかなきゃまずい。3時間後にはゼミが始まる。部屋のハンガーに上着のシャツを忘れてきたことや、ビンゴ大会の景品を忘れてきたことも思い出したけど、そこで意識は途絶えた。
気づくと篠ノ井駅だった。やばっ…乗り換えなきゃ、と思った瞬間ドアが閉まった。降り遅れたー!久しぶりに寒気が走った。まずい…まずい…まずい…。せっかく奇跡的に起きれたのに…、せっかくH先生が始発に間に合わせてくれたのに…、軽井沢でTHと待ち合わせしてるのに…、僕はこんなしょぼいミスで全てぶち壊すのか。とにかく次の駅今井で降りたけど、焦ってた。こんな地方線で一本逃したってことは、完全に遅刻を意味したからだ。とにかく次の電車早く、って思ってたら、次の電車はそのまましなの鉄道に繋がってた。つまり篠ノ井で乗り換えるはずの電車はこれだったのだ。助かったー。僕は安心からまたそのまま寝た。
気づくともう目的地に着きそうだった。頭はまだクラクラしていた。宿のおばさんが握ってくれたおにぎりをかじる。美味しかったけどあまり胃に入っていかなかった。でも食べなきゃ。こんな僕のためにせっかく作ってくれたんだもんな。そして、いま食っとかなきゃ絶対にもたない。僕は必死こいておにぎりを口に詰め込んだ。今日で終わりだ。最後にもうひと頑張りだ。
中軽井沢にTHが車で迎えに来てくれていた。合宿地のホテルに向かう。豪華なホテルだった。着いた早々、ゼミが始まった。
僕の発表は出来が悪かったが、まずまず健闘した。皆に意見を求めて、あーだこーだ言われてもどうにもしっくりこない。結局、読んだ本だとか、問題関心だとか、それぞれ違うのだから、最終的な論立ての部分では、こんな風に議論してもしょうがないっつうか、適切な意見なんて誰も言えやしないように思えた。発表会の意義自体否定したくなったけど、先生のコメントが一番適切だった。それだけでもうよかった。
他の人の発表を聞いてる時間は苦痛だった。とにかく頭がクラクラするし、眠いし、死にそうだった。一日に全員やるなんて無理がある。集中力が続かない。これがSゼミとかだったらまた違うんだろうなあ。僕は今あまりボランティア主体だとか地域通貨だとかに興味が無いんだな。
昼御飯のとき、4年の連中と群れずに、3年生が多くいる席に座った。合宿だっつうのにいつものメンバーで群れてどーすんだ。3年と話したかった。3年にも面白そうな奴はいたけど、ソウルは揺れなかった。気は合いそうだけど。しかし3年生は明るいな。
夜までゼミが続き、やっと地獄から解放されて、部屋でぶっ倒れた。夕飯も、ゼミの連中とホント話すこと無い。つまんなかった。全く合わないんだな。やはり僕がクズだからだろうか。その後また部屋でぶっ倒れた。相部屋のYSは1年のときから知ってるけど、あまりすきじゃなかった。脳死なんだもん。そんなYSが唐突に政治の話を始めた。選挙行ったことないけどこれからは関心もとうかなって。各政党とりわけ共産党についてYSが語りだしたのには驚いた。ソウルは揺れなかったけど、YSを少々見直した。
夜は別館で飲み会で、あまり面白くない時間が延々と流れた。何話してもつまんなかった。疲れでイラついてたのかもしんない。先日までの松本合宿は、やはり多様な学部学科の集まりだったから面白かったんだな。何かこのSGゼミはノリが一定で、どうにも僕の入り込む隙間がなかった。そうなんだな、僕は隙間こそに居場所を見つけるクズだからだな。ハッキリそれがわかった。
先生がTA君に説教してた。卒業後どうすんのよって。耳が痛かった。人事じゃねえや。でも、何が正しいのかもわかんねえ。もし僕がクズでなければ、先生の言うことは正しいのだろう。頑張れるのかもしんない。でも、僕は人が思うような幸福が、どうしても心地よいものに思えなくて、そんな脳味噌にいつからかなっちまったようで。もし僕が正常だったら、結構いろんなもんが楽しかったはずだろって。みんなは、楽しいのかなあ生きてて。僕は結構いま生きてて楽しいのにな、それが否定されてるようで。そう思うと正常とか異常とかって、バカみたいで、そんなもんに何の拠り所も無くて、僕は僕のまま、困窮したっていいんじゃないかって。家族もそれを望むと思うんだよな。だけど僕は、そんな中でも、まだまだ僕の知らないことなんか無限にあるんだし、生きるのも悪くないって思えるし、やっぱ思うように生きたいな。とりわけ今がすきだ。僕一人なら生きるのが恐かったりして、でも僕一人だから生きるのが恐くなかったりして。まだまだtakebonoは死ねないんだって思うのです。
軽井沢の夜に雨が降り、takebonoの長野合宿旅行は静かに終わってゆこうとしています。大学入学前に夢見たゼミ合宿というトレンド。今やもうそれは僕の中で一飲みに出来るくらいのもので終わりました。二度と無いし、二度と無くていいし、それでよかったのだと思います。合宿無事終了。
松本駅でH先生と別れた。感謝。そして篠ノ井線始発に乗り込んだ。昨日の狂乱宴の酒がまだガンガンに残ってて、すぐ寝た。寝とかなきゃまずい。3時間後にはゼミが始まる。部屋のハンガーに上着のシャツを忘れてきたことや、ビンゴ大会の景品を忘れてきたことも思い出したけど、そこで意識は途絶えた。
気づくと篠ノ井駅だった。やばっ…乗り換えなきゃ、と思った瞬間ドアが閉まった。降り遅れたー!久しぶりに寒気が走った。まずい…まずい…まずい…。せっかく奇跡的に起きれたのに…、せっかくH先生が始発に間に合わせてくれたのに…、軽井沢でTHと待ち合わせしてるのに…、僕はこんなしょぼいミスで全てぶち壊すのか。とにかく次の駅今井で降りたけど、焦ってた。こんな地方線で一本逃したってことは、完全に遅刻を意味したからだ。とにかく次の電車早く、って思ってたら、次の電車はそのまましなの鉄道に繋がってた。つまり篠ノ井で乗り換えるはずの電車はこれだったのだ。助かったー。僕は安心からまたそのまま寝た。
気づくともう目的地に着きそうだった。頭はまだクラクラしていた。宿のおばさんが握ってくれたおにぎりをかじる。美味しかったけどあまり胃に入っていかなかった。でも食べなきゃ。こんな僕のためにせっかく作ってくれたんだもんな。そして、いま食っとかなきゃ絶対にもたない。僕は必死こいておにぎりを口に詰め込んだ。今日で終わりだ。最後にもうひと頑張りだ。
中軽井沢にTHが車で迎えに来てくれていた。合宿地のホテルに向かう。豪華なホテルだった。着いた早々、ゼミが始まった。
僕の発表は出来が悪かったが、まずまず健闘した。皆に意見を求めて、あーだこーだ言われてもどうにもしっくりこない。結局、読んだ本だとか、問題関心だとか、それぞれ違うのだから、最終的な論立ての部分では、こんな風に議論してもしょうがないっつうか、適切な意見なんて誰も言えやしないように思えた。発表会の意義自体否定したくなったけど、先生のコメントが一番適切だった。それだけでもうよかった。
他の人の発表を聞いてる時間は苦痛だった。とにかく頭がクラクラするし、眠いし、死にそうだった。一日に全員やるなんて無理がある。集中力が続かない。これがSゼミとかだったらまた違うんだろうなあ。僕は今あまりボランティア主体だとか地域通貨だとかに興味が無いんだな。
昼御飯のとき、4年の連中と群れずに、3年生が多くいる席に座った。合宿だっつうのにいつものメンバーで群れてどーすんだ。3年と話したかった。3年にも面白そうな奴はいたけど、ソウルは揺れなかった。気は合いそうだけど。しかし3年生は明るいな。
夜までゼミが続き、やっと地獄から解放されて、部屋でぶっ倒れた。夕飯も、ゼミの連中とホント話すこと無い。つまんなかった。全く合わないんだな。やはり僕がクズだからだろうか。その後また部屋でぶっ倒れた。相部屋のYSは1年のときから知ってるけど、あまりすきじゃなかった。脳死なんだもん。そんなYSが唐突に政治の話を始めた。選挙行ったことないけどこれからは関心もとうかなって。各政党とりわけ共産党についてYSが語りだしたのには驚いた。ソウルは揺れなかったけど、YSを少々見直した。
夜は別館で飲み会で、あまり面白くない時間が延々と流れた。何話してもつまんなかった。疲れでイラついてたのかもしんない。先日までの松本合宿は、やはり多様な学部学科の集まりだったから面白かったんだな。何かこのSGゼミはノリが一定で、どうにも僕の入り込む隙間がなかった。そうなんだな、僕は隙間こそに居場所を見つけるクズだからだな。ハッキリそれがわかった。
先生がTA君に説教してた。卒業後どうすんのよって。耳が痛かった。人事じゃねえや。でも、何が正しいのかもわかんねえ。もし僕がクズでなければ、先生の言うことは正しいのだろう。頑張れるのかもしんない。でも、僕は人が思うような幸福が、どうしても心地よいものに思えなくて、そんな脳味噌にいつからかなっちまったようで。もし僕が正常だったら、結構いろんなもんが楽しかったはずだろって。みんなは、楽しいのかなあ生きてて。僕は結構いま生きてて楽しいのにな、それが否定されてるようで。そう思うと正常とか異常とかって、バカみたいで、そんなもんに何の拠り所も無くて、僕は僕のまま、困窮したっていいんじゃないかって。家族もそれを望むと思うんだよな。だけど僕は、そんな中でも、まだまだ僕の知らないことなんか無限にあるんだし、生きるのも悪くないって思えるし、やっぱ思うように生きたいな。とりわけ今がすきだ。僕一人なら生きるのが恐かったりして、でも僕一人だから生きるのが恐くなかったりして。まだまだtakebonoは死ねないんだって思うのです。
軽井沢の夜に雨が降り、takebonoの長野合宿旅行は静かに終わってゆこうとしています。大学入学前に夢見たゼミ合宿というトレンド。今やもうそれは僕の中で一飲みに出来るくらいのもので終わりました。二度と無いし、二度と無くていいし、それでよかったのだと思います。合宿無事終了。
takebono信州合宿旅行記2
2005年9月20日 旅行7時起床。なんて爽やかな朝だろ。早寝早起きって一番身体に良い感じがする。
午前中は、昨日に引き続きの研究発表。まず僕の班が発表を行った。出来はまずまず。あんなバラバラだったのを一つにまとめる作業が、僕は以外と得意なのかも。僕が必死こいて考えて作った発表の構成と章立ては高評価だったようだから。そういや去年のH先生の授業もやはりグループ発表系の授業で、C氏やDさんとか意識の高いメンバーを揃えて、プレゼンの構成と章立ては皆が色々持ち寄った中で僕の案がそのまま採用されたっけ。密かにあれは嬉しかった。僕の姿勢。誰の敵にも味方にもならないし、その人の魅力以上のひいきもしない。つまるとこソウルだからだ。僕はソウルでしか人に触れようとしてないのか。そして群れの外にいるとやっぱり中立に近く在れてるのかも。そのくせモチベーションが高いときは垣根をいつもより容易に越えるから。そして全員を活かしきることを考えてるからだ。そう思うとクズもいいもんだ。集団に埋没するとクズの輝きも無くなりそうで恐い。僕はやっぱりバラバラがすきなんだ。全くのバラバラの中で手を繋ぐことがすきなんだ。
TMの班は一番完成度が低かった。元凶のMZは態度も悪かった。TMがかわいそうだった。そんなこんなで研究発表会も無事終了。 全体的に見て、僕の班が一歩リードしている感じだ。だけど僕一人ではなかなか難しいものもある。
そして、えっ?また観光なの?
午後はバスで松本駅へ。車内でSNさんと話した。SNさんは地元で教採うけて、惜しいところまでいったみたいだ。公立といえどもコネが存在するという話や、試験の難しさや今後について。SNさんは期間を2年と区切って教職に挑戦し続けるらしい。この合宿では会計係で奮闘するSNさんは、とてもクールで大人に見える。 松本から大糸線で穂高という駅へ。車内ではMBさんと話した。MBさんは一見地味で内気で、でも僕が色々ふれば食らいついてきてくれた。こんな風に、初めての人とでもコラボできるのもバラバラのマイノリティーの魅力よ。機会に対して礼儀を尽くすこと。いつもそうだけど、この合宿中に一人一人全員のメンバーと話すことが目標。どこでソウルがヒットするかわかんないから。ソウルを引き出す。そのためにきてるんだ。 大王わさび農場という所までレンタサイクルでサイクリング。天気も超良くて最高だった。信州そばとわさびの葉のかき揚げを食べて超美味かった。わさびビールってのをTMと飲んだんだけど、なんかただの緑色のビールって感じだった。TM曰く「えっ?着色料?」takebono曰く「えっ?甘くないメロンソーダ?」 その後池を回ったり洞窟に行ったり、わさびソフトクリームやらわさびジュースやら、岩魚の塩焼きやら、バカみたいに観光産業に経済貢献して楽しんだ。
TMを先頭にナビをしながらサイクリングを続ける。のどかな風景が拡がる。心が落ち着いていった。コンサートホールを併設したワッフルの店で、コーヒー飲んで音楽聞いてまったりした。TMはワッフルをガツガツ食ってた。よく入るな。やっと研究発表も終わって解放された感じだな。 駅のそばの碌山美術館へ向かう。穂高生まれの彫刻家・荻原碌山の美術館。本で読んだり見たことある作品があった。 H先生と電話で時間交渉しながらギリギリまで観光を満喫。 観光中。気付くとMZが僕のそばに寄ってたりする。他に話す人もいなくて僕の近くに寄ってくるようだ。ホント僕はこんな風につきまとわれるの吐き気がするんだ。散策や鑑賞も一人が一番すきだし。近く寄るなコラと怒鳴りたかったけど、キレても不毛だからやめた。MZの話も度々鼻につく。クズの僕がそんなこと言えるわけもないけど、この人はあんますきになれない。
宿に戻ってTMと色々話した。こいつはノリがよく良い奴だ。Takebonoさんとこんなに話せるとは思わなかったよって、そりゃこっちのセリフだ。 夕飯後、みんなで花火をした。なんか夏の終わりを感じた。 明日の始発で軽井沢に向かわなければならない僕に、H先生は車で駅まで送ってやるよって。超助かる。感謝。そして朝食も食べれずに出発しなきゃならない僕に、旅館の人がおにぎりを握ってくれた。感謝。すげえ嬉しかった。
夕飯後は宴会場で大宴会。同じように合宿のはしごをしてたEBがやっと到着し、ゼミ一番の宴会王の到着に、場のテンションはかなり上がった。H先生がカラオケを要求し、場は一転カラオケ大会になった。O先生は娘が大好きなアンパンマンの歌を熱唱した。みんな喉がかれるまで歌った。ビンゴ大会も催され、EBが最下位になるまでに、狂ったように笑いをとり続けた。おいしすぎるなあいつ。場は完全に酔いが支配していた。明日早朝に僕は起きれるのかな。そして送ってやるとか言っておいてH先生は起きてくれるのかな。既に真っ赤になって畳に寝ころんでいるH先生を見て不安になった。明日の9時からもうSGゼミの卒論の中間発表会が始まるってのに、僕は日付が変わっても酒を飲み続けていた。
いいかげん宿の方からクレームがきてカラオケは中止になった。そりゃそうだよな。何時だと思ってんだ。だけど狂ったように大バカなノリで宴会場をうろつきまわるEBは特に変わる様子も無い。ほとんどの人と話した後で、EBと話した。僕と向かい合うと打って変わって教育論を延々と話しだしたEB。こいつ実はすげえ奴だった。「理想論だけど」って、でも、こういう人に教師になってほしいなと僕は思った。 僕はいつも人を早くに切っちまう。その反面教師として、こんな風に普段見れない顔やソウルを、身近な人から引き出せたことが嬉しいんだ。 EBがせっかく素敵な話をしてるのにそこにMZが絡んできて議論をふっかけてきた。こいつかき乱したいだけなんだ。SNさんは大人だから冷静に聞いてたけど、僕はすげえ居づらくてTMやAKと飲んでた。叩き付け合って跳ね返しあうだけの議論って苦手だ。僕はもっと他人のことを知りたいから。 SAさんやOYさんも打ち解けた感じでよかった。最後のほうにちょっと調子こいて笑ってたらMZが少しだけキレてた。TMがびびりながら笑った。「逆鱗に触れた」と。そして2時ころお開き。 その後部屋でTMとMZとで話した。なんだか去年のM先生のマッドドッグゼミについて延々と。でもMZは僕を評価してくれてるみたい。それはそれでうれしかった。
たくさんの人と話せたし、コラボしたし、また人と人を繋げ続けた。今日の僕はがんばった。 むちゃくちゃ眠くて、頭がグルグルして、そのまま寝た。2時半か、3時間後に起きれるかなあ。明日、卒論の発表なんてできそうもねえよ。
2日目終了。長野の夜は泥酔した若者たちを包んでいった。takebonoの夏ももう終わってゆく。それだけがリアルだった。
午前中は、昨日に引き続きの研究発表。まず僕の班が発表を行った。出来はまずまず。あんなバラバラだったのを一つにまとめる作業が、僕は以外と得意なのかも。僕が必死こいて考えて作った発表の構成と章立ては高評価だったようだから。そういや去年のH先生の授業もやはりグループ発表系の授業で、C氏やDさんとか意識の高いメンバーを揃えて、プレゼンの構成と章立ては皆が色々持ち寄った中で僕の案がそのまま採用されたっけ。密かにあれは嬉しかった。僕の姿勢。誰の敵にも味方にもならないし、その人の魅力以上のひいきもしない。つまるとこソウルだからだ。僕はソウルでしか人に触れようとしてないのか。そして群れの外にいるとやっぱり中立に近く在れてるのかも。そのくせモチベーションが高いときは垣根をいつもより容易に越えるから。そして全員を活かしきることを考えてるからだ。そう思うとクズもいいもんだ。集団に埋没するとクズの輝きも無くなりそうで恐い。僕はやっぱりバラバラがすきなんだ。全くのバラバラの中で手を繋ぐことがすきなんだ。
TMの班は一番完成度が低かった。元凶のMZは態度も悪かった。TMがかわいそうだった。そんなこんなで研究発表会も無事終了。 全体的に見て、僕の班が一歩リードしている感じだ。だけど僕一人ではなかなか難しいものもある。
そして、えっ?また観光なの?
午後はバスで松本駅へ。車内でSNさんと話した。SNさんは地元で教採うけて、惜しいところまでいったみたいだ。公立といえどもコネが存在するという話や、試験の難しさや今後について。SNさんは期間を2年と区切って教職に挑戦し続けるらしい。この合宿では会計係で奮闘するSNさんは、とてもクールで大人に見える。 松本から大糸線で穂高という駅へ。車内ではMBさんと話した。MBさんは一見地味で内気で、でも僕が色々ふれば食らいついてきてくれた。こんな風に、初めての人とでもコラボできるのもバラバラのマイノリティーの魅力よ。機会に対して礼儀を尽くすこと。いつもそうだけど、この合宿中に一人一人全員のメンバーと話すことが目標。どこでソウルがヒットするかわかんないから。ソウルを引き出す。そのためにきてるんだ。 大王わさび農場という所までレンタサイクルでサイクリング。天気も超良くて最高だった。信州そばとわさびの葉のかき揚げを食べて超美味かった。わさびビールってのをTMと飲んだんだけど、なんかただの緑色のビールって感じだった。TM曰く「えっ?着色料?」takebono曰く「えっ?甘くないメロンソーダ?」 その後池を回ったり洞窟に行ったり、わさびソフトクリームやらわさびジュースやら、岩魚の塩焼きやら、バカみたいに観光産業に経済貢献して楽しんだ。
TMを先頭にナビをしながらサイクリングを続ける。のどかな風景が拡がる。心が落ち着いていった。コンサートホールを併設したワッフルの店で、コーヒー飲んで音楽聞いてまったりした。TMはワッフルをガツガツ食ってた。よく入るな。やっと研究発表も終わって解放された感じだな。 駅のそばの碌山美術館へ向かう。穂高生まれの彫刻家・荻原碌山の美術館。本で読んだり見たことある作品があった。 H先生と電話で時間交渉しながらギリギリまで観光を満喫。 観光中。気付くとMZが僕のそばに寄ってたりする。他に話す人もいなくて僕の近くに寄ってくるようだ。ホント僕はこんな風につきまとわれるの吐き気がするんだ。散策や鑑賞も一人が一番すきだし。近く寄るなコラと怒鳴りたかったけど、キレても不毛だからやめた。MZの話も度々鼻につく。クズの僕がそんなこと言えるわけもないけど、この人はあんますきになれない。
宿に戻ってTMと色々話した。こいつはノリがよく良い奴だ。Takebonoさんとこんなに話せるとは思わなかったよって、そりゃこっちのセリフだ。 夕飯後、みんなで花火をした。なんか夏の終わりを感じた。 明日の始発で軽井沢に向かわなければならない僕に、H先生は車で駅まで送ってやるよって。超助かる。感謝。そして朝食も食べれずに出発しなきゃならない僕に、旅館の人がおにぎりを握ってくれた。感謝。すげえ嬉しかった。
夕飯後は宴会場で大宴会。同じように合宿のはしごをしてたEBがやっと到着し、ゼミ一番の宴会王の到着に、場のテンションはかなり上がった。H先生がカラオケを要求し、場は一転カラオケ大会になった。O先生は娘が大好きなアンパンマンの歌を熱唱した。みんな喉がかれるまで歌った。ビンゴ大会も催され、EBが最下位になるまでに、狂ったように笑いをとり続けた。おいしすぎるなあいつ。場は完全に酔いが支配していた。明日早朝に僕は起きれるのかな。そして送ってやるとか言っておいてH先生は起きてくれるのかな。既に真っ赤になって畳に寝ころんでいるH先生を見て不安になった。明日の9時からもうSGゼミの卒論の中間発表会が始まるってのに、僕は日付が変わっても酒を飲み続けていた。
いいかげん宿の方からクレームがきてカラオケは中止になった。そりゃそうだよな。何時だと思ってんだ。だけど狂ったように大バカなノリで宴会場をうろつきまわるEBは特に変わる様子も無い。ほとんどの人と話した後で、EBと話した。僕と向かい合うと打って変わって教育論を延々と話しだしたEB。こいつ実はすげえ奴だった。「理想論だけど」って、でも、こういう人に教師になってほしいなと僕は思った。 僕はいつも人を早くに切っちまう。その反面教師として、こんな風に普段見れない顔やソウルを、身近な人から引き出せたことが嬉しいんだ。 EBがせっかく素敵な話をしてるのにそこにMZが絡んできて議論をふっかけてきた。こいつかき乱したいだけなんだ。SNさんは大人だから冷静に聞いてたけど、僕はすげえ居づらくてTMやAKと飲んでた。叩き付け合って跳ね返しあうだけの議論って苦手だ。僕はもっと他人のことを知りたいから。 SAさんやOYさんも打ち解けた感じでよかった。最後のほうにちょっと調子こいて笑ってたらMZが少しだけキレてた。TMがびびりながら笑った。「逆鱗に触れた」と。そして2時ころお開き。 その後部屋でTMとMZとで話した。なんだか去年のM先生のマッドドッグゼミについて延々と。でもMZは僕を評価してくれてるみたい。それはそれでうれしかった。
たくさんの人と話せたし、コラボしたし、また人と人を繋げ続けた。今日の僕はがんばった。 むちゃくちゃ眠くて、頭がグルグルして、そのまま寝た。2時半か、3時間後に起きれるかなあ。明日、卒論の発表なんてできそうもねえよ。
2日目終了。長野の夜は泥酔した若者たちを包んでいった。takebonoの夏ももう終わってゆく。それだけがリアルだった。
takebono信州合宿旅行記1
2005年9月19日 旅行
夜中の2時まで、レジュメを作ってた。ゼミ合宿のはしごだから、まとめなきゃならないレジュメも2つ。松本での教職ゼミの授業研究発表用レジュメと、軽井沢での学部のゼミの卒論の中間発表用レジュメ。連日がんばったけど結局出来は悪かった。そして体調も悪くすげえきつかった。でもこれが出来てないと合宿行ってもどうしようもないので、何とか形にして就寝。
3時間寝て、5時に起きて、準備して、慌ただしく出発。新宿から7時発の高速バスで3時間かけて松本へ。そういえば大学1年のときサークル合宿でもこのターミナルの高速バスを使ったっけ。あれは酷い合宿だったな。サークルをやめる大きな要因になったっけ。今回の合宿では、どれくらい僕はキレちまうんだろ。あの手の集団行動はもうホントに大嫌いで。イラついて。散れ、って叫びたくなるほど。だけど、少しだけ、今回ソウルのコラボを期待してたりして。モチベーションはまずまず。
10時に松本到着。集合時間は14時なので、当然ながら誰の姿も見えない。合宿始まったら観光どころじゃないと初めから狙っていたtakebonoさん。だからこそ夜のうちにレジュメ完成させとく必要があったのさ。さあ、14時まで松本観光すっぞ。 松本を歩く。長野県は寒いと思ってたのに、汗がにじむくらい暑い。まず市立美術館で「草間彌生展〈魂のおきどころ〉」を鑑賞。まさにソウル。これがソウル。こういうの、兄に見せてやりたかったな。 その後また歩いて、あがたの森公園でまったり。松本市旧司祭館だとか旧制高等学校記念館だとか色々散策した。100円バスで駅に戻ると何人かゼミメンバーに会えたので、モスで時間を潰してコンビニでレジュメをコピーしたりした。そして駅で集合。前日に行かないかもとか言ってたMZさんもちゃんときてた。H先生とO先生の最強タッグの引率で、とうとう合宿が始まりました。
よしがんばるぞと気合入れてたら、まず観光しようとかって、松本城と開知学校を観光。はあ?そういえば僕らは合宿の詳細とか何も聞いてなかった。「調査実習」としか。松本上の天守閣で最高の眺めを満喫しながら、これが調査実習かなあとか思ったり。
旅館で温泉に入ったり、食事のときは「ちょっと湿らす」とかって、きっちりビールをいただいたり、まったく慰安旅行。いつ勉強するんだ?とか思いつつも僕は思い切り楽しんでやった。学部も学年もバラバラのメンバーと触れ合うのは楽しかった。個でありながら繋がれるような、この感覚や雰囲気、こういうのが一番すき。
その後、酒が入り多少だるそうなH先生を中心に、研究発表会が行われた。まず先行した2つのグループはまずまずだったが準備不足が伺え、しかし健闘はしていた感じ。結局僕のともう1つのグループの発表は明日に持ち越された。打ち合わせと発表内容の確認をした後、一番広い男部屋で軽く飲み会を提案し開催。でも皆疲れとまだ様子見的な感じであまりコラボできなかった。僕とTMがせっかく女子部屋から女の子連れてきたのに、気を使う奴もいなくて、酒も充分入らないままに明日に備えおひらき。まあでもこの時間は明日への布石なのだ。最初からわかってたさ。 TGが急病でこれなくなったため、TMのグループのメンバーはあのMZさんだけだ。しかしMZとTGは噂以上の犬猿に近いライバル関係だったからかえってよかったかと思ってたけど、SHさんもこれなかったため、MZと2人で発表を作らなきゃなんないTMがかわいそうだった。部屋の隅で近寄りがたい雰囲気で二人は議論してた。このグループは崩壊直前だなと思った。後でTMが笑いながらMZについての愚痴をこぼしてきた。あまり柔軟に人と向き合わないMZの姿勢は、僕だって見てて少しいらついてた。がんばって本とか読んで調べてきたTMに対して礼儀を尽くすならば、徹底して議論に協力して、研究発表の質を上げてくことだろ。否定し批判しておいて自分は向き合わないで、なげやりな態度をとったり、TGのせいにしたりするのは、見ててあまり気持ちいいもんではなかった。やっぱグループワークって難しいのだ。
こうして一日目が終了。少しだけ発表内容を一人でまとめてから、久しぶりにしっかり寝た。部屋はTMとSNさんと僕とで3人同室だったけど、10人くらい寝れるほど広く、快適だった。2人ともいびき薬を使ってたけど全く役に立ってなくて…でも気になんなかった。久しぶりのまともな睡眠に、体は正直だったみたいだ。 明日に発表を控えて少し胸が高鳴った。takebonoの今年の夏は長野で締めくくられようとしている。
3時間寝て、5時に起きて、準備して、慌ただしく出発。新宿から7時発の高速バスで3時間かけて松本へ。そういえば大学1年のときサークル合宿でもこのターミナルの高速バスを使ったっけ。あれは酷い合宿だったな。サークルをやめる大きな要因になったっけ。今回の合宿では、どれくらい僕はキレちまうんだろ。あの手の集団行動はもうホントに大嫌いで。イラついて。散れ、って叫びたくなるほど。だけど、少しだけ、今回ソウルのコラボを期待してたりして。モチベーションはまずまず。
10時に松本到着。集合時間は14時なので、当然ながら誰の姿も見えない。合宿始まったら観光どころじゃないと初めから狙っていたtakebonoさん。だからこそ夜のうちにレジュメ完成させとく必要があったのさ。さあ、14時まで松本観光すっぞ。 松本を歩く。長野県は寒いと思ってたのに、汗がにじむくらい暑い。まず市立美術館で「草間彌生展〈魂のおきどころ〉」を鑑賞。まさにソウル。これがソウル。こういうの、兄に見せてやりたかったな。 その後また歩いて、あがたの森公園でまったり。松本市旧司祭館だとか旧制高等学校記念館だとか色々散策した。100円バスで駅に戻ると何人かゼミメンバーに会えたので、モスで時間を潰してコンビニでレジュメをコピーしたりした。そして駅で集合。前日に行かないかもとか言ってたMZさんもちゃんときてた。H先生とO先生の最強タッグの引率で、とうとう合宿が始まりました。
よしがんばるぞと気合入れてたら、まず観光しようとかって、松本城と開知学校を観光。はあ?そういえば僕らは合宿の詳細とか何も聞いてなかった。「調査実習」としか。松本上の天守閣で最高の眺めを満喫しながら、これが調査実習かなあとか思ったり。
旅館で温泉に入ったり、食事のときは「ちょっと湿らす」とかって、きっちりビールをいただいたり、まったく慰安旅行。いつ勉強するんだ?とか思いつつも僕は思い切り楽しんでやった。学部も学年もバラバラのメンバーと触れ合うのは楽しかった。個でありながら繋がれるような、この感覚や雰囲気、こういうのが一番すき。
その後、酒が入り多少だるそうなH先生を中心に、研究発表会が行われた。まず先行した2つのグループはまずまずだったが準備不足が伺え、しかし健闘はしていた感じ。結局僕のともう1つのグループの発表は明日に持ち越された。打ち合わせと発表内容の確認をした後、一番広い男部屋で軽く飲み会を提案し開催。でも皆疲れとまだ様子見的な感じであまりコラボできなかった。僕とTMがせっかく女子部屋から女の子連れてきたのに、気を使う奴もいなくて、酒も充分入らないままに明日に備えおひらき。まあでもこの時間は明日への布石なのだ。最初からわかってたさ。 TGが急病でこれなくなったため、TMのグループのメンバーはあのMZさんだけだ。しかしMZとTGは噂以上の犬猿に近いライバル関係だったからかえってよかったかと思ってたけど、SHさんもこれなかったため、MZと2人で発表を作らなきゃなんないTMがかわいそうだった。部屋の隅で近寄りがたい雰囲気で二人は議論してた。このグループは崩壊直前だなと思った。後でTMが笑いながらMZについての愚痴をこぼしてきた。あまり柔軟に人と向き合わないMZの姿勢は、僕だって見てて少しいらついてた。がんばって本とか読んで調べてきたTMに対して礼儀を尽くすならば、徹底して議論に協力して、研究発表の質を上げてくことだろ。否定し批判しておいて自分は向き合わないで、なげやりな態度をとったり、TGのせいにしたりするのは、見ててあまり気持ちいいもんではなかった。やっぱグループワークって難しいのだ。
こうして一日目が終了。少しだけ発表内容を一人でまとめてから、久しぶりにしっかり寝た。部屋はTMとSNさんと僕とで3人同室だったけど、10人くらい寝れるほど広く、快適だった。2人ともいびき薬を使ってたけど全く役に立ってなくて…でも気になんなかった。久しぶりのまともな睡眠に、体は正直だったみたいだ。 明日に発表を控えて少し胸が高鳴った。takebonoの今年の夏は長野で締めくくられようとしている。
takebono西国漫遊記9
2005年8月17日 旅行始発の東海道本線で朝っぱらから名古屋へ。電車内でずっと寝てた。そのまま東海道でも充分帰れたけど、東海道も飽きたのでちょっと遠回りをして、名古屋から中央本線で帰ることにした。内陸地、山の中を走る中央本線。のどかな景色が広がります。中津川駅で乗り継ぎを待ってると、実家に帰省中の姉から?。どうやら福島で地震があって昨日帰れなかったらしい。そして東京では雷雨があり、家のPCがぶっ壊れて修理に出したそうだ。帰ってネットもできやしないのか。はあ。 中央本線はゆっくりと東へ。甲府を過ぎ、やっと西東京へ。途中、相模湖を通過。去年の調査実習が懐かしかった。
八王子駅でM君が車で迎えに来てくれた。M君は八王子を案内してくれて、八王子ラーメンをおごってくれた。M君顔なじみの店の主人が「八王子の名所?無えよそんなもん」とあっさり言った。渋いわぁおっさん。
M君家の側の、横浜線の片倉という駅で軽く飲んで、色々話しました。ホント面白いくらいに方向性の違う生き方を歩む2人が、この先どうなるのかねって。まあ、死ぬときにわかればいいのさ。人生がどうだったかなんてことはよ。
そして遅くならないうちにそのまま中央線つたって我が家に帰宅しました。10日振りか?でも全然懐かしくもない。相変わらず猫が僕の布団に寝そべってたし、両親は夫婦漫才みたいに馬鹿笑いしてた。PCが無くなってた。色々ネット使わなきゃならんのにな。東京に戻ってもどうやらマンガ喫茶を使う羽目になりそうだ。
というわけでtakebonoの西国漫遊は終わりました。今回の旅でも色々考えたけど、モヤモヤしたものはなかった。もう悩みなんて、あっても別に悩んじゃいないんだ。 それにしても四国の祭り巡りはすごかったな。食べ物も美味しかった。四国美人にはたくさん会えたけど、連れて帰ることは出来なかったな。ははは。 広島もよかったわ。行ってよかった。
今度バイク買おうかな。そしたら今度は一ヶ月くらい「放浪」しようかな。もう今回みたいな半分「観光」混じってるような旅は最後だろうな。 しかし今回は天候にも恵まれた。やっぱり楽しかった。そうね、楽しかった。
takebono、東京帰還。
八王子駅でM君が車で迎えに来てくれた。M君は八王子を案内してくれて、八王子ラーメンをおごってくれた。M君顔なじみの店の主人が「八王子の名所?無えよそんなもん」とあっさり言った。渋いわぁおっさん。
M君家の側の、横浜線の片倉という駅で軽く飲んで、色々話しました。ホント面白いくらいに方向性の違う生き方を歩む2人が、この先どうなるのかねって。まあ、死ぬときにわかればいいのさ。人生がどうだったかなんてことはよ。
そして遅くならないうちにそのまま中央線つたって我が家に帰宅しました。10日振りか?でも全然懐かしくもない。相変わらず猫が僕の布団に寝そべってたし、両親は夫婦漫才みたいに馬鹿笑いしてた。PCが無くなってた。色々ネット使わなきゃならんのにな。東京に戻ってもどうやらマンガ喫茶を使う羽目になりそうだ。
というわけでtakebonoの西国漫遊は終わりました。今回の旅でも色々考えたけど、モヤモヤしたものはなかった。もう悩みなんて、あっても別に悩んじゃいないんだ。 それにしても四国の祭り巡りはすごかったな。食べ物も美味しかった。四国美人にはたくさん会えたけど、連れて帰ることは出来なかったな。ははは。 広島もよかったわ。行ってよかった。
今度バイク買おうかな。そしたら今度は一ヶ月くらい「放浪」しようかな。もう今回みたいな半分「観光」混じってるような旅は最後だろうな。 しかし今回は天候にも恵まれた。やっぱり楽しかった。そうね、楽しかった。
takebono、東京帰還。
takebono西国漫遊記8−帰路・京都−
2005年8月16日 旅行ホテルの朝食が無料だったので、パンとコーヒーとオレンジジュースを昼御飯代わりにたくさん飲み食いしておいた。美味かった。そこらの店より美味いんじゃないかと思った。
今更醜悪な観光産業に貢献するのも嫌だったので、ホテルをギリギリにチェックアウトして、京都駅前をずっとうろうろしてた。 駅ビルで手塚治虫展をやってたから観に行った。京都タワーにでも上ろうかと思ったけど、今日はあの大文字の日だったから何か予約してないと上れないんだと。何を観るわけでもなく買うわけでもなく一日ボーっと過ごした。普段は散歩や図書館に行ったり、読書やサッカーを満喫する普通の休日と変わりない。生産も消費もしません。これは市場経済への冒涜かい?それでもそういう一日が大好きです。結局「観光」なんかするもんじゃねえってことか。
そうこうしてるうちに日が暮れた。今夜の宿はマンガ喫茶。 夜になってからBちゃんと連絡つきました。遅いっつーの。昼間の内に連絡着けばデートできたのに。ケータイ持ってないとやっぱ不便だ。まあでも四国で買ってきた酒で、東京で飲めたらすてきだわ。 京都駅前でストリートライブをしてる兄ちゃんたちがいました。暇だったのでずっと聞いてたらライブのチケットをくれました。ま、明日帰るんで観に行けないけどね。でもいい歌と曲だったよ。音楽という聴覚芸術への嫉妬は未だあるわ。 あと駅前で「生命(いのち)エネルギー」の勉強をしてるという2人組に声かけられました。あぶねえなこいつら。気功みたいなもんかと訪ねたら、いやいやあくまで「生命(いのち)」なんだ、と。はあ。変な奴らはどこにでもいるもんだな。
明日の始発で出発予定。東京へ。takebono帰還です。
−つづく−
今更醜悪な観光産業に貢献するのも嫌だったので、ホテルをギリギリにチェックアウトして、京都駅前をずっとうろうろしてた。 駅ビルで手塚治虫展をやってたから観に行った。京都タワーにでも上ろうかと思ったけど、今日はあの大文字の日だったから何か予約してないと上れないんだと。何を観るわけでもなく買うわけでもなく一日ボーっと過ごした。普段は散歩や図書館に行ったり、読書やサッカーを満喫する普通の休日と変わりない。生産も消費もしません。これは市場経済への冒涜かい?それでもそういう一日が大好きです。結局「観光」なんかするもんじゃねえってことか。
そうこうしてるうちに日が暮れた。今夜の宿はマンガ喫茶。 夜になってからBちゃんと連絡つきました。遅いっつーの。昼間の内に連絡着けばデートできたのに。ケータイ持ってないとやっぱ不便だ。まあでも四国で買ってきた酒で、東京で飲めたらすてきだわ。 京都駅前でストリートライブをしてる兄ちゃんたちがいました。暇だったのでずっと聞いてたらライブのチケットをくれました。ま、明日帰るんで観に行けないけどね。でもいい歌と曲だったよ。音楽という聴覚芸術への嫉妬は未だあるわ。 あと駅前で「生命(いのち)エネルギー」の勉強をしてるという2人組に声かけられました。あぶねえなこいつら。気功みたいなもんかと訪ねたら、いやいやあくまで「生命(いのち)」なんだ、と。はあ。変な奴らはどこにでもいるもんだな。
明日の始発で出発予定。東京へ。takebono帰還です。
−つづく−
takebono西国漫遊記7−帰路・京都−
2005年8月15日 旅行終戦記念日の朝、広島を後にする。山陽本線を東へ戻る。旅もいよいよ帰り道だ。岡山、神戸と突っ走る。鳥取にも行きたかったんだけどもう疲れちまった。
旅先では会えなかったM君と連絡がつき、明後日の八王子で飲む約束をした。しかしBちゃんとはとうとう連絡がとれなかったな。
京都のビジネスホテルに宿をとる。これまでで一番高いホテルだ。すっごい高級感。従業員がほとんどいないし、ほとんどが全自動なの。初めてカードのルームキーってやつを使った。最初使い方がようわからんくて、なんか5分くらい部屋のドアが開けられなかった。だめね放浪者は、ホテルなんか使っちゃあ。 だから、今回の旅は全体的に「観光」の域を出なかった感じがする。やはりお土産は帰る直前に買うものだと思った。本来、軽装備でリュックに全部詰め込んで、駅や駐車場で野宿し、自分の行きたい所に勝手に向かうものなんだろうな旅ってやつは。各地の観光名所をまわり、名物を食べ、お土産を買い、交通機関やらコインロッカーやら、およそ観光産業の全てに対して、僕の手持ち金が吐き出されてゆく感覚が、旅の終わり頃からいい加減に醜悪な心地を伴うようになってきたのだ。放浪者に優しいコンビニの便利なサービスを受容しておいて、僕はしかしそれが腹立たしくて仕方がなかった。
SJがブログ見てくれたって、あと色々長いメールをくれた。SJも自分の在るべき場所で懸命に生きようとしてるんだなって思った。そんなSJに対し、本当にかけるべき言葉なんてすぐには考えつかないのだけど、でも、全く違う道を歩き尚、しかし君がピンチの時にはやはり僕は駆けつけるんだろうな。SJよ、見てるか?僕らがいたあの時代からもう何年か経って、少なくとも今のtakebonoは、誰かにとってのちっぽけな希望になることが出来ているみたいなんだ。今は自分が自分に基づいてる。T秋が言ってたね。「自分で在れ」と。その「自分」ってやつと、「社会」が認めときにニーズとする(それもまた)「自分」ってやつが、そのバランスに、死ぬほど苦しめられてきたけどさ、大学入って色々なこと考えたり本読んだり、とんでもなく素敵な連中に出会ったりしてな、だんだん輝いていったんだtakebonoは。自分で在ろうとするエネルギーはときに、自分を変えることなく自分を強くするんだってこと。だから結局変わってねえんだし変わったんだよ。俗にいう「自分探し」だったんかもしんないけど、今の僕は、あの頃大嫌いだった「自分」とたぶん同じ「自分」を誇りにしてるんだわ。だから楽しいぜ、今は、何もかもがさ。 SJ、あの頃は君にも迷惑かけたね。一時期、生きてるのが嫌でそれでも死ねなくて、君に依ってたような時もあった。恋だの友情だのそんな戯言に吐き気を催しながらね。だけど、周りの連中みんな死ねばいいと思ってたけど、君だけは生きててほしいと思ってたっけ。そんな僕も死んでいいんだと思ってた。馴れ合いとかじゃねえ。ただあの頃のtakebonoを知ってくれているのはたぶん君だけなんだ。ただそんなことが、ふと懐かしくなるときもあるんよねやっぱり。あんな、どうしようもない時代だったけど、今の僕を創ってくれたのか。だから優しく静かに閉めておこうと思ってんのさ。愚かだろ。 …精一杯考えてここまで書いたわ。いつかでいい。何のしがらみもなく、そしてtakebonoがもう少しだけ輝くようになったとき、外国のビールか何かで君と飲みたいぜSJ。いつかはまた会えるだろ。君の人生の新しい活躍を祈ってるよ。
夜は京都駅周辺を散歩した。多くの人が駅に寝ていた。僕も本来ああすべきだったのだろうな。軽く雨が降ってきた京都の夜空に、今年も終戦記念日の願いをかけた。どうか世界が平和になりますように。旅も終わりだな。こんな夏ももう終わりなのだろう。
−つづく−
旅先では会えなかったM君と連絡がつき、明後日の八王子で飲む約束をした。しかしBちゃんとはとうとう連絡がとれなかったな。
京都のビジネスホテルに宿をとる。これまでで一番高いホテルだ。すっごい高級感。従業員がほとんどいないし、ほとんどが全自動なの。初めてカードのルームキーってやつを使った。最初使い方がようわからんくて、なんか5分くらい部屋のドアが開けられなかった。だめね放浪者は、ホテルなんか使っちゃあ。 だから、今回の旅は全体的に「観光」の域を出なかった感じがする。やはりお土産は帰る直前に買うものだと思った。本来、軽装備でリュックに全部詰め込んで、駅や駐車場で野宿し、自分の行きたい所に勝手に向かうものなんだろうな旅ってやつは。各地の観光名所をまわり、名物を食べ、お土産を買い、交通機関やらコインロッカーやら、およそ観光産業の全てに対して、僕の手持ち金が吐き出されてゆく感覚が、旅の終わり頃からいい加減に醜悪な心地を伴うようになってきたのだ。放浪者に優しいコンビニの便利なサービスを受容しておいて、僕はしかしそれが腹立たしくて仕方がなかった。
SJがブログ見てくれたって、あと色々長いメールをくれた。SJも自分の在るべき場所で懸命に生きようとしてるんだなって思った。そんなSJに対し、本当にかけるべき言葉なんてすぐには考えつかないのだけど、でも、全く違う道を歩き尚、しかし君がピンチの時にはやはり僕は駆けつけるんだろうな。SJよ、見てるか?僕らがいたあの時代からもう何年か経って、少なくとも今のtakebonoは、誰かにとってのちっぽけな希望になることが出来ているみたいなんだ。今は自分が自分に基づいてる。T秋が言ってたね。「自分で在れ」と。その「自分」ってやつと、「社会」が認めときにニーズとする(それもまた)「自分」ってやつが、そのバランスに、死ぬほど苦しめられてきたけどさ、大学入って色々なこと考えたり本読んだり、とんでもなく素敵な連中に出会ったりしてな、だんだん輝いていったんだtakebonoは。自分で在ろうとするエネルギーはときに、自分を変えることなく自分を強くするんだってこと。だから結局変わってねえんだし変わったんだよ。俗にいう「自分探し」だったんかもしんないけど、今の僕は、あの頃大嫌いだった「自分」とたぶん同じ「自分」を誇りにしてるんだわ。だから楽しいぜ、今は、何もかもがさ。 SJ、あの頃は君にも迷惑かけたね。一時期、生きてるのが嫌でそれでも死ねなくて、君に依ってたような時もあった。恋だの友情だのそんな戯言に吐き気を催しながらね。だけど、周りの連中みんな死ねばいいと思ってたけど、君だけは生きててほしいと思ってたっけ。そんな僕も死んでいいんだと思ってた。馴れ合いとかじゃねえ。ただあの頃のtakebonoを知ってくれているのはたぶん君だけなんだ。ただそんなことが、ふと懐かしくなるときもあるんよねやっぱり。あんな、どうしようもない時代だったけど、今の僕を創ってくれたのか。だから優しく静かに閉めておこうと思ってんのさ。愚かだろ。 …精一杯考えてここまで書いたわ。いつかでいい。何のしがらみもなく、そしてtakebonoがもう少しだけ輝くようになったとき、外国のビールか何かで君と飲みたいぜSJ。いつかはまた会えるだろ。君の人生の新しい活躍を祈ってるよ。
夜は京都駅周辺を散歩した。多くの人が駅に寝ていた。僕も本来ああすべきだったのだろうな。軽く雨が降ってきた京都の夜空に、今年も終戦記念日の願いをかけた。どうか世界が平和になりますように。旅も終わりだな。こんな夏ももう終わりなのだろう。
−つづく−